仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

スーパー・チューズデー / 正義を売った日

2020年10月23日 | ムービー

『スーパー・チューズデー / 正義を売った日(原題The Ides of March)』(2011年/ジョージ・クルーニー監督/アメリカ)を見た。
物語は、「アメリカ合衆国大統領選挙の民主党予備選。残っている候補者は、アーカンソー州出身のプルマン上院議員とペンシルベニア州知事のマイク・モリス(ジョージ・クルーニー)の二人だった。オハイオ州予備選 "スーパー・チューズデー" が一週間後に迫り、全米の注目が集まっていたある日、モリス陣営の広報官スティーヴン・マイヤーズ(ライアン・ゴズリング)に、プルマン陣営の選挙参謀トム・ダフィ(ポール・ジアマッティ)が電話をかけてきた。極秘の面会を求められたスティーヴンは・・・」という内容。
選挙事務所に電話をかけたダフィは、父親だと嘘をついてスティーヴンを呼び出したのだが、そうでもしなければ彼とコンタクトを取ることなど出来ない。
スティーヴンは驚いただろうが、陣営の責任者であるポール・ザラ(フィリップ・シーモア・ホフマン)宛ではなく、自分に連絡がきたことが少し嬉しかったはずだ。
しかしそれはおそらく、劣勢なプルマン陣営の罠。
同じ政党とはいえ、選挙で対立している陣営の責任者がコンタクトを取ってくるだなんて、あり得ないだろう。
選挙には様々な人間が関わっている。
新聞記者のアイダ・ホロウィッチ(マリサ・トメイ)は、「庶民の生活は何一つ変わらないわ。朝起きて仕事に行って、帰って寝るだけ。モリスが勝てばあなたはホワイトハウス勤務。負ければDCのコンサルタント会社に戻るだけ」と冷めているし、オハイオ州のトンプソン上院議員(ジェフリー・ライト)は支持表明の見返りについての両陣営との交渉に余念がない。
しかも、選挙事務所には若くて魅力的なインターン、モリー・スターンズ(エヴァン・レイチェル・ウッド)もいて、男達を惑わすのだから困ったものだ。
「オハイオを制する者は国を制す」とも言われる大事な局面を前に展開する何ともエグいエピソードの連続で、なかなかに面白い作品だった。



あの頃ペニー・レインと

2018年08月10日 | ムービー
『あの頃ペニー・レインと(原題Almost Famous)』(2000年/キャメロン・クロウ監督/アメリカ)を見た。
物語は、「バター、砂糖、白い小麦粉、ベーコン、卵を禁止し、12月は商業的だからと9月にクリスマスを祝い、ドラッグとセックスの歌だと言ってサイモン&ガーファンクルの歌も聞かせない。そんな大学教授の母エレイン(フランシス・マクドーマンド)にうんざりしていた姉アニタ(ズーイー・デシャネル)が18歳になって遂に家を出ていった。別れ際に、"ベッドの下を見て。自由になれるから"と言われた弟ウィリアム・ミラー(マイケル・アンガラノ/幼少期)が見つけたものは、"ザ・ビーチ・ボーイズ"、"レッド・ツェッペリン"、"クリーム"など沢山のLPレコードだった。ロックに魅了され、やがて15歳に成長したウィリアム(パトリック・フュジット)は・・・」という内容。
1年飛び級をしている12歳なので、同級生より少し幼いのは仕方がないと思っていたウィリアムだったが、5歳の時にも飛び級をしているので実はまだ11歳なのだった。
それを知らなかった本人は大ショックで、アニタは「少年期を奪った」と弟に同情し、母に心底あきれる。
しかし母親は、「全国最年少の弁護士になれるわ。パパも誇りに思う」とまったく意に介さない。
この後のウィリアムがグレなかったのは奇跡だとも思うが、それはアニタが残してくれたロックのLPレコードのおかげだったのかもしれない。
(^_^)
学校新聞や地域のミニコミ誌などにロック記事を書くようになったウィリアムは、クリーム誌の編集長レスター・バングス(フィリップ・シーモア・ホフマン)と知り合え、スティルウォーターのツアーに同行取材をして、ギタリストのラッセル・ハモンド(ビリー・クラダップ)の信頼を得られた。
そして、バンドのグルーピー(自称バンドエイド)、ペニー・レイン(ケイト・ハドソン)に恋をする。
これは、16歳で雑誌"ローリングストーン"の記者となったキャメロン・クロウ監督の実体験を元にした物語なのだそうだが、「気をつけろよ。ローリングストーン誌は記者の記事を変える。好き勝手に直してクズにしてしまう」という台詞は面白かった。
それも実体験なのだろう。
(^。^)

