ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

80年代「その危機と展望」

2015-07-20 22:32:35 | 徒然の記
 山川暁夫著「80年代 "その危機と展望" 」(昭和54年刊 株式会社 技術と人間) を読了した。
 氏は昭和2年に福岡県で生まれ、昭和29年に東大の経済学部を卒業している。職業は、政治・軍事・労働問題に関する評論家であると紹介されている。
存命なら今年で88才だ。同じ頃に生まれた政治家をネットで調べてみたら、上田耕一郎、三塚博、森山眞弓氏がいた。作家で言うと、北杜夫、吉村昭、藤沢周平氏らがいる。何のためわざわざ同時代の人物を調べるのか、物好きからでなく、これほど頑な左翼が育つのは、時代の特徴かと思ったからだ。頑迷な左翼信奉者を、私はこれまで「反日・売国の徒」と呼んで来たが、その伝で行くと氏は一段上の「憎日・棄国の徒」だ。死ぬまでそうだったのか、途中で脱党したのか明らかでないが、長く共産党員であったのは間違いない。要するに、一筋縄でいかない左翼ジャーナリストだということ。

 読後の感想は、複雑だった。片鱗すら受け入れ難い氏の意見だが、知らないことを沢山教えてくれ、正論もたまに述べている。有意義な書物だった・・・とそれなりの評価をせざるを得ない。これほどの知識と情報を有していながら、どうして国を捨てるような思想の呪縛から逃れられなかったのか不思議でならない。

「国家が非和解的な階級対立を土台として形成され、国家が階級対立の権力的統合の機構および理念体であるとするならば・・」。「世界戦争を阻止するのは、国家群の力ではなく、世界の労働者階級と民族解放勢力、世界の人民の戦闘的連帯の強化によってのみ果たし得るのである。」「戦争に対するのは、正義の立場を口にする国家の行動でなく、階級としての労働者の解放闘争の強化と前進であり、プロレタリア国際主義の貫徹でなければならない。」。
これが、氏の全編を貫く思想の根本、つまり妄想だ。

 学生の頃だったら難しそうな左翼用語に惑わされ、何となく黙り込んだのだろうが、国の成り立ちが和解できない階級の対立を土台にしているなど、あまりに単純なレッテル貼りでないかと、今の自分は実感する。貧乏人の息子だった私は、彼の分類によると「プロレタリア」とか「人民」とか「民衆」などの括りに入れられるのだろうが、不愉快になってくる。「プロレタリア」や「人民」「民衆」などという造語は、マルクスの本からの訳語にすぎない。気取った言葉で言わなくても、「庶民」とか「民草」とか「貧乏人」とか、日本には昔からの日本語がある。貧乏人と言われれば癪に触るが、人民とか民衆、プロレタリアなどと呼ばれるよりずっとしっくりくる私だ。

 国を越えたプロレタリアの国際的連携が、労働者を解放し、新しい社会を作ると彼は言うが、世界のどこにそんな社会主義国があるのだろう。民族主義を前面に出し、力ずくで国民を束ねる社会主義国のどこに、国際的連携を見ると言うのか。中ソは戦火を交えようとしたし、中国はベトナムへ進攻した。社会主義国相互の中傷合戦や争いを見ていると、「一国平和主義」のスローガンと同様、「プロレタリアの国際的連携」が現実には存在しない妄想だと分かる。

 だが私は彼の率直さを評価した。「マスコミ批判の原点」と題して、彼は次のように述べている。
「逆説的な言い方ですが、私はマスコミに真実を求めたくないのです。マスコミが真実を報道してくれないので困るとか、真実を報道して欲しいとか、そんな立場から批判したくないのです。新聞労連などが一時 " 新聞・放送を国民のために " というスローガンを掲げていましたが、これは部分的に妥当するところがあるにしても、本来的にはないものねだりではないか、甘えていることになりはしないかと思います。」
「それよりも、マスコミがぶつけてくる認識に対する緊張関係を、常に持ちつつ、マスコミ批判を展開しなければならないのでないか。マスコミに騙されるのか、騙されないのかという緊張感ですね。 」
「それを持ち続けることによって、民衆自身が自己を確認するということ、それがマスコミ批判の原点にならなくてはならないと思うわけです。」

