小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



このブログを始める前の2009年暮れくらいから、小田原の街並みを撮影するようになりました。今から10年ほど前の小田原の風景については、ブログであまり使っていないので暫くの間、当時を振り返る記事を書こうかと考えています。今回は2009年12月の風景を振り返ります。今回紹介するのは2009年12月26日の小田原駅周辺の風景。この日は午前7時半に散歩がてら東通りから撮影を始めています。通り沿いは店舗の入れ替えがいくつかありましたが、庄やや守谷のパンは今も変わらず。個人的には小田原ターミナルホテルの屋上に、その当時経営していた美濃屋の看板があったのが今となっては印象的です。東通りからお城通り沿いへ。再開発により2012年に取り壊しとなった小沢興業ビルを撮影。あまり良い構図ではなくて残念な写真ですが、今となっては懐かしさを感じます。その小沢興業ビルの裏手の写真。このビルは仕事で関わることが無くて、入ったのはつぼ八や蕎麦屋を利用したときくらい。かなり古いビルで、空中写真のアーカイブを探ったところ1952年の小田原駅周辺を撮影した空中写真に、それらしきビルが写っていました。おそらく昭和20年代の半ば頃に建設されたものと推測されます。小田原駅東口臨時駐車場からの風景も撮影していました。旭丘高校前のビルが解体前の頃です。写真を撮った場所は、今年の秋にオープンするミナカ小田原のビルが建っているので、同ポジションからの風景は撮影できなくなっています。お城通りからお堀端通り沿いに移動して横浜地方検察庁の小田原支部前へ。この写真も構図が悪いですが、埋蔵文化財の発掘調査のため昨年伐採されてしまった銀杏が写りこんでいるので紹介しました。横浜地方検察庁小田原支部前の銀杏は市内でも遅く黄葉する木で、年によってはお正月を過ぎても色付いた葉を枝に残していました。この日の散歩の最後に訪れたのが宮小路。何枚か街並みの風景を撮影しましたが、その中で、当時から大きく移り変わったのが割烹大松の周辺の街並みの風景。今はマンションが建っていますが、宮小路が歓楽街として賑わった頃を彷彿とさせる街並みが残っていました。

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4月29日、昭和の日の小田原は朝から清々しい晴天。夕方前に買い物に出かけた際に何枚か地元の風景を撮影することが出来た。午後4時過ぎに自転車で板橋のスーパーに買い物に出かける。好天の休日なので気ままにポタリングに出掛けたいが今日もコンパクトに買い物を済ませる。板橋の小田原百貨店で買い物を済ませて、近くの盛月でおやつの和菓子を購入。旧東海道の街並みを眺めていると、板橋地蔵尊大祭の風景を思い浮かべるが夏の大祭はどのような形になるのだろうか。干物を買うために早川方面へ移動。道すがら、4月24日にオープンした山安の新ターンパイク店に寄り道。巨大な柱が何本も並んだユニークな店構えで、なかなかインパクトがある。食堂も併設しているとのことだが、新型コロナの関係で食堂部分は営業見合わせ中。干物を買って、小田原漁港前へ。漁港内は立ち入りと釣りが自粛となっているので道路から眺めるだけになってしまった。魚市場横の駐車場も閉鎖されていて、漁港周辺は人通りが少ない。帰路途中に休憩がてら盛月で買った和菓子でおやつ。みたらし団子と草団子と草餅と道明寺の4つで440円。道明寺は程々の甘さの餡子と、桜葉の塩気のバランスが良くて美味しかった。買い物を済ませてスクランブル交差点へ。なかなか穏やかな夕景だが、相変わらず先行きの見通しが立たないので何とも息苦しさと不安を感じて心穏やかとならない。次の買い物は日曜日になりそうなので、買い物ついでに街並みや季節の風景を撮影したい。

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昭和時代に富水エリアの商工業の中心的存在だった小西六の小田原工場。コニカとミノルタが合併した後はコニカミノルタ小田原サイトの名称となり、さらに2006年には大日本印刷に譲渡されDNP小田原工場としてカラー印画紙の製造を行っていたが、デジタル化が進み写真プリントの需要減少などによって2016年に閉鎖。以後は利用されることなく今年の4月から解体工事が始まった。子供の頃に富水エリアを訪れる機会はそれほど多く無かったが、グッピー川に行く途中に小西六の工場近くを通ると人やトラックの出入りが多くて活気があったことを記憶している。街中でもさくらカラーの看板やポスターを良く見かけた。西門の前にある一番大きな建物はK5棟で1979年に建設された製造施設。工場の入口には工程表のほかに解体建物概要図もあって、各建物の建設年や延床面積がわかるようになっている。敷地全体の面積は約12,400坪。解体工事は来年3月末までの予定で、6月上旬くらいまで足場の組立作業が行われ、6月中旬くらいから解体工事が始まる。敷地内で一番古い建物は1964年に建設された建屋が2棟。南道路側のK-2棟は1964年建設でRC造りの5階建て。旧DNP小田原工場は北側が道路で分断されていて、北側の工場部分は住所としては栢山地内に所在。1971年に建設されたK-3棟のほかに、テストプラントや排水処理施設が残存している。旧DNP小田原工場の変遷をたどると、昭和8年に設立された昭和写真工業株式会社の富水工場が始まりで、同社が昭和19年に小西六写真工業に合併されて小西六写真工業富水工場となり、戦後の高度成長時代の写真ニーズを支えてきた。富水エリアの象徴的な工場は1年をかけて徐々に姿を消していく。

