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園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

蟹場(がにば)温泉

2012-09-24 13:54:16 | 日記

園長です。

 園舎全面改築がいよいよ始まり、入札・規模変更・工事開始届など各種書類を頑張って作成しました。結果は寝て待つよりほかはなさそうですが、とりあえず今はホッとしています。これまでいろんな打ち合わせや確認などがあり、薄い髪の毛がますます薄くなった様な気がします。一応、一段落ということで、この連休を利用して「温泉」にでも行こう・・・ということになり、突然ですが当日の朝、決定してしまいました。折角だから仙台にいる娘のところによって「鳴子温泉」にでも泊まろうかということになり、娘に電話すると、「今日は飲み会があるので会えない。」というつれない返事。仕方がないので近場で我慢しようということになり、秋田の「乳頭温泉郷」の一番奥「蟹場温泉」(がにばおんせん)に決定しました。泊まりは少し手前の「田沢湖高原温泉郷」にでもしようと、勝手に予約もしないでいきました。通り道なのでどうにかなると思っていたのです。ところが田沢湖高原温泉郷はひところの賑わいはなく、大きなホテルは軒並み閉店し、連休初日なのにひっそりと静まり返っていました。とりあえず泊まろうと思っていたホテルは営業していましたが、あまりの静けさに宿泊はやめにしました。まあ、温泉にでも入ろうということで乳頭温泉の一番奥にある「蟹場温泉」へ。ここまでには「妙の湯」「大釜温泉」と古いひなびた一軒宿がありましたが、どこも元気に営業していました。最近温泉郷に行き思うことは、近代的な大きな観光ホテルは、軒並み潰れ、いまにも壊れそうな古びた建物がしっかり生き残っているという現実です。前回言った「日影温泉」もそうですが、伝統と歴史と暖簾をしっかり守って営業しているという感じです。そりゃあ、木造なのでカビが生えたり、蜘蛛の巣が張ったりと、「衛生面」「保険面」においては問題がありますが、つぶれるよりはましだと思います。この「蟹場温泉」も温泉遺産認定証をもらっている温泉で「日本秘湯の宿」お墨付きです。フロントと言えば聞こえがいいですが、帳場にはご主人が一人寂しく番をしていて、私たちが入っていくといろいろ説明をしてくれました。「外には混浴の露天風呂。内湯は女性専用の岩風呂と男女別の木の風呂。どちらにします?」という問いに、私は迷うことなく「露天風呂」。妻は「内湯」。に決まり、それぞれ別方向へ。露天風呂は本館から離れること約60メートル。ブナの原生林の中にひっそりとたたずんでいました。一人の先客がいましたが、気持ちよさそうに裸で寝ていました。もちろん男性です。源泉かけ流しの温泉は惜しげもなく溢れ出して渓流に注いでいます。湯華が多量に浮遊し、いかにもなんにでも効く、という感じでした。約15分くらいで切り上げ、今度は私もうち風呂へ。こちらは木(杉、ヒノキ)がふんだんに使われ、贅沢三昧の湯加減でした。ただ、掃除が行き届いていないので、カビ、蜘蛛の巣が至る所にあり、秘湯の宿そのものでした。現代人の私たち夫婦はさすがに「ここで泊ろう」とはならず、どうせなら角館まで行き、武家屋敷を見てからホテルを探し、街中で一杯やろう・・という算段になり、一路、角館を目指したのでした。角館についてすぐ「角館プラザホテル」を探し、宿を確保しようとしたのですが、支配人曰く「明日、角館をスタートするマラソン大会があり、この街には今日3,000人が宿泊します。今日は角館に泊まることは無理です。」という・・・。ショック。最近あまりなかった大きなショックでした。秋田地鶏を肴に秋田の銘酒でも飲もうとしていた呑兵衛夫婦には晴天の霹靂のような言葉でした。秋田か盛岡に行けば泊まれるということでしたが、暗くなってからの宿探しは大変なので、今回は、大人しく八戸へ帰ることにしました。もちろん帰りの車の中は、無言・・・まるで通夜のようでした。それでも盛岡から東北自動車道に乗り、途中の岩手山サービスエリアで「南部地鶏の親子丼」を食べ溜飲を下げたのでした。無計画な旅行は、このような結果になりやすいので、泊まるときはくれぐれも予約を忘れないように・・・・。

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園舎全面改築工事いよいよスタート

2012-09-15 12:42:09 | 日記

園長です。

 先月のお盆過ぎから、それまで静かだった園舎の改築計画がにわかに進みだしました。6月6日に設計・監理の入札が終わり、設計師が本格設計に入り、地質調査を行い、確認申請をだし、見通しが立ったということで、建築工事の入札をすることになり、建設新聞に公告を出し、地域限定型の参加申し込み型指名競争入札を行い、9月12日に建設業者が決定しました。震災復興が本格的に始まり、資材と人手が不足しているという情報が入り、資材高騰が予想される中、なんとか予定価格内で1社が落札してくれ、安堵している次第です。14日に契約を済ませ、安全祈願祭の打ち合わせも行い、いよいよ改築が本格的に動き出します。19日が大安でお日柄もいいということで知己の宮司様に電話でお願いし、その場で予約完了しました。この宮司様とは私たちが若かりし頃「朝野球チーム」でバッテリーを組んでいた仲なのでした。もちろん体が頑丈な私がキャッチャーで宮司様はピッチャー(しかもサウスポー)でした。あまり勝ったという記憶はありませんが、一生懸命投げていたという記憶があります。彼は社会人野球でも活躍した選手で私とは大違いの野球センスの持ち主でした。その後彼は野球から足を洗い、ゴルフへの道を進んだのですが、こちらの方は私の足元にも及ばない素人の前に「ど」が付くくらいの実力です。そんなわけで娘たちの節目節目のお祝いや孫が出来てからのお祝いには彼の前で頭を垂れ、祝詞を聞いています。震災のあった2011年の元旦にもお祓いをしてもらいました。あの時は我が家の大移動があり、何事も起こらないようにと思い、行ったのですが、おかげであの大震災にも奇跡的にけがもなく全員が無事に過ごせたものと思っています。19日には地鎮祭の後、サクランボの木、柿の木、カンタンキョウの木もお祓いして切ってもらう予定です。今まで大変お世話になった食育の木ですが、これで一段落します。次はもっといろんな木を植えたいと思っています。今日はとりあえず、19日のために畑をきれいにし、建物が建つ場所に杭を打ちました。畑の一角に「ブルーベリー」の木があったので、移動をお願いしました。さあ、これからが私の出番です。たくさんの書類が待っているそうです。まずは、「規模変更届」の書類を書かなければなりません。添付書類が期限までにそろうか心配です。

