岡本健志/大島美穂氏編「ノルウエーを知るための60章」(平成26年刊 明石書房)を、読了した。
在日ノルウエー大使館や駐日ノルウエー大使館勤務者、あるいはノルウエーの政治・宗教・文化などを研究している学者や、専門家など、37名の人物が各章を分担している。
何も知らずにノルウエーへ行き、現地の人々を眺めながら、懸命に読んだ本である。
世界地図を見せられ、どこにノルウエーがあるかと聞かれたら、正確な位置すら言えなかった私だ。成田からデンマークのコペンハーゲンへ11時間かけて飛び、そこからノルウエーの首都オスロまで約二時間、さらに1時間半かけて目的地に着いたのだから、今はきちんと場所が示せる。
スカンジナビア半島の左から順に、ノルウエー、スエーデン、フィンランドだ。この3国の下から突き出しているのが、デンマーク。国の名前だけ知っていたが、これら北欧4ヶ国がどれほど複雑な関係で互いに存在しているかについては、本で初めて教えられた。目から鱗の、ありがたい本だった。
デンマークはアンデルセンの童話の国で、人魚姫の像があると、そこまでなら日本人は誰でも知っている。
人魚姫のイメージでしか考えていなかったから、1395年より1525年までの130年間、この優しげな国がノルウエーとスエーデンを支配していたなど考えてもいなかった。
3国は今も王様のいる立憲君主国だが、この時代、デンマークは宿敵ハンザ同盟を破り、北海からバルト海をまたぐ北欧の強国だった。当時の国力も現在と同じく富と軍事力だが、1395年頃はデンマークの女王様が一番力を持っていたらしい。女王様は権力を貴族たちに分散させず自分にだけ集中していたから、他の王様に有無を言わせず「カルマル同盟」を結ばせた。
建前は平等の同盟だが、実質はデンマークを盟主とする、デンマークによる支配だった。
こうして教えられると、同盟なんて昔からとんでもない代物だったと分かる。日米同盟などとわが国は浮かれているが、要するにアメリカを盟主とするアメリカによる支配なのだと、バカな私もノルウエーの地でやっと目が開いた。
しかしノルウエーの不幸は、これだけでは済まない。
1905年に独立するまで、更に約380年間という長い間、スエーデンの統治下に置かれる。門外漢なので何度読んでも理解できないのだが、「同君連合」と言われるもので、スエーデンの王様がノルウエーの王様を兼務するということらしい。しかも同君連合なるものをお膳立てするのが、当事国でなく、ロシア、オーストリア、イギリスというのだから驚く。
当時のロシア、オーストリア、イギリスといったら、北欧どころか世界の強国で、国際政治を意のままにしていた国々だ。国際政治の場で、小国がいかに大国に翻弄されるのかという好例だった。敗戦後に、紛れもなく小国と成り果てた日本が、米国、ロシア、中国などに、好き放題に弄ばれているが、お手本はノルウエーにあったという発見をした。
デンマークによる130年と、スエーデンによる380年を合算すると、510年間になる。
ノルウエー国民は、この間もずっと独立への願望を持ち続けている。それなのに1940年から1945年までの5年間、更にドイツの支配下に置かれるという不幸に見舞われる。かろうじて国外へ脱出したホーコン7世は、ヒトラーのドイツに徹底抗戦する。祖国解放と自由の回復のため、国民は国の内外で戦い、ホーコン7世はレジスタンスの象徴となった。
だからこそノルウエーは、ドイツが破れ第二次世界対戦が終わった時、戦勝国の一員として認められ、NATOに名を連ねている。3国は大戦の間中、懸命に中立宣言をしたが、ドイツの侵攻で国を蹂躙され、小国の悲哀を噛み締めている。
北欧の国々の状況を知れば知るほど、自分を含めた戦後の日本人が、どれほど常識の欠落した状態でいるのかを、知らされた。いかに敗戦の衝撃と挫折が大きかったとは言え、日本さえ反省すれば世界が平和になるなど、どうして国際常識を狂わせるような思考にはまってしまったのか。
「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
憲法前文の美しさに魅惑されたとしても、どうして他国の公正と信義まで簡単に信じてしまったのか。
ついこの間まで、自分がその一員だったから偉そうに言えないが、ある左巻きの人物のブログを見たら、「憲法の前文は素晴らしい。この文を読んだら、誰だって感動する。」と、書いてあった。まさに彼のような人間が日本を狂わせる、「お花畑」の一人だ。選挙の一票が欲しいため、大衆に迎合する政治家だって、このまま「お花畑」をはびこらせていたら、未来は真っ暗だと危機感を覚えないのだろうか。
