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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

「市場性はないが末端は求めている」全く異なる豚肉、牛肉研究会で同じ言葉を聞いた

2025-07-12 | 農業と食

畜産と言われる、鶏、豚、牛はヒトが食べることのできない草や余剰農産物などを通じて、ヒトが食べられる肉や乳や卵を生産する産業である。
ところがこの半世紀ほど、アメリカ穀物メジャーが家畜に穀物を給与する技術(といえるかどうか不明だが)を開発した。そのことによって、畜産経営者は餌を作らなくても済む、大量の家畜を集約的に飼うことができる、高生産を家畜に強制することができる。個体の管理などロクにできないし、1頭の価値が極端に落ちることもあって、観察も治療もままならない。
家畜に大量の穀物を与えるためには、穀物は安価でなければならない。安価であるためなら、遺伝子組み換えや農薬でも肥料でも除草剤でも何でも使う。家畜用穀物には肥培管理の制限などはないことが多く、表示義務さえないのが通常である。
巨大化した、養鶏や養豚や酪農や肉牛の畜産農家は、大量の穀物を与えるために、巨大な施設を建設するために、膨大な資金が必要になる。本来農業が持っている、ゼロエミッション即ち太陽光による光合成によって得られた収穫を市場に出す仕事である。資金も資源もほとんどないのが農業の本質である。
ところがこの近代化された巨大な経営形態は、膨大な外部資本と外部資源によって成り立っている。ロシアの穀倉地ウクライナ侵略にコロナ蔓延に円安に天候不順と一気に訪れ、こうした巨大畜産経営農家が真っ先に被害にあった。
穀物は高騰したが20~30%であったが、化学肥料はそれに増して2倍3倍と手も付けられないほど高くなった。おまけに電気代も水道代も高騰する。
しかし、こうした工業型畜産の本質は環境破壊であり、食料問題なのである。上の図は、農地が直接人のためのものは36%でしかない。残りはほぼ全て家畜用の飼料栽培をしているのである。多くは巨大な農地であり、アメリカの後を追ってブラジルがアマゾン流域を切り拓いて、中国などに飼料を販売している。
ヒトと競合する穀物を家畜に投与して、家畜の生理に反した穀物は、高カロリーなので高生産にはなるが、個体への負荷は極めて大きく若くして淘汰される。
このような不健全な飼養管理に抗して、家畜の生理にあったストレスのかからない飼い方をしている畜産農家の話をオンラインで聞いた。異なる会であったが、多くの畜産農家は他の二機と同じに扱われる不満から、生産者自らお得意先を確保しているのである。そしてその畜産農家は奇しくも同じことを言った。「市場性はないが、末端(消費者)は求めている」だから売りに歩くというのであった。
下の絵は放牧している採卵鶏の精悍な姿である。断嘴もしていない眼光の鋭さを実感を見てもらいたい。ケージ飼など閉じ込められた鶏にこんなのはいない。

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農家に農業災害保障法で所得保障させ、備蓄米を籾殻で農家に1割保存させれば食料安全保障となる

2025-06-25 | 農業と食

小沢一郎(どうも好きになれない男ではあるが)の提案が具体的で面白い。農民からや研究者からの支援も高いようである。上記ユーチューブの後半11分ほどからの提案である。
現在の備蓄米は100万トンと決められている。毎年20万トンを備蓄して古いものから放出していた。多くは不味くなるので煎餅など加工用に充てられる。家畜に食わすのは、ニワトリくらいで牛や豚には合わない。保存が精米で行われているからである。
小沢一郎の提案は、籾殻で農家に残させればいいというのである。籾殻で農家に保存させれば、30年程度は可能である。籾殻なら種に使うこともできる。
農家は一定量を回しながら、つまり種として使わせることで農家にはそれほどの負担もなく保存できる。日本各地に一定量をで分散した形で、しかも柔軟な対応をしながら保存できる。特定の指名された保管所より余程カネもかからずに安全に保存される。少なくとも地方自治体に管理させるだけでも、災害が起きた時の相互扶助にもなる。
農家に生産量の備蓄米を一割程度を義務化すれば、700万トンも保存可能である。現在の備蓄米の7倍の量にもなる。しかしそれでも世界では多い方とは言えない。
それと併せて、農家への価格補償が私大の課題である。戦後間もなく農家保護のために作られた、農業災害補償法と言う制度がある。コメは長年加入必至であった。農業共済制度としてコメ農家を守ってきた。その後家畜を含めてほとんどの作物が対象になっている。
一種の保険制度であるが、冷害などを対象にした保険制度である。この農家が受ける被害の認定を変えることで、十分な所得補償制度になる。民主党政権下で検討され、下野して実行できなかった対策である。安倍晋三は民主党が進めてきたことは、味噌も糞も全て葬り去った。
今一度、農家所得の補償手段として、農協災害舗装法を見直してみてはどうかと思う。長年籍を置いていたものとして痛切に思う次第である。
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備蓄米を無限に放出に歓喜するメディア、安くすることが減産に繋がることを想起せよ

