ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

衆議院解散

2017-09-26 23:15:34 | 徒然の記

  来月の臨時国会の冒頭で、衆議院が解散となり、総選挙が行われます。9月19日の千葉日報の一面に、トップ記事で掲載されました。

 「10月衆院選」「首相、消費税で教育財源」「民進、争点隠し批判」という見出しです。ついでに、産経新聞を見ましたら、「内閣支持率が5割回復」「解散・総選挙決断の後押しに」「安倍晋三首相不信の払拭は " ? " 」でした。

 毎日新聞の見出しは、「消費税・北朝鮮問う」「28日に解散」「来月22日投票」「国難突破と強調」と、意外に大人しい書きぶりです。他に朝日、読売、日経もあるのですが、面倒なので省略します。どうせ「大義なき解散」とか、「党利党略」とか、安倍氏批判の見出しに決まっていると、最近は私も偏見丸出しです。

 民進党は、「内政に課題を抱えた首脳が、体外危機対応で、」「国民の目をそらすもの」だと言い、「北朝鮮対応や、消費税問題が、」「国民の審判を受けるのに、なじむのか。」と疑問を呈しています。

 安倍総理がどういう思惑で解散を決断したのか、事実は知りませんが、総理にとっても、野党にとっても、大きな節目の選挙となるのは間違いありません。総理は、「消費税の使途」につき国民の審判を受けると、説明しているようですが、今回の選挙の争点は、「憲法改正」だと、私は勝手に推測しております。

 離党者が相次ぐ民進党が、沈みかけた泥舟のようになっているのが、総理の決断の大きな要因だと、そこは私も否定しません。しかし、昭恵夫人のことや加計問題を考えますと、安倍政権にも厳しい目があります。とくに「お花畑の住民」たちは、国際情勢などお構い無しですから、解散は大きな賭けです。

 反安倍マスコミが言うように、「争点隠しの解散」でなく、「争点審判のため解散」でもあると、私はそう見ています。「大義なき解散」でなく、大義のある解散だと、これもまた勝手に確信いたします。

 解散の大義は、「憲法改正」と「争点審判」の二つです。これが堂々と出せない安倍自民党を、私は不甲斐ないと思います。相変わらず、「国民には知らしめず、依らしむべし」の高慢さです。いつまでも、国民の意識の高さに気づかない、奢れる自民党の悪しき体質を見ます。

 マスコミだって同じです。実態を知りながら、「憲法改正」と「争点審判」を真正面から伝えない、姑息さです。こちらは自民党の高慢さを真似ているのでなく、ただ自民党が敗れればいいと、国民に事実を伝えない、いつもの反日の立場からの報道です。

 事実を言わない自民党と、事実を伝えない野党と反日マスコミを前にし、せめて自分だけでも、立場をハッキリさせたくなりました。この世のことは、常に順序というものがあります。安倍総理のグローバリズムと、野党の反日・売国と、いずれの排除が優先するかです。そうなればやはり、反日・売国の野党消滅が先です。

 グローバリズムも反日も、いずれ日本を崩壊させますから、決して油断はなりません。喫緊の課題として、「憲法改正」と「女系天皇反対」がありますから、安倍総理がこの旗を降ろさない限り、私は一票を入れます。新聞の報道を見ましても、自民党の議員ですら、国民の悲願を無視し、「憲法改正」に及び腰です。憲法改正で、総理を支援する議員が少数だという不甲斐なさ。これでは、安倍氏以外の選択肢がありません。幻滅しても、総理しかいません。

 野党や、野党支持のマスコミが言うように、「自民党は、総理への消極的支援が支えているにすぎない。」とは言いません。「不毛の選択」であっても、私の一票は「積極的支援」です。昨日私は、李恢成氏の書評の中で、韓国の政情を批判しましたが、日本だって、たいして誇れるものではありません。

 しかし、「理想は高く、手は低く」、一歩ずつ進むしかないと、静かに考える今夜の私です。外はスッカリ秋の気配で、ねこ庭にすだく虫の音と、心地よい涼風が、日頃の短気を忘れさせます。

 これから風呂へ行き、少しばかり本を読み、眠りにつきます。私の愛する息子と孫たちよ、お休みなさい。

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追放と自由 - 3

2017-09-25 07:48:49 | 徒然の記

 李恢成という作家を通して、在日と呼ばれる人々の苦悩を再認識しました。

 再認識したということは、納得し、肯定したという意味ではありません。彼らが沈んでいる心の穴の深さを、再度知ったということです。慰安婦問題以来、韓国人と日本人の、思考回路の違いを痛感した私は、内面が変わったような気がします。

 人種偏見を知らずに過ごしてきた過去が、嘘のようです。かって私には、朴、閔という名の、在日の友がいました。若い頃から国や民族を意識せず、どちらかといえば、個人を第一として、私は人とつき合ってきました。世間が何を言おうと、個人が公正ならそれで十分というのが、ぼんやりとした、しかし頑固な、友の基準でした。

 慰安婦問題が騒がしくなり、国と国が敵対すれば、個人同士も敵対するという事実に向き合いました。「君は、何にも知らない。」「お人好しの日本人の一人だ。」「知らないということは、免罪符にならない。」「知らないというのは、結果として、差別の協力者になっているということだ。」

 そうして友と別れ、今ここで李氏の著作を読み、彼らの言葉の意味を理解しました。かっては何も知らない私でしたが、だからと言って、今の自分が、彼らの主張に賛同するかと言えば、そういうことはありません。

 言い争いで決別し、再び会うことはなくなりましたが、思い出を懐かしむ心は消せないまま残っています。手の届かない過去を懐かしむ気持で、ブログに向かう私です。氏の経歴を辿る作業が、別れた友の足跡を見つけることにつながるのでないかと、そんな気もしています。

 昭和10年に樺太で生まれた氏は、存命なら今年82才です。私は最初、この作品を氏の自伝だと思っていましたが、ネットで調べ勘違いに気づきました。以下が、ネットで得た情報です。

 「昭和20年の敗戦後、家族で日本人引揚者とともに樺太より脱出。」「長崎県大村市の収容所まで行き、朝鮮への帰還を図ったが果たせず、札幌市に住む。」「北海道札幌西高等学校から、早稲田大学文学部に進学。」「大学時代は、学生運動の中で活動していた。」

 「卒業後、最初は朝鮮語による創作をめざしたが果たせず、日本語での活動を志す。」「朝鮮新報社などに勤めたが、その後は朝鮮総連から離れ、」「昭和44年の群像新人文学賞受賞を機に、作家生活に入る。」「昭和47年に『砧をうつ女』で芥川賞」「代表作に『見果てぬ夢』『百年の旅人たち』など。」

 「昭和45年にひそかに訪韓した後、」「芥川賞受賞後の昭和47年に再び訪韓する。」「このときは朝鮮籍であったため、長期にわたって、韓国政府当局から入国を拒否される。」「ふたたび韓国入国ができたのは、平成7年11月のことであったが、」「その後も、国籍問題を理由に、」「何度も韓国当局との間で、入国をめぐるトラブルがあった。」

  「平成10 年、金大中政権発足を機会に、韓国国籍を取得する。」「この経験に立ち、金大中政権の発足によって、大韓民国は民主化したと表現した。」「日本人拉致問題では、過ちを認め謝罪した金正日の告白を、」「日本人は、歴史認識と平和憲法の精神で受け入れるべきと、」「東京新聞で語った。」

 以上が氏の経歴ですが、拉致問題についてのコメントは、冷淡なものです。不法入国者でしかない在日を、拉致されたとか、強制連行されたとか、そんな視点で捉えているのですから、北朝鮮にいる日本人への同情はありません。無知といえば良いのか、自己中心的朝鮮民族の強弁と言うべきか、やはり怒りを覚えます。 

 いよいよ、氏に対し、私の意見を表明するときが来ました。

 私は、氏の日本憎悪の原点が、日韓併合の36年間にあることを知りました。氏というより、韓国・北朝鮮人に共通する「日本憎悪の原点」だと理解しました。北朝鮮のことは知りませんが、韓国社会では、統治時代に日本に協力した「知日派」の人間と、彼らを憎む「反日派」がいて、現在でも深刻な対立があると聞きます。それはあたかも、今の日本で「反日・左翼の人間」と「国を大切にする保守の人間」が、対立している構図に似ています。

 戦後の韓国の国民的課題は、「日帝統治の克服」であり、日本のそれは「憲法改正」です。日帝統治を韓国にもたらしたのは、日本であり、憲法を日本にもたらしたのは、アメリカです。戦後の10年、20年の話なら、日本が悪い、アメリカが悪いと、悪態をついてもいいのでしょうが、70年余が経過した現在でも、他国の所為にしているのはおかしな話です。