 マスコミ(彼が指しているのは主として新聞)が真実など伝えるはずが無いと、36年前に彼が断言している。騙されないぞという緊張感を持って、常に対峙しなければならないのだと、ジャーナリストが本音で語るのを初めて聞いた。朝日新聞の大ウソに騙されたと怒っている私だが、36年前にこの本を呼んでいたら状況が変わっていたのかもしれない。更に彼は言う。

「もともと政治は支配と被支配のたたかいの総体だと定義づけられますが、その意味では誰しも政治の中に生きているわけで、政治から離れた事象は無い。そういう支配と被支配のたたかいの総体のメカニズムとして、マスコミの報道がある。もう少し図式化すると、政治と報道がかみあいながら大衆に影響を与えるという一面がある。一方大衆と政治が結びつきながら報道に影響を与えるという一面がある。さらに今度は、大衆と報道が結びつきながら、政治に影響を与えるという面もある。この三つの相互関係の中で報道が作られ、生きている。」
そして、その絡み合いの実例を彼が詳述する。

「たとえば私が昔、国会で仕事をしていた時代、三木武吉などがよく記者と碁をやって負けていた。あえて負けた形にしておいて、金を渡すわけです。こういうことが記者クラブ、あるいは自民党の控え室などで行われてた。運輸省のクラブの記者には、国電の無料パスが出るとか、建設省詰めの記者には、住宅公団に優先的に入れるといった利益供与がありました。」
「お中元、お歳暮、旅行の時の同行記者に30万とか50万とかのお金。ダンヒルのライターなど、いろんな話がある。」
「すべての記者諸君がそれを受けているということではありませんが、やろうとすればやれるという条件があるということは見ておかねばならない。記者は深く入らなければ取材できないし、深入りしすぎるとミイラ取りがミイラになってしまう。とくに政治部の記者がどう対応するのかは、難しいところだと思います。」

 永田町の論理とか、霞ヶ関の論理とか、世間の常識とかけ離れた話がそういう表現で婉曲に揶揄される。
大きいものから小さなものまで、様々な形の贈収賄が満ちあふれている政治とマスコミの世界。想像はしているもののこうして実際に語られると、驚きがある。政治家も記者たちも、山川氏の書いている事実を知っており経験者でもあるから、決してまともに活字にしない。こんなことを暴露する人間は、その世界から放逐される。
だから私は、山川氏の本を評価した。素晴らしい人物とは思わないが、ここまでバカ正直に徹した氏に呆れ敬服もする。私には真似ができないことだから、そんな人物は無下に扱いたくない。本だって有価物のゴミにするのは惜しいから、本棚に残しておくこととする。

 だからと言って、私は氏を過大に評価しているわけでなく、自民党だけを嫌悪する気もない。
金に絡む汚い話は共産党にもあるし社会党にも、公明党にだってある。要するに人間の世界は、こうしたものが満ちているということ。70年も生きていれば、少年のような義憤の嵐には巻き込まれず、あるがままの事実を眺めることはできる。

 こんな時にこそ、「理想は高く手は低く。」だろう。


 
コメント (8)
この記事をはてなブックマークに追加

もし、北朝鮮の理屈が通るのなら

2015-07-19 16:07:36 | 徒然の記
 人権を擁護する新聞やテレビが、拉致被害者のニュースは何故か報道しない。
国民に向けニュースを提供するという使命を捨て、よこしまな隣国のために報道する代理人ばかりなのだから、何の不思議も無い現象だ。反日・売国の腐れマスコミだと正体を知って以来、腹を立てる気がしなくなった。
次の疑問は、どうして他国の報道代理人が大きな顔をして日本に居座っているのかという点だ。国を憎悪するしか出来ない、反日・売国思想の人間なら疑問を持たないだろうが、国民の多くは国を大切にしている。もの言わぬ多数の庶民が、我慢の限界点を意識した時、その時から敗戦後の清算が始まると私は思っている。敗戦後の日本の歪みが70年後の今になり、やっと人々の前に明らかになりつつある。