2025-06-04 | 農業と食

備蓄米は、『大凶作の時お米を供給できるよう、1995年からは、法律により、国によるお米の備蓄を制度化しました 』と、農水省ホームページにある。 備蓄米は100トンあり、何もなければ毎年20トンずつつ放出することになる。
今回無限に放出するのは異例である。そもそも無限にはないが、大臣の判断だからそれは可能であろうが、当然責任は伴う。目先のパフォーマンスばかりは、小泉親子は似たようなものである。
随意契約はやればできるであろうが、本来は競争入札が原則である。随意契約とは、発注者が契約先を任意に決めることができる仕組みであり、価格設定も発注者がすることになっている。不正が生じやすいのであまりやられない。透明性が求められる。随意契約に踏み切った理由と透明性が開示されなければならない。
前農水大臣が行った備蓄米の競争入札であるが、小泉の行った随意契約より5割も高い(3,000円→2,000円)。この人たちは備蓄米を売れずに困っている。思い付き政策の犠牲者ともいえる。
減反政策を止めると安倍晋三は言ってはみたが、現実には姿かたちを変え、人口減を理由に形を変え延長されている。コメ以外の作物などでも、生産調整は頻繁に行われている。金(奨励金や補助金)で農家ををぶら下げて、増やせ・減らせとまったく芸のない農業政策である。
コメの生産量が需要に追い付いていけない現状や、流通業者がため込んでいるはずだという理由も、結局は農水省が現状を把握していなかったことが解ってきた。
今回の小泉進次郎の備蓄米放出の随意契約のドンちゃん騒ぎは、こうしたこれまでの政府の失政を覆い隠すものである。しかも殆どカネがかからない。
小売価格を安くすることが、コメ不足即ち減産に結び付くことを小泉はしているのか。コメ作り農民は自給10円で消滅寸前である。コメは輸入しないと豪語した自民党農政のなれの果てである。それは見せかけだけの自由競争ということで、実際は生産者価格を抑制するものであった。
今回コメの生産量そのものが足りていないことが判明した。しかも国は生産量すら知らなかったのである。主食の実態も知らずに店頭価格だけを、下げようというのである。
今こそ増産が求められるが、価格を下げて増産が起きるとは思えない。小泉にように、市場価格を下げるなら生産者の意欲が損なわれるばかりである。兎に角やることがチグハグである。これは今までそうであったように、NO政と言われるように同じことの繰り返しである。とくに今は酷い。財政出動せずに、あるものを小手先でちょいと動かすだけでは、農家は干上がるばかりである。
国内の食料自給率を高めるためには、農家に所得補償をする以外に方法がない。
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備蓄米放出は問題かくし、つまり政府の失政の埋め合わせのために、備蓄されていたものだったのか

2025-06-03 | 農業と食

備蓄米は、『大凶作の時お米を供給できるよう、1995年からは、法律により、国によるお米の備蓄を制度化しました 』と、農水省ホームページにある。量は100万トンとなっている。毎年20万トンずつ保管し、5年たったものを同量放出するというシステムである。
小泉進次郎農水大臣は、随意契約によって備蓄米を、無限に放出すると述べている。無限にはないものを、スピーディーに市場に出すとのことであるが、目的は市場価格を下げることである。そもそも、放出が備蓄米の目的と異なる。
「主食のコメが倍になったのであるから、政治が介入するべきと考えた」と、備蓄米を放出の理由を説明する。
備蓄米を全部出し終わった頃には、新米が市場に出てきて、元の価格に戻る。備蓄米に価格競争に負けたコメも、元の価格で出てくるだろう。
そしてその頃は、た法律により決められた備蓄米はカラッポになっている。それでいいのか。
政府が言い続けていた流通の問題はほとんどなかったといえるし、コメは足りているという根拠をも国は持ち合わせていなかったのである。つまり農水省は国内の主食のコメを、生産量も流通も把握していなかったのである。こうした政府の怠慢を備蓄米の放出で覆い隠してしまった感がある。
しかも劇場型の小泉進次郎を当てがったことを、マスコミはさもコメ価格を下げてくれたと賞賛の報道を絶え間なく流す。
だが農水省は備蓄米を、無制限に放出することで市場価格が下がったなら、流通業者のみならず生産者の手取りを下げることになる。コメが足らないなら、増産を奨励するべきである。増産を奨励するなら、市場価格を上げることこそが、最も確実で効果のある政策である。
備蓄米で市場価格を下げると増産どころか、減産奨励政策になる。日本の農政では見慣れた光景である。一定方向を向けた政策ではなく、場当たり的な右往左往政策である。
流通の問題も、これまで多くの農家は農協に出していたが、高く買ってくれる流通業者や直接販売に多くの農家が転換したことから、市場価格が上がった感がある。
現在小泉進次郎のしていることは、財政出動を全くやらない美味しいとこどりの、収穫前の参議院選挙向けのパフォーマンスでしかない。
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「私たちに残された時間は多くない」コメは足りていないことを日本政府は知らないのである

