【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

新型インフルエンザ/『深海のYrr(イール)(下)』

2009-05-10 17:36:36 | Weblog
 「国内初の患者発生」とマスコミは大騒ぎ(関係ありそうな土地に集結して騒ぎまくったり、何も情報を持っていない人や校長に返事を強要したり)ですが、私があきれたのは、学校や教育委員会に「抗議の電話」をする人がいる、というニュース。その「抗議の電話」で日本の何がどのくらい良くなるんです? 何かが良くなる期待はなくて、忙しくしている人の時間を一方的に奪うだけの行為は、不安を言い訳や大義名分にしたただの「有害無益な行為」でしかないと、私には思えます。やっても仕方ない行為は慎んで、少しは静かに経過を見守れないのかなあ。

【ただいま読書中】
深海のYrr(イール)(下)』フランク・シェッツィング 著、 北川和代 訳、 ハヤカワ文庫、2008年、800円(税別)

 イールは単細胞生物が集合してニューラルネットワーク・コンピューターのように機能しているのではないか、と科学者たちは推測をします。人が多くの細胞(DNAは共通でもそれぞれは異なる細胞)から成り立っているように、様々な異なる単細胞生物が情報を何らかの手段で交換することで一つの知性体として成り立っているかのようなのです。
 また著者は、人類を「それぞれが異なった様々な個人の集合体」として描きます。その人間関係も「現在の結びつき」だけではなくて「過去の結びつき」も重視しているようです。
 イールとついにコンタクトができた夜は、人々にとっての議論の夜でした。進化論・誤解された進化論・創造論が入り乱れます。同時に(例によって)人間の間での権力闘争も進行します。権力への野望と対立する組織の足を引っ張るための陰謀と……「そんなことをやっている場合か」と言いたくなりますが、人には「どうしても譲れない一線」があるのでしょう。自分の野望のためには他人が何人死のうとあるいは地球が壊れようと気にしない人がいるのです。さらに、コンタクトに対するイールの行動は、直接的な攻撃でした。
 イールの超変異DNAは複雑です。どうやら「獲得形質(DNAの変化)」を情報としてやり取りしているらしいのですが、それは「イール」の同一性を脅かします(DNAが常に変化するのですから)。ところが集合生物としてのイールはずっとイールのままです。同一性の維持と獲得形質の情報化とを両立させるためにどのようなトリックを使っているのか、が一つの大きな謎です(生物学的にはあり得ないのですから)。さらに、イールに地表の破壊をやめさせる手段はまだ見つかりません。人間同士のいがみ合いも進行します。
 イールからの最初のメッセージ(人類が送った数学の問題に対する返答)は、海底から見た水面の画像。地表や人類のDNAデータなどに対する二つ目のメッセージは、一億八千万年前(パンゲア大陸の時代)の地球の姿の画像でした。イールは自らの遺伝子に「種の記憶」を持っているのです。そして、対イールの本部であるヘリコプター空母に嵐の夜がやってきます。人間同士の殺戮の夜です。さらにイールからも、海底から魚雷が空母に撃ち込まれます。
 人類はイールに二つの相反するメッセージを届けようとします。一つはイールを全滅させるもの、もう一つは人類とイールの共存。はたして深海に届けられるのはどちらか、そしてその結果は……

 本書をひとことで言ったら……海洋冒険サスペンス科学環境生態ホラー小説かな。ひとことで言えていませんが、これは、あまりに多くの要素を盛り込んだ著者の責任です。面白くて読み始めたら止まりませんよ。警告だけはしておきます。

 そうそう、本書ではほとんど言及されませんが、日本がどうなったのかが気になります。貿易も漁業も壊滅状態では、おそらくとんでもなく悲惨な状況になっていたと想像できるのですが、だれか番外編を書いてくれないかなあ。「深海のYrr(イール) 蚊帳の外の日本編」を。



♯と#/『深海のYrr(イール)(中)』

2009-05-09 17:52:45 | Weblog
 「♯」は「シャープ」です。「#」は「いげた」。さて、携帯電話の右下のキーは、どちらでしょう?(ヒント:シャープは縦線が垂直で横線が斜め、いげたは横線が水平で縦線が斜め)

【ただいま読書中】
深海のYrr(イール)(中)』フランク・シェッツィング 著、 北川和代 訳、 ハヤカワ文庫、2008年、800円(税別)