 さてそこで私は、我慢の限界を超えている事実の一つについて語りたい。
拉致家族の情報を一年を目処に取りまとめ、日本政府に誠意をもって返事をすると、昨年北朝鮮が言った。一年とは何時なのか、相変わらずバカな外務省は期日の確認を取らず、あるはずのない北の誠意を信じた。早々と制裁の一部解除をしたというのに、北朝鮮が今になって、報告のとりまとめが遅れそうだと伝えて来た。解除した制裁を元に戻すかと思いきや、「相手を刺激しては行けない」と北の通告を外務省が黙認してしまった。
腐れマスコミ同様、害務省には日本人がいないのだと私は思っているので、怒る気にもなれない。外務省と違って日本人であるから、私はここに正直な意見を述べる。

 「戦争中に日本は朝鮮人を何千人も強制連行して殺した。それに比べたら、拉致被害者など何の問題があるのでしょう。」
北朝鮮では、学校で生徒たちがこのように教えられていると聞く。「戦時中の北朝鮮の国民の受けた被害に比べたら、拉致は優先度が低い。」と、元社民党で今は民主党に鞍替えした辻元清美氏が言ったと聞く。「拉致なんて、北朝鮮がするわけが無い。」と切って捨てたのは、故人となった元社会党委員長の土井たか子氏だった。

 ウソかほんとか知らないが、民主党も旧社会党も議員の多くが帰化した在日が大半だと、そんな話もあるからさもありなんと腹も立たない。北の政府や、日本に住んでいる北の代理人たちが拉致被害者についてそのように言うのなら、無用な怒りをあらわにせず、私は政府に提案したい。
「70年前の戦時の話で、無関係な日本人を不法に拉致し、監禁同様にしている北の理屈が通るのなら、政府も同じことをしましょう。北まで出かけて行って人間を引っ張って来なくても、日本にいる在日北朝鮮の人間を無差別に逮捕し、刑務所へ入れましょう。拉致被害者と同じ数の人間を有無を言わさず逮捕しましょう。」北が拉致家族を放置するにあわせて、面会もさせず、生死の消息も知らせず、20年でも30年でもそのままにしておく。


 私の提案を非難できる人間がいるのだろうか。北がやっているのは、そんな理不尽なことなのだ。罪の無い人間を底なしの不幸と苦しみへ蹴落とした北の行為を、日本人ならどうしてこうも長い間見過ごしておれるのか。もし北朝鮮の理屈がこのまま通るのなら、政府が私の提案を無視するはずがない。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

まるごとわかる「中東経済」

2015-07-08 22:08:47 | 徒然の記
 日本経済新聞社編 「 まるごとわかる" 中東経済" 」 (平成21年刊 日本経済新聞出版社)を読み終えた。
一人の作者が書いたものでなく、中東駐在員だったなど、何らかの関連を持つ記者たちの主張をひとまとめにした本だ。昭和61年に読売新聞が出版した「戦犯」という文庫本は、記者たちが書いた調査記録を一冊に編集したもので、今回と同じ形だった。読売とと日経と、会社が違うとこうも内容が違うのかと感心させられた。

 粗末な文庫本だったが「戦犯」の読後は、込み上げる涙の始末に困ったが、この本にはそうした心配が皆無だった。
世界を席巻したオイルマネーが今はどのような使われ方をしているのか、急速に近代化する中東で日本にはどんな出番があるのか。農業、環境、新エネルギー、人的資源など、わが国で十分に知られていないビジネスチャンスを徹底解説する・・・、これが本の売り文句だ。

 結論を言ってしまえば、金儲けに無縁な人間には詰まらない中身だが、知らないことを教わるという点に着目すればとても有意義な本だった。イラン、イラク、トルコ、サウジアラビア、イスラエル、クエート、スーダン、リビアなど、名前は頻繁に聞くが、さて地図上のどこにあるかと問われるとたちまち窮する。ターバンを巻いた人々が砂漠で暮らしているとか、とてつもないオイルマネーを持った王様たちがとてつもない贅沢をしているが、国民は貧しいとか、そうした断片的な知識しか無い。イスラム教がメインの地域で、ユダヤ教のイスラエルは敵対する国々に囲まれているとか、テロや誘拐を繰り返す過激派集団が沢山いるとか、あとはもう心を暗くするこんな話題しか思いつかない。

