小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



2月28日、小田原は穏やかな晴天の一日。日差しも暖かく春めいた陽気だった。今日は半休したので帰宅後、午後からランニングに出かけた。午後1時半、小田原市民会館前をスタート。今日は距離も時間も気にせずのんびりと走ることにする。国道1号沿いを酒匂方面へ。国道1号沿い、小田原総合ビジネス高校近くに建設していたセブンイレブンは今日OPEN。店舗前には花が並んでいた。酒匂橋を渡り連歌橋交差点から巡礼街道方面へ。途中、西湘高校近くのサンドHOUSEサトーに立ち寄り昼食を購入。サンドHOUSEサトーでクリーミーコロッケサンドとピリピリちくわサンドを購入。2つで270円。 130円のピリピリちくわサンドは磯辺揚げの竹輪がソースで味付けされている。ふりかけられた唐辛子が以外に辛くてネーミング通りのピリピリした味わい。どちらのサンドもB級グルメ的な美味しさ。西湘高校前から巡礼街道へ。巡礼街道沿いのドライバースタンドは改装が終わりイエローハットの店舗へとリニューアルしていた巡礼街道からダイナシティウエストへ。ロビンソン百貨店は今日が最終日だが、屋上の看板はSEIBUへと架け替えが終わっていた。ダイナシティウエストから曽我梅林へ。別所会場の梅の里食堂周辺は平日だが結構観梅客が多い。梅の里食堂横の売店で300円のあんこ餅を購入。今日は暖かくて梅の花もだいぶ咲いているのでやっと梅まつりらしい雰囲気になった。餅を食べながら別所会場内を散策。まだ満開ではないが全体的には8分から9分咲きほど。この週末から来週中くらいが見頃ではないかと思う。剣沢川の土手上から定点撮影。別所会場と原会場の梅まつりは3月6日まで延長されたとのこと。この週末が一番混雑しそうなので早起きして混む前に訪れたい。剣沢川西側の梅林では日本テレビが中継の準備をしていた。夕方の天気予報を別所梅林から行うとのこと。家に帰ったら見てみよう。別所会場から原会場へ。原会場の梅はほぼ満開でまさに見頃。昨年の梅まつりの時に原会場の梅林内に馴れ馴れしい猫が居たのだが今年は見当たらない。原会場から御殿場線下曽我駅前へ。駅前も観梅客が多い。曽我乃正栄堂の店先も土産物を買うお客さんで賑わっていた。下曽我駅前から中河原会場の瑞雲寺へ。境内の梅林は満開で綺麗だった。中河原会場の梅まつりは今週末の3月3日までとのこと。瑞雲寺前には和菓子菜の花の茶屋が出店していたので600円のお汁粉セットを注文。今日は食べてばっかりだが暖かな日差しの中、梅を見ながら食べるお汁粉はなかなか美味い。中河原から富士道橋方面へと走る。日本新薬近くの交差点角のコンビニ建設工事現場を覗くと躯体工事が始まっていた。このコンビニ予定地の350m南側にはセブンレイブンがあるので他のコンビニチェーンが出来るものだと思っていたら、ここもセブンイレブンの店舗になるとのこと。酒匂縦貫道路沿いも徐々に商業施設が増えてきている。富士道橋を渡り堀之内交差点から県道717号を沼田方面へ。午後3時57分、新屋交差点付近を通過。ゴールの大雄山線相模沼田駅まであと少し。午後4時6分、大雄山線相模沼田駅到着。17kmほどを2時間半かけてダラダラと走ったが、暖かくて見頃の梅の花が見れてなかなか良かった。相模沼田駅でランニング終了後は迷わずさくらい食堂へ。とりあえず生中で水分補給。つまみ一品目は400円のニラ玉。塩コショウ味のシンプルな味わいだが美味い。ハイサワーをお代わりして、つまみ2品目は500円の砂肝。串焼きになっているのかと思ったら、砂肝とニンニクを塩コショウで炒めたものだった。ニンニクの風味が効いていてこれも美味い。今日はランニング中も色々と食べたが、やはり〆に麺が食べたくなったので500円のカレーラーメンを注文。ラーメンの上にかけられているカレーには厚切りの豚バラ肉が入っていて美味しかった。今日も色々飲んで食べてお勘定は2200円也。また来よう。さくらい食堂を出て酔い覚ましがてら狩川の土手道を穴部駅まで歩いた。2月の最終日がゆっくりと暮れていく。今日は良い一日だった。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




