【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

読んで字の如し〈扌ー26〉「抱」

2014-09-25 06:15:50 | Weblog

「抱え上げる」……抱えを上げる
「抱き上げる」……抱きを上げる
「抱え寄せる」……寄せてから抱えるのではなくて抱えてから寄せる
「抱き上げる」……抱いてから上げる
「負うた子より抱いた子」……やはり対面は強い
「お抱えの運転手」……お姫様抱っこをしてくれる運転手
「抱き抱える」……抱くのか抱えるのかどちらなんだろう?
「腹を抱える」……背中が淋しい
「頭を抱える」……顔が淋しい
「石抱き」……実際には乗せるだけ
「抱き癖」……実は親の方についている

【ただいま読書中】『ベルリン危機1961 ──ケネディとフルシチョフの冷戦(下)』フレデリック・ケンプ 著、 宮下嶺夫 訳、 白水社、2014年、3200円(税別)

 フルシチョフにとって「行動すること」は国際的非難を招き、「行動しないこと」は労働力流出による東ドイツの崩壊を招く、という大きなジレンマとなっていました。しかしフルシチョフはウルブリヒトに「青信号」を出しました。西ベルリン閉鎖計画です。ウルブリヒトは、大量の鉄条網や人員の行動計画などをすでに準備していました。実行責任者はエーリッヒ・ホーネッカー。苦笑してしまうのは、鉄条網がイギリスと西ドイツのメーカーから購入されたことです。
 アメリカでキッシンジャーが登場します。ケネディ政権がベルリンに関してソ連にどのような態度を取るべきかの助言と、このままだと熱核戦争に一直線である、という警告を、明確な言葉の文書で提出しました。ただし自分の意見が重んじられないことを見てさっさと退場してしまいます。
 当時「ベルリンでの国境」は“オープン”でした。極端なところでは、一つの街路の片方の歩道は「東」もう片方は「西」のところもあったのです。だから“難民”はほぼ自由に西に脱出できました。「境界線」は、ベルリン市内の東西境界線が27マイル、西ベルリンと東ドイツ農村部の境界が69マイル。計画では、まず警官と正規軍で「人間の鎖」で西ベルリンを取り囲んで人の出入りをストップさせ、それから建設部隊が有刺鉄線で障壁を迅速に建設することになっていました。8月13日(日)午前1時~6時の5時間で完成させる予定です。予定は時間前にほぼ完璧に達成されました。
 激怒して「壁」の片方に集まった西ベルリン市民は、東ドイツ警備隊の高圧放水で蹴散らされました。「壁」の反対側に集まった東ベルリン市民は催涙ガスで蹴散らされました。「西」の軍隊は一切動きません。動いたとしても圧倒的な兵力差があるから意味はなかったのですが。
 「壁」ができても、難民の流出(脱出)は続きましたが、困難度がはるかに増していました。さらに鉄条網はコンクリートブロックの高い壁に取り替えられていきます。8月24日には、脱出を試みる人間に対する射殺許可指令が出されます。国に対する反逆者、ということです。西ベルリン市民の怒りはアメリカにも向かいます。どうして何もしないのか、と。東ベルリン市民は自己憐憫です。脱出できるときにしなかったことに対して。ブラントは自分の選挙戦に有利な材料としてベルリンの壁を利用します。フルシチョフに虚仮にされ、ブラントに利用されそうになって、ケネディは激怒します。ただ、フルシチョフが西ベルリンの“外”だけ触って“内”に手を出さなかったことでフルシチョフの野心の限界も読み取ります。良い解決策とは思えないが、「戦争war」よりも「壁wall」の方がマシだ、と。フルシチョフとケネディの間で初めて意思の疎通が行われた瞬間、と言っても良さそうです。ケネディはまず副大統領ジョンソンをベルリンに派遣します。その力強い演説を聴き、市民は感涙にむせびます。自分たちが見捨てられていない、と感じたのです。ついでアメリカ陸軍が西ベルリン駐留部隊の増強として1500名、東ドイツ領内のアウトバーンを西ベルリンに向かいます。ソ連は「ベルリンへのアクセスは保証する」という約束を守ります。これまた、フルシチョフからのケネディへの“メッセージ”と言って良いでしょう。
 軍は“報復”のための核戦争のシナリオを描きますが、ケネディは「人類の生存」と「道徳的立場(核戦争を始めた側が“悪”」とを考えています。しかしフルシチョフは“次の手”を打ちます。政治的に非常に重要な場である共産党大会で、ベルリンの事態は進行させない、と“飴”を与えた直後に、水爆実験の予告をしたのです。これによって国内の地固めは完了し、対外的にも強気のメッセージを発することができます。しかしそれによって核戦争のリスクは上昇しました。ケネディも、国内のことを考えると「弱腰」と見られてはいけないのですから。そこで「数字」を公表することにします。アメリカが保有する核戦力の「数字」です。ソ連はそれを「脅し」ととります。核戦争のリスクがまた高まります。
 そして、物語の舞台は、本書上巻の冒頭、チェックポイント・チャーリーに戻ります。
 ドゴールはケネディに協力することを拒否します。アデナウアーはすでに政治的には死に体です。さらにケネディの個人的なアドバイザーとしてベルリンに派遣した退役将軍クレイは好き放題やろうとしていました。
 チェックポイント・チャーリーをはさんで、東西の軍は実弾を詰めたライフルをお互いに向け合っていました。そしてこんどは戦車が戦車砲をお互いに向けて対峙することになります。緊張あるいは恐怖のあまり、もしも誰かがうっかり引き金を引いてしまったら、そこで戦闘が始まり、それは容易に戦争になったことでしょう。
 ベルリンの場合には幸いに核戦争も通常戦争も起きませんでした。しかし、実は非常にきわどいところだったわけです。「誰も望んでいないのに、戦争が起きる」のは不思議だとは思っていましたが、本書を読めば、様々な人の思惑と行動が“うまく”かみ合うと、誰も望んでいなくても事態は戦争にまっしぐらになることが具体的に理解できます。
 フルシチョフは、「ベルリン」でケネディの無定見と不決断の傾向を見抜き、「キューバ危機」に踏み出す決断をしました。この時にはケネディも成長していて、見事な対応をしたのですが、もしもベルリンできちんとしていたらそもそもキューバはなかったわけです。そして、東ドイツが難民流出で崩壊するためには、あと28年を必要としました。ケネディがそれを許した、と表現することも可能でしょう。歴史に「イフ」はありませんが、本書の巻末の100ページに及ぶ索引・出典・参考文献のリストを眺めると、歴史から学ぶことはできる、と思いますし、記録を残すことの重大さもわかります。
 身近にある「分断国家」を見る目も、本書以後、少し変わりそうです。



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