 危険な国々で構成される中東だというのに、記者たちが日本の経済進出を促すのだから、驚いてしまう。だがもしかすると、中東はそれほど危険満載の地域でなく、あんがい多数の人々がそれなりに日々を送っているのかもしれない。新聞やテレビでしか知識がない私たちは、ここでも、いわゆるマスコミの大袈裟報道に染まっているだけなのかも知れない。巻末に各国の政治、経済、言語、面積、人口などの資料がついていて、在留邦人の数も記してある。どの国にも平均して200名前後の邦人がいて、サウジアラビアにはなんと1000人を越す日本人がいる。政府や企業関係者がほとんどなのだろうが、それでもこれだけの日本人が存在しているという事実は驚きだ。

 こんな危ない国にはとても住めないとか、一日も早く日本へ帰りたいとか、そんな訴えをする邦人のニュースを目にしたことが無い。となると早速、マスコミへの日頃の疑念が頭をもたげてくる。火薬庫の中東と形容されるほどだから、平穏そのものではないと思うものの、センセーショナルな報道を信じ過ぎるのは間違いのもと。・・・・・と、詰まらない本だがとても有意義だったというのは、こう言う意味だ。

 イスラム法(シャリア)では、2つのことが禁止されている。
1. 貸した金に利子をつけること、受け取ること。 2. 教義でタブーとされている飲酒、豚肉、ギャンブルなどに関連する企業やプロジェクトに投資してはならない。これがイスラム金融と呼ばれるものらしい。イスラム教徒にとって、教義はいわば憲法に匹敵するものだ。厳格に適用されると、中東諸国では金融業が成り立たない。巨額のオイルマネーがなかった頃はそれで良かったのだが、使い切れない金が手に入り、有効活用しなければ目減りするとなった時から、イスラムの富豪たちの抜け道探しと、罪を逃れるための工夫(へ理屈探し)が始まった。

 形を利子にしないで「儲け」を受け取る方法や、禁止された企業等への投資方法などが今では見つかり、建前は建前として残し、実質で西洋型金融と変わらない運用がされているとのこと。「ある程度のイスラムの知識さえあれば、西洋の金融はイスラム金融に置き換えることが可能だ。営業活動の基本はまったく変わらない。」と、イスラム銀行幹部の言葉が紹介されている。
立派な教義でも、暮らしの必要が生じれば変化せざるを得ない。建前と本音が、否応無く社会の底部に居座ってしまう。私はここに、現在の日本が重なって見えた。戦争放棄という憲法を大切にして来た日本と、イスラムの教義を守ろうとしている中東の諸国とにある、共通の真面目さと頑迷さ、妥協点を探るための困難な苦労。
同病相哀れむとでも言うべきか、宗教と憲法の違いはあっても、国として抱える大問題だ。なんだか、イスラムの国々に親近感が湧いてきた。そして、希望すら湧いてきた。

 2,500年以上の歴史を持つイスラム教を作り替えるのは困難極まりないが、日本の憲法はたかだか70年の歳月しか経ていない。
日本国憲法は宗教でないし、敗戦後のどさくさの中でマッカーサーが強要したものでしかない。国民の中には、憲法を神様みたいに信仰している者もいるが、多くの人間は憲法より大切なものが「国そのもの」だと気付きつつある。いつか必ず、作り替えられるはずという確信が生まれて来た。
それやこれやを考えさせ、明日への希望も抱かせてくれた。この本は、貴重な資料として本棚に残しておく価値がある。・・・・・と、詰まらない本だがとても有意義だったというのは、こう言う理由だ。