2025-05-30 | 農業と食

都会の方々はあまり深刻に食料危機を感じていないようである。「私たちに残された時間は多くない 」とは東大名誉教授の鈴木宣弘先生の言葉である。人口が減少してゆく農村、高齢化が進行してゆく農村、無機質な巨大な施設が並ぶ農村を見ていると、食料の確保や地方の衰退を見ていると、もうすでに遅いのではないかと思われたりする。
先日見覚えのある農民の爺様たちの団体に出会った。尋ねると、「老人会の帰りで、皆で英気を養っている」と言うのである。雑談の中で、人が少なくなった話を向けてみたら、営農しているのは「俺の地区は終戦直後は32戸あったが今は3戸だ」と言うのである。
半数まではまだ健全な経営を残った農家が取り組んでいたが、その後は規模拡大を重ねて、膨大な資本を資金が求められ、従業員を抱えるような、かつてない光景が出現するようになった。
そして現在、ウクライナ・コロナ以降、大規模な農家は苦悶している。負債を抱え経営も円安で倍化した機械や設備と、膨大な電力や水道代それに人件費に苦悶する。
その一方、自己資金を家族型農業を変えず規模も同じ農家が、健全な経営をやっている。そして健全な農産物を生産し、環境への負荷もほとんどせず生き残っている。
そして、典型的な4K職業を若者は敬遠する。規模とは余り関係なく、後継者は少ない。
鈴木宣弘先生は、日本の食料自給率は、種や肥料の自給率の低さも考慮すると「実質10%程度」という状況と説明する。(下表参照9.2%となっている)しかしそれに人的資源を加案すると、もっと低く見るべきでもある。「私たちに残された時間は多くない」は脅しなどではない。コメは足りている、不足などしていないという言い続ける国は、正確な生産量も流通機構すら把握していないことが解った。コメは足りていないのである。
令和のコメ騒動はその象徴、長年の農業政策への無関心の結果といえる。備蓄米を随意契約で放出しても、農家の手取りが増えるわけでもない。価格が下がっても、一時のものでしかない。来年一気に増産などできるわけもない。先物買いが進んでいる現在もっと高くなる可能性すらある。
そもそも、生産を促すには、コメの価格を上げるしかない。正確に言えば農家の手取りを増やすしかないのに、小泉の御坊ちゃまがやっていることは、価格を下げることである。
農家に価格補償若しくは生産費の保障をしなければならない。つまり財政出動は避けられない。古米を吐き出して安くするするなどは、郵政の民営化で地方を疲弊させた総理の息子が考えるせいぜいの、浅薄対策でしかない。
自動車などの工業製品の輸出を進めるために農業分野を差し出す、「生贄政策」のもとで日本農業は破壊され続け、主食のコメさえ供給不足となる危機的状況になったが、それでも出す政策は目の前のコメを安くする、今だけの目くらましである。しかも、農水大臣はパフォーマンスをマスメディアに取材させる劇場型でご満悦である。
 備蓄米が僅か3か月程度であることも恥じるべきである。それに購入業者は、備蓄米は買い戻さなければならないのである。備蓄米の総量を少なくとも現在の倍にはして、保管をせいぜい2年程度にすべきである。それ以上の余った備蓄米は、古古古米を国内処理するのではなく、世界中の飢えている人たちへと回せば、感謝を貰い感謝され済むことである。
”あきたこまち”が乗っ取られてしまっている。秋田県が供給する種もみが今年から、ほぼ全量「あきたこまちR」に切り替わってしまった。 特許を持った種子として、農民は自由に作付けは出来なくなっている。日本の農業は種子を乗っ取られ始めている。こうしたことに対策するのが、農水省の日本の食を守る仕事であり、自給を高めることになる。
ノーテンキに、「古古米も味は変わらない、旨いねー」などと言っている場合などでないのである。









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食料自給をカロリー計算から金銭計算すればよいという食料知らずの評論家