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飲食乾坤

2012-09-05 10:24:54 | 日記

園長です。

 昨日、9月4日、服部幸應氏の講演会に行ってきました。地方の片田舎ではなかなか聞くことのできない先生ですので、是非聞いてみたいと思いました。先生は「食育」の提唱者で、「食育基本法」の推進者でもあります。日本人の食のあり方に疑問と危機感を持ち、堕落した日本人を救うためには「食の健全性」を取り戻すことが重要だと考えたようです。講演では世界中を回り、食の様子を見たり、家庭や教育の様子を聞いたりした内容で、現在の日本はその中でも危機的状態にある環境だそうです。日本の食糧自給率が39%であることから始まり、世界では日本に食糧を輸出しない雰囲気にあること、日本の経済力の低下で、国力の衰退、日本人自体の危機感の喪失などこれから日本を背負っていく子供たちを育てている私たちには大変面白くない内容、言い換えれば日本の教育制度の崩壊がもたらした日本自滅の道筋を「食」を通して話してくれました。一部「子供は3歳まで親から離すな」的な内容には納得しかねる部分もありましたが、我が家の家庭を振り返ってみても、私が育ったころとは食卓の様子がずいぶん変わったような気がします。私の母親はあまり料理が得意ではなく、おふくろの味・・・というものは特になかったように思います。時代もあまり豊かな状態ではなく、野菜が中心で、肉料理の思い出は、の人たちが近くで獲ってきた来た「キジ」肉と「うさぎ」肉が最初でした。ウサギの肉は色が赤く「因幡の白ウサギ」を連想させました。キジは今も我が家の近くでは普通に見られますが、捕獲するまでには至っておりません。当時は肉料理は特別な日でないと口にできない時代でした(我が家だけだったのかもしれませんが・・)。調味料も塩が中心で、味噌と醤油は欠かせませんでした。冬になると全員が勢ぞろいして「味噌つくり」をした記憶があります。「味の素」などの化学調味料は当然無く、昆布、煮干しでだしを取るのが普通でした。我が家は農家だったので両親は朝早くから夜遅くまで外で仕事をしていたので、小学生のころは自分でお昼ご飯を作って食べていました。おかずはほとんどが漬物中心で、たまには放し飼いにしていた鶏から生みたての卵を失敬して、「茶わん蒸しもどき」を作って食べたりしました。今の私は、当時の鶏と卵で大きくなったといっても過言ではないような気がします。大学時代も気が向けば自炊をしていたので、自分では食に困ったことはなかったような気がします。

 結婚してからは妻が「食育」担当になったので、私は「食べる専門」になってしまいました。はっきり言って妻は料理が上手です。妻の父親が味にうるさい人だったらしく、味付けには特に心がこもっています。最近はインスタントみそ汁が出てくることが多くなりましたが、子供たちが小さかったころは「昆布」と「煮干し」でしっかりだしを取っていたことを思い出します。妻の作る料理の中で私が一番おいしいと思うのは・・・「茶わん蒸し」です。毎年、大みそかの夜は、ごちそうを作り、いただくのですが、妻が作った「茶わん蒸し」は自分が言うものなんですが、絶品です。我が家の子供たちが全員集まることは最近多くはありませんが、集まると「茶わん蒸し」コールが起こります。基本的に「煮物」が得意な妻の料理ですが、高野豆腐と私が収穫したキノコで作った煮物は最高です。まさに「おふくろの味」だと思います。女性にとって「料理」は大事です。最近は「主夫」なる男性も増えてきましたが、「親父の味」というまでは表現しないのではないかと思います。料理人の世界は男性社会ですが、家庭の料理は女性にはかなわないと思います。我が家の娘たちも料理を作るのは楽しいらしく(長女はだいぶ苦戦しているらしい)、これからが楽しみです。ちなみに末娘は今年から料理学校へ通っていて、たまに晩御飯のおかずを作ってくれるようになりました。現代風の味付けが多いのですが、たまに食べると新鮮でおいしいです。ちなみに「マイ包丁」も何本か持っているので、あまり気分を害さないように気を付けています。とにかく人間が生きていくうえで「食」は大切です。食卓と教育は同じだと先生は言っています。表題の「飲食乾坤」(いんしょくけんこん)は先生の座右の銘だそうです。乾坤は天と地を表し、食は大切だということを言っています。「乾坤一擲」(けんこんいってき)ということわざもありますが、食は博打ではありません。天下の大一番でもありません。毎日の食事を大切にしましょう。「早寝、早起き、朝ご飯」は基本中の基本です。家族の大事な「団欒」を守るためにも心にとどめておきたい言葉です。これを機にもう一度食育について真剣に考えてみたいと思います。

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