 普通の小説では「善玉」とか「ヒーロー」が中心となりますが、本書では「憎まれ役」とか「負け犬」に相当する人についても著者は詳しい描写を続けます。環境保護ゴロをやっている先住民と白人の混血の男やデータを誤魔化したことがばれて降格処分を受けた石油会社のエリートなど、普通だったら「勧善懲悪」で簡単に片付けられてしまいがちな人物にも、それぞれの背景や「なぜそのような生き方をするようになったのか」の動機が断片的に描かれます。読者の想像力は刺激され、本書に描かれている世界が広がりを増します。
 上巻で始まった「海の異変」の仕上げのように、海から最強の魔物が登場します。50~150kmにわたる大陸棚の崩壊によって生じた津波です。ヨーロッパで北海に面した町はすべて壊滅します。北海油田の石油掘削プラットフォームは次々破壊されます。数百万人が死亡する、悪夢のような大惨事です。水害と火災、疫病の発生、原子力発電所の破壊、上水道の汚染……被害はさらに拡大します。
 上巻では主にノルウェーとカナダが物語の主要な舞台でしたが、中巻で多くの国が登場します。特に、これまでわざとのように軽く扱われていたアメリカが「待たせたな」と言わんばかりに。対策本部の中心となるのは、若き(といっても40代後半)司令官ジューディス・リーです。米中混血でウエストポイント士官学校初の女性の卒業生、多芸多才で大統領のお気に入り……彼女が率いる参謀本部に、上巻での主要登場人物たちも集結します。壊滅状態のヨーロッパで生き残った科学者で使える人材は洗いざらい集められたのですから当然ですが。そこで示された情報は、慄然とするものでした。海での人的被害は急増しています。鮫・鯨・毒クラゲなどだけではなくて、ごく普通の魚の群れまでもが人間を組織的に襲っているのです。さらには動物と微生物との新しい連携も生まれています。海はまるで人類を閉め出すために行動しているかのようです。さらに海底ケーブルもつぎつぎ何ものかに破壊され、インターネットはダウンします。
 そしてついにアメリカも「海からの襲撃」を受け始めます。ヨーロッパで水道を汚染したのはロブスターでしたが、アメリカではカニです。このあたり、著者の想像力には驚かされます。主題を隠したまま様々な変奏曲を次々奏でてくれますが、そのバリエーションの豊かなこと。さらに、メキシコ湾流がストップし、さらに大西洋全体を襲う津波の原因となる海底火山の爆発の懸念が増します。
 CIAはテロリストの関与を強く疑いますが、ヨハンソンは多くの現象を統合的に眺め、ついにとんでもない仮説にたどり着きます。人類は深海に住む異質な知性対に攻撃されている、と。科学者・情報部・政治家・軍人たちは熱い議論を行い、そしてその仮説の妥当性を認めます。ヨハンソンはその知性体を表す一つの言葉を思いつきます。「Yrr」。プロジェクトは変容します。イールを殲滅することは不可能です。だったら、イールとコンタクトすること、なんとか人類の殺戮をやめさせること、それが目標となったのです。
 上巻の感想で『パンドラ』に言及しましたが、中巻でも最後にまた「宇宙」が登場します。なんとも著者は面白くこちらをあちこちにこづき回してくれます。ヨーロッパの作品だからでしょうか、ハリウッド映画の「善悪の割り切り」や「若くて魅力的なヒーロー・ヒロイン」に対する「アンチ」の主張があちこちに見られるのが笑えます。また、各地のネイティブへの言及も多いのは、著者の文化的な好みなんでしょうか。さらに「海」と言ったら大西洋、というのもやはり「ヨーロッパの作品」と感じさせられます。そのかわりのように、めちゃくちゃに蹂躙されるのもまたヨーロッパなのですが。いやもうその破壊ぶりは、なんというかすごいですよ。


ルールの厳正さと寛容さ/『深海のYrr(イール)(上)』

2009-05-08 17:44:38 | Weblog
 ルールはきちんと運用されるべきです。その場その場で適当に解釈されるのならそれはルールとは言えません。しかし、あまりにがちがちに隅から隅まで決めて、狭量な教条主義者や形式主義者だけが大喜びするようなものにしてしまったら、そこで多くの人は不幸になります。
 「公正を期して作られるのが法律だが、そのあまりに厳正な実施は不公正につながる」古代ローマの格言です。
 では「管理者の寛容な対応」と「ルールに則った事務の円滑な進行」とを両立させるためにはどうすればいいか、が問題となります。私はルールの運用者(管理者)が(教条主義者や形式主義者以外の多くの人が納得のいく)「十分な理由」が示せれば、必ずしもルールの文言どおりではない対応をしても構わないと思っています。もちろん「ルール破り」を勧めているわけではなくて、「寛容」と「ルール」の両立のために、です。ルールは基本的に個人と共同体の利益のために存在しているのであって、ルールが「ご主人様」ではないのですから。

