ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

アホウドリ

2010-06-18 12:02:32 | 随筆
 無表情だがどことなく愛嬌のある鳥が、罪もないのにこのような蔑称で呼ばれ続けていることに、かすかな胸の痛みを覚える。

警 戒心がなく、人が近づいても逃げず、呆気なく捕まる鳥なのでアホウドリと呼ばれると聞いた。それならなおさらのこと、人なつこい鳥の名前として、アホウドリはふさわしくない。幼子のように人を疑うことを知らない鳥なら、「純粋ムクドリ」とか、「わらべドリ」とか、呼んでやるのが筋ではないか。なぜこんな蔑んだ名前で呼ばれるようになったかにつき、誰に疑問を抱かれるでなく世に流布されると言う、この無神経さにため息がでる。

 何時だったか忘れたが、絶滅種となりつつあるこの鳥のため、孤島に繁殖地をつくろうとする試みがテレビで報道された。そこまで大切にする鳥だったのなら、どこかでひと言「名前の理不尽さ」についても述べてやるべきではなかったのだろうかと、今になって悔やまれる。もしあれがNHKの番組だったとしたら、真面目に料金を払っている視聴者の一人の意見として、取り上げてもらえないものだろうかと思ったりする。利益第一の民放には期待出来ないが、紳士・淑女のNHKなら、もしかしてという希望が持てるのだが・・・・。

 
 かって、日本の風俗街のあちこちに、「トルコ風呂」という派手な看板が目についた時期がある。青少年の健全な育成にはとても有害だが、不道徳な男たちにはとても喜ばれるといういかがわしい場所だった。かまびすしい議論はあったが、「トルコ風呂」の看板は、歓楽街の夜を我が者顔でのさばっていた。それがある時期から、綺麗サッパリと消え、今では日本のどこへ行っても「トルコ風呂」という看板が見られなくなった。

 誇るべき祖国の名が、こともあろうに風俗の看板に使われるなどもってのほかと、在日トルコ人たちだったか、来日トルコ人だったかの抗議を受け、政府がこれに応じたのだと、そんなふうに記憶している。我慢に我慢を重ねたトルコ国民に何と申し訳ないことをしたことかと、今にして思えば当然の抗議だし、反省すべきはわれわれの無神経さだ。トルコとアホウドリでは、もちろん比較にならない重要度だとしても、こうした抗議によって世間に浸透した名称が変わるという事実に注目したい。

 迅速に対応した政府と、素直に対処した業界と、日本人だってまんざらでないと、こんな事例もあるのだから、アホウドリのことくらいなんとでもなるような気がしてくる。自分がそんな名前で呼ばれていることを知らず、抗議の声だってあげられない鳥だが、人間として黙っていてよいものだろうか。いったい動物や草や木の名前は、誰がどのようにしてつけているのだろう。どうしたって学者先生たちの仕業だという気がするが、人なつこいということさえ我慢ならない愚行に見えたというのだから、アホウドリの名前をつけた学者はよほど人間嫌いの変人だったに違いない。

 こういう先生にかかったら、「手乗り文鳥」とか、ペットとして買われている「豚」たちだって、学名のどこかに「アホウ」の文言を入れずにおれなくなるのだろうか。看板を変えた風俗業者に比べたら、学者先生たちはなまじ知識階級だけに鳥の名称変更には簡単に応じてもらえないという不安が強い。
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探査機「はやぶさ」

2010-06-10 22:47:26 | 随筆
 プラネタリュームへ、家内と一緒に「はやぶさ」の記録(アニメと言うのか、映画というのか)を見に行った。

 予備知識も関心もなく、漫然と、多少面倒な思いで、妻につき合った。しかし、何ということ。感動してしまった。
はやぶさは片道20億キロの旅をして、直径わずか500メートルの小惑星「イトカワ」に到着し、小石を採取して7年ぶりに帰ってくる。4年で終わる予定だったものが、エンジンその他のトラブルで、3年遅れの帰還になるという。

 途中で何度も音信が長く途絶えたのに、懸命の捜索で通信が再開し、それこそ満身創痍の状態で地球へ戻ってくる。到着は、6月13日の夜間だ。機械だというのに、まるで心があるもののように、懸命に役目を遂行する姿に目頭が熱くなった。

  がんばれ「はやぶさ」。がんばれ「日本の技術者たち」。

 だから、どうしても、「はやぶさ」について書きたくなった。そして、この感動のドラマに誘ってくれた妻に感謝する。たまには自分も、素直に礼を言う時だってあるということか。

 これも、「はやぶさ」のお陰だ。
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美しい庭

2010-06-01 13:24:24 | 随筆
 草花も手をかけると、その何日か後、あるいは何ヶ月後かに必ず反応を見せてくれる。

 しおれていた葉が緑を甦らせ、小さな芽をつけたりすると、自然の妙に感嘆させられ、不思議な充実感を味わう。季節の変わり目に土を入れ、肥料をやり雑草を抜き、余分な枝を払い、風通しを良くしてやると、見慣れた庭が爽やかに変貌する。破れかけた麦ワラ帽やあちこち草のシミのついたズボンなど、みっともない姿も気にならず、流れる汗すら心地よく、一杯のコップの水がしみじみと美味い。すべて、庭仕事の醍醐味といったところだ。

