【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

正義の反対側

2020-06-04 06:57:07 | Weblog

 「暴君トランプからの