(最近書いたメールの内容をちょいといじって日記に流用しました。決して手抜きではありません)

【ただいま読書中】
深海のYrr(イール)(上)』フランク・シェッツィング 著、 北川和代 訳、 ハヤカワ文庫、2008年、800円(税別)

 三分冊ですが、三冊を並べると帯の文句がつながって「ドイツで『ダ・ヴィンチ・コード』からベストセラー第1位の座を奪った驚異の小説、ついに日本上陸」と読めるようになります。なんでも200万部もベストセラーになったのだそうで。日本でハヤカワ文庫がそこまでのベストセラーになることはないよなあ、と、文庫ではハヤカワを一番たくさん買う人間としてはちょっとため息をついてしまいます。

 海で何かが起きています。ペルー沖で伝統漁法の漁民が遭難します。ノルウェー沖の深海で、メキシコ湾で発見されたのと似たしかしはるかに巨大な新種のゴカイ(メタンを食べるバクテリアを餌としている)が大量に発見されます。カナダ沖では、鯨の回遊が異常なほど遅れていました。しかもやっと現れた鯨は異様な行動をします。外洋で貨物船が貝に襲われ、救助に行ったタグボートは鯨に襲われます。
 魅力的なオープニングですが、厚みのある文章での人物描写も魅力的です。各地で海と関わっている人たちの生活と性格と対人関係とがさりげなくしかしけっこう濃厚に描かれていきます。しかし、50代の人間が主要な役割を振られて登場するとは、ちょっと嬉しくなります。
 さらに深海での油田開発とメタンハイドレートに関しての予備知識が慎重に読者に与えられます。
 深海で“怪物”がその一部を見せます。鯨たちが様々な種類が団結したかのように船を次々襲い始めます。漁船の遭難が続きます。毒クラゲが異常大量発生します。海での死者・行方不明者・負傷者が多数出ます。エビやカニが有毒となります。
 ノルウェーの海洋生物学者ヨハンソンはゴカイの問題に最初から関わっていましたが、考え始めます。何かこれらには「関連」があるのではないか、と。読者にはそれが見えています。「謎のゼラチン質」です。
 さらに、海底のメタンハイドレート層が崩壊し始めます。それも各地で。
 ヨハンソンは「陰謀論」を頭の中で弄びます。それが現実にあるのではないか、と恐れながら。

 人類が地球上の他の生物に襲われる、と言えば、ヒッチコック監督の「」や『トリフィドの日』(ジョン・ウィンダム)が“定番”でしょうが、「地球上の生物の多くがそろって異常行動をするようになり、そして人間が襲撃される」といえば私がすぐ思い出すのは『パンドラ』(谷甲州)
です。
 私の記憶ではたしかあちらでは鳥・海洋・ジャングルなどが描写されてから宇宙にまで話が広がっていきました。それに対して、本書では最初にちょっと宇宙についても話題が出ますが、主舞台は人類にとっての未知の世界「深海」です。宇宙と深海はどちらも人間が簡単に踏み入れない世界ですから、ホラーの舞台としては最適とも言えますが、ちょっと知識が浅い人がつついたらすぐに馬脚が現れてしまう怖いところでもあります。本書ではすごいですよ。著者の博識は並みではありません。


新しい図書館/『がんばれカミナリ竜(上)』

2009-05-07 18:44:08 | Weblog
 職場の帰りに寄っている市立図書館はそろそろめぼしい本を読み尽くしてしまったのに新規購入が少なくて、書庫から出してもらうか……でも検索が面倒だなあ、となっていました。県立図書館は専門書も多くて新規購入も多いのですが、ちと遠いのが難点です。
 そこに朗報。職場のすぐ近くの大学で図書館を一般公開していることを最近知り、さっそく仕事帰りに寄ってみました。きょろきょろしながら入館したら……うほほ~い、です。さすが大学。教科書や副読本レベル以上で各種の専門分野の本がずらり。一般書もけっこう充実しています。一般人は1回に3冊しか借りられないのですが、県立・市立と組み合わせたらとりあえず本をバラエティ良く借りるスケジュールはうまく回転できそうです。
 ただちょっと気になったのは、利用者がずいぶん少ないこと。私がいる間にも見かけた学生は二人だけ。蔵書には貸し出し記録(日付だけ)がついているのですが、私が興味を引かれて手に取った本はどれもまったく貸し出し履歴がありません。手ズレもついていません。
 もったいないもったいないもったいないもったいない。学生さん、もっと本を読め~。
 ちなみに本日の読書日記は、そうやって初めて図書館から連れ出してもらったらしい、表紙はそれなりに古びていますが中はあまりにきれいな本です。