 同じことを、私は日本人にも言いますが、氏に対しても言いましょう。

「日帝」も「憲法」も、すべて自分たちの不甲斐なさが原因です。問題解決の邪魔をしているのは、日本でもアメリカでもなく、やるかやらないかという、国民自身の決断の無さです。いつまでも他国に責任をなすりつけ、他国の所為にするのは、自国民の信念の無さを世界に晒しているようなものです。こんなみっともない真似は、お互いに、もうそろそろ止めにする時です。

 これが、読後に得た結論です。

氏が果たして私の意見を、聞き入れる柔軟さがあるかにつきましては、自信がありません。日本人である私と、韓国人の李氏の思考回路に、あまりに大きな相違を見るからです。

 私たちは、「憲法」を押し付けた、当時の米国に怒りを覚えますが、いつまでも恨みや憎悪を燃やしません。敵同士として戦争をしたのですから、戦勝国が不条理なことをしても、それは致し方なしと割り切るしかありません。日本が勝っていれば、似たようなことを米国にしたのかもしれませんし、それこそ、「お互い様」ということでしょう。戦いに負けた自分が駄目だったのだと、日本人の多数は覚悟したはずです。

 武士道における「潔さ」とでも言うのでしょうか、ものごとを前向きの思考に切り替える大胆さが、日本人にはあります。しかし、韓国にあるのは、恨みと憎悪という感情だけです。冷静になり、自国の状況が考えられないのですから、恨みと憎悪の感情は、「千年たっても」消えません。韓国では、国民の多くが火のように燃え、目前の人間を敵にし、激しく叩く思考しかしません。自分たちが選んだ、大切なはずの大統領でさえ、刑務所へ送り、追い詰めて自殺させたり、何年たっても自国の政治の安定すら確立できません。

 だから私は、李氏に言います。

 「私たちは別々の道を歩きましよう。」「自責の念のない韓国人との交渉は、平行線を走るだけで、ゴールもなく実りもありません。」「国交断絶とまではいかなくとも、互いに最小限のかかわりで過ごし、せめて内政干渉だけはしますまい。」

 「私たちは、弱かったから、連合国に負けた。」「過去の日本人が間違っていたのでなく、弱かったという事実があるだけです。」「そして貴方たちも、弱かったから、日本に併合された。」「その事実を認めるところから、両国は出発すべきです。」「国だって、人間だって、一度はどこかで謙虚にならなければ、未来への光は見えません。」

 今回も長くなりましたが、李氏と別れた韓国の友へ、この言葉を自戒と共に送り、ブログの終わりといたします。

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追放と自由 - 2

2017-09-24 07:41:44 | 徒然の記

 今回は氏の作品から、日本人への恨みと憎しみの叙述を集めてみます。

「私は、異様な父の遺言を、一生忘れることがないだろう。」「心臓が止まる前の日、父はいくらか持ち直したかにみえた。」「三人の息子を枕元に座らせ、ぎらぎら光る目で、」「俺たちを見つめた。」「空が落ちても、忘れるなよ。」「いいか、倭奴(ウエノム)に、魂までは渡さなかったんだぞ。」「祖父(ハラボジ)や、我々のように、騙されるなよ。」

「そもそも父は、何を騙されたのだろう。」「漠然と想像できるのは、拉致されてきた事情である。」「強制連行さながら、三角兵舎にやってきた。」「母はその後を追っかけて、日本に渡った。」

 作品の中で、氏はこのように書いています。親たちは、拉致され、強制連行されて日本へ来た・・と。しかしそれなら、主人公の母は、そんな父になぜ簡単に再会できたのか、何か割り切れない作為を感じました。

 その母が主人公に、日本人の妻との仲を聞いてくる場面がありました。「どう、嫁さんとはうまくいってるの。」「何もかもうまくいっている。」と、答えながら、主人公が独白します。

 「親は経験の恵みを、子供に分けてくれる。」「しかし私たちがぶつかつた問題は、」「彼女のどんな経験にもない、新しい次元のものだった。」「日本に渡ってきた親たちは、」「貧困や抑圧に苦しんだが、私たちはむしろ、」「存在の意味に苦しんでいる。」

 今度は主人公が、兄と交わす会話の場面です。

「いったん帰化したからには、日本人以上に、日本人らしく生きることによって、」「確固とした市民権を獲得すべきだというのが、兄の持論だった。」「こういう考え方には、いつも虫酸が走った。」「私は情けなくなった。」「兄貴は、父親の悲しみを忘れてしまっている。」

「兄貴が日本人以上に、日本人らしく生きようと思っているのは、」「単なる処世術にすぎないのである。」「会社経営の現実の困難に、日々直面していると、」「自然とあのような考え方に、落ち着いていくのであろうか。」「朝鮮人よりも、日本人が有利であり、」「日本人の方が信用がある。」「こうした現実の不条理は、無視できない。」「しかしいくら裸になれと要求されたからといって、パンツまで脱ぐことはないじゃないかと思う。」

 そして今度は、唯一の友と言える男との対話です。その友は、朝鮮の統一を願い、民族の祖国を取り戻そうと活動しています。その彼が言います。

 「君はこの日本の社会構造、差別と偏見に満ちた世界に向かって、」「憎しみを吐き出した。」「それが僕に、一つの魅力を感じさせた。」「憎しみを、君が持っているという素晴らしさだよ。」「僕は、われわれ青年の憎悪とか、敵意は、」「健康な青春の証拠だと考えている。」

 敵意や憎悪が青春の証拠だなど、私は一度も考えたことがありません。このような思考は、日本人にはあり得ないもので、強い違和感を覚えました。けれども、次のような思考の穴でもがく主人公には、いくばくかの同情とかすかな共感を覚えました。

「もし日本人をすべからく復讐の対象とすれば、」「私は自らを憎まなくてならない、矛盾に陥る。」「なぜなら私も、日本人という外装をつけた人間だからだ。」「罪のない大津増蔵も、小坂好子も、」「憎むべき対象となる。」「そして誰よりも、妻と息子を!」 

 「しかし、こんなことは可能だろうか。」「復讐の観念を単純化するのは、危険だ。」「しかしもしと、私は考える。」「この日本に巣食っている偏見と、差別に反対する日本人がいれば、」「私は喜んで、兄弟の血盟をするだろう。」「日本人だって、ジャップとか、黄色い猿と、外国人から軽蔑されているではないか。」「私は日本人の少数者と手を組んで、偏見退治の同盟軍を結成してもいい。」

 日本人は大東亜戦争時に、米国で蔑まれ、疑われ、過酷な荒野の収容所へ強制移住させられました。人格も財産も奪われ、ただ日本人という理由だけで、戦争の間中辱められました。そんな日本人を知り、自分の憎しみを和らげるというのでなく、差別された日本人の憎しみと、手を取り合おうと言います。朝鮮人である彼は、赦しという気持ちを知らず、どこまでも憎しみでしか結びつこうとしません。

 作者は、主人公の唯一の友である男に、驚くようなことを喋らせます。朝鮮人が、このような思考を持っていると知るのは、初めてでした。

「僕らが反日的だということは、避けられないことだ。」「日本の大国主義的な、政治と経済侵略が、」「祖国の政治と経済を支配し、」「ふたたび三十六年間の悪夢を蘇らせようとしているのに、」「どうして親日的になれるだろう。」「僕は日本人に向かって、はっきりそう言うだろう。」

  昭和50年代の日本人が、そのように思われていたとは、この本を読むまで知りませんでした。彼らの憎しみは再生され、新しい理屈が生まれていました。私たち日本人がまるで意識しないことですから、横たわる溝の深さは見えません。韓国人との和解など、未来に渡ってあり得ないという思いがしました。

 主人公は長野へ行き、大本営壕の工事跡を訪ね、その付近に残り住んでいたわずかな朝鮮人たちと出会います。荒れ果てたあばら屋に住む夫婦が、彼の眼の前で小声の会話をします。どうやら、夫婦は、主人公の亡くなった父親の過去を知っている様子でしたが、訊ねても、言葉を濁し答えません。二人きりになった時、彼はその妻に、再度話しかけました。

「どうして、ここに残っているんですか。」「行くとこ、ありゃせん。」と金歯を覗かせて彼女が笑い、顔を曇らせます。

「北へ帰った人からは、やれ何送れ、かに送れって、」「手紙が来るって言うじゃないの。」「韓国に戻った人は、財産はたいて乞食していると言うし、」「もの言えば捕まるって、いうじゃないの。」「だから、何だかんだ言っても、」「日本が、暮らしいいのと違いますか。」

 そしてついに彼は、その女から父親の当時のことを聞き出します。

 「死んだから悪くは言えんけど、あんたのトーサンも、」「朝鮮人から、恨まれた組だよ。」「日本人と組んで、どのくらい私らをこき使ったか。」「天皇のためだとか、大東亜のためだとか言ってな。」「あんたのトーサンは、朝鮮人の親方の一人で、」

