市長選挙・市議補欠選挙ではお世話になりました。
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↑各新聞がしんみりした写真を載せていたので、本当はこれです!というのを掲載しておきます。
【市長選】(投票率35.92%)
小田ゆたか 15,269 当
小原 明大 7,361
【市議補選】
黒田はじめ 9,282 当
高見 良一 7,397 当
ほんだ三郎 5,549
私は小田市長の半分もいかなかったわけですが、むしろこういう見方をしたいと思います。
私に投票した方は有権者の9人に1人。
小田市長に投票した方は9人に2人。
あとの6人は、投票を棄権された。
この6人の気持ちをこそ考えたい。
どうすればその人たちの気持ちに沿うことができるか。探求です。
「ひとりもみすてない長岡京」・・・この打ち出し、どうお感じになられたでしょうか。
私たちは、「短期決戦だから、小田市政を解説するのはやめよう。市民のリアルな実態から迫ろう。」と議論しました。
そして「保育所の待機107人、29歳までの完全失業764人、5分の1近くが国保滞納・・・」などと告発しました。
で、それを市長のせいにはしませんでした。
国が悪い。でも、どんなに国政が悪くても、長岡京市民の生活を自ら守るために知恵をつくす市役所を、職員のみなさんと一緒につくりたい。
そう訴えました。
京都新聞は、選挙後の記事で、「対立軸が不透明、争点が分からない」と書きました。
たしかに、小田市政へのダメ出しは少なかったかもしれません。
でもそれを評価する声もありました。「批判から入らず、さわやかな論戦で良かった。」と。
何も相手をこき下ろさなくても、より良い市政のすがたを提案したらよいのです。
でも、「ひとりもみすてない」はすなわち、「今の市政は市民をみすてている」の裏返しです。
数字での告発は、市長には痛かったろうと思います。
それで市長の「保育所の定員増、ケアホーム開設支援」などの言葉を引き出せたのではないかと思います。
また、相手へのダメ出しをしない分、自分がやりたいことを思いっきり言えました。
「ひとりもみすてない」はある意味、日本共産党が何をしたいのかを端的に語る言葉です。
志位さんが参院選の反省で「短い言葉で・・・」と言っていましたが、ひとつの提案ができたのではないかと思います。
ただし、短い言葉で言うのはキャッチフレーズだけで、理念はしっかり話さなければなりません。
それにしては従来の共産党のビラは、候補者の語りがなさすぎます。主語が不明の解説ばっかり。
もっともっと、候補者の思想がわかるような、キャラクターを打ち出したビラにする必要があると思います。
今回は体制があまりに手薄で、ビラの文章はほとんど私が自分で書きました。おかげで言いたいことが全部言え、悔いはありません。
(ビラはこちらで見れます → http://oha.la )
私の政策は、日本共産党が従来からかかげてきたもので、目新しいことはありません。
でもそれを、「なぜ必要なのか、なぜやりたいのか」をしっかり語ることを意識しました。(それも思想ですね。)
単に政策をならべると「あれもやります、これもやります」に聞こえるかもしれませんから、納得してもらいやすい提起になるよう心がけました。
「20年後に75歳以上人口が2倍になる。30歳代人口は6割になる。だからこそ・・・」
・・・これは、党大会決議の「2010年代論」と中山徹先生にインスピレーションを受けて行った一般質問をもとにしています。
この視点は今後も自分の政治活動の中で常に大事にしたいと思います。
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↑演説会はかつてない入りでした。清水ただし・共子さんとのトークもめちゃくちゃ盛り上がりました!
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↑清水ただしさんと、応援演説してくれた大学の先輩の門屋・横山さん。
そして、この選挙で何をかちとったのかです。
まず、小田市長が「水道料金値下げ」を明確に表明しました。
公開討論で、私が何も言わないのに、市長が「水道料金を下げます。」と言ったのです。
そのあと私が「小田市長は15%値上げしましたが、それ以上に下げるんですか?」と一蹴して悪かったですがね(^^;
「阪急長岡天神駅前の送迎広場」という政策も、選挙後の京都新聞で市長が「地権者がどうのこうの・・」と触れたので、ヨッシャ!と思います。
「商工政策が何にもない」という提起に対しても、対策が出てくることを期待します。
小田市長はまじめな人で、共産党の訴えにも耳を貸す人ですから、今度の選挙で市民的に明らかになった市民生活の実態に対して、今後対策を強めてくれるだろうと思います。
もちろん、こちらからどんどん要求していきますが。
市議補選で、議席のバトンタッチができなかったことにも、おわび申し上げます。
ほんださんの魅力をじゅうぶんに伝えることができませんでした。
かならず次の市議選で、失った議席をとりもどします!