【ただいま読書中】
がんばれカミナリ竜(上)』スティーヴン・ジェイ・グールド 著、 廣野喜幸・石橋百枝・松本文雄 訳、 早川書房、1995年、1805円

 「ナチュラル・ヒストリー」誌に連載されたおなじみのエッセー集ですが、著者自身が(本書がそのシリーズの5冊目ですが)「本書こそ五冊中最高だと臆さずあえて断言しよう」とプロローグで高らかに言ってくれます。
 しかし初っぱなが「ジョージ・カニングの左の尻と種の起源」……もうタイトルを見ただけで笑ってしまいます。中身はそれほど笑えませんでしたけれど。相変わらず野球の話題も出てきますが、今回は野球の起源についての考察です(「クーパーズタウンの創造神話」)。タイプライターを進化論的に考察した一篇もあります(「テクノロジーにおけるパンダの親指」)。そういえば「パンダの親指」自体が面白いエッセーでしたね。これは「進化の頂点には最適な生物が来る」わけではないことを、タイプライターのキー配列が使いにくい「QWERTY配列」であることを進化論的に説明する、「使い古された材料を新しい調理法で提示する」という、エッセーを書き慣れた人間でないと絶対失敗するやり方で処理した作品です(もちろんグールドはちゃんと成功しています)。ここを読みながら私は「マイクロソフト社にも同じことが言えるな」と思っていました。「偶然」と「現にそうであることの強み」によって「最適ではない」ものが独占的な地位を得る、これこそが「進化」なのです。
 ちなみに本書には(上下巻ともに)「がんばれカミナリ竜」というエッセーは存在しません。「がんばれプロントサウルス」はありますが。これは「アパトサウルス」と「プロントサウルス」との命名に関する論争の一篇ですが、著者の筆があまりに好調なので、私は笑い転げてしまいます。とくに「管理者が規則を運用する場合」についての注意が非常に印象的でした。厳格な規則と寛容で円滑な運用とを両立させるための大きなヒントが示されています。
 「フォックステリアのクローン徐々に広まる」では、教育に対する懸念が表明されます。生物の教科書で、ラマルク・ダーウィン・キリンの首・ガの工業暗化・ウマの骨格の変遷……がまったく無批判に繰り返し続けていることを、誠実さを欠いた知的に安易な道を選ぶ態度、と強く批判しているのです。そこには、創造論者への配慮から「進化論は広く受け入れられているが、他の考え方もある」とか「ヒトは他に類を見ない存在だが、多くの科学者はヒトにも進化の歴史があると信じている」とか記述されていることへのいらだちもあるのでしょう。私も高校で、「ラマルク、ド・フリース、ダーウィン、ガの工業暗化、ウマの骨格変遷」は習った覚えがありますが、創造論は幸い知らずにすみました。ただ、歴史教科書ではアメリカの創造論と進化論の対立に相当するものがありましたが。
 そして「マダム・ジャネット」。これは叙情詩です。音楽への愛と大切な思い出。豊かな人生とはどのようなものか、ここに一つのモデルがあります。そして、その「お裾分け」がこれらのエッセー集でしょう。進化論とは直接関係ない読者も、このエッセーをきっかけに自分の人生を振り返り「豊かな日々」があったことを思い出せる、そんな素晴らしいエッセー集です。



疑問形?/『トニーノの歌う魔法』

2009-05-06 20:50:27 | Weblog
 ラジオで女性アナウンサーが地方のあちこちを尋ねるコーナーをやっていました。そこでなにやら珍しいものを「○○はこの地方の名物で美味しいですよ」と勧められて一口「美味し~い。私って、○○を食べるのは初めてじゃないですかぁ。だけど……」
 聞きながら私は吹き出しました。勧めたおばちゃん、「私って初めてじゃないですか」と言われてどんな顔をしているんだろう、と想像して。初対面の人がそれが初めてかどうか、誰も知りませんがな。
 “日本語”だったら「私は初めて頂いたのですけれど……」じゃないかなあ。

【ただいま読書中】
トニーノの歌う魔法 (大魔法使いクレストマンシー)』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 野口絵美 訳、 佐竹美保 絵、徳間書店、2001年、1700円(税別)