 主人公はそこまで聞き、めまいを感じてうずくまり、女が心配顔になります。休んで行けという申し出を断り、彼は大本営地下壕へ行き、暗い穴倉の中で自殺を決行します。兄の家から盗んできた、工事用のダイナマイトに火をつけ、放り投げます。

 しかし彼は、傷を負いながら奇跡的に発見され、意識が戻ったのは病院のベッドの中でした。傍らには、妻と息子がいました。そして彼は、日本への帰化をやめ、もう一度朝鮮国籍に戻ろうと決意します。己を隠したトンネルから抜け出し、地上の人間になると、彼は決めました。妻の信頼を回復するためにも努力しようと、心に言い聞かせます。

 「私は自由なのだ。」「とにかくトンネルから出てきたのだ。」「明日からの生活、日々のたたかい。」「私は身震いを覚えた。」「その生活が、どんなに親しく、また重々しく感じられることだろう。」

 妻子のため、ふたたび生きようとする彼の決意に、私は尊いものを感じました。日本への恨みや憎しみを乗り越え、愛する家族のため、生きようとする姿には、単なる反日や偏見でなく、普遍のものが示されているような気がします。北朝鮮と韓国への帰国者たちが、不幸な目に遭っている事実や、父親が裏切り者だったことなど、都合の悪い話も隠さずに書いていました。作者の深い悲しみと、絶望に、敬意すら覚えてしまいました。

  というところで、私の書評は終わりです。楽しい読後ではありませんが、意義深かったと、満足しています。こういう作品を書いた李恢成とは、どんな人物なのか。明日はそれを述べることとし、不思議な本との出会いの記念・・、にする予定です。

 

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追放と自由

2017-09-23 17:05:10 | 徒然の記

 李恢成氏著「追放と自由」(昭和50年刊 新潮社)を読了。

 氏は昭和10年に、当時日本領だった 樺太で生まれたということです。名前だけ知っていましたが、今回初めて著作を読みました。本を手にして、先ず奇妙に感じたのが、「目次がない。」ということでした。目次のない本というだけでも珍しいのに、さらに珍しい経験をいたしました。

 最初の12、3ページは、巧みな叙述に引き込まれ、夢中で読みましたが、帰化した朝鮮人である主人公が、己の人生を呪い、日本を憎悪しだすと、強い嫌悪にかられました。細かな文字で、ほとんど改行なしの文章ですから、根性がないと読めない本です。退屈はしませんでしたから、芥川賞を受賞しただけの作家だと思わされました。

 日本人である私は、国の悪口をここまで語られますと、さすがにいい気はしません。それほど憎い日本なら、自国へ帰ればいいでないかと、ずっと反感を抱きながら、読み続けました。こんな人間に芥川賞をやるなんて、日本人の馬鹿も極まれりと、悪態もつきました。

 しかし、最後のページの、20行で、私は感動しました。つまり、書き出しの文章で夢中になり、途中は全て嫌悪し、最後の最後の数行で感動したのですから、めったにない読書体験です。そこでハタと困りました。この稀有な経験をどうすれば、息子や孫たちに伝えることができるか。気負ったり、大仰になったりせず、事実だけ伝えるにはどうすればいいのか・・。

 芥川賞をもらうほどの文才もないし、自分はどうせ普通の小父さん(お爺さん?)なんだから、思いつくまま語ればいいのだと、やがていつもの呑気な性格が出てきました。下手の考え休むに似たりと、母がよく言いましたが、そういうことでした。

 主人公の石田は、帰化した朝鮮人で、アフリカのある国の駐日大使館で、運転手をしています。日本人の女性と結婚し、一才の男の子がいます。妻には朝鮮人であることを話ししていますが、彼は周囲の誰にも言わず、日本人として暮らしています。彼の父はすでに亡くなっていますが、母は健在で、彼の兄弟夫婦や叔父や叔母やなどが、年に一度先祖の供養をするため集まります。

 全員が帰化しているのでなく、朝鮮籍をもったままの者もいます。帰化した者は引け目を感じ、帰化しない者はそれとなく非難の目で眺めたりしますが、彼らに共通しているのは、日本への恨みと憎しみです。彼の妻は日本人であるため、その場で除け者にされ、冷たくあしらわれます。

 親戚の集まりから帰った日に、妻は、自分を守ってくれなかった夫の不甲斐なさに失望し、幼児を連れ、実家に帰ってしまいます。この辺りが物語の始めで、心に秘めてきた主人公の葛藤が、急速に怪物のごとく暴れ出します。繁華街で集団暴行されている朝鮮人の学生が目に留まると、衝動的に、ヤクザな不良学生たちと闘い、結局病院へ搬送されます。

 天皇陛下の園遊会に招かれた大使を送ることになった彼は、天皇の暗殺を決意しますが、これに失敗し、生まれ故郷の長野に向かいます・・。こうしてあら筋を追っていると、ブログのスペースがとられますし、本題を外れますから、止めましょう。

 最近、在日について考えるようになりましたが、この作品のお陰で、考えていた以上に「やっかいな」問題であることが、分かりました。これが在日の人々の心情であるとするならば、救いようのない彼らの精神を改めて認識いたしました。

 「だって、そうでしょうよ。」「日本人はなんでも、フリだけじゃない。」「一億総懺悔したけど、それでいて、まだ南朝鮮に侵略してるでしょ。」「どうして、私らの親たちは強制連行されて来たのさ。」

「そりゃ、ここにいる人たちがやったんじゃないけどさ。」「でもやっぱり、責任はあるよ。」「あんたらは、私らが今もどれだけ差別されてんのか、」「心情的に知っててもね、絶対に本当の苦しみなんか、」「分かんないんだ、絶対に。」

 デニムのジーパンを履いた若い女が、朝鮮語の語学学校の講習会で喋りました。昭和50年代の著作ですから、まだ「強制連行された朝鮮人」という話が、誰からも異論を唱えられていない時代で、無理もないと思いましたが、昭和50年代の日本は韓国を侵略などしていません。

  講習会から自宅へ戻り、主人公が妻に語ります。

「朝鮮人は、それでもまだいいさ。」「やつらは団体があるし、自分の旗を振っていられるんだから。」「ところが帰化した者は、そうはいかんぞ。」「もちろん、生きられはするだろう。」「過去を隠して、分相応に小さくなっていりゃな。」

「ところが俺には、そいつが堪んないんだ。股の下をくぐって、生きなきゃならんのが。」「頭を抑えられりゃ、血がのぼるってのは決まっているのさ。」

 好き合って結婚した妻なのに、家ではいつも、このような諍いをします。そして彼のトラウマというのか、原体験とでも言うのか、それは長野県の松代にある、「三角兵舎」です。大東亜戦争の末期に、天皇の御座所を松代に移そうとする計画があり、「大本営地下壕」と呼ばれていたことを、初めて知りました。

 完成すれば天皇陛下が移られると言うものでしたが、ネットで調べますと、次のような事実が分かりました。

 「昭和19年11月に、最初の発破が行われ、工事が開始された。」「ダイナマイトで爆破し、崩した石屑をトロッコを使って運び出すという、人海戦術で行われた。」「建設作業には、徴用された日本人労働者と、」「国内および朝鮮半島から動員された、朝鮮人労務者が中心となった。」「総計で朝鮮人約7,000人と、日本人約3,000人が、」「当初8時間三交代、のち12時間二交替で工事に当たった。」

 長野市の現代史研究家大日向氏によりますと、

「一日12時間の厳しい労働と粗食のため、栄養失調が多発した。」「発破などの主要作業を担った朝鮮人労働者は、建設に決定的な役割を果たし、」「犠牲者数も日本人より圧倒的に多かったが、正確な犠牲者数はっきりしていない。」

「地下壕掘削のために働いていた朝鮮人労働者には、」「1日に白米7合、壕外での資材運搬で働く朝鮮人労働者には、」「白米3合が配給、他に、それぞれ麦やトウモロコシなどが配られるという、」「破格の待遇であった。」

「朝鮮人労務者は、規則正しく礼儀正しく、家族ぐるみで働きに来ている者もおり、」「子弟は、日本人と一緒に学校に通った。」「松代住民と朝鮮人との仲は比較的良く、朝鮮人が農業を手伝ったり、」「西条地区の強制立ち退きも手伝った。」「また日本人と朝鮮人の恋愛結婚もあった。」「朝鮮人労務者の食事事情は、国内での炭鉱や土木工事などに徴用された、」「朝鮮人労務者と比較し、待遇面では悪くはなかったようで、」「日本人よりも良好だった。」「終戦後、朝鮮半島出身の帰国希望者には列車、帰還船を用意し、」「一人当たり、250円の帰国支度金が支払われ、」「昭和20年の秋には、ほとんど富山港から帰国させることができた。」