2025-05-29 | 農業と食

この表は東京大学の鈴木宣弘先生が作成された、この半世紀で大きく変わった日本を象徴する表である。
1970年の日本の予算(一般会計)は79,497億円であるが、2023年では、1,143,812億円で、14.4倍になっている。この同じ期間農水省予算は、9,177億円から209,937億円と2.3倍になっただけである。ところが防衛予算は、5,695億円から101,681億円と17.9倍にもなっている。
国家予算に占める割合も、農水予算は11.54%から僅か1.83%に減じているが、国防費は7.16%から8.87%に膨らんでいる。
国家予算が14.4倍になる中農水予算はほぼ7分の一に減額されている。197年に比べ、単純計算で農水予算は16.0%に減額する一方、国防予算は124.3%に増高している。
しかも、この間農村にい続けたものとして、農業予算が農業に使われていない現場をいやというほど見てきている。とくに土木事業で農家が栄える、食料生産が伸びると思っているのかと思われるような事業ばかりである。道路が良くなる、上水道がセイブされる、立派な公会堂や集会場が建設される。それもいいだろうが、農業予算を当てるのはいかにも奇異である。
その結果地方の集落は栄えるが、農村は疲弊し高齢化社会となる。それが進むと地方都市は大きくなるが、周辺農村は見事に減少するのであるが、現在はその地方の中核都市でさえ疲弊し始めている。それを促進したのは、減反政策である。稲作に限らず、生産がだぶつくと金を出してブレーキをかける。こうした政策は、農家の生産意欲や勤労意欲を大いに削いできた。
殆んどの先進諸国が取り組んでいる、農家の所得補償政策に政権与党の自民党は無関心あるいは無知であった。農家の所億補償は、農家にだけ支払われるものではない。生産者の農業生産意欲を与え、消費者に安価な安定した食料を届ける(両者に市場性を持たせないデカップリング)作用を持つ。こうして先進国の農家の所得は、国家予算に大きく支えられているのである。しかも多くは農家への直接支払いとなり、日本のように周辺産業が喜ぶものではない。
国防を軍事に特化して取り組んできた防衛予算は、食料について全く考慮してこなかった現実を洗い出してくれた。

コメ不足を見て農水省は増産に取り組むというのであるが、相も変わらずカネで生産量を調整しようというのである。それは、ブランド米など付加価値をつけて海外に売り込もうという政策に見て取れる。食料自給率をカネで評価しようと言うのであろう。
どうしてもっと農家に自由に作付けさせないのだろう。補助金外の農家の成績こそが優れている場合は少なくない。それに食品への安全性についても、そうした農家の方が意識が高い。
大型農家は、経営と生産量にしか興味がなく、補助金を巧みに利用したり、農薬などを大量に使用する。環境の悪化や自然保護や地域振興などには疎い。
中国は自給率が80%を切ったと農業政策の大転換をしてきた。中央平原地区を有機の稲作地域に大転換するというのである。その一方で、テレビの大食い競争など食料を粗末に扱う番組を禁止している。
国家体制の問題ではなく、国家の目指すところやあるべき姿を、今回のコメ騒動が今起きたのではなく、長年の農業政策の結果であることを深く考える国家になってもらいたいものである。食糧の自給を軍事に優先する国家でありたい。

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コメは高騰などしていない、農業政策に価格補償とデカップリングが求められる

2025-05-26 | 農業と食

コメは高騰などしていない。30年前の価格の戻ったに過ぎない。(上図参照)仕入れ価格に利益を上乗せした備蓄米を、いくら大量に吐き出してもコメ価格に大きな変動があるわけではない。国が儲かるだけである。
小泉進次郎農林水産大臣が就任早々活動し、「備蓄米を5キログラム2000円で無制限に放出するのだ」と、威勢のいいことを述べている。日本の備蓄米の思想も現状も知らないばかりか、経済原則すら知らない無知の発言である。
日本農政は主食であるコメをいいだけいたぶってきたが、備蓄米と言ってもせいぜい3カ月程度分しかない。小泉進次郎が言うように無限にはないし、2000円で放出しても、市場価格を下げられたら4000円でもやっと黒字の農家を圧迫するだけである。通常の国家は穀物の備蓄は年単位の量をするものである。
多くの国が取り組んでいる価格補償やデカップリング(市場価格と生産費を連動させない)を導入したこなかった日本農政の大きな過ちが、ここに噴出してきているのである。農家に市場価格を押し付け、負担させてきたことが担い手の減少なり、大型化による農薬漬けのコメを積極的に作らせてきたのである。
2,3次産業と肩を並べる経済成長を見込んだ1961年の農業基本法に始まる、食料を価格と生産量で仕切ってきたことこそ大きな問題である。そしてその10年後の1971年に始まる減反政策は、農政の迷走の象徴である。世界的に類例のない減反政策、食料を作らなければ金を出すという、政策こそ農民の心を廃らせたといえる。
100年の計どころか、2年ほどの計の行き当たりばったりであるが、結局自民党農政が進めた農業生産を放棄する政策だけは、粛々と進められてきた格好である。あるいは、自動車などの工業製品の輸出奨励の人身御供として農業を差し出し、位置付けてきたからに他ならない。
小泉も石破茂も、問題を流通に限定した、誰かが”ビチク”しているに違いないという悪人探しの見込み対策では、一時の多少の価格の下落はあっても、元に戻ることになる。
「食料を自給できない国家は国家でない」とは、フランス大統領ドゴールの言葉である。
小泉の主張する随意契約は業者の選定に行政による恣意性が介在することを意味し、随意契約の特殊性の意味づけがされなければならない。競争入札が原則であって、随意契約は例外的措置であることを小泉は理解しているかどうか極めて疑問である。
仮に意味付けがなされたとしても、隋契約者がいくらで販売するかを、規制できるわけがない。それでも仮に備蓄米だけが下がったとして、圧倒的に大きい市場価格全体を下げる作用を持てるわけがない。
つまり、小泉の「備蓄米5キログラム2000円」という提案は、絵に描いた餅ならぬ、円書いたコメでしかない。
そこで多分登場するのが、安価なコメの輸入になると予想される。これこそ農家を潰し、食料は海外に依存するとする、政府の長年の意図が達成されることになる。
食料を海外に依存することは、国家の崩壊につながるが、食糧の自給こそが国家の存続を支えるものである。国の安全保障を軍事力だけに特化して進めてきたこの国の政策の破たんである。
この50年間で、日本は農業予算を国家予算が14倍になる中僅かに2.3倍いなったに過ぎず、実質7分の一に減額されてきた。国防費は27.2倍になって実質2.5倍にもなっているが、更に倍増されるのである。
こうしたことを考慮するなら、戦闘機を数機購入を放棄してコメ価格を支えれば、十分事足りることである。安全保障として食料を考えれば財源論も吹けば飛ぶものとなる。先進国はどこも
小泉親子が大好きな劇場的政策には、破たんが待っているというものである。