 「この世界」ではイタリアは小さな都市国家の集合体です。その一つカプローナでは呪文づくりが盛んでしたが、その中でもモンターナ家とペトロッキ家の両家が筆頭でした。そしてこの両家はおたがいに憎み合っていました(はい、『ロミオとジュリエット』です)。大公は芝居に夢中で太后は腹に一物ある様子、そしてカプローナを守る魔力が衰えを見せ、フィレンツェ・ピサ・シエナなどが少しずつ周囲からしめつけを強めてカプローナは譲歩一辺倒となっています。
 モンターナ家のトニーノは、本好きですが呪文に関しては腕が悪い少年です。しかし一家の守り神である猫ペンヴェヌートと会話ができるおかげで家族からは一目置かれています。一家の大切な娘ローザは婚約しますが、その相手には何か謎があることをトニーノは知ります。戦争が始まり、イギリスからクレストマンシーが到着します。戦争に勝つ(少なくとも負けない)ために必要なのは、カプローナを守る天使が歌う歌の歌詞です。メロディーは残っているけれど、歌詞が失われているのです。
 あ、わかった、と私は呟きます。だからタイトルが「トニーノの歌う魔法」なんだな。どんな予想をしてもそれを上回るストーリー展開をDWJにされてしまうのはわかっていますが、とにかく途中に何があっても(おそらくロミオをジュリエットもあるに違いありませんが)、結末ではトニーノが歌うのです。
 しかし本書でも魅力的な人物が次から次へと登場します。私の一番のお気に入りは料理担当のジーナ伯母さん。絶叫と文句ばかり目立ちますが料理の腕はピカイチ。この人が登場すると私はにやついてしまいます。さらに、「人の名前を間違えてばかりいる人」が本書にも登場します。DWJは「そういう人を必ず登場させる」とこのシリーズの決めごとにしたのかな。
 で、ストーリー展開ですが……やっぱりDWJは私よりもはるかにはるかに上手です。どうしてここまで面白い話を書けるんだろう、とこちらは楽しむだけです。クレストマンシーシリーズはこれでおしまいですが……え、番外編があるって? 図書館で探さなくっちゃ。探索とか引き寄せの魔法が欲しいなあ。


切り札/『魔女と暮らせば』

2009-05-05 18:50:24 | Weblog
 ダイアナ・ウィン・ジョーンズの本を最近集中的に取り上げていますが、読んでいてどの本でも「魔法」が「切り札」(ギリシア演劇でのデウス・エクス・マキナ的な存在)として使われていないことに気がつきました。「魔法さえできれば何でも可能になる」のではないのです。魔法には魔法の規則と限界があり、それを勝手に破ることはできません。そして、魔法を使った場合にはそれは「良いこと」だけではなくて「悪いこと」ももたらす可能性があることを、魔法の使用者は覚悟しなければならないのです。物語り進行上ある意味非常に厳しいツールです。まあ、だからこそDWJの作品は安心して没入できるんですけどね。

【ただいま読書中】
魔女と暮らせば (大魔法使いクレストマンシー)』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 田中薫子 訳、 佐竹美保 絵、徳間書店、2001年、1700円(税別)

 船の事故で孤児となったキャット(エリック・チャント)は、偉大な魔法使いの素質を持つ姉グウェンドリンと一緒に町の世話になって暮らしていました。姉にあこがれを感じていますが、キャットには魔法の素質はありません。
 ……ここで私は早速引っかかります。「チャント」だって? これまでのシリーズで登場したクレストマンシーの本名はクリストファー・チャントです。ということはこれは明らかに「伏線」ですが、ちょっと目立ちすぎ。しかも魔法が使えない男の子、で、左利き……これもきっと伏線だな……まあ、あまり考えすぎずに、と思ってページをめくると、あらあら、そのクリストファーが登場して二人を引き取っていくではありませんか。グウェンドリンは有頂天です。自分の才能がクレストマンシーに認められたのだから、これでどんどん魔力が向上して最後には世界を支配できるはず、と信じ込んだのです。ところが当て外れ。クレストマンシー城は冷ややかに二人を迎えます。魔術の授業も受けられません。グウェンドリンはかんしゃくを起こし自分の力を見せつけようとしますがクレストマンシーたちにいなされ、ついにキャットを置き去りにして他の世界の“自分(に相当する存在)”と入れ替わってしまいます。かわりに登場したのは別世界(アメリカや自動車が存在するところを見ると、どうも私たちの世界のようです)の少女(魔法が使えない)ジャネット。キャットはジャネットの存在を隠そうとしますが、嘘が嘘を呼び事態はどんどん悪くなります。さらにグウェンドリンの悪だくみが発動し、城に悪意を持った多数の魔法使いや魔女や妖術使いが集まってきます。そしてキャットはその手助けをしなければならない羽目に。
 著者は猫好きのようですが、本書ではわざわざ主人公にキャットと名付けたことさえ伏線となっています。作中で登場人物は呪文でがんじがらめにされてしまいますが、本書では読者が伏線でがんじがらめです。ただ、なぜキャットに魔力がないのか、その真相は実は最初からきちんと描写されています。もちろん伏線の呪文がかけられていてなかなかその結び目がほどけないのですが。
 ああ、この「結び目がほどけないいらいら」が、快感です。