 現場のすぐ近くに、作業員用の「三角兵舎」と呼ばれる長屋が並び立ち、主人公はそこで生まれました。とてつもない粗末な建物で、畜舎だと書いていますが、ネットで調べてみますと、朝鮮人用に建てたひどい建物ではありませんでした。

 もともとは特攻隊員の宿舎として作られ、鹿児島の知覧には、現物が残っているそうです。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、地上には三角の屋根しか見えない兵舎で、各地から集まった隊員たちが、ニ・三日後には、雲のかなたの沖縄の空に 飛んで行ったといいます。

  世間に流れる情報というのは、所詮こんなものです。在日の著者に言わせれば、作業現場は地獄のように悲惨な場所で、朝鮮人たちが酷使され、ひどい仕打ちを受けたという話になります。日本の情報では、朝鮮人も日本人も一緒に働き、むしろ危険作業をした彼らの方が、賃金も食べ物も特別扱いだったとなります。互いに仲良く働き、日本人との恋愛結婚もあったと言います。

 おそらくはどちらも事実であり、渾然としていたのが実態でないかと私は思います。慰安婦問題と同じことで、後世の人間たちが、自分の偏見を吹聴するため、事実の一部を針小棒大に宣伝しているのでしょう。沖縄の辺野古で、日本政府を罵っている芥川賞の受賞作家もいますから、私は李氏の作品に同調せず、むしろ冷たい視線で文字を追いました。

 氏のおかげで、長野県の大本営地下壕や、三角兵舎について知りましたことは、感謝せねばなりません。どうして最後の数行で、氏の作品に感動したかにつきましては、残念ながら次のブログといたします。長くなりすぎますと、息子や孫たちも読んでくれないでしようし、先ずもって私自身が息切れします。

 それで、今回はここまでと致します。

 

 

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ドイツの反難民党

2017-09-21 15:37:35 | 徒然の記

 9月14日の千葉日報の記事でした。「ドイツ 反難民政党、国政進出へ」という見出しで、下院総選挙における、ドイツ社会の亀裂を心配する報道がありました。

 ドイツは人口8,200万人のうち、22.5%にあたる1,800万人が移民系の国民となっています。これ以上の難民受け入れを反対する政党、「ドイツのための選択肢(AfD)」が支持を広げ、今回初めて、国政進出が確実視されるとのことです。マスコミでAfDは、「極右」と呼ばれています。

 隣国のフランスでも、同じ動きがあります。日本では、国民戦線という党名で知られていますが、マリーヌ・ル・ペン氏を党首とし、やはり移民排斥を掲げています。平成17年に起きた移民暴動以来、フランスでは移民への反感が高まり、急速に支持を伸ばしています。

 AfDの筆頭候補である、アリス・ワイデル氏は、「ドイツでは、魚が水の中を泳ぐように、イスラム過激派が動き回っている。」と述べています。「イスラム教の大学口座の廃止」、「二重国籍は、例外だけに限定」などを選挙公約に掲げ、こうした主張が極右主義者だけでなく、保守層にも受け入れられているといいます。

  千葉日報の記事を読まなければ、「ドイツのための選択肢(AfD)」という政党を知らないままでした。ネットの情報を探してみますと、次のような記述がありました。

 「AfDの特徴は、反ユーロ、反難民、そして反イスラムだ。」「その代わりに、ドイツらしさやドイツ文化を尊重しましょう、」「伝統や家庭を大切にし、あまり中絶をせず、もう少し子供を産みましょう、」「というようなことを主張している。」「党大会で国歌を斉唱する、ドイツでは珍しい党だ。」

 「ただ、この党は、誕生以来今まで、他のすべての政党とメディアから、」「ひどい扱いを受けている。」「ニュースでは、必ず党名の前に " 右派ポピュリストの" という枕詞が付くし、」「全方向からの攻撃と、ネガティブキャンペーンにさらされ続けているのである。」「しかし、そんな不遇にもめげず、着実に支持者を増やしてきたのが」「特長といえば特長である。」

 少数なら問題はありませんが、異なる宗教を信じ、異なる文化と生活習慣を持つ人間が、秩序もなく多数で住めば、やがて地域との摩擦や衝突が生じます。暴力沙汰となり、治安が乱れ、社会的騒擾となります。ドイツでもイギリスでも、フランスでも、同様の問題が発生し、人々の不安が高まっています。

 過激派政党と言われていましても、ドイツのAfDにしても、フランスのフロント・ナショナル(FN)にしましても、私の目から見れば、何も過激な主張ではありません。ドイツの文化を大切にしましょうとか、伝統や家庭を大切にし、中絶を止めましょうというのは、当たり前の話です。フランスのFNの政治スローガンも、過激ではありません。全部で144項目ありますが、その中の一部が次のものです。

  • 移民制限・不法移民の排除(合法的な移民の数は年間二万人から一万人に下げる)
  • フランス市民権を得るための条件を厳しくする
  • フランス市民に対する無償教育
  • 輸入や外国人雇用に関する課税
  • 警察官の数を二倍にする
  • 中小企業へ減税する
  • EU離脱の是非を問う国民投票の実施

 暴力革命で実現するというのならともかく、 選挙を通じて訴えているのですから、国民が支持しなければ、議席が得られないだけの話です。極右のレッテルを張る必要が、どこにあるのでしょう。こうしたレッテルを貼り、自分たちと、少しでも違う意見の者を排斥するやり方は、日本のマスコミだけでなく、欧州も同じだったようです。

 さてここで、私の言いたかった本題は、同じ日の千葉日報の記事です。大見出しの活字が躍っています。

「朝鮮学校側の請求棄却」「東京地裁 教育無償化訴訟」「真の解決に国民的議論を」というものです。東京の朝鮮学校の卒業生62名が、国が朝鮮学校を高校無償化の対象から外したのは違法だとして、国に620万円の損害倍賞を求めた裁判です。

 同種の裁判が全国5カ所で起こされ、最初の広島地裁では、原告側が敗訴しています。次の大阪地裁では原告側が勝訴し、今回は3度目の判決でした。あとは、名古屋と福岡で争われています。

 「朝鮮総連や、北朝鮮との密接な関係が疑われ、」「学校側に支払われている、就学支援金が、」「授業料に当てられない懸念がある。」というのが、国の主張です。朝鮮学校が、日本政府から得た金を、本国へ送っているという話はずっと以前からあります。拉致した日本人を40年以上も拘束して返さず、核兵器の開発を続け、ミサイルを飛ばし、日本を敵視する北朝鮮です。

 私は国の主張を当然と思い、裁判を起こした在日に対し、強い嫌悪を感じました。本日の新聞を手にし、ドイツやフランスの状況を、わが事のように痛感したのは、この裁判記事を同時に読んだからです。ドイツにしてもフランスにしましても、移民を大量に入れたのは自国の都合でした。安い労働力を得て、製品価格を下げ、国際競争に勝つという目的がありました。彼らは、国策の一部として移民を受け入れました。受け入れすぎて、今は難渋しています。

 ところが日本はどうでしよう。60万人いると言われる在日たちは、日本が国策で受け入れたのでなく、99%が不法入国者とその子孫です。母国である韓国と、北朝鮮が受け入れを拒否し、行くあてのない人間たちというのが現実なのです。それなのに彼らは、自分たちは強制連行で連れてこられたと主張し、常に被害者として賠償を要求します。また日本には、反日左翼の政党があり、「お花畑の住民」がいて、彼らの屁理屈に賛同しています。戦後70年以上も続いていますが、ドイツやフランスを見て、そろそろ本気で、国のいく末を憂える時でないかと、そう言いたいのです。

 安部政権の移民受け入れ政策に、私が強く反対する理由がここにあります。

 不法入国者とその子孫の在日にすら、キチンと対応できない政府が、正式に大量の移民を受け入れたら、いったい日本はどうなるのか。彼らが礼拝所や寺院を作り、自分たちの街を作り、自治を要求したら、政府は対応できるのでしょうか。不法入国の在日ですら、こんな無体な裁判を起こさせ、野放しにしているのが、自民党であり、反日の野党です。

 もう一度言いましょう。農業の競争力強化とは、移民受け入れ政策のことです。経済特区の裏にあるのは、移民受け入れ策です。産業活性化の背後に隠れているのは、移民受け入れです。そして竹中平蔵氏のグループ会社が、利益を得ます。

 ドイツの記事を読み、在日の裁判記事を読み、多くの国民の皆さんが、岐路に立つ日本を理解していただけたらと、心から願う今日です。自分はもう先が短いのですが、子供や孫たちのためには、ましな日本を残してやりたいものと、ねこ庭の隅で、雑草を引きながら考えています。

 けれども私は、今回の衆議院選挙では、反日・左翼政党には一票を投じません。結果として、安部自民党です。安部自民党しかないという、政治の貧困がいつになったら解消されるのか。苦渋の選択が続きます。

