ごぶさたしています。最近無線LANが不調なのと、帰宅後2階にたどり着けずコタツで朝を迎えているので・・・
「なめらかかと」の効果も空しく、乾燥でひび割れで歩くのも痛い日々です。
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教育基本法が、参議院審議入りになり、井上さとし議員が追及しました。
安倍首相が教育基本法改悪で具体的にやろうとしているのは、
①全国いっせい学力テスト
②学校選択制
③教育バウチャー(人気校に予算を集中する)
などですが、すでに東京などで導入が進んでいます。
その東京のある区の中学校で、とんでもないことが!
遠足や文化祭の時間をなくして、学力テストの勉強をやらしているって!
運動会も春にして、練習時間を削り、林間学校も日数減・・・
その区では、学力テストの学校別点数がHPにアップされ、学校選択制もやっています。テストの点数で予算をひいきする区も出てきました。
だから、学校が生き残るために、文化祭やめて過去問をやらすと・・・
おい!
自分が中学のときの文集を見たら、
「文化祭で、クラスが初めてひとつになった。それまで普通だったけど、最高のクラスと思った」とか書いてあるんですよ。
やっぱり、単に同じ教室なだけでは、ぶつかりあって成長したりしないんですよ。
そういう、大事な時間を奪って学力テストの過去問???
いまの教育基本法には、「教育は人格の完成をめざして行われる」と書いてあるやろう!
文化祭なしで過去問をやらされる子どもたち。
大人になったとき、どうだろう・・・
学力って大事かもしれん。
そして、確かに競争をキツくすれば平均点は上がるかもしれん。
でも、どうやったらいちばん上がると思います?平均点。
エリートをえり好みした上で、極端に悪い子をわざと休ませたら、いちばん上がるんです。
教師として良心があったら普通できません。でも、それを敢えてやった学校が一番になるんです。
それに、安倍首相が求めてるのは、全員が良くなることではない。
国家からしたら、子どもは大勢のかたまりにすぎない。エリートがいくらか養成できて、彼らが国家を引っぱるならば、あとは従順であればよい。
でも親からしたら、子どもはたった一人の代わりのない存在です。
失敗だから次の子で、とはいかないんです。
この子をちゃんと見てくれないと困るんです。
みなさん。
いまの教育基本法にちゃんと書いてあります。
「教育は人格の完成をめざすもの」
「教師は、国家ではなく国民(子ども)に責任を負う」
これを、文言を「守る」だけでなく、ほんとうに現場で実践させていくことが必要だし、日本共産党のやりたいことです。
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◆お知らせ
竹林光美・市長予定候補街頭演説 26日(日)15:00~イズミヤ西側 弁士で小原出ます。
よっしゃ!ガンバレ!
お返しのトラバ記事ですが、学校行事がこういう学習をする事が出来た、という趣旨で一つ前の修学旅行を書いた記事を送りました。机の上だけが勉強ではない…と言うのは、私は一番身にしみています。
選挙続きで大変でしょうが頑張ってください。
失礼します。
「テストの対策」であって、「実力」ではない。
そんなことで時間を費やしたら、子どもの成長にマイナス。
私は、中学高校、期末テストの勉強はしませんでした。
「テスト前」にやった勉強で点を取ったのでは、本来のテストの目的である「何が身についていて、何が身についてないか」の確認ができなくなる。
テスト前は好きなことをして、テストが終わってから「身についてないこと」がわかれば、夏休み冬休みの間にそこをリカバーして、二学期三学期に備える。(我々の同級生はそうやって高校生活をすごし、M同盟の班長、生徒会長、●●部、△△部長ふくめ、母校創立以来例のない東大京大計50人ほど合格しました。いまは、1人2人らしいが。)
「学校選択」が導入されて「あの学校は成績がいい」というウワサがでると、そこの学校へ生徒があつまる現象があるそうですが、
「学校の成績」がいいから「そこへ入った生徒の成績がよくなる」わけではない。「みんなが言うから教」信者の多い日本では何も考えずに流されるけど。
(たとえば、灘高校に入るような子なら、べつに灘高校へいかなくても、乙訓高校でも城南高校でも、自分で勉強して東大ぐらい入れるはず。灘高校の教師は楽なもんだと思います。)
しかし、竹林さん、前回も思いましたが『名前がいい』
(K水亭ちかくの)美しく手入れされた筍畑がイメージできます。長岡京といえば竹林ですからね。
さあ、原稿考えよう・・^^;
>いとうさん
修学旅行を、そんなに鮮明に思い出せるってスゴイですね。濃かったんでしょうね・・
>ゴルトベルクさん
学力にならない勉強をさせるのは、学校のためであって子どものためでないですね。教師は聖職と、今こそ言いたい。
近くの高校では、一度文化祭と体育祭が一緒になって、生徒会の運動でまた別になりました。文化祭をムダと考える神経はホンマ異常ですね。
フツーの高校生が、箱根大学駅伝の距離を走る(おおかたは歩いているみたいだが)意味があるんだろうか?
見ていても、かっこよくない。
世界史の履修もれはするわ、文化祭はつぶすわ、授業時間の足りないときに、根性主義…?
通常の体育の時間に5kmほど走ればいいんじゃないかと思うけど。
経験者のみなさんはいかが?
(私の高校は、「後楽園」を周って帰る5kmほどのコースを何回か。)