記録/『環境リスク学』

2009-05-04 17:44:25 | Weblog
 記憶はいい加減なもので、どんどん自分に都合良く書き換えられていきます。だけど記録はそこまで“柔軟”ではありません。たとえば「環境ホルモン」に対して、10年前に自分がどう反応していたか覚えていますか? 私は当時@niftyで「貝や魚が女性化することと人への悪影響とが直結しているのか?」と書いた覚えがあります(探せば記録が出てくるでしょう)が、当時賛成してくれる人は少なかったことも覚えています。世間は「環境ホルモン……きゃ~こわい」一色だったから仕方なかったでしょうが。で、環境省は「環境ホルモンのリスト」をいつのまにかこっそり削除して「なかったこと」にしていますが、そのことは「記録」しておかなくちゃいけません。私自身、こうやって「記録」を残すことで自分の意見の正しさや強度を常に自問することになるのはちとしんどいのですが、それでも記憶をさっさと書き換えて「なかったこと」にするのはイヤです。

【ただいま読書中】
環境リスク学 ──不安の海の羅針盤』中西準子 著、 日本評論社、2004年(06年7刷)、1800円(税別)

 「30年間、環境問題にとりくんできたが、私の意見は、常に最初は誰からも理解されなかった。ひどい孤立と誹謗中傷の中で数年じっとしていると、いつのまにか私の意見の方が多数意見になっていくるという経験を何回もしたからだ。世論は変わるのである」
 著者は最初河川研究から環境リスク学の道をスタートさせました。当時進められていた大規模下水道に対して「人口密度によって、個別・中規模・大規模の下水道を作り分けた方がよい」とデータを示したところ、露骨な妨害を受けます。お役所は大規模な下水処理場を作りたくて仕方ないのに、著者の研究がそれにブレーキをかけてしまうのですから。
 「ダイオキシン」に関しても、10年以上前に「ダイオキシンは極悪だ」という世評に異議を唱えたときには、こんどは市民団体などから抗議や脅迫がきたそうです。これにお役所も同調します。お役所は大規模なゴミ焼却場を作りたくて仕方ないのに、著者の研究がそれにブレーキをかけてしまうのですから。(そういえば、10年前に「ダイオキシンはこわいこわいこわいこわい」と絶叫していた人は、今も同じことを続けているのでしょうか?)

 リスク評価・環境ホルモン問題・BSEなどが述べられたあと、本書の最後には、魚食・DDT・ラドン・アフラトキシン・騒音・貧困・鶏卵経由のサルモネラ・電磁波などが個別に短く取り上げられていますが、どのようなものにもなんらかのリスクがあり、それを別の物に変えたらそちらには別のリスクがある、の連鎖となります。たとえば無農薬農業で収量を維持するために農地を広げたら、それは環境破壊を起こします。シロアリ退治の薬剤を、発ガン性があるものを禁止したら新しい薬剤には神経毒性がありました。さらに「コスト」の問題が絡みます。「コスト」とは金銭的なコストだけではなくて社会的に人が耐えなければならない様々な“犠牲”も意味しています。単純な二者択一では「リスク」は評価できないのです。「ファクト」に基づき、データを解析し、本来予測不可能な未来を予測する、それが「リスク評価」です。
 そこで重要な概念は「ハザード」と「リスク」です。「その物質自身が持つ毒性」はハザード。人の健康への影響(リスク)は、物質の毒性の強さと摂取量で決まるから、強いハザードでも摂取量が小さければリスクは小さくなります。そのもの自体と確率とのかけ算をする必要があるのです。

 著者によると「不確かなことが多いからたしかなリスク評価ができない」は日本語として成立していないそうです。不確かな要素を持つからこそ「リスク」という概念が登場したのだ、と。リスク評価には「摂取量の評価」と「毒性評価」が必要ですが、後者がないばあいにも「リスク比較」「リスクランキング」という手法が用いられます。評価する問題を絞り込み影響の大きさを比較するという(完璧ではなくても)その時点でできる最善を尽くして評価をしていく、と。それができなかったら「為政者の気分」で規制が行われることになります。今までの日本はずっとそうでした。その結果がどうだったか、少しでも記憶力がある人には説明は不要のはずです。記憶力がない人には説明しても仕方ないですね。どうせすぐに忘れられてしまうんだから。