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国を大切にする野党があれば

2017-09-18 21:10:00 | 徒然の記

 国を大切にする野党があれば、自分は、自民党にばかり選挙の一票を入れないと思います。健全な保守の野党ならば、現在の自民党と戦う旗は幾らでもあります。

 「対立軸を明確にしない野党」では、有権者にアピールしないと、共産党や民進党などが考え、「戦争反対」「平和」「人権」などというスローガンを掲げ、「憲法改正反対」の旗が下ろせないというのですから、その思考の貧困さを笑わずにおれません。

 「外国人労働者の大量受入れ推進」「農業の法人化」「モンサント法(種子法廃止法)」「TPP」「カジノ法案」 等々、これらは間違いなく日本の伝統や文化を破壊し、国の崩壊につながる政策です。野党が政府に異を唱え、国会で論戦をするのなら、国民の票は間違いなく割れ、自民一強は崩れます。このための条件は、野党が反日の左翼思想と決別しなくてなりません。それなしで論戦をしても、国民に信じられませんので、初めから無理と分かっている野党は、こうした重要法案に力点を置きません。

 だが少しでも物ごとを真面目に考える人間なら、これらは森友や加計問題より、日本にとって数倍も危機をはらむ政策だと、理解しています。「友だちに便宜を図った」と言うのなら、こちらの方がもっとハッキリしています。

 私が以前から注目していますのは、竹中平蔵氏です。ちょっとネットで検索しますと、「経済学者、政治家、実業家」「東洋大学教授、慶応大学名誉教授、東京財団理事長」「参議議員議員、内閣特命担当大臣(経済財政政策)、内閣特命担当大臣金融)、総務大臣、郵政民有化担当大臣」・・と、沢山の肩書きが出てきます。

 真偽のほどは知りませんが、氏は、米国の巨大金融資本グループ、つまり米政府関係者との結びつきが強いらしく、日本で有名になる前は、主として米国で活躍していた人物です。日本の閉鎖的な金融市場を開かせるため、米国から送り込まれた人間という噂もありました。実際に氏は、小泉内閣で郵政の民営化に辣腕を振るい、米国のため大きな働きをしました。

 「民営化された日本郵政は、アメリカに出資せよ」サブプライムローン危機の最中に、氏はこのように発言していました。発言するだけでなく、果敢に実行し、日本の資金を米国のために使わせました。

 氏はまた、「日本の正規社員は、過剰に法律で保護され、企業の足を引っ張っている。」と批判し、労働市場をオープン化するためには、非正規社員を増やすべきだと主張しました。正規社員と非正規社員の垣根をなくし、働く者が自由に仕事を移動し、活躍の場を探せるようにしなくては、外国との競争に負けると断言しました。結果として、今の日本があります。終身雇用という日本の制度が崩壊し、まともに結婚もできない貧しい非正規雇用の若者が増えました。

 氏が米国の要請で政府内にいるため、安倍総理も無下にできないという噂もあります。徹底的な市場主義者で、グローバリストの氏は、現在安倍内閣で何をしているか。報道されないので、世間であまり知られていませんが、内閣にいて、日本経済再生本部・産業競争力会議で、民間議員となっています。さらに、内閣府国家戦略特別区域会議の、有識者議員となっています。

  安倍政権の目玉政策である、「経済再生」の中枢にいて、「外国人労働者の受け入れ策」「農業の法人化」「モンサント法(種子法廃止法)」などの推進に加わり、相変わらず日本崩壊の作業をしています。経済特区も、氏の手にかかると、米国と自分のための利益を追求する政策に変じてしまいます。

 国が外国人労働者の受入れを実行すれば、膨大な数の外国人労働者が入国して来ます。あるいは農業が大規模化し、法人化されますと、これもまた外国人労働者の大規模な需要が発生します。この受け入れ窓口となるのが、人材派遣会社です。多くの国民はまったく知りませんが、氏は派遣会社の役員をしています。

 パソナグループ取締役会長、オリックス社外取締役、オリックス農業、一般社団法人外国人雇用協議会顧問等々です。つまり、外国人労働者が大規模に受け入れされますと、氏の関係する会社は、大きな利益を上げるようになります。現在ですら、正規社員を減らした企業に対し、非正規社員を送り込んで利益を上げているのは、人材派遣会社です。

 昨年7月に、神奈川県の特区で、規制緩和された家事支援外国人受入事業には、大手人材派遣会社のパソナが、事業者として認定されました。竹中氏は、パソナグループの会長です。

 農業分野で特区に指定された、兵庫県養父(やぶ)市では、氏が社外取締役を務めるオリックスの子会社「オリックス農業」が、参入しました。さすがこれには、自民党議員からも、「学者の肩書を使って特区でビジネスをしている」と、批判の声が上がりました。さらに、民進党の宮崎議員は、農林水産委員会において、竹中氏が主張する外国人労働者の受け入れは、人材派遣業界の利益につながりかねないと指摘しています。

 しかしこのような批判がされるようになったのは、ほんの最近です。遡れば、氏は平成10年に、小渕内閣で経営戦略会議の委員に就任して以来、森内閣、小泉内閣、安部内閣と、政府内で活動しています。途中で大臣になったり、議員になったり、大変な強者でもあります。

 安倍氏個人のお友達のことなら、大騒ぎする野党も、米国の影を引きずる竹中氏については、声を潜めたままです。私は竹中氏こそが、戦後最大の「獅子身中の虫」であり、「駆除すべき害虫」だと思っておりますが、腐れマスコミはまったく報道しませんでした。マスコミの使命感だとか、国民へ知らせる義務だとか、大口を叩くマスコミを、私が軽蔑する理由がここにあります。彼らは、本当に強いものには逆らわないのです。

 注意深く報道を見聞きし、丹念に本を読んでいれば、市井の年金生活者でも、このくらいのことには気がつきます。竹中氏について、マスコミや政治家が知らないはずはなく、彼らが表立って言えないのは、アメリカの影に怯えるからです。私が安倍総理を一方的に批判せず、是々非々で対応している理由でもあります。

 竹中氏が関与している問題は、森友や加計どころの規模ではありません。反日野党が、政府と戦う、権力に屈しないというのなら、竹中氏こそ追求すべきでしょう。米国という虎の威を借り、日本を崩壊させようとしている氏こそが、戦うべき権力の一角ではないのかと、私はつねづね思っております。もっとも氏は、国会で、「民間でできることは民間でやることが、国民や国全体のためになるという思いでやっている」「アメリカのためにやるなどと、考えたこともない」と、答弁していましたが・・。

 誰かが何処かで問題提起するのかと、期待しておりましたが、そのような気配がありませんので、せめて息子たちだけにでも、こうした事実を知ってもらいたいと、本日敢えてブログにいたしました。この事実から私たちは、とても重い教訓を汲み取ることができます。「敗戦後72年が経過しても、日本は独立国家となっていない。」「未だに、米国の桎梏から逃れられない。」・・という事実です。

 竹中氏の問題は、憲法改正問題にもつながっていますし、今上陛下の「お言葉」問題にも、無縁ではありません。米国にとって、日本という国が、世界戦略の上でいかに重要な国であるか、いかに手放せない便利な国であるか。そして米国は、どんなにも日本の支配に力を発揮しているのか、もっと知らなくてはなりません。

 自民党も野党も、私には情けない政党ですが、そんな極論を言ってはみも蓋もありませんから、我慢をしてきました。非凡な人物ですが、氏は自己顕示欲が強過ぎます。頭脳明晰な雄弁家で、押しの強いやり手ですが、日本人としての大切な誠がありません

 「竹中ごときに、そんな力があるものか。」嘯いた自民党の議員がいましたが、彼には、氏の周囲にあるものが見えていないのでしょう。賢い議員も多くいますが、自民党の中には、気位だけが高く、ダメな人間が沢山います。

 「国を大切にする野党があれば・・・」と、ねこ庭の片隅で、今日も私は独り言を呟きます。毎日ブログを書いていて、めげそうになることもあります。しかしそのような時、私はいつも自分の性急さを戒めます。

「ノルウェーは、独立を手にするまで、500年以上をかけた。」「子や孫たちが引き継ぎ、時間をかけ、粘り強く頑張るしか方法はない。」「戦争に負けるというのは、こんなことである。」

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軍事力とは何か

2017-09-16 21:44:47 | 徒然の記

 江畑謙介氏著「軍事力とは何か」(平成6年刊 光文社)を読了。

氏は昭和24年に生まれ、現在68才です。上智大学大学院を卒業後、英国防衛雑誌や海軍情報誌など、各種雑誌の特派員として執筆し、かたわら、通商産業省、外務省、防衛省、内閣官房における、各種委員会委員や講師、参考人などを務めています。

 かってNHKの番組に軍事評論家として、時々出演していたので顔だけは知っていました。どういう人物なのか、ほとんど知りませんが、何となく好きになれないという印象をもっていました。意見をまともに聞かないのに、印象だけで語っているのですから、これこそが「偏見」というものなのでしょう。

