そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

空虚の一言に尽きる70年談話

2015-08-14 | 安倍晋三
今日もったいぶらせながら安倍晋三の、戦後70年談話が出た。この談話の文言だけ、字面だけを見ていると通りの良い言葉と、自らがこれまで述べてきたことへの批判勢力を気にした、総花的な修飾字句で盛りだくさんである。
歴史認識を、これまでの談話からさらに遡り、明治初期まで拡大することによって、日本の侵略行為そのものを希薄にさせようという意図がありありである。欧米列強の植民地政策に対する日本の行為を暗に示すことで、謝罪の文言を希薄化させようというのである。その上で、侵略の定義を歴史家の議論に委ねるというのであるが、それまでは日本の悔いは侵略と呼ばないというつもりのようである。これだけの時間が流れたのに、後年の学者の判断を持つというのである。
安保法案(戦争法)が、憲法学者の95%が違憲状態と現在判断しているが、侵略の定義についても同様に、学者の主張には聞く耳を持たないというのである。
NHKが40分もかけて、安倍晋三に好きなように語らせ、突っ込んだ質問や中身のある質問も指摘もしなかったのは、ただただあきれるばかりである。

今日の談話で最も間違っているのは、日本は経済的行き詰まりを武力による打開を試みたというのであるが、これは事実を捻じ曲げるものである。日本の、とりわけ昭和初期が異常だったのは、軍部の台頭である。特にロンドン軍縮条約を締結した、濱口内閣を攻撃し首相の濱口雄幸が狙撃され、軍部は政治による”統帥権の干犯”を激しく非難し、軍事支配が進んだことが最も大きな開戦へと向かう原因である。”統帥権の干犯”とは、天皇が有する陸海軍の統帥権を、政治家が犯しているというのである。
それはまるで現在の安倍内閣にも重ね合わせることが出来る。現代は統帥権の干犯ではなく、それが”集団的自衛権行使容認”に取って代わったのである。日本を守るためなら(憲法で禁止しる軍事的にである)、一般法はもちろん憲法すら解釈を変えて、軍事整備をやるというのである。昭和初期と同じ構造と言える。

子や孫に謝罪を受け継がせないと言いながら、痛切な反省の歴史的事実は忘れてはならないというのは、明らかな矛盾である。謝罪と言いう言葉を繰り返しながらも軽いのは、全体がこうした認識に覆われ、他人事のように話されているからである。
安倍晋三はこれまで、現実の取り組んでいる政策とは全く異なる表現を続けてきた。武器輸出を、防衛整備品の移転と言い換える、世界のどこにでも出かける軍事態勢をアメリカと組むことを、積極的平和主義とか平和維持法などと、レッテルを貼り事実を隠ぺいするのである。福島原発の放射能はコントロールされていると言ったのは、恥ずかしい限りである。
原発をベースロード電源と呼び、地震すらほとんどない国々と比較する無意味さを、世界で一番厳し玄原発稼働基準などと呼んだりする。枚挙にいとまがない。
言葉だけを飾り、現実の行動は全く反対のことをやっている。こうした現実を覆い隠そうとする文言を並べてみても、安倍晋三の虚言としか言いようがない。被ばく者に対して黙祷すらすることのない不誠実さを、私たちは安倍晋三の中に見ている。長かっただけで、彼は本心を覆い隠した、空虚な談話であると言える。


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