怒りすぎ/『クリストファーの魔法の旅』

2009-05-03 17:31:36 | Weblog
 誰かが怒りとともに何かを攻撃している姿を見るとき、私は怒りをぶつけられている対象だけではなくてその「怒り方」も見ます。「そこまで怒る必要があるのか」というくらい怒っている場合には、「怒られている何か」になにか怒られるべき問題があるだけではなくて、「怒っている誰か」の方にも「そこまで怒らなければならない」何か大きな問題があるのではないか、と想像できるものですから。

【ただいま読書中】
クリストファーの魔法の旅 (大魔法使いクレストマンシー)』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 田中薫子 訳、 佐竹美保 絵、徳間書店、2001年、1700円(税別)

 「クレストマンシー」とは大魔法使いの称号です。『魔法使いは誰だ』で登場したクレストマンシーはクリストファー・チャントという青年でしたが、本書は彼の少年時代のお話です。
 政略結婚をした上流階級の父親と金持ちの母親との間は上手くいっていませんでした。クリストファー少年は寝ている間にあちらこちらの世界を旅することができるようになりますが、それを知った母の兄ラルフは商売にクリストファーを利用しようとします。12系列ある異なる世界の間での貿易です。
 クリストファーは第10系列の世界で、神殿に住む「女神」と呼ばれる少女と友達になります。もう一人の友は、ラルフから金をもらってクリストファーの旅を助ける青年タクロイ。ただしタクロイはクリストファーに心を開こうとしません。寄宿学校でクリストファーは初めて同年代の友を得、はじめは「千一夜物語」ついでクリケットに夢中になります(やはりイギリスですね)。授業は楽しいのですが、ただ一つ魔法の授業だけは何をどうやっても上手くいきません。しかし、ついにその才能が気づかれる日が来ます。彼には大魔法使いの素質があったのです。連れて行かれたのはクレストマンシー城。子どもの来る場所ではありませんが、彼は次のクレストマンシーとして訓練を受けさせられてしまいます。ところが守りの呪文でがっちり固められているはずの城で彼は何度も事故に遭い命を何度も落とします。
 さらに、「女神」が何をどうやったのか12系列の世界に逃げてきます。さらにさらに、クリストファーがだまされて密輸の手伝いをしていた悪党の親玉が、城の魔法使いたちの魔力を奪ってしまいます。城を守る力を持っているのは、子ども二人と裏切り者一人、そして魔法の猫だけ。しかもそこに「女神」を探索する神殿の兵隊たちが押し寄せてきます。さらにクリストファーは、行った者が誰一人帰ってきたことがない第11の世界に出かけなければならなくなります。そこは非人間的な大魔法使いが支配する世界なのだそうです。とんでもない窮地です。さて、クリストファーはどうやってこの二重三重の窮地を切り抜けることができるのでしょうか。


ナチュラル/『魔法使いは誰だ』

2009-05-02 17:59:32 | Weblog
 イギリスの素人のど自慢番組から彗星のごとく登場した歌手ポール・ポッツのデビューアルバム「One Chance」が届いたので繰り返し聞いています。専門的な訓練を受けた人ではありませんからテクニック的には未熟な面が見えます(聞こえます)が、彼の魅力は声質や発声のナチュラルさにあると私は思いますので、だとするとナチュラルさと専門的なうまさの両立を求めるのは矛盾と言えそうです。
 しかし……日本ののど自慢で「オペラを歌います」と言ってとてもうまく歌えたとしても、ここまで高く評価されるでしょうか。イギリス人って、どこか不思議です。

【ただいま読書中】
魔法使いは誰だ』(大魔法使いクレストマンシー)ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 野口絵美 訳、 佐竹美保 絵、徳間書店、2001年、1700円(税別)