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教育も農業も外形だけを作り上げる日本の政治の貧困が作り上げた虚構である

2025-05-19 | 農業と食

本ブログでは教育についてほとんど触れてこなかった。私には自信がないからであるが、満足しているわけではない。
アフガニスタンの子供たちに何が欲しいかと聞くと、ほぼ全員が「学校」と答える。学校に行って、「勉強したい」「遊びたい」「友達を作りたい」等、子どもたちは、嬉々として輝く目で答える。
ところが、立派な建物の学校がそろっている日本では、登校拒否の子供のが34万人以上もいるのである。
上記の記事は、元文科省次官の前川喜平氏の、東京新聞のコラムである。ユニセフの調査で日本の子供の精神的幸福度は、36カ国中32位という低さであるという。高校生以下の自殺者数が529人で、この10年で1.6倍になったとのことである。その一方、日本の子供の身体的健康は一位であるにも拘らず、病気による長期欠席者が10万6千人にもなるとのことである。何ともチグハグである。
この教育政策の歪さは農業も同じで、日本の政治は金で操るか、土木事業で「周辺整備事業」などと言う周辺事業ばかりが肥大する。道路を立派にし水道を引いて、最新の農機具に補助金を出す、畜産なら畜舎を立派にさせるなどである。
GDP比でOECDで最低の日本の教育費である。その教育予算とは、学舎など土木事業や送り迎えのスクールバスなどが立派になるばかりである。教員の数はも給与も上がらない。取り組むべき課題ばかりが増え、クラブ活動さえ教師が見ることができなくなっている。
農業も周辺企業の土建屋や建築業に機械屋さんが儲かるばかりである。酪農最新機器の搾乳ロボットは、3千万円以上で半額補助でも電気代が一月100万円も食う代物である。しかも5年も持たない。
教育とはという論議が行われず、自然循環の中からおこぼれを頂く農業の本質も論議もされない。
日本の政治は外見ばかりを整える、机上論議しかやらずに来たことが、教育の荒廃や食料の放棄へとつながったのである。
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コメだけ騒ぐ人々、一次産業’(農業、漁業、林業、鉱業など)を切り捨ててきたこの国の農政の結果である