ポリー my love

2017年05月08日 | ムービー
『ポリー my love(原題Along Came Polly)』(2004年/ジョン・ハンバーグ監督/アメリカ)を見た。
物語は、「保険会社インダースキー&サンズ事務所でリスク査定アナリストとして働くルーベン・フェファー(ベン・スティラー)は、親友サンディ・ライル(フィリップ・シーモア・ホフマン)や、上司のスタン・インダスキー(アレック・ボールドウィン)ら大勢の人達に祝福されながら、リサ・クラマー(デブラ・メッシング)と結婚式を挙げた。しかし、新婚旅行先サン・バルテルミー島のビーチで、リサがスキューバダイビングのインストラクター、クロード(ハンク・アザリア)と浮気をし、そのまま現地に残ってしまった。一人帰宅したルーベンは、サンディに誘われて参加したパーティーで、中学時代の同級生ポリー・プリンス(ジェニファー・アニストン)と再会し・・・」という内容。
極度の潔癖症で慎重な性格であるルーベンとポリーは正反対の性格で、ポリーは働いているパーティー会場で、客の白ワインのグラスに平気で赤ワインを注ぐような人だ。
(^_^)
ただ、そのパーティーも「何のパーティー?」と聞いたルーベンに、サンディは「オランダ人芸術家の個展だよ。駄作だけど、いいヤクの売人だ」と答える。
何だかほとんど無茶苦茶だ。
(^_^;)
ルーベンは仕事柄、何事に対しても常に"risks"と"rewards"を考えているようで、ポリーとリサに対してもそれは同じだった。
字幕は、"risks"を"リスク"と翻訳していたが、"rewards"は"プラス"とされていた。
まぁ、あまり聞きなれない言葉だから、日本人にはプラスのほうが分かりやすいのかもしれない。
ごくごく平凡なルーベンを際立たせるためか、彼の周囲には随分と個性的な人たちが集まってきていたが、そのおかげでとても面白い物語になっていたのだろうと思った。
邦題の『ポリー my love』は、いかにもテレビドラマ『アリー my Love(原題Ally McBeal)』(1997年~2002年/アメリカ)を思わせるのだが、ジョン・ケイジを演じたピーター・マクニコルと、本作品でルーベンを演じたベン・スティラーの雰囲気が何となく似ていることから連想してつけられたのだろうか。
(^。^)

マネーボール

2012年04月02日 | ムービー
『マネーボール(原題Moneyball)』(2011年/ベネット・ミラー監督/アメリカ)を見た。
物語は、「2001年シーズン。アメリカ、メジャーリーグの名門球団オークランド・アスレチックスは、アメリカンリーグ西地区ディビジョンシリーズでニューヨーク・ヤンキースに敗れた。シーズン後には主力3選手のFA移籍が確定的であることから、GMビリー・ビーン(ブラッド・ピット)はオーナーに補強費の増額を求める。しかし返事はつれなく、限られた予算の中での補強を余儀なくされるのだった。トレードの交渉に出向いたクリーブランド・インディアンズのオフィスで、イエール大学卒業のスタッフ、ピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)と出会い、そこで"セイバーメトリクス"という聞いたことも無い理論を知る。彼をヘッドハンティングし、自分の補佐役としたビリーは・・・」という事実を踏まえた内容。
一般的に行われている選手の評価方法とは余りにも違ったためスカウト達とはうまくいかないし、アート・ハウ監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)などは、GMのビリーが"セイバーメトリクス理論"を基に獲得してきた選手達をゲームで使おうとしない。
何と「監督は監督の仕事をする。そうしなければ次の就職活動で自分を主張できない」というのが理由で、ビリーがハウ監督お気に入りの選手を次々とトレード等で放出し、集めてきた選手達を使わざるを得ない状況を強引に作り出すまでマッタクGMの方針に従わなかった。
そしてその後のアスレチックスは理論を基に集めてきた選手達の活躍もあって、リーグ新記録の20連勝を記録してしまうのだから、このハウ監督がいかに障害となっていたのかが伺える。
現実の世界でこのハウ監督は、アスレチックスでの好成績を買われて後年ニューヨーク・メッツの監督に就任しているのだが、メッツは大金をはたいてとんでもない人間を監督にしてしまったわけだ。
(^。^)
そして、新庄剛志選手が2003年シーズンにニューヨーク・メッツに復帰した際の監督がこのアート・ハウ。
オープン戦で首位打者になり絶好調だった新庄をほとんど起用することなく埋もれさせ、挙句の果てにはマイナーに落としている。
あの2003年シーズンのメッツの監督がこのアート・ハウでなかったら、新庄はもっとメジャーで大活躍できた筈だと仁左衛門は今でも信じているのだ。
と、少し『マネーボール』の話題からズレてしまったが、これはなかなかに面白い映画だった。

リプリー

2006年09月22日 | ムービー
『リプリー(原題The Talented Mr. Ripley)』(1999年/アンソニー・ミンゲラ監督/アメリカ)を見た。
この原作は、『太陽がいっぱい』(1960年/ルネ・クレマン監督/フランス・イタリア)と同じく『The Talented Mr. Ripley』(1955年/パトリシア・ハイスミス著)という小説だが、アンソニー・ミンゲラ監督は、「この映画はリメイク作品ではない」と言っていたようだ。
確かに、映画の原題も小説と同じ『The Talented Mr Ripley』というようだから、『太陽がいっぱい』とは違って、原作に近い映画を作ろうとしていたのだろう。
しかしながら、主役のトム・リプリー(マット・デイモン)をはじめとする登場人物や、基本的な設定などは変えようもないので、どうしても『太陽がいっぱい』を知っている人はそれと比較して、「ここはあっちのほうがいいなぁ」「あれはそういうことだったのか」などと思ってしまうのではないか。
ディッキー・グリーンリーフ(ジュード・ロウ)の友人フレディ・マイルズ(フィリップ・シーモア・ホフマン)が太っちょキャラになってしまうのも、何しろ原作が一緒なのだから仕方がないし、同じところは変えようがない。
「リメイク作ではない」とはいえ、『太陽がいっぱい』を見ている人にとってはそれの補完的作品でしかなかったというのが正直なところではないか。
見始めて気がついたのだが、結末は忘れていたものの、この映画を見るのは2回目だった。
(^_^;)
初めて見た時は、『太陽がいっぱい』を見たことがなかったし、それが原作を同じくする映画だとも知らなかったので、純粋に楽しめたのだろう。
「もっと面白い映画のはずだった」と感じたのは、最近になって『太陽がいっぱい』を見てしまったからだろうか。
やはり、どうしても比較してしまうようだ。