 「魔女たちの反乱」以降魔法が禁止されていて魔法使いはその魔力の大小にかかわりなく死刑になる世界。ラーウッド寄宿学校の(日本だと中1くらいに相当する)2年Y組には、親が魔法使いとわかって処刑された子やその他の問題を抱えた子どもたちが集められていました。ある日「このクラスに魔法使いがいる」というメモが見つかります。それが本当だったらえらいことですし、嘘なら何のためにそのようなメモを? クラスの子どもたちや教師たちは、それぞれの思惑で動き出します。
 今回はクラス一つ丸ごとが描かれます。一人一人を追うのも大変ですが、全員キャラが立っていて、しかも一筋縄ではいかない連中です(基本的に“無邪気で素晴らしい子”はいません、こちらの現実と同じように。ただ、イジメの場面などでは“魔法”がかかっています、こちらの現実とは違って)。ただ、子どもにとって「魔法使いだ」という“告発”は、重すぎます。下手すると疑いだけで死刑なのですから。それをいじめっ子たちは見逃しません。他人がいやがるあるいは恐怖を感じることが大好きなのです。からかうふりをしてイジメの口実に「お前は魔法使いに違いない」を使い続けます。“教師の前では良い子”にだまされやすい教師は、あっさりその手口に乗ってしまいます。
 自分が魔法使いだ、という自覚を持った子どもたちは、魔法使い援助組織(そんなものがあるのです)に助けを求めます。そこで得た救いの呪文を唱えると現れたのは、洒落のめした伊達男、クレストマンシー。パラレルワールドをいくつも越えて呼び出されたクレストマンシーは驚きます。この世界はあまりに異常なのです。魔力が満ちあふれているのに魔法が違法とされ、魔法使いは普通の人に易々と捕まって火あぶりになっています。この異常の原因は過去にあるとクレストマンシーはにらみ、世界を是正することに取り組みます。しかし過去をどうやっていじるのでしょう。いくら強力な魔法使いでも、できることとできないことがあります。ただ、その日は魔力が高まるハロウィーンの日。クレストマンシーは全力をふるいますがまだ力が足りません。しかし……
 そして最後に、またメモが見つかります。「このクラスに魔法使いがいる」。みごとなエンディングです。


羞恥心/『出産』

2009-05-01 18:08:59 | Weblog
 過去の日本は“異世界”です。私自身、ほんの数十年前の子ども時代のことを思い出すだけで隔世の感があります。たとえば……昭和30年代には人前での授乳は珍しいことではなかったし、下着姿(男はステテコ、女はシミーズ姿)の人が夏は家の外をうろうろしていることもそれほど珍しいことではありませんでした。それが今ではそんなことをしたら「恥ずかしい」。ところが人前では平気で化粧しています。これは「羞恥心が変化した」としか言いようがありません。で、それを「どうしてそう変化したのか」を分析研究するのが民俗学なのでしょう。

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出産 ──産育習俗の歴史と伝承「男性産婆」』板橋春夫 著、 社会評論社、2009年、2000円(税別)

 本書は民俗学の本です。著者は大学で学生たちに「自分が生まれたときの聞き書き」をレポートとして課すという面白い授業をしていて、そのサンプルを読むだけで「これぞ民俗学」と言いたくなります。このレポートを何年も集積していったら、それだけで民俗学の本になりそうです。

 本書では、主に群馬県の習俗が具体的に取り上げられています。たとえば夫のつわり(東北地方では「男のクセヤミ」と呼ばれたそうです)。後産で生まれる胎盤を胞衣(えな)と言いますが群馬では自宅の敷地内に埋めたり昭和35年ころまで胞衣屋が回収して渡良瀬川の河原で焼いていたそうです。獅子舞で使った布を産着にする風習は昭和60年頃まで残っていました。
 魔除けとして行われる初宮参りは生後30日前後で行われますが(男女によって差がある地域があります)これは同時に「忌み明け」の意味もあったそうです。赤子の便所参りという珍しい行事も紹介されています。お食い初めは生後100日目頃(これまた男女差がある地域あり)ですが、河原で拾ってきた石を食べさせるふりをする「歯固めの石」というものがあるそうです。初誕生の儀礼では一升餅を背負わせますが、もし上手く歩いたら大人がわざとその子を転ばせるようにしたそうです。

 本書では八戸藩の上級武士の「遠山家日記」から出産の部分だけがピックアップされて紹介されていますが、面白いのは「産婆」が「コシダキ」と「トリアゲババ」の区別があることです。座産で後ろから産婦の腰を抱く人と前で赤ん坊を取り上げる人とに分業をしていた(支払いにも区別があった)のです。
 男もお産に参加していました。具体的な「トリアゲジイサン」は最初の論文には2人登場します。一人は前橋市粕川町込皆戸(こみがいと)の中谷金造さん(1866~1942)。本職は伯楽(馬医者)ですが、その腕を見込まれて出産を依頼する人が地域には多かったそうです。もう一人は新潟県南魚沼郡湯沢町土樽の原沢政一郎さん(1885~1969)。普段は新聞配達をしていましたが、村中が出産の依頼に来て、酒一本程度の謝礼で引き受けていたそうです。地域の人も「男だから」と特別視せずに、「上手だから」「力があるから」と普通に頼んでいた様子です。次の論文には男性産婆が群馬県に5人は実在していたことが紹介されます。さらに研究が進むと、他の地域(青森県、山形県、新潟県、静岡県、三重県、愛媛県、長崎県)でも男性産婆が見つかります。「出産は女だけの世界」と限定してから「男も参加しろ」というのは、きわめて「近代的な態度」なのかもしれません。