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小田原市にある全ての児童公園に出かけようと始めた児童公園巡りの44ヶ所目は東町にある東町八幡神社児童遊園地に出かけた。東町八幡神社児童遊園地は名称通り、網一色八幡神社境内に設けられている児童公園だった。東町八幡神社児童遊園地は国道1号土木センター入口交差点角のガソリンスタンド横から酒匂川の土手に向かう途中にある網一色八幡神社内に所在。境内には指定保存林の松の大木があって緑が多い。網一色八幡神社は南北に細長い敷地で南側の鳥居をくぐり境内に入ると拝殿前が広場になっている。東側には網一色公民館も併設。東町八幡神社児童遊園地に設置されている遊具は、ブランコ・すべり台・雲底の3種類。どれも経年していて一昔前の公園遊具といった感じ。遊具は松の大木の間に配置されているので結構圧迫感を感じるのと、全体的に日当たりが悪いので楽しそうに見えないような印象の児童公園。東町八幡神社児童遊園地は日当たりが悪いが、木々が多く静かで落ち着いた雰囲気。木陰が多く日当たりが悪いので、夏場の暑い日に立ち寄るのには良さそうな公園だった。
【児童公園データ】
・所在地:小田原市東町5-6-30
・敷地面積:中規模
・遊具:ブランコ・雲底・すべり台
・ベンチ:×2
・水場:一応有
・トイレ:無


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緊急事態宣言中につき、思うようにポタリングや散策に出かけられないので、しばらくはアーカイブやストックを利用してブログの更新をしていこうと考えています。撮影時期の説明をブログに都度記載するのは面倒なのでストックの状況を説明すると、公園巡りは年末年始にまとめて行っていて10公園分くらい、その他、天然記念物・文化財が8ヵ所程度や懐かしネタや設備機器関連がいくつかあります。また、ブログを始める前に撮りだめた小田原周辺の風景素材はSDカード7枚分あります。ブログを始める前に撮影した風景写真は機会があれば活用したいと考えていたので、今回の記事からゆるゆると一昔前を振り返ります。そもそもコンデジで自分の出かけた場所や食べた物の記録として撮影を始めたのは2009年の6月19日。この日は都電荒川線の三ノ輪駅から浅草まで街歩きをしたように記憶しています。以前、本社勤務だった時に新幹線定期を持っていたので、土日の休みは大抵新幹線の始発で東京に出かけて25kmくらい街歩きをしていました。好きなエリアはいくつかありますが、浅草~北千住、国分寺~三鷹、目黒~田園調布の街歩きは楽しかったです。何回かに分けてですが山手線は1周、中央線は東京から立川まで歩いたことがあります。コンデジを買った当初の目的の一つが富士登山の記録で2009年は7月3日・11日・8月7日・14日・27日・9月10日・21日・25日に登山を行いました。上の写真は7月3日の登山の際に撮影した富士宮ルート山頂の風景。富士山は約50回くらい登っていますが、おそらくこの年が一番多かったと思います。もう体力的に衰えてきているので、暇があっても8回は登りたくないですね。この年の富士登山は天候に恵まれて、全ての日が晴天で綺麗な写真が多かったです。何度も登って何となく体力があるんじゃないかと勘違いをして、富士登山競走へのエントリーを決意するに至ったのですが完走まで8年かかりました。富士登山競走を甘く見ていて以後トレーニングの日々となりましが、それもブログの1カテゴリーとなったので良かったのかもしれません。地元の風景で初めて撮影したのが2009年7月19日に南足柄にポタリングに出かけた際のもの。今はばっさりと剪定されてしまった、班目の大銀杏と脇にある石塔の風景。この頃はまだ気まぐれにカメラを携帯したりしなかったりで、地元の風景の撮影は少なめでした。 2009年の最後の富士登山を行った9月25日から3ヶ月ほど何も撮影せずに過ごし、12月23日から撮影を再開しました。この間にどのような心境の変化があったのか今となっては思い出せませんが、この日から現在の撮影スタイルに近い形で地元の風景を記録し始めています。再開最初のカットは飯泉の勝福寺境内の青銅水鉢。この日の終盤は小田原駅周辺を撮影した記録が残っていて今は無き箱根登山ベルジュの風景もありました。ちらっと写っている箱根登山バスは以前のブルーのカラーリング。近頃はブルーのカラーリングの箱根登山バスをあまり見かけなくなりました。夕暮れ時の小田原城址公園本丸広場の風景。2009年当時は本丸広場には木々が多かったですね。今と比べて簡単に良い悪いは言えませんが緑多い頃のほうが、個人的には好きでした。 2009年12月23日撮影のラストカットは北條ポケットパークのイルミネーション。日興証券跡地に北條ポケットパークが整備されたのが2007年。完成した年からイルミネーションが行われていたかは不明ですが、2009年の暮れにはイルミネーションが行われていて現在まで続いている。2009年の12月はまだ少し紹介できそうな風景記録があるので、次回以降のブログで記事にしたいと考えています。

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