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↑議会の控室。私の机は、民主フォーラムの高見氏のところに行ってしまいました。
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↑ほんだ事務所。キッズコーナーがあり、終始子どもだらけだった!
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↑私も負けじと子どもにアタック!
男子高校生にも人気ありました。冗談抜きで「がんばってくださいね!」とか言われたりドキドキ(^^;
議席を取り戻すまでは、私が「バッジのない議員」として、地域の生活相談などをお受けします。
なお、私については、「若い子を路頭に迷わせて!」みたいな声もいただくんですが(^^;、ありがたいことに現在、党に雇用されています。
ご安心ください。(共産党はそういう党です)
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↑イケメン候補者ズ・・・・あ、2人はうそです。ごめんなさい。ツイッター忘年会で。
ツイッターつながりで、カンパや、みごとな米ナスなどの差し入れもいただきました。
この選挙で、府会議員候補を白紙に戻したことについては、有権者のみなさんに深くおわびいたします。
また近いうちに党として候補者を決定しなおして、たたかうことになります。
今回改めて学んだのは、当たり前ですが「気持ちに沿うことの大事さ」です。
支えて下さるみなさん(有権者も、党員も)の気持ちを大事にして、失った信頼を取り戻し、あきらめを期待に変えて、かならず前進して暮らしがよくできるよう、全力でがんばります。
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↑まずはお礼の宣伝から。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
クリックお願いします!→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f3/53096489e9a7def1f7e084b741c9a4cd.png)
これ、前から感じていたんです。
今回は小原さんの人となりがよくわかりました。
「商工政策」については政党信条の立場をこえて、提言が必要です。
僕が起業して、事情あって長岡京市に戻ってきて、再起を図っていますが、単に雇用を増やすだけではパイが広がらないですし、単に寝泊まりするだけで地域のつながりがなくなるのは好ましくないと。
国の起業支援が打ち切りになって大阪では中小企業支援の事務所が縮小になったり、閉鎖になっていますので、チャンスです。起業支援教育と育成を長岡京市で行うことも必要だと思います。
例えば、長岡京市にはポリテクセンター京都があるので、これを起業支援などに使わせてもらうのもいいかと。^^
選挙結果は、残念なのか、どうか、わかりませんが、投票率は残念でした…さて、新聞は投票率について、どのように書いているのでしょうか…ちょっと知りたいな、と思いましたので、調べてみます…たった、36%の投票率で地方自治体の首長が決まる地方自治の現状で、メディアや政治家のいう「地方分権」って、意味があるんだろうか、必要なんだろう という疑問が鎌首をあげつつ…「地方分権」の意義を問うなら、参加意識を挙げなければ、意味がないんじゃないのか、と…もっとも、国政選挙もせいぜい、60%前後を推移して、60%を超えると、投票率が高かったっていうメディアは、その程度の認識で大丈夫なのか、と思います…棄権者が比較第1党であることには、かわりないのです…いっそのこと、登録制にしては、どうなん?あるいは、電子投票も…いろいろ技術的、倫理的な問題はあるにせよ…そうちょっと、思っていただけに
>私は小田市長の半分もいかなかったわけですが、むしろこういう見方をしたいと思います。
>私に投票した方は有権者の9人に1人。
>小田市長に投票した方は9人に2人。
>あとの6人は、投票を棄権された。
>この6人の気持ちをこそ考えたい。
の考えはとても、感銘しました…それを忘れないでください…共産党には、一概に支持できませんが、個人としてなら、小原さんを支持してもいいかな、と思えます…もっとも、私は、大阪市民ですので、小原さんに投票することはできませんが…
熱いHNですね・・・。
日曜は予定で申し訳ないのですが、がんばってますね。あちこちでポスター見かけます。
起業支援・・本市スタッフにそのノウハウが全くないのがネックであります。一方で完全に民間に丸投げするのでは公が設立した意味がありませんし、よそで同じようなことやってるコンサルみたいなのが来ても今一つです。やはり手探りで支援を進めつつ市職員が事業所と仲良くなりコーディネート力をつけることが不可欠と思います。
>sv400s_dracin
ありがとうございます。票を固めて勝てる陣容ではないので、やはりどれだけ期待を持ってもらうか、今すごく難しい情勢ですが、やりぬきたいと思います。期待しようがないという気持ちも、よくわかります。
すごくいいフレーズだと思いました。
その後に提示される「みすてられている人」の数と合わさって、とてもわかりやすいと思いましたよ。
今までの私たち共産党が言う「くらし優先の政治」のようなフレーズよりも心に響くのでは…と選挙結果には期待していました。
それだけに、ダブルスコアの結果には残念な思いです。
多くの長岡京市民はどう感じたのでしょうね?
試しに終わった今からでもアンケートでも取ってみてはいかがでしょうか?