昭和40年代の人気レジャーだったボウリングは女子プロ選手の活躍などもあって徐々にブームとなり昭和46年前後にピークを迎えた。この小田原でもボウリングブームの最中の昭和47年に新しいボウリング場が次々とオープンした。先日、小田原のボウリング場に関する資料を見つけて、ボウリングブーム当時の小田原のボウリング場事情がわずかながら分かった。資料によると昭和46年末の時点で小田原市内にあったボウリング場は小田原オークラ・新小田原オークラ・ミツワの3ヶ所で計62レーン。その中の小田原オークラボウルはかつてお堀端通りにあったが現在では駐車場になっている。新小田原オークラボウルについては良く知らなかったが、住所によると寿町のカネボウ工場の入口近くにあったようだ。現在はバッティングセンターになっているが、このバッティングセンターはオークラボウル・グループが経営しているので恐らくこの場所に所在していたと思われる。ボウリングブーム絶頂の昭和47年、小田原市内には5つのボウリング場が次々とオープンした。この年、最初にオープンしたのが栄町の神奈中ボウル。現在ではボウリング場は無くなってしまったが建物は当時のまま残っている。資料の記載を見て驚いたのだが、この神奈中ボウルはオープン当初は2階から5階までのフロアすべてがボウリング場で各階14レーンずつ計56レーンもあったとのこと。まさしくボウリング専用のビルとして建設された。その神奈中ボウルの屋上に長らく設置されていた巨大なボウリングピンは2011年に撤去。昭和50年代半ばには1部フロアがスイミングスクールなどに改装されたので、2階から5階まですべてボウリング場として営業していた期間はそれほど長く続かなかったようだ。神奈中ボウルの一ヶ月後の昭和47年4月にオープンしたのは板橋の箱根登山ボウル。当時の建物は残っているが、現在ではビーバートザンの店舗になっている。この箱根登山ボウルは鉄筋コンクリート2階建てで、ワンフロアに36レーンがあったほか、レストランも併設されていた。昭和47年にオープンした5店舗の中で4番目にオープンしたのが、西酒匂の小田原ハイウェイボウル。資料によると酒匂川左岸との記載。はっきりとした場所は確認出来ていないが、現在の焼肉キングのある場所の周辺に所在していたようだ。この小田原ハイウェイボウルは小田原市内最大のボウリング場だったようで、レーン数は60レーン。ボウリング場の他、ビリヤードやゲームセンター、レストランも併設されていて駐車スペースも200台分あったとのこと。昭和47年、最後にオープンしたのがナックでお馴染みの新第一ビル内のボウリング場。オープン当時は5階と6階がボウリング場で各フロア16レーンの計32レーン。ナックビル内のボウリング場もだいぶ前に無くなってしまったが、現在でも屋上にボウリングピンが立っている。華やかだった小田原市内のボウリングブームを伝える最後の象徴のようにも見える。昭和47年に5つのボウリング場がオープンしたことにより小田原市内のレーン数は一気に5倍ちかくなったが、翌年の昭和48年にオイルショックが起きたことでボウリングブームも下火になり、以降ボウリング場の数も減少の一途を辿っている。現在、小田原市内にあるボウリング場はXボウルとコロナワールドとヒルトン小田原の3ヶ所で計58レーン。最近はめっきりボウリングをする機会も減ってしまった。これからは少子高齢化でレジャー産業も厳しいだろうが市内のボウリング場が長く続くことを願っている。

コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )




国道1号親木橋交差点から富士見橋際交差点までの片側2車線の県道の中央分離帯に梅里の里と刻まれた御影石が設置されている。長年、どのようなものなのか気になっていたのだが、先日こ梅里の道の史料を見つけることが出来た。国道1号親木橋交差点からJR陸橋先の富士見橋際交差点までの県道拡幅工事が始まったのは昭和46年から。この県道拡幅工事は約9億円の工費で片側2車線化や中央分地帯の整備などが行われた。拡幅された約190mの区間内には90mほどの中央分離帯が設置されている。その中央分離帯の端に、「梅里の道」と刻まれた黒御影石が置かれている。この県道が国道1号と国道255号を結ぶ重要路線であり、また梅の里で有名な曽我梅林に通ずる道路でもあるため梅里の道と命名された。中央分離帯は植え込みになっているが、JRの陸橋下部分は植え込みではなく高さ50センチほどの石張りのコンクリートが設置されている。陸橋下の中央分離帯には片側3枚ずつ、計6枚の黒御影石のパネルが取り付けられている。このパネルは拡幅工事を記念したもので昭和54年に製作されたもの。陸橋下の中央分離帯には木を植えることが出来ないため、このような記念パネルの製作になったとのこと。縦60センチ、横1.5mの黒御影石に浮き彫りされているモチーフは市の特産である梅。中央分離帯の両側に3枚ずつはめ込まれており、梅の咲き始めから満開までの様子が描かれている。上の写真は満開のデザインのもの。この梅里の道のパネルの制作料は約300万円。このパネルが取り付けられた2年後の昭和56年に区間の道路拡幅工事も終了した。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




