自民党の野田毅氏の国会討論は、民主党を責める口調の中にも、気遣いや暖かさがあり、聞いていて心地良いものがあった。
同じ自民党で、しかも総裁なのに、谷垣氏の言葉には、心を動かされるものが何もない。私から見れば野田総理は、言わば手負いの大将である。谷垣氏の言葉を信じ、消費税増税案を閣議決定し、国会提出に漕ぎつけたというのに、何の協力も得られないもどかしさが伝わって来た。
腰を低くし頼み込む、野田総理に対し、谷垣氏は、傷口に塩をすり込むような心ない返答をする。
武士の情けという言葉があるけれど、谷垣氏には無縁のもので、彼はまるで足軽のように騒ぎ立てながら、総理の弱点をつつき回す。解散か総辞職かと、その言質を得るためにだけ喋っている。谷垣氏の、人間としての小ささが、嫌でも見えてくる。政治の非情さなのか、自民党総裁としての彼が、非道なのか、見るに耐えないテレビ画面だった。
野田氏が差し出す手を振り払い、時間を稼ぎ、内閣が自滅するのを待つという、卑しい了見が見え隠れした。
その彼が「無礼千万」などというのは、それこそおこがましいというものだ。あんなものは、党首討論でも何でもない。言葉の暴力により、手負いの総理を殺そうとする、残酷な口論に過ぎない。野田総理の言葉には、国民の暮らしへの思いがにじみ出ているが、野党第一党の谷垣総裁の言葉には、政治屋としての、目先の政局しか感じ取れなかった。
生真面目な氏には、心外でならない評価だろうが、野田氏と比較すれば、人間のスケールというか、人間性とでもいうのか、比較にならないお粗末さだ。
ここで野田内閣を倒し、総選挙をしても、数だけを頼りにする政治屋たちが、離合集散を繰り返し、政局は混迷するに決まっている。解決すべき課題が、山積している現在だというのに、いったい谷垣氏は何を考えているのだろうか。
民主党の鳩山氏が、イランでまた余計なことをし、日本を混乱させているが、谷垣氏も似たようなものでないのか。