2025-05-11 | 農業と食
コメだけ騒ぐ人々はコメの消費者価格が高止まりして、連日のようにワイドシショーでは大騒ぎである。事は1961年の農業基本法に始まる。
農業を踏み台に二、三次産業を、経済成長の名の元強力に新興させたおかげである。農業の選択的拡大は、農村からの人口流出と三ちゃん(爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃん)農業の出現になった。政策的なコメ離れも大きいが、需要の減少を減反政策を打ち出して、その流は今も変わらない。
減反政策は日本の勤勉な農民に、生産を止めれば金を出すという政策は、農民の心を大きく変えてしまった。多くの高齢農民は怠惰に金を出すことに、大きな抵抗感を抱いた。政策の内容よりこうした方針は、農民の心に大きな傷を残した。
日本の農業政策は、陰田に生産調整という名を用いて、補助金と言う金のばら撒きで行っている。農業はどのようなものでも、水道の蛇口の開閉のように生産調整などできるはずもない。
世界のほとんどの国では、農民の生産スタイルの注文を付けることはなく、市場の価格調整と生産者の所得補償を行っている。生産物の余剰があれば買い取り、それを供給する途上国は無数にあるし、備蓄として保管することもできる。
因みに、食料自給率を切った中国では、備蓄穀物を1年は法うしている。今回のコメ騒動で政府は僅かに2カ月分しか保有していないことが明らかになった。市場価格の調整にチビチビ出したところで、しかも殆どがJAに流しているようでは市場は動くわけない。
日本は車を売り込むため、輸出奨励金を消費税を巧みに使うなどして奨励し、その収支を埋めるため、穀物を輸入するシステムを50年前に導入した。とりわけ家畜飼料穀物を無関税にしてまで、アメリカに阿ったのである。
時には豚肉やオレンジを差し出して、日本の農業は衰退の一途を辿り、農村は疲弊していくのです。
商工業は金銭による対価を求めることが可能であるが、一般農業生産は生産量で評価されるが、僅かな生産増しか見込めない。規模拡大すれば、機械業者と肥料業者と建築業者に支払いが増えるばかりで、実質的な手取りはほとんど伸びることがない。
こうして若者が農村を離れていくのである。(上図と下図参照)
大規模化すれば、、周辺企業が大きくなるばかりで、農業の衰退を促進させるばかりとなる。
コメの価格は下落しこの20年で農家の手取りは半額になっている。コメのキロ当たりの生産費用はフランスとほぼ同額である。フランスでは農家には価格補償をしている、これは消費者に対する価格補償でもある。コロナ以降農家🅆支えるほとんどの危機が倍増しているが、このことが自給10円(東大の鈴木宣弘先生)と言う現実に喘いでいるのである。



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海洋国日本の漁民が激減している

2025-04-25 | 農業と食
四方を海に囲まれた海洋国日本の漁民が激減している。減ってはいるだろうと感じてはいたが、圧倒的な沿岸漁民はそれ程でもないと思っていた。
上の表はコロナ禍が起きるまでの30年の推移である。沿岸漁師は41%に、中小企業の漁業会社は50%に、大規模会社は減少し25%となっている。漁業支援政策は、沿岸漁民のために港湾の整備や製氷施設などがあるが、出たとこ勝負の感が強い漁師に対する支援はほとんどないと言って良い。
国民の魚離れも大きい。30年前の40%程度にまで減少している。若い世代が魚を料理することがなくなってきた。肉は好んで食べるが、魚は調理までして食べないというのである。
それよりなにより、漁業が過酷な労働である。沖に出れば、時間外労働多いと自死する世代には耐えられない厳しい労働である。若者が板子一枚下は地獄というような船に乗る職業を敬遠するのである。
当地の漁師の友人に聞いても、農業と同じように、あるいはそれ以上に次世代が育って行かない。マスコミが好んで取り上げる養殖は、食料として多くの危険があり規模も小さい。
いずれしにしても、政治が一次産業を怠ってきたからの他ならない。自動車を売り込んでGDPを上げるため、この国から一次産業を犠牲にした結果である。その典型が北海道である。農業はが廃れ、林業は無関税の外材に抑え込まれ、鉱業は石炭も金や銅などとり尽くすか放棄され、北海道開発は一体何だったのかと思わせる。
日本の漁業は7万人程度の漁民に支えられているが、いずれも同じ高齢化で後継者も少なく、沿岸の漁師町は衰退の一途を辿っている。農村だけではない、かつて4万6千人いた炭鉱の町歌志内市は後10年で千人になる。各漁村毎にたあったお寺は異宗教を越えて僧侶がいくつも掛け持ちしている。政権に従順な漁民の声は薄い。そのうち日本は遺伝子操作した養殖魚と、ホルモン処理された輸入魚だけいなるかもしれない
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トランプの次の要求は食料を買えと言うことになるのぁ、武器を買えと言うことか

2025-04-15 | 農業と食
トランプが、「日本が本気でアメリカの赤字に協力したいなら農産物を買え」と言いだすに違いない。そして、「軍隊も自分らで持て、米軍は引き上げる」と言いだす可能性がある。日本の事情も世界情勢も理念もないとランプなら言いかねない。食糧の自給も世界の平和も関係ないだろう。
そんなトランプにノコノコ出かけて行って、双方の関税は2019年の日米貿易協定に違反すると主張しても、自らが調印したなどと言っても通じるトランプではないだろう。
日本の食料自給率が低いとか、今日本はコメ不足なのですと言っても、トランプはそれがアメリカの利益になるかならないかとする判断以外しないのではないか。何しろ70カ国以上と交渉しなければならない。それに中国とは深刻なやりとりが待っている。
トランプが日本にだけ、特別優遇を考えているとは思えない。そこで上記のような食料は買え、兵器も買えと言ってくる可能性すらある。自民党政権にはこれらに明確な反論する理論を持ち合わせていない。食料はアメリカなど海外依存に任せ、平和憲法をかなぐり捨ててアメリカ軍を最優遇の地位協定で招き入れたのは自民党政権であるからだ。
これ等の円グラフは金額で表示しているが、トランプはこれ以上買えと平気で言うだろう。食料の多くをアメリカから大量に購入していることが良く解る表である。アメリカの関税交渉は、実質食料自給率10%の日本に、さらに食料生産を抑えろと言うことになるのであろうか