 しかし、著書を読みまして、この偏見が外れていないことに気づき、安心いたしました。陸海空の兵器や軍の組織などにはとても詳しいのに、専門家としての主張は何もされていませんでした。軍事評論家として、政府の委員会に顔を出し、外国誌の特派員もしていたというのなら、日本の現状はこのままで良いのか。憲法は改正しなくて良いのか。明確な意見を述べるのが、専門家でないのかと、失望しました。

 氏の意見を読んでいますと、敗戦後の諸事情から、現憲法を持つことになった日本の歴史も語らず、憲法の矛盾点にも触れず、自衛隊や政府が国民に対し、軍事力の説明をごまかし続けてきたような印象だけを受けます。

 「例えば現在、日本は既に、世界でもトップクラスの国防費を支出し、」「世界でも一、二を競う兵器輸入国である。」「とくに後者の現実を、ほとんどの国民は認識していない。」

 氏の言う現在とは平成6年のことで、隣の中国が爆発的に軍事費を増大させてきたのは、平成22年以降ですから、無理もない叙述と分かっていても、なんとなく気に入りません。平成29年の中国は、公式発表の数字だけでも、日本の3.6倍の軍事費を使おうとしています。中国は平成22年以降、毎年前年比二桁の軍事費を増額しており、偶然氏が著作を出した平成6年は、日本とぼぼ同額の軍事費でした。

  公式数字以外にも沢山の軍事費を隠している中国が、年々それを増大させている危険性を、なぜ平成6年の時点で指摘しないのか。日本の軍事費の額だけを強調するのか。どうも合点がいきませんでした。

 氏の話によりますと、世間で言われております通り、日本は核兵器でも、大陸間弾道弾でも、アメリカ並みの地球監視衛星ネットワークでも、すぐに作れる技術力を持っています。「やるか、やらないか」は、日本の意思次第だといいながら、もし日本がそれをすれば、国際社会で孤立するから「やれない」のだと言います。

 過去を知っているから、日本がそうした兵器を手にすると、近隣諸国が警戒し、紛争の種になるから「やるべきでない」と、言います。何てことはありません。政府の委員会の委員をやっていましても、氏の思考は「東京裁判史観」と「自虐史観」の上にありました。日本の過去を否定し、現行憲法を良しとし、日本の自主独立を是としない考えの持ち主でした。

 重火器、戦車、戦闘機、空母、潜水艦、ハイテク機器等々、詳しい知識を持っていますが、私は何も感心致しません。戦後の国際情勢の中で、アメリカの保護国というより、属国としての日本が、このままで良いのか。政治的判断は避けたと、氏は述べていますが、政治と直結した軍事を語る専門家が、自分の国の実情に言及しない卑怯さを感じました。

 どうしても好きになれない、あの石破氏は、軍事オタクと揶揄されていますが、江畑氏も似たようなものでした。「日本は、本気で核について検討すべきでないか。」と、爆弾的正論を言った石破氏の方が、江畑氏より専門家らしいでないかと思ったりします。

 「民主主義の基本が、国民主権で、」「国民は知る権利があり、」「政府は国民に対して、報告の義務がある以上、」「秘密保護法の制定に関しては、」「その内容に慎重であらねばならないだろう。」「情報を保護することを目的とした法制でなく、」「基本的に情報は公開するという、」「民主主義の根源に立った、法制でなければならない。」

「秘密保持の強化は、結局民主主義の否定であり、」「国民を信じられない民主主義国家は、」「存在し得ない。」

 この言葉を読んだとき、私はある発見をいたしました。秘密保護法が国会で審議されていたとき、腐れマスコミの報道のが、まったく氏と同じ論調でした。反日左翼議員が政府案を攻撃する理由が、氏の言葉とそっくりでした。偶然そうなったというより、もともと氏は反日左翼思想の政府委員だったのです。

 国の安全保障のための「秘密保護法」の実態が、他国ではどうなっているのか。諸国のそれを知る氏が、なぜこんな愚論を展開するのでしょう。国の軍事機密を、国民に公開する基本で整備している国など、ありはしません。私はほとんど氏を、軽蔑するしかできなくなりました。

 この本の目的は政治的意見を述べるのでなく、軍事力を客観的に伝えることですから、政治的発言は控えましたと、氏は初めのページで書いていました。最後になってこのような素人の意見を出すのは、おかしな話でありませんか。これこそが、政治的発言そのものであり、「お花畑の住民」を喜ばせる意見です。

 だからNHKが氏を番組に登場させたのかと、理解いたしました。今でも、政府の各種委員会の委員をしているのかどうか 知りませんが、そうだとしたらとんでもない話です。久しぶりに、静かな、強い、怒りが込み上げてきました、この本も、久しぶりに、野菜くずや魚の骨と一緒にゴミ袋に入れ、ゴミステーションに打ち捨てます。

 

 台風18号の影響で、今夜半から天候が崩れ、日、月と大荒れの天気になります。ねこ庭の花木も私の心も、同じ嵐となりそうです。

 

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昭和の精神史 - 4

2017-09-14 15:01:59 | 徒然の記

 氏の著作にかかる前に、以前のブログで整理した皇道派と統制派について、もう一度確認することとします。 

1. 皇道派 

  荒木貞夫、真崎甚三郎、山下奉文と、反乱軍となった青年将校

2. 統制派

 永田鉄山、杉山元、香椎浩、東条英機、村上浩と、中堅幕僚層(中堅将校)

 両派の対立は内部でくすぶり続けますが、皇道派の青年将校と統制派の中堅将校の違いを述べますと、青年将校とは、士官学校を卒業した尉官クラスの軍人(少尉、中尉、大尉)を言い、中堅将校とは、陸軍大学を卒業した佐官クラスの軍人(少佐、中佐、大佐)を言います。

 佐官の次は将官(少将、中将、大将)ですから、青年将校より中堅将校の方が組織では上位に位置します。幕僚となったり、軍の中枢で活躍したりし、大きな発言権を持っています。青年将校は、隊長や連隊長となり、戦場で直接兵を率いる立場にあり、彼らもまた大きな発言権を有しています。

 ここまでの予備知識を整理し、再び氏の著作に戻ります。

「中堅将校は、知的で野心的だったが、」「青年将校は、感情的で神がかりだった。」「3月、10月事件は、中堅将校が計画したクーデーター未遂事件だったが、」「彼らのしたことは極秘として伏せられ、一握りの上層部以外誰も知らなかった。」「しかし青年将校のした、5・15事件と2・26事件は、社会を震撼させた。」「これによって、危険なのは軍の青年将校であるというのが、」「すべての人の認識となった。」「統制の対象として考えられたのは、青年将校のみだった。」

「かくして、皇道派は一掃され、残った中堅将校が覇権を握ることとなった。」「3月、10月両事件が伏せられていたことが、」「実に大きな誤認を生む因となった。」「われわれもまた、荒木、真崎が、」「ファッショの元凶であるとばかり思い込んでいたが、」「意外にも、あれは穏健派であったらしい。」

 こうなりますと、荒木、真崎両大将への見方も、大きく変じてまいります。武人として、青年将校と共に腹を切るべきだったという思いは変わりませんが、どうやら統制派の軍人の方が、一枚上手だったようです。政治家が干渉すれば、いつでも反乱を起こし、暗殺も辞さないという威嚇が、ますます露骨となりました。軍の総意であるという、合法的形態により、無理難題の横暴がまかり通るようになります。

 「木戸内府は、常に内乱を心配し、」「彼の判断は、すべてこの枠によって限定されていた。」「あの歴史の間、終戦直後まで、」「天皇制は、終始、」「暗殺と内乱の脅威の下にあった。」

 「満州国の独立と共に、関東軍が独立し、」「北支軍は、目先の局部的状況に引きずられ、」「本国の方針に服さなかった。」「陸軍大臣にも、どこまで拡大するのか分からなかった。」「軍隊が自分の判断で作戦行動すれば、こうなるのがむしろ当たり前であろう。」「中枢神経が麻痺して、手足が勝手に暴れ出したようなものだった。」

 この事実を証明するため、氏は昭和11年の原田日記から、西園寺公望公の言葉を紹介しています。

 「何か現在、軍に中心があれば大変都合がいいが、」「どうもどこに中心があるのか、分からない。」「各所に中堅があるけれど、軍全体としての中心が、」「ほとんど無いような状態になっている。」「斉藤前総理が来た時、今の軍の中心はどこだと聞いたところが、」「どうも、中心というようなものが無いんで、困っている。」「中心さえあれば、それをどうにでも出来るんだけれど、」「誠に困ります。」「と言っておった。」

