【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

どっち

2010-04-29 18:13:16 | Weblog
 もう待ったなしの切迫した状況でやっと見つけたトイレに飛び込んだら、殺人事件の直後で死体が転がっていました。さて、すぐに人を呼ぶか、そうしたら人が集まるトイレは閉鎖されるで「切迫した状況」が「悲惨な状況」になるからまず用を済ませてから人を呼ぶか、さあ、どっち?

【ただいま読書中】『セレンディピティー ──思いがけない発見・発明のドラマ』R・M・ロバーツ 著、 安藤喬志 訳、 化学同人、1993年、2800円(税別)

 著者は「(真の)セレンディピティー」を「思ってもみなかった物事を偶然に発見する」、それと似てはいるが「追い求めていた目的への道を偶然発見する」を「擬セレンディピティー」と呼んで区別しています。この著者の定義を採用すると、たとえば、“史上初のストリーカー”であるアルキメデスは擬セレンディピティーとなります。マラリアでフラフラになったインディオが毒だと言われているキナノキで汚染された水たまりの水を飲んだらマラリアが治った、という伝説はセレンディピティー。では「ニュートンのリンゴ」はどちらでしょう?
 カエルの脚を真鍮の鉤で鉄柵に吊して脚が柵に触れるとぴくんと筋肉が収縮する現象があります。1786年にそれを観察したガルバニは「動物電気」と呼ばれる研究を発展させました。その報告に興味を持ったのがボルタです。彼はカエルの脚の収縮は、異なる金属の接触による(今の言葉を使うなら、カエルの脚が検電器として機能した)と考え、「電池」を作り上げました。それによって「異種の金属の間の電位差」という自らの仮説を証明したのです。
 ジェンナーは、医者になる前に聞いた「牛痘にかかった乳搾りは天然痘(人痘)にはかからない」ということばからワクチン療法を発見しました。人類が病気に対して有効な対抗手段を手に入れた瞬間ですが、これもまた「セレンディピティー」に分類されています。パストゥールがワクチン療法を大発展させるまで、ジェンナーの牛痘が1世紀のあいだ、唯一の免疫療法でした。その偉業の頂点は1977年ソマリアの症例から、天然痘の新しい発症がないことです。
 イギリス人プリーストリーはアマチュアの科学者でしたが、発酵所で酒の表面を漂う気体が普通の空気より重く火を消してしまうことを発見しました。やがて自分でその気体を実験室で作るようになったプリーストリーは、それ(おわかりですね、二酸化炭素のことです)を溶かした水がぴりっと気持ちよい味わいであることを発見しました。このソーダ水の発明で1773年にイギリス学士院からメダルを授与されています。で、そのプリーストリーがいろいろな気体を作成して研究して(あるいは遊んで)いると、ある日新しい気体をろうそくの火で試すと、何と、ろうそくは異常に激しく燃え上がったではありません。プリーストリー自身はこう報告しています。「科学研究においては、綿密な計画とかあらかじめ考えておいた理屈よりも、私たちが偶然と呼ぶもの、すなわち科学的なことばで言えば、未知の原因に由来する事柄の観察のおかげ」……つまりセレンディピティーです。ただ、プリーストリーの酸素の発見によって燃焼の「フロギストン説」は葬り去られることになるのですが、プリーストリー自身は「フロギストン説」の信奉者でした(ただし、間違っているかもしれない、とは認めていました)。量子論を受け入れなかったアインシュタインのこともつい思い出してしまいます。
 本書は36章、セレンディピティーのてんこ盛りで、さらにそこに付随するエピソードもいろいろ含まれていますが、面白いことにほとんどこの一冊で「科学史概説」にもなっています。科学はセレンディピティーによって成立している、と言っても言い過ぎではなさそうです。

 本書の著者も面白がっていますが、セレンディピティーのおかげをこうむった人はそのことを隠そうとはしません。むしろその幸運を「自分だけに与えられた特権」のように誇らしげに述べます。自分の業績の価値が「幸運」で減じるわけではない、という自信があるからでしょうか。たしかにエライのは「偶然」ではなくて、その偶然を見逃さずに生かした側なのですから。



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