ノルウエーは、祖国の独立を得るまで、根気よく510年という歳月を費やしている。国民の多くが、独立を願っていながらもそうだったのだから、際限なく「お花畑」を放置していたら、100年たっても日本の独立は手に入れられないという話になる。その一方で、敗戦後70年くらいで独立が叶うなんて、甘すぎるのでないか。100年か200年かかるという覚悟で「お花畑」を耕し、転作地にすべく汗を流すべきかと、そんなことも本気で考えた。
これまでは机の前で読書し、観念的にブログを書いてきたが、今度は現場にいて、ノルウエー人を見ながら、彼らと対話しながらの読書だった。その臨場感は、何にも代え難かった。
スーパーマーケットへ行き、缶珈琲を探していたら、二十歳前と思われる若い男子店員に声をかけられた。「日本人ですか。」そうだと答えたら、「私は日本が大好きです。」と笑顔の彼が、忙しい朝の店の中で握手を求めてきた。数日後、市内にある「旅行者センター」を訪ねた時、行列の中に中年の日本人女性が並んでいるのを見た。
「日本は素晴らしい国です。」窓口の係女性が、大声で朗らかに笑い、「おお、サンキュウ、ベリーマッチ。」と、言われた女性が、日本人らしくない陽気さで応じていた。すると隣にいた係の男性が、顔だけ振り向けて「ニッポン、サイコウ。」と言葉をかけた。
私はこうしたノルウエー人を目にし、「へえ、日本て人気があるんだ。」と嬉しくなってしまった。街を歩くと、多くの日本車を目にした。トヨタ、日産、ホンダ、三菱、ダイハツなど、雪の坂道をベンツやワーゲンに負けない勢いで走っていた。どうしてそんなに日本が好きなのか、聞いてみたかったけれど、誰も皆忙しそうだったし、先ずもって自分に英語力がなかった。
ノルウエーでは誰もが英語を喋るので、バスに乗ったり買い物をしたりと、簡単な会話なら何とかできる。しかしちょつと込み入って来ると、もうお手上げだ。
「日本人は、意思を伝えるツールとしての英語力を、身につけなければなりませんね。」「ボーダレスになっていく国際社会では、そうでないと生きていけません。」平泉渉氏が亡くなられる前、しきりに強調されていたが、その通りだった。
「英会話を小学生から必須にするなど、日本をダメにする愚策です。」「なるほど東南アジアの人間は、誰もが英語を喋りますが、彼らは英語の学術書は読めない。」
だから今のままで良いのだと右系の教授が反対していたが、自分の経験からしても、彼は間違っている。本を読めるのと同じくらい、意思を伝えるツールとしての英語力は必須なのだ。聞くも喋るもできないまま、他国の人間と交流して、何の意味があるというのか。
去年だったと思うが、野党の議員団がアジアの国を訪れ、現地の議員たちと意見交換する動画を見たことがある。
現地の議員は日本語が喋れず、英語で説明したり質問したりしていた。野党議員は誰も英語が喋れず、通訳を通じての対話になっていた。相手国の議員が長く喋る間、何も分からない日本の議員たちは、ただ曖昧な笑顔でうなづいているだけだった。当意即妙に受け答えするから、現地での対話に意味がある。正しく伝えているのかも分からない、通訳を通じての対話は、見ている方が情けなかった。
あの折の動画の印象と、今回の自分の経験で、「ツールとしての英語力」の必要性を痛感した。英語がもっと喋れたら、自分はもっと多くのことを知り、もっと有意義なブログが作れたのにと、無念でならない。
会話については無念だけれど、無念でない沢山の経験をしてきた。
冥土の土産として残さずにおれないが、今日はこれまでとし、明日以降の楽しみにしよう。そろそろ日も傾いてきた。春とはいえ、まだ朝夕は冷える。猫庭の花が、日を追うごとに増えていき、白と黄色の水仙が、ほのかな香りを漂わせている。
水やりをし、雑草を抜き、枯れ枝を切り、疎かにしているのではないが、今はノルウエーについて優先させたい。
日ごとに記憶が薄れていく気がするので、忘れない内に記録したいと思うからだ。さてその記録、一生懸命綴っているが、自分が死んだらどうなるのか。ほんとうに、息子たちが読んでくれるのか。孫が読んでくれるのか。
そこまで考えると、お先は真っ暗。日本の未来どころではない、おぼつかなさだ。
しかし何を嘆こう。誰だってそんなものでないか。自分一人がそうではないと知る安心感・・・・。これぞ「赤信号、皆で渡れば怖くない」だ。
生きている限り、自分は知識を求め、ブログに記録する。それは、生きている限り無意識に呼吸をするのと、同じようなものだ。