 「軍事と外交がバラバラで、統一した国家意思がなく、」「強力な軍隊が大陸で戦争したのだから、」「国はまさに滅びるべくして滅びた、」「というべきだろう。」

 ここでもまた、氏は東京裁判の判決に強い疑問を呈しています。こんな状態で戦争をした日本なのに、裁判官たちは、東条英機をヒトラーと同じ独裁者に仕立て、一つの意思を持ち、最初から最後まで戦争をしたと裁きました。東条大将の裁判での陳述書を読んでいる私は、氏の疑問の正しさを感じます。

 しかしまた一方で、私は次のように考えたりもします。

 あれほどの大戦争を、3年も4年も続けたのだから、敵国の裁判官たちが、一貫した方針で日本が戦ったと判断するのも、無理は無い。バラバラで戦っても、これほど強かった日本自体が、国際常識の埒外にあった・・と、結局は、日本を弁護する結論になってしまいます。こうでもしなかったら、私はやりきれません。日本だけが間違った、悪辣な戦争をしたと、そんな反日左翼の偏った歴史観に、組みするわけにいきません。

  これ以外にも氏は、私たちのため、沢山の事実を述べ、反日の左翼史観への反証をあげていますが、それらは割愛し、昭和天皇が終戦の決断をされた時の話を、最後に引用いたします。

  「裕仁天皇は、例外的に、ただ二度だけ機関説的性格を捨てて、」「ご親政を取られた。」「それは2・26事件の際と、終戦の際だった。」「前の場合には、しばらく政府の機能が失われていたから、」「その間だけイニシアティブを取って、政府の機能の回復に努めた。」「後の場合は、政府自らが機能を放擲し、」「天皇のイニシアティブを乞うた。」「天皇は、ご自分の機関説的性格を捨てることによって、」「ご自分に押しつけられていた、統帥権的性格を克服した。」

 「かくて、軍人が考えていたのとは違ったご親政によって、」「人民塗炭の苦が打ち切られた。」

 ずいぶん遠回しなもの言いですが、これが私などと違う、上品なインテリの表現なのでしょう。だがどれほど婉曲に叙述されていましても、昭和天皇の苦渋の決断が伝わって参ります。立派な陛下をいただいていたという有難さを、感じずにおれません。それに比べますと、今上陛下は・・・と、これはもう余計なことですし、本題からも外れますので止めておきましょう。

  今上陛下の功績も、ないことはありません。天皇を砂漠の砂粒の一つとされましたので、統帥権的性格の天皇は砂漠のチリと消えて無くなりました。これから自衛隊が軍隊になっても、神がかりの青年将校の出現を心配しなくて済みます。天皇の名を使った、武力による内乱や暗殺の懸念も消えました。その代わり、国民は、天皇という敬愛の中心を失いました。いずれが良かったのか、今の私には分かりません。
 
 子や孫に続く、後の世代の国民が判断してくれるのでしょうか。
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昭和の精神史 - 3

2017-09-13 21:36:59 | 徒然の記
 本日は、のっけから氏の意見を転記いたします。大東亜戦争の原因は、左翼論者が解説するような、イデオロギーから持ってきた結論ありきで無く、日本なりの諸要因の作用によると、氏が言います。
 
「唯物史観では、権力支配は、必ず経済的階級によるものだとしている。」「かくして、日本をファッショ化し、戦争に引きずり入れたのも、」「独占資本だと言う。」「しかし権力支配は、経済的階級によるものばかりとは、限らない。」「軍の力、党組織、イデオロギー、宣伝、教育、裁判なども、」「支配の方法であり、」「ソ連はそのいい見本である。」「ソ連では、無産階級社会が達成されたと宣伝されたが、」「無産階級以外の、権力支配層が現存することは、」「疑いを得ない。」
 
 「日本をファッショ化したのも、経済的階級以外の権力だった。」「それは、ある団体精神によって取り憑かれ、」「組織と武器を持った一群のひとびとだった。」「これに内外の、様々な事情が作用した。」
 
 原因となる、大きな要因の一つが、過激な世直し思想で固まった中堅・青年将校群で、彼らは、無産階級の子弟ばかりではなかったというのが、氏の論点です。ここで彼は、維新の体験者である、明治の政治家大隈重信の言葉を引用します。「大隈伯日譚」からの言ですが、漢文調で難渋なので、私が勝手に現代文に直します。氏の苦情が、あの世から来るのかもしれませんが、そこはまあ、日本のためと、我慢してもらいたいものです。
 
「一寸先が闇というのは、維新の時期のことを言うのであろうか。」「天下の志士は、大概はみんな争乱の場で、ただ奮闘したに過ぎなかった。」「ありのままを言えば、嵐の海に漂う船のようなもので、」「どちらが西とも東とも分からず、」「あっちへ流され、こっちに吹き寄せられ、」「遂には、意外の方向で目的地に達したようなものである。」
 
 「余はここに断言する。」「維新改革の原動力は、薩長の手によるものだけでなく、」「公卿や幕臣の中から、生じたものでもない。」「九州の端から、奥羽の果てに至るまで、」「天下の青年書生の思想として広がり、時勢とともに力を養い、」「ついには、我が国空前の偉業をなしたりと、」「維新の歴史を描くものは、必ずこのことを特筆大書すべし。」
 
 つまり明治維新も、結局はある抗しがたい時代の潮流の力だったと、竹山氏は分析し、大東亜戦争時の日本がどのような社会だったかにつき、次のように語ります。
 
「あの頃は、世情に既成の体制に対する不満が、いっぱいだった。」「見るもの聞くものが、政党、財閥、官僚に対する激しい呪詛だった。」「私はさる大新聞の寸言欄に、」「世界に三つの悪がある。」「アメリカのギャングと、シナの軍閥と、日本の政党である。」「と書いてあったのを、覚えている。」
 
 「昔の日本は言論が不自由だったと、今は信ぜられているが、」「統制が始まるまでは、」「来る日も来る日も、辛辣に、手軽に、巧妙に、無責任に、」「揶揄、罵倒する言葉が溢れ、」「それでもなお、乱闘、汚職、醜悪な暴露が、」「呆れるほど続いた。」「軍人の、政党に対する不信感は非常なもので、」「これは最後まで消えなかった。」
 
 80年以上も前から、日本のマスコミや政治家は似たようなことをしていたのだと知らされます。つまりこの汚濁した政財界の実情が、青年将校や軍部の行動を、世間が黙認する要因でもあったと、氏は語ります。
 
 さて、次の要因が、天皇制です。博学な人には目新しくないのかもしれませんが、初めて聞く私は、これを氏の独創的分析ではあるまいかと、感心しています。
 
 「この頃の天皇は、二重の性格を持っていた。」「その第一は、政党、財閥、官僚、軍閥の頂点にあって、」「機関説よって運営される、いわばイギリス王のようなものだった。」「君臨すれども統治せずの君主なので、実際の政治は政府や官僚が行っている。」「こうした天皇について、一部の軍人たちは、" 陛下の真意では無い  "  」「と、考えていた。」「これを仮に、天皇の機関説的性格と呼ぶこととする。」
 
 「その第二は、ご親政によって国民と直結し、」「平等な民族共同体の首長として、」「国難を克服する、国家の一元的意思の体現者だった。」「一部の軍人は、この性格の天皇を奉じた。」「対外的危機の度合いが進むにつれて、その軍事的な面が強調されるようになり、」「彼らは統帥権を手掛かりとして、自分の立場を強化しようと計り、」「遂に成功した。」「これを仮に、天皇の統帥権的性格と呼ぶこととする。」
 
 「機関説的性格の天皇の元には、旧来の元老、重臣、政党、財閥、官僚があり、」「汚職をしたり、軍縮をしたりした。」「もう一方は、一君万民の軍国主義的社会主義体制であり、社会的不正を攻撃したり、外国侵略をしたりした。」「昭和の動乱には、この二つが絡み合い争いあった。」「軍は第二の性格の天皇を自分のものとし、」「目的を達することができたので、」「制度としての革命は行わず、第一の性格の天皇が形として残り、」「重臣の奏請や議会の決議など、」「全ては敗戦後まで、合法的に行われることとなった。」
 
 敗戦に至るまで日本を引っ張っていたのが、統帥権的性格の天皇を奉じる中堅将校団だったと、氏は結論付けます。明治維新を実現したのが、江戸時代の下級武士たちであったように、大東亜戦争へと日本を駆り立てたのは、中級の将校たちだったと、氏はそう見ている気がいたします。
 
 同じ青壮年たちの行動でしたが、明治のそれは、維新として成功し、昭和のそれは、敗戦となって国を崩壊させました。氏が明治維新と重ねて、大東亜戦争の動きを見ていると私が考えますのは、次のような叙述に出会うからです。
 
 「天皇は常に、立憲君主として終始された。」「その任にある責任者の話を聞き、自分でイニシアティブを取らないという、原則を貫かれた。」「軍に関することは、軍の責任者の言を聞いた。」「しかるに、この軍の責任者は、軍の総意、すなわち中堅将校によって制せられていた。」「つまり、統帥権的性格の天皇とは、結局は事実として、中堅将校のことだった。」
 