コメント (7)
この記事をはてなブックマークに追加

三橋氏の著作

2015-07-03 17:26:57 | 徒然の記
 三橋貴明氏著「本当はヤバくない日本経済」(平成21年刊 ( (株)幻冬社 )と、「国民の教養」(平成23年刊 扶桑社)の二冊を読んだ。
氏は昭和44年に熊本県で生まれ都立大学(現・首都大学東京)を卒業し、外資系企業等に勤務した後中小企業診断士として独立する。平成22年に自民党公認候補として衆議院選挙に立候補し、落選するという経歴も持っている。

経済のみならず、学問・芸術の活動においても、政府が余計な干渉をしなければ、「見えざる手」の力ですべてが巧く行くと、先日読んだフリードマンはケインズの「限りない自由主義」を讃えていた。三橋氏は無制限な自由や経済のグローバリズムを正しくないと言い、国や民族を破壊する自由主義者に異を唱える。

「膨大な借金を抱えた日本は、やがて財政破綻する。」、「日本の年金制度は崩壊する」、「日本の公務員は多過ぎる。」、「日本の治安は悪化している」、「日本の貿易依存度は大きい。」、「日本の国際競争力は凋落の一途だ。」と、私たちは長年にわたりこうしたマスコミの報道に接して来た。何をする術も無いのに、日本はどうなるのか一人前に心配だけはしてきた。

 三橋氏はこれらの意見がどのように間違っているか、数字データを元に分析してみせる。都合の良いデータだけ集め、やっかいな数字を引っ込め、政府とマスコミが国民を騙しているということらしい。ならば氏だって、自分に都合の良い数字を集め自説を展開できると、卑しい推理ができなくも無い。
しかし私はそんなひねた疑問にとらわれず、素直な気持ちで本を読んだ。

 「日本は右傾化している。」「日本は駄目だ。」「日本は世界で孤立している。」「日本は劣った国だ。」と、マスコミが日々政治面で掻き立てているが、経済の報道でも同じことが行われていると三橋氏が教えてくれた。
日本の公務員は多すぎず、日本の犯罪発生率はどの国と比較しても断トツに少ない。日本の貿易依存度は25%しかなく、韓国87%、ドイツ70%、中国50%、イギリス42%、ロシア41%である。世界の主要国中で、日本より貿易依存度が少ない国はアメリカ(21%)とブラジル(18%)の二国だけだ。平成 22年度の数字だが、こうしたデータを示されると、確かにマスコミの報道はおかしい。社会の木鐸として警鐘を鳴らしていると言い訳をしそうだが、マスコミの論調は日本が破滅し破綻することを望んでいるように聞こえてならない。

 どこまで氏が正しいのか今は理解できないが、日本を大切にするという立場から意見を述べていることだけは分かる。
日本が世界一の債権大国であることや、世界一の技術立国の一つであることなど、沢山の長所を教えてもらった。日本の素晴らしさをドンドン発展させて行くと、やがて「日本だけが世界一」となり、中国や韓国・朝鮮は劣等国だとなりかねない。氏の主張には危うさもあるが、これだけマスコミが日本駄目論を展開している今は希少価値がある。私のような感情論でなく、数字を元に客観的意見を述べるのだから立派としか言えない。

 フリードマンの著書もそうだったが、氏の本も有価物回収の日のゴミとせず、本棚に残しておくこととする。
いつかもう一度読み返して、どちらの意見がより正しかったのか確かめてみたいからだ。・・・・・・・・・・、けれどもそんな日が果たして来るのか。その日が来る前に自分の命の方が尽きてしまうのではないか、かすかな不安がある。

 100才まで生きて本を読むと決めているが、本人の予定と現実はいつだって乖離する。強気の陰にある弱気、楽観の彼方に見え隠れする悲観、とでも言えば良いのか。(三橋氏の元気さと前向きな意思に敬意を表したい。)











コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

根気よくモグラ叩き(副題 思考停止の哲学者)

2015-07-02 13:13:04 | 徒然の記
 叩いても、限りなく顔を出すモグラのゲーム。敗戦後70年間、マスコミに登場したモグラたちが「平和日本」の幻想を世間に振りまいて来た。

 冷戦時代が過ぎ、米国一強の時代が終わろうとしている今、中国の軍事強化がアジアに不穏な空気をもたらしている。加えて、永らく中国に支えられて来た朝鮮が核開発に成功し、弾道ミサイルの照準を日本に合わせている。