 昨年の暮れ、スッカリ地肌をさらした冬の庭に家内と二人で、買って来た土と肥料を加え、枯れ残っていた葉をかき集め、気合いを入れて春の準備をした。参考書を読みながら、いつもはやらない虫除けの薬の散布を、種類を変えて二度もやった。というのも、我が家の庭は毎年虫どもに葉を無惨に食われ、梅雨入り前には白っぽいカビにやられ、枯れたり腐ったり情けない姿と成り果てるため、なんとか「ちゃんとした庭」にしたいと工夫をしたのだ。おかげで今年は例年になく庭が綺麗だ。アイスバーグ、カクテル、ロココ、マダムハーデイーなど、赤や白や淡いピンクのバラが柔らかな花弁を開き、気持ちを和ませてくれる。玄関のツルバラとミニバラ(4種類あるが名前がおぼえられない)も、たくさん莟をふくらませている。すべてが年末の準備(夫婦で力を合わせた家庭円満の幸せな労働)の賜物だ。


 家を買い転居して来た当初は庭と虫の親密な関係を知らなかったので、蝉やカミキリムシや黄金虫がいても気にならになかった。名前が分からないため、家内と二人で「みどり虫」「オレンジ虫」と勝手に呼んでいる小さな虫が、春先の庭を飛び交う様は季節を告げる愛らしさとみえた。しかるに庭を丹精するようになって以来、虫はすべて退治すべき害虫になった。ちゃんとした庭を維持するには、日々が植物の病気や虫との闘いだったのだ。

 虫は卵を葉に産みつけ、かえった幼虫がその葉を食べ、花も木も台無しにしてしまう。土にもぐった幼虫は、おとなしく静かにしていると思っていたのに、大事な根を食い荒らし植物を涸らす作業をしていたのだ。三年前だったろうか、綺麗なブルーの羽に白い胡麻斑のカミキリのつがいがイチジクにとまっていた。つかまえず放置していたら、幹に卵を産みつけ、その幼虫たちが幹と枝を穴だらけにし、甘い実をつける立派な木をボロボロにしてしまった。道具がないため手でつかまえるのだから、背伸びしても届かない高さに逃げられると、憎っくき虫どもが下へ来るまで根気よく待つしかないが、虫と名のつくものはミツバチ以外は見つけ次第捕まえ殺している。

 最近は毎年春になると、家内と近くのバラ園に行くことにしている。赤青黄と色とりどりのバラが咲き乱れ、目に鮮やかな美しさにいつも言葉を失う。「こんなに沢山バラがあるのに、虫食いの葉もなく、病気の花もない。どんな手入れをしたらこうなるのだ」と、小さな庭で虫との闘いに明け暮れる私は、行くたびに同じ疑問を抱いて帰った。なんとその疑問が、去年の春に突然解けた。花に潜り込んだミツバチが、そのままの姿で死んでいるのを見たからだ。

 つまり、ゴルフ場のあの美しい芝生と同じことで、バラ園の「美しい庭」には大量の農薬が絶え間なく散布れされているということだった。しかも人間にも無害と言う訳でないと思われる、親指ほどもあるミツバチが一気に死んでしまうほどの強い薬だった。私が家で使っているのは、化学薬品でなく天然素材とでも言えばいいのか、木酢と唐辛子エキスの液体である。市販の薬品も持っているが、使うのは月に一度あるかないか、それだって何十倍にも薄め使っているのだから、虫もたいして死にはしない。薬をかけられた我が家の虫は、死んだ振りをしジッとしているが、暫くすると逃げ出してしまう。

 けれども、バラ園の蜂が教えてくれた「美しい庭」のための、かくも残酷で、確実で、有害な手入れの方法。花木の美しさを楽しむための、大きな犠牲。
害虫と言い雑草といい、われわれは懸命に退治しているが、虫の方からすれば、ただ生きているだけの話で、害虫呼ばわりは迷惑なことだろうし、雑草に言わせれば、人間が勝手にそう呼んでいるだけで、間違いなしのレッキとした自然界の一員だ。

 さりとて私は、生真面目な環境保護団体の会員みたいに、バラ園を非難したり、化学薬品の追放を叫んだり、虫を殺す自分を責めたり、そんなことはしない。良いも悪いもこれが現実、と肯定し、諦観し、目を閉じて深呼吸する。そしてやっぱり、明日もあさっても庭の手入れを楽しむ。そうでなければ、人間なんて、とてもやってられない。どこかの国の哲学者みたいに、「人間の生きていること自体が悪である」と、そんな情けない結論を得て人間を呪うなど、まっぴらご免である。

 虫や雑草が勝手気ままに生きているように、人間も勝手気ままに生きて何が悪いのだろう。それで地球が駄目になるというのなら、一蓮托生地球とともに人間も当然滅びると、覚悟しておけば良い。たかが「美しい庭」のための管理につき、ここまで大上段に構えるのかと、自分でも苦笑するが、なぜかいつもこんな調子になってしまう。

 これが私の妙な癖なのか、少し曲がった根性のせいか、いずれにしろそんなところだろうから、本日はこれまで。
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