 「彼らは国内では、陰謀と暗殺と内乱の可能性をほのめかせることにより、」「政治家をたちを畏怖させ、財界人を黙らせ、」「上司である将軍たちにも、口出しをさせなかった。」「国外では、満州事変等、軍事的な既成事実を作ることによって、」「国全体を引きずった。」
 
 「われわれがそのような存在を知った頃には、」「軍人の政治化と実力行動は、」「既にどうにもならなくなっていた。」「歴史は、もう誰に批判されようと、揺るがない軌道を走っていたのだ。」「昭和6年の3月事件、10月事件、満州事変、」「翌年の5 ・15事件は、皆同じ動きの表れで、」「本質的な違いはなかった。」
 
「中堅将校による3月、10月事件は、未遂のため世間に伏せられたが、」「満州事変は大成功で、」「中堅将校は不動の地位を確立した。」「軍全体が国家の功労者として認められ、」「5・15事件は軽罪ですみ、満州事変の代表者は表彰された。」
 
 政府の方針を無視し、満州に進出しようとする軍を、誰も統治できなかったのは、中堅将校の存在だったと明言し、左翼論者の分析の間違いを、こうして証明してみせます。もちろん私は、反日左翼が嫌いですし、日頃の偏見からしましても、氏の意見に妥当性を感じます。
 
  今晩で終わるだろうという、私の予測は大きく狂いました。5・15事件と2・26事件の違いはどこにあったのか。青年将校と中堅将校と、氏は区別して使っていますが、なぜなのか。二つの性格を持つ天皇陛下が、どのようにして、終戦の意思表示をされたのか。
 
 あるいはまた、こんなにもバラバラの状態で戦争を遂行した日本を、東京裁判は、なぜ一貫した共同謀議があったと、結論付けたのかなど、今少し氏の卓見が残っています。ここまできましたので、短気を起こして端折らないで、もう一回だけ、ブログに綴ろうと思います。長さに倦まれた訪問者の方々は、どうぞお休みください。息子や孫たちに、正しい歴史を伝えたいと思いますので、私はあともう1日、氏の著作に向き合いたいと思います。
 
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昭和の精神史 - 2

2017-09-12 21:56:18 | 徒然の記

 どうやら氏は、大東亜戦争の大きな要因を、明治維新と重ねて考えているような気がいたします。

 歴史は全て唯物史観で説明ができると、当時の日本では、進歩的社会科学が幅を利かせ、学者も評論家もマルクス主義 一辺倒でしたから、愚か者を相手に論争する気の無い氏は、明言するのを避けたのかもしれません。

 「今ほとんどドグマとなっているのは、」「重臣、政党、財閥、官僚、軍閥をもって構成される、」「 " 天皇制 " が、戦争をやった、」「天皇制は本来から、好戦的ファッショだった、という断定である。」

 「そして明治維新は上からの革命であって、」「日本人は昔から、権威への屈従に慣れているから、」「これがファッショ化の原因になった、という説明である。」「私には、この説明が不思議である。」「記憶にまだ新しい歴史の過程を、みずから辿って考えてみると、」「そういうことは、その根本ではなかった、と思う。」

 「右のような断定は、沢山の独断と、混同の上に成立している。」「その端的な例として、昭和10年前後の、青年将校の運動を取り上げてみよう。」「彼らは、天皇制の代表者のリストを作り、」「その人々を殺し、また殺そうとした。」「厳正なるべき軍規のもとにあって、」「彼らは屈従的どころか、下克上をし、反乱をした。」

 こうして氏は、科学的社会主義に異を唱えていきます。意見を読んでいますと、70年後の日本で、ソ連が崩壊した今でも、変わらない主張をしている反日左翼が、存在している事実に、まず驚かされます。

「歴史を理解するとき、ある大前提となる原理を立てて、」「そこから下へ下へと、具体的現象の説明をするやり方は、」「あやまりである。」「そのような、前提からの演繹は、」「必ず間違った結論へと導く。」「事実につきあたると、それを歪め、」「都合の良いものを取り上げ、」「都合の悪いものは捨てる。」

 「論理としてかくあるべきだから、」「そうでない事実があれば、事実の方が間違っている。」「そのために、様々な論理を駆使し、」「かくして作り上げた歴史像を、論理の権威ゆえに正しいと、主張する。」「しかしそこに用いられている理論は、多くの場合、はなはだ杜撰なものである。」

 私は氏の叙述を読みながら、現在の朝日新聞を筆頭とする、腐れマスコミの報道姿勢が語られていると思いました。彼らには、常に反日という前提があり、それに好都合な事実だけを拾い集め、報道しています。不都合な事実は、初めから無いものとして、取上げません。あるいは又、隣の中国や韓国・北朝鮮の日本攻撃の論調は、氏の指摘する誤った歴史手法の産物そのものです。捏造と嘘とをつなぎ合わせ、日本攻撃のため歴史を作り上げ、杜撰な理屈を並べ立てています。お粗末な左翼思想ですが、主張している本人たちは、本気で信じているのかもしれません。

 いくら愚かな左翼主義者でも、今では言わないのでしょうが、本の出版当時は信じられない主張がされていました。左翼の愚かさを証明する記念として、氏の著作からそのまま転記してみましょう。

「科学的社会主義の理論を展開すると、東ドイツは解放の国であり、」「西ドイツは植民地国である。」「これは論理の必然的な帰結であると、そのように主張されている。」「ところが事実は、解放の国から、植民地へと、」「人々が続々と逃げ出している。」「その数すでに千二百万人と言われており、原因は生活の圧迫である。」

「この事実を認めるならば、社会主義理論体系の崩壊となるであろうし、」「体系を維持しようとするのならば、」「事実の方を何とか論理化しなければならない。」「こういうと、反駁する人があった。」「東独から逃げ出す人は、西ドイツの社会保障制度に誘惑されているだけだ。」

 どこまでも意地を張る、滑稽な左翼主義者です。今日なら笑い話で済むのしょうが、本気でこんな議論をした当時の氏は、不愉快でならなかったことでしょう。続きが、まだあります。

「ソ連は、歴史的に、理論的に、」「侵略戦争をしない国である、というのが、」「今の平和論の一つの根拠である。」「しかし歴史的には、ソ連は日本に戦争を仕掛けてきた。」「もともと戦争は、資本主義国がすると信じられているが、」「ソ連はあの時、資本主義国となったのだろうか。」「この歴史的事実と、理論を調和させるため、」「運用されている理論は、興味深い。」

「1. ソ連は今、戦後の建設に専念している時だから、他国を犯す暇がない。」「2. ソ連の宣戦は、米英との約束を守り、」「その期日に攻めたのだから、」「ソ連は約束を守る国である。」「これを主張する人々は、本当にそれを信じているのだろうか。」

「1. ソ連が日本を攻めたのは、建設に専念しているその時だったではないか。」「2. 米英との約束の前に、ソ連は日本と中立の約束をしていたのである。」「後の約束を盾にして、前の約束を破る国が、どうして約束を守る国になるのか。」

 氏の意見に賛同しますが、あの頃氏にこのような反論をさせるのは、どうせ朝日新聞を活躍の場にした学者か評論家、あるいは政治家しかいないはずです。調べないで決めつけるのは良くないのですが、氏が朝日や左翼マスコミから大バッシングを受けたとすれば、こうした正論のせいでないかと、独断してしまう私です。

 社会主義理論が崩壊したソ連に代わり、今では赤い中国が、日本の左翼たちの支えとなっています。国民弾圧の独裁国家なのに、日本より素晴らしい国だと称賛し、国家建設の途上だから見守るべきと援護します。反日左翼主義者は、72年たっても、心の成長はないようです。

 成長を忘れた左翼の理屈に共鳴する、野党の政治家も愚かだと思いますが、その教えに熱狂している「お花畑の住民」たちは、私の理解を超えます。そしてここでも私は、壊れたレコードのように、聞き飽きた言葉を繰り返さなくてなりません。

「こんな愚かな左翼主義者を放置し、保守自民党の議員は、いったい何をしていたのか。」「国の歴史も伝統も壊されるまま、反日の虫たちがはびこるままにし、いったい、何をしていたのか。」「金権政治に明け暮れて、戦陣に散ったご先祖様を忘れたのか。」

 しかしこの言葉は、結局、ブーメランのように私自身を直撃いたします。「愚かな議員に投票するから、こんな目にあう。」・・・・

 寄り道をしたため、氏の本について肝心の部分が語れないまま、プログのスペースが無くなってしまいました。明日は、一直線に核心部分を叙述し、氏の功績を偲びたいと思います。 先人の労苦を、現在に伝えることは、後世に生きる人間の務めですから、もう一度氏の著作と向き合います。

 
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