 夢見る少年でしかなかった鳩山氏が、友愛の海を作りたいと寝言を言って以来、沖縄の基地問題が白紙に戻り、米国との関係がギクシャクし始めた。
いったん政治のバランスに不均衡が生じると、国際社会の非情さが露呈する。尖閣諸島への中国の介入、竹島への韓国大統領上陸、北方四島へのメドベージェフ氏訪問と、矢継ぎ早に近隣国が揺さぶりをかけて来た。
この流れの中で南京問題と慰安婦問題の日本攻撃が開始され、拉致犯罪を犯した北朝鮮までが日本を弄んでいる。

 韓国と中国が、事実を無視した荒唐無稽な南京と慰安婦問題で、執拗に、残酷に、これでもかと手前勝手な理屈を並べ立て、眠っていた日本人の愛国心に火を点けた。私が歴史の見直しを始めたキッカケが、ここだった。中国・韓国・北朝鮮が、これほど難癖をつけなければ、憲法問題など考えもしなかった。ブログを始めた4年前を見れば一目瞭然だ。当時の私は、金権腐敗の自民党に愛想をつかし、国民の暮らしを守るという民主党に票を入れた。鳩山、菅、野田という反日の総理にも好意的コメントを書き、小澤や岡田といった売国政治屋にもエールを送っている。NHKにだって、日本の良識としての敬意をシッカリと払っている。

 それほど中国・韓国、北朝鮮の挑発が大きかったということだ。まさに「太平の眠りを覚ます蒸気船」だった。

さて、前置きが長くなったのは、長い前置き無しでは語れない新聞記事に出会ったからだ。6月19日の千葉日報、文化面に信じられない寄稿をしている哲学者がいた。どのくらい著名なのかとんと知らないが、西谷修という人物だ。記事の表題は新聞社が寄稿文の中から、拾いだしたのだろうが、氏の主張の非現実生を良く表している。ルーピー鳩山氏と遜色の無い寝言なので、煩わしいがコピーする。「信頼の場を開く非戦」「テロ出現で抑止論破綻」「安保法制という異常」「恐怖の均衡」「文民の暴走」と、賢明な人間なら氏の文章を読まなくとも内容の愚かしさが分かる。

 けれども何も引用しないのではせっかくの長文が無意味なので、私の独断で、最も愚論と思われる部分を抜き書きしよう。
「憲法は押しつけと言われるが、その責任は無謀な戦争を際限なく続けた日本の指導者たちにある。」「 " 非戦 " は 、相手国との友好関係の入口になる。信頼の場を開く。交渉や仲介は、そこから始まる。」・・・・・・と、我慢強い自分だが、引用もここいらが限界だ。

 中国・韓国、北朝鮮の横暴さが目立たなかった頃なら、氏の意見だって黙って見過ごしていただろう。しかしアジアというより、国際情勢がここまで不穏になっている今となっては、いかに呑気な私でも隣国の横暴が看過できない。
長い前段を述べた理由がここにある。私のような一介の年金生活者でも反応せずにおれなかった現在の状況なのに、哲学者の彼が何も言及しないという事実をハッキリさせたい。世間のことが見えない愚昧な人間でも、哲学者になれるということなのか。それとも数ある哲学者の中には、氏のように「常識の欠落した」モグラが混じるということか。

 従って彼の論文の中身は「思考停止」の言語が沢山出てくる。勝手に日本を敵国扱いしている隣国に肩入れしているのだから、彼のやっていることは利敵行為そのものでないかと思ったりする。もしかすると、隣国から送り込まれた工作者か? 。
そうでなければ彼の真意が理解できない。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

平和教育

2015-07-01 11:46:16 | 徒然の記
 NHKのあさいちで、平和教育の大切さについてコメンテイターたちが語っていた。
この種の報道に接すると、テレビであれ新聞であれ、いつも強い違和感を覚える。子どもたちにもっと戦争の悲惨さを語らなくてはいけないとか、平和の大切さを教えなくてはならないとか、こういう思考方式そのものに苦々しさを感じてしまう。