小田原市谷津の高台、見晴らしの良い畑の中にバベルの塔と呼ばれていたコンクリート構造物があった。バベルの塔と呼ばれてたコンクリート構造物は、芦子小学区の子供達の遊び場だったようで、塾で仲良くなった芦子小学校の友達に連れてきてもらったのが最初。              初めて訪れたのは昭和50年代後半だったと思うが、そのときは既に古びたコンクリートの佇まいだったように記憶している。中学以降、長いこと訪れることも無くなっていたバベルの塔だが、ここ数年散策の途中に思い出したように立ち寄っては写真を何枚か撮っていた。この構造物が何なのか気になったので近所のお寺の住職に話を聞いたところ、電信関連の設備だったらしい。そのバベルの塔が最近撤去されたと知り、先日谷津に出かけた。バベルの塔があったことが幻のように跡地には雑草が生い茂っていた。このバベルの塔は見晴らしの良い場所にあったので廃墟や残骸といった感じではなく、なんとなくモニュメントのように見えて結構好きな被写体だった。

コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )




2月24日、小田原は晴天の一日。今週は寒い日が多かったが、今朝は寒さも幾分緩んで日差しが暖かく感じる。少しばかり早起きしたので午前8時前から自転車で散策に出かけた。午前7時50分のお堀端通り。今日は良く晴れていてなかなかの散策日和。とりあえず駅周辺をブラブラしてから曽我梅林方面へと向かう。お堀端通りから錦通りへ。錦通りでは舗装の修繕工事が行われている。歩道部分が従来のタイルからアスファルト舗装へと変わっていた。小田原駅前から国道1号で酒匂方面へ。途中、小田原総合ビジネス高校前のコンビニ建設現場に立ち寄る。店舗もすっかりと完成しており、駐車場部分の舗装も終わっていた。2月28日午前7時OPENとのこと。酒匂橋を渡り国道1号から巡礼街道へ。かものみや食品市場前を通ると朝市をやっていたので寄り道。午前8時過ぎだが買い物客もそこそこいて賑わっている。自転車を停めて、かものみや食品市場内を散策。建物のあった東側の区画は解体工事が終わり更地になっていた。朝市に出店している露店を巡りながら朝食になりそうな物を探す。4個入りのたこ焼きは200円とお手ごろ価格。朝食には丁度良いサイズ。焼きおにぎりは1個100円。やっぱり粉物やパンよりご飯のほうが好きだ。朝食を食べ終えて、かものみや食品市場から曽我梅林方面へ向かう。梅まつり開催中の別所梅林へ。午前9時前だが観梅客が結構多い。今日は天気が良いので昼前後はかなり混雑するのではと思う。別所梅林の梅の咲き具合は全体的に7分~8分咲きくらいだが、木によってはまもなく満開に近いものがあった。今週も剣沢川の土手上から定点撮影。来週末は多くの木が見頃になっていることだろう。別所梅林から川端跨線橋を渡り穴部国府津線方面へ。川端跨線橋は別所梅林からほど近いが、梅林内の賑わいが嘘のように人通りも無くガランとしている。別所梅林方面からうっすらと聞こえる華やかなBGMと、錆びついた跨線橋の佇まいがなんとも堪らない。穴部国府津線に出て成田方面へ自転車を走らせる。石神交差点角に建設中のスターバックス成田店は外壁に看板が取り付けられていた。3月下旬OPENとのこと。穴部国府津線から国道255号に出て飯泉方面へ。飯泉交差点近くの丸源跡の店舗では改装工事が行われている。近日中にブロンコビリー小田原店としてOPENとのこと。5年ほど前まではたまに三島のブロンコビリーに出かけていたが、最近歳のせいか肉より魚のほうが好きでずいぶんとご無沙汰だ。ボーナスが出たら厚切りステーキを食べに訪れたい。国道255号飯泉橋を渡り扇町のアマゾン小田原FC建設現場へ。外壁の取り付けが3階部分まで進んでいる。工事が進捗しているようで大型クレーンが1台無くなっていた。アマゾン小田原FC建設現場から酒匂川右岸沿いを下流方面へ。小田原大橋右岸下流の河川工事現場へと立ち寄る。橋の上からでは工事内容が良く分からなかったが、現場に来ると川岸に堆積していた土砂が平らにならされていて以前と比べ1m近く下がっていた。酒匂川スポーツ広場から袖ヶ浜へ。途中、寿町のパン屋に立ち寄り本日2度目の朝食を購入。寿町のパンの花でぱりぱりタコスといちごクロワッサンを購入。2つで430円。 250円のいちごクロワッサンは、カスタードクリームの甘さと苺の酸味が良くあっていて美味しかった。パンを食べながらのんびりと穏やかな海を眺める。時刻はまだ午前10時半。午後はどこに出かけよう。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