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人間は狂っている、人工肉を培養し食べようというのである

2025-04-05 | 農業と食


動物愛護を前面に出す極めて偏狭な人々、ベーガンを唱える人たちがいる。菜食主義者のベジタリアンどころでなく、肉や魚や乳製品を一切食べないだけでなく、毛皮はもとよりシルクや染料や筆まで対象にして使わないそうである。
それは一向にかまわないが、彼らはお肉は食べたいようであって、大豆などを使った人工肉に止まらず、培養肉の開発にも積極的である。この培養肉(Cultured meat)の安全性など全く前例がないのである。
アニマルウエルフェアー(家畜福祉)の観点から、牛を殺さなくても良いというのであるが、培養肉はもとの細胞は家畜から頂かなければならない。病気の心配や衛生面の配慮もほぼ完璧で安全であるというのである。
しかしこの肉の培養には大きな問題が残されたままである。再生医療の技術で培養するというのであるが、先ずその培養に関わるエネルギーの量と管理に関わる費用などは膨大である。培養には哺乳前の抗体を持たない仔牛の血液が大量に必要になる。費用は天文学的な価格になるが、大量生産すればペイすると専門家は嘯くが、売れる見込みなどなく、市場性など全くないだろう。
仮にコスト面解決されたとしても、全く免疫活動もすることのない細胞は、どのような成長をするのか、どの様な新陳代謝をするのか、どの様な危険性を孕んでいるか全く不明である。
上図はOKシードから失礼したものであるが、細胞の不死化処理を受けた細胞がどの様に、何処まで増殖するかも全く解っていない。生命体の細胞は常に死に常に生き返り均衡しているものである(動的平衡:福岡伸一)。不死化した細胞は個別の栄養の供給を受け成長する。それががん細胞である。
つまり、培養肉は癌化細胞に処理した肉(もどき)を増殖させるのではないか。こうした細胞は極めて高い栄養素要求するものである。ガン末期の方が急速に削痩するのはそうしたことからである。
何より、安全基準もなければ、前例がないためあるいは、この世に存在しなかったため安全の指標もも蹴要もないのである。
現行の衛生面や、ウイルスなどの感染などないということで、安全の保障など設けることもできない代物である。
そんな事より、確かに現在の肉生産は異常である。大量の穀物や大豆を与えて、発病寸前に出荷し肉にする。そして大量の穀物生産は環境破壊に直接つながり、運搬と給与の面で大きく地球温暖化に貢献している。それほどまでにして肉が食いたいなら、問題視したいならそうした活動に目を向けるべきである。
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ラウンドアップ(グリホサート)の捨て場所日本

2025-04-03 | 農業と食

世界中の先進国では、発がん性が立証されバイエル(旧モンサント)のラウンドアップはは奪いさえ禁止されている。日本では一般のお店でラウンドアップは平然と売られている。国の補助や地方自治体の補助もあって行われる草地改良事業にはラウンドアップ必須となっている日本。JAでは販売競争の表彰にラウンドアップ部門があり表彰されている。
3月22日、アメリカのジョージア州の裁判でバイエル(旧モンサント)はモンサントの農薬ラウンドアップの使用によってがんになったと訴えた原告に21億ドル(約315億円)未満を支払うように命じられている。
ラウンドアップについては18万1000件の訴訟が起こされ、バイエルは11万4000件のケースで和解し、7つの裁判で敗れ、その結果、110億ドル(1兆6000億円超)を支払う事態となっている。そして、まだ解決していない訴訟が6万7000件あると見られている。
ほとんどのケースでモンサント・バイエルは不戦敗を選び、これなら勝てると選んで裁判だけを闘っていて、それでも勝てると思った裁判でも7つで負けていて、他の11万以上のケースでは不戦敗を選んでいる。
そこでバイエルが取った措置は、アメリカ各州の司法長官に泣きつくことである。11州の司法長官はEPAが安全と認めた農薬によって健康被害を受けた人たちが裁判に訴えられないようにしようとしている。それらはモンサント保護法案だとして批判を受けており、今後はバイエルを訴えられなくなるかもしれない、という事態になっている。
フランスで妊娠時のグリホサート系農薬の影響によって、生まれてきた息子に食道と喉頭が異常となったケースでの、民事訴訟の最終審理が行われる予定になっているという。(OKフードシード参照)
家庭菜園で使ったために子どもが発がんした、というケースはアメリカでは少なくない。当然、日本でも同様の被害が生じていることは想定できる。でも、日本では今日もラウンドアップやグリホサート系農薬は一般店舗で大セール中、農協は奨励事業とて扱うし、日本は世界で売れなくなったラウンドアップの捨て場になっている。

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農業に無知でありながら応援しようとする人たち、農業の本質や食料の在り方が支援されているわけでもない