 行くつくところは、戦争を経験した大人たちから話を聞こう、本や新聞で戦争について調べようなどと、毎年繰り返される不毛な結論に終始する。今朝の番組では、中学生だったか高校生だったか女生徒三人が留学生たちに、インタビューしていた。国会で審議されている安保法案について、「今まで武器が使えなかったのですが、これからは使えるようになるのですがどう思いますか。」と、自分でもよく理解できていないことを不要領に質問していた。

「武器が使えなかったら、攻撃された時どうして自分を守るのですか。」
「日本の自衛隊は今のままがいいのです。今のままの自衛隊だから、世界で高く評価されているのです。」
そんな答えを聞いて感心する女生徒の話と、留学生に意見を聞くという着想が素晴らしいと彼女たちを誉めるコメンテーターの批評。こんな番組を提供するNHKに、今回も情けなさと失望を感じた。

 こんな大事な話を立ち話でやり、答えている留学生にしても、自衛隊が世界で高く評価されているなどと、どこからそんな意見が導かれるのか。もし自分が他国に留学していて、その国の女生徒に同じ質問をされた時、世界がその国の軍隊をどのように評価しているなど即座に答えられるはずが無い。聞く方も聞かれる方も、いい加減としかいいようのない雑談なのに、このようなものをどうしてNHKが評価したのか。平和教育の一つだと、大仰に取り上げたのか。不思議でならない。

 極め付きは、女性教師が各種の新聞を材料にして安全保障関連法案の授業を行い、これが平和教育であるとする部分だった。
各種の新聞と言ったところで、産経を除く他紙はこれらの法律を戦争法案だとして反対しているのだから、教師の授業がどんな方向で行われているのか想像がついた。

 平和教育という名称からして、私には疑問符がつく。これまでの経緯を見ても、平和教育という名前で行われて来たものには、碌なものが無い。日本の軍国主義の過ちというところから出発し、日本が他国を侵略した、残虐な行為をした、世界中から憎まれていると、自分の国を駄目なものとして反省させるだけの内容だった。本気で平和や戦争を考えるのなら、とってつけたような平和教育など止めにして、韓国の慰安婦問題や中国の南京問題、あるいは中国の海洋埋め立てなどについて、真正面から取り上げる記事をマスコミが連載すれば良い。半年もしたら国民の目が覚める。

 慰安婦や南京問題は先の戦争がもたらした捏造の産物であり、一方中国の海洋埋め立ては明日にも戦争につながる愚行である。
マスコミが取り上げない理由は、国内で左右の主張が激しく対立し、意見を述べる見識と勇気がないから頬被りしているだけのこと。真摯に平和や戦争について取り組もうというのなら、対立する主張と繰り広げられている現在の事件を公正に報道すれば、子どもたちにだって平和や戦争の危険性が現実のものとして理解できる。

 さて、今日から七月だ。来月になるとまた平和と戦争ための、お祭りのようなまやかしキャンペーンが始まる。
子ども騙しみたいなこうした平和ごっこに、戦後70年を契機にオサラバしてはどうなのだろうか。「終戦記念日」などというゴマカシのレッテルも剥がし、「敗戦の日」と正しく表現する正直さをマスコミに求めたい。子どもたちへの平和教育というのなら、ここからして改めなくてはなるまい。

 最近はNHKの悪口ばかり述べているが、それでも私はテレビを見るときはNHKにしかチャンネルを合わせない。
騒々しく軽薄な民報の番組に比べたら、安心してみられるのはやはりNHKなのだ。左巻きの経営陣やキャスターや職員がいると分かって以来腹立たしくならないが、そんな者は一部だと信じたい。立派な番組を沢山作っているし、なんとしても本来のNHK、国民のための公正な報道機関となってもらいたい。

 朝日新聞には期待しても空しいと分かったので、せめてNHKには希望をつなぎたい。何年もこのままだったら、朝日新聞の定期購読を止めた時のように決断する日が来るだろう。「受信料不払い」のため、「NHK受信拒否」の機具購入と設置という苦渋の決断。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加