私にとってはわかりやすい。
そのとおりだ!と思えるフレーズ。
でも見ようによっては八方美人というか、「そんなことできるわけないじゃん」って感じるかもしれませんね。
あるいは、あまりいい意味ではなく「正義の味方」っぽい感じというか。
できもしないのにいい子ぶっちゃって、みたいな。
そういう見方をする人もいるかなぁ…どうだろう。
だとしても、それを堂々と掲げていかなければ、共産党の意味はないと思いますけどね!
9人のうち6人が不参加の選挙。
なんとも悲しい現実ですよね。
多くの人に届く言葉、難しいですね。
今の流行は敵を作って攻撃ですから…。
東京、大阪、名古屋に阿久根。
殺伐としてて、気持ちがすさみます。
だからこそ、おっはーさん達が押し出したフレーズはすばらしかったと思います。
次は公約をどう実現していくかですね。
ひとりもみすてない社会を、一緒につくっていきましょうね。
と、言いたいところですが、難しい選挙だったとはいえ結果が出なかったことに対して反省は必要でしょう。
共産党のことについていろいろ書かれていますが、その反証は今回は無しということで選挙戦について思うところを書かせていただきます。
キャッチフレーズについて。
現在、国も地方自治体も借金まみれで景気は一向に上向く様子も無い。新たな産業も無ければ国内需要が広がる見込みも無い。
かといって(失礼ながら)長岡京市には世界に打って出るような産業も無い。
八方塞でこのままジリ貧になっていくのではないかという恐怖感ぐらいは市民に共有されているでしょう。
国政において敵方はこの恐怖感に付け込み、痛みの向こうにバラ色の世界が広がるという陳腐な嘘をつきました。
これを市民が支持するという現象は転倒しているのですが、しかしその幻想も2008年リーマンショックによって破綻し、市民は新たに政権を交代させることで打開を図ろうとしましたが、この政権交代も時とともにメッキが剥がれ現在は「どうして良いのか分からない」状態です。
福祉の充実は必要ですが、それだけではこの恐怖感を払拭できませんし、新たな支持層の発掘もありません。
これを打開するには、従来の「後衛党」の役割からラディカルな前衛党(良い意味での)の役割が必要でしょう。
ありがとうございます。
選挙の投票動向は、「勝てそうかどうか」も少なからず影響を与えると思います。キャッチフレーズ自体はけっこう覚えられていたという運動員の声があります。が、「オール与党対共産党」という従来どおりの構図がやはり前提だったのかなとも思います。
それだけに次(府議選と次の市長選の両方の意味で)はがんばりたいです。
>キンピーさん
最後の2行について、もう少し私がわかるように教えていただけるとうれしいです。
あとは全くそうだなと思います。いち議員の押し出しとしてはあまり大きなこと言ってもなんですが、党自体は「くらし福祉増進が自治体の役割です」にとどまっていたのではダメですね。
参考にします。
後衛党=国民生活のバックアップ
良い意味での前衛党=国民を“指導する”ではなく、理論政党としての役割を維持しつつ、庶民の中に分け入って共に社会進歩のために戦うという意味です。
これを今回の市長選挙で考えた場合、確かにあまり大きなことは言えないかもしれませんが、長岡京市のことについてなら言えるはずです。
現在の閉塞感を打開するために、敵方は馬鹿の一つ覚えのように民営化を叫びますが、ならば左からの提案として行政のワークシェアリングなんでどうでしょう。
市民に行政の仕事を開放して行き、市民で行政の仕事をワークシェアリングしていけばいいのではないでしょうか。
「市民目線の行政」「市民に暖かい行政」というのであれば、行政を市民で占拠すればいいのです。
もちろんコッパ役人は組織の論理が通用しなくなりますし、給料も実質減るわけですから猛反対するでしょう。
また代行主義のぬるま湯にどっぷり漬かった市民からはブーイングが起こることも予想されますが、市民が望むような行政であってほしいと思うのであれば市民自らも汗を流さなければいけません。
つまりプロレタリアート独裁です。
演説を二時間、対話を二時間。毎日つづけることです。
そうすれば、今の三倍は取れるでしょう。
できるかな?それをしなければどうというわけでもない。ただ、それだけしないと当選はしないと思うというだけ。市民との対話と本気度というのかな。
よく、辞職せずに「失職」で市長選挙にのぞむ人がいますが、あれはいけません。
(4年前の京都府南山城村など)
自分が市長になったとき、市議が欠員でもかまわない、という発想の人は、それだけで自覚がうすい。
(定数1で、「勝っても前と同じ」では損だ、という考えはあるとおもうけれど、あえてやった長岡京市議団に「あっぱれ」をあげます。
市議団から出さなければ候補者がいない、というのは別の問題がありますが)