2025-03-31 | 農業と食
昨日の「令和の百姓一機」の集会を、多くのメディアはほとんど取り上げすらしていない。取り上げたとしても、コメの値段が備蓄米を放出しても下がらないというものである。日本と言う国の食料事情や現状や農民の姿すら、ほとんどなく詳細な説明もない。
facebook(メタ)では多くの参加者や賛同者の声が寄せられている。ほとんどは好意的なものであるが、中には農政批判を規模拡大や新しい技術投入をせよと叫ぶ者もいる。
即ち、農地を集合させて規模を拡大させ、大型化にすれば一時的な生産は担保できるであろうが、地域の活性は進まない。人を集めてこその活性である。
何より21世紀は、有機農業の時代へそして家族型小農への時代である。そして人口の増加は収まる所がない。食料自給の原則こそが、人口増産御抑制になる。
遺伝子組み換え作物は、コーンと大豆しか進んでいない。しかも目的は農薬耐性しか侵攻することもないし、数年で基本から組み替えなければならない遺伝子組み換え作物である。
スマホやドローンを使った効率的農業にしても、有効に化学肥料の散布などが目的であって、これからの農業の行く先を論じるものでもない。
要するの新技術とは、研究者たちの功績と非農業関係産業の利益のものであって、農家のため、環境に配慮したものでもない。家畜に至ってはAWへの配慮など微塵もない。
日本の農業政策は補助金で農家を指導するが、実態は内容など細かいところは決められて動きがとれず、自前で取り組んだ場合の倍することなど普通にあり、中間業者(土建屋、薬屋、貴会や等)が向かる仕組みになっている。
そのような金の出し方から脱却して、自由の農家が取り組んでそこで生じた不足額を払う、所得補償制度に切り替えるべきである。余剰ならば、買い上げればいい、どの国もそうした補償をしている。要するに自民党農政が、業者向けの政策、結果的にGDPを押し上げるだけの、非効率な反農業政策をやってきたツケの結果といえる。
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農業・食糧を放棄した国よ目を覚ませ!もう遅いけど

2025-03-30 | 農業と食

現在のコメ高は、日本が食料不足に陥る前兆である。日本の百姓潰し、食糧放棄は1961年(昭和36年)の農業基本法にある。日本の経済政策で謳われた高度成長は、二、三次産業でしか起きてはいない。一次産業の放棄はここに始まる。
二、三次産業と同等の収入をとうたわれ、巨大化と単作化が進み、農地は糾合せず、土建屋が喜ぶ整備と灌漑だけが進行した。農産物を人が生きてゆくには欠かせない食料の認識から切り離し、価格と量だけを評価する商品化が進む。
その一方で世紀の誤政策「減反政策」が始めた。この国の人達が勤勉でお互いを助け合う精神は、豊芦原瑞穂の国であることと無関係ではない。勤勉な百姓に、生産しなければ金を出すという、怠慢の奨めともいえる政策をしたことが大きい。
農薬と化学肥料が世界で最も多い農業がこの国に定着し、自然循環の一部を歌抱くという農業の本質を、政策的に放棄してしまった。
農村から農業を奪ったばかりではなく、大量の人々を都会に送り出した。その結果、賃金格差は更に深刻になる。
産業分業論を唱える机上論者たちは、食い物が足りなくなれば海外から買ってくればいいと言い始め、二、三次産業者たちから支持を得て一層その差は激しくなる。食糧の自給と言う、国が最も重点をかなければならない基本方針は放棄されてきた。その後二度の農業基本法改定でも、食料の自給は放棄されたままである。
減反政策に始まる自民党農政は、百姓に生産基準を与えることなく、補助金を農業政策の基本に据え、百姓の手取りや、生産された食料の品質や、農村のことなど全く考慮されないのである。金を出すから田んぼを放棄しろ、金を出すから牛を処分せよというのである。あるいは金を出すから生産をしろ、牛を買えというのである。この補助金は額が少なくても目立つせいか、百姓は過剰保護とデマが流布されてきた。
本来であれば世界各国がやっているように、価格保証をし市場価格との差を埋め合わせするなり、国で買い上げるなりするべきである。量も価格も変動する食料は、多くても少なくても一定量は人間が生きていゆくには欠かすことの出来ないものである。
本日の令和の百姓一揆の報道も弱い。昨日行われた、農民たち、百姓の訴えの報道も極めて少なく、都会の報道者たちは深刻な現実すら知らない。農村の疲弊する姿はもう始まっている。
そもそも自民党政権は農業・食糧を金額でしか考えないから、国内の生産を押さえてでも輸出政策は変えようとしない。コメ不足の一方で、高い金額を張り付けて輸出することに、政策の主眼を置いている。(下の表参照)
東大の鈴木宣弘先生の言うように、「世界で最初に飢える国は日本」はすでに始まっている。

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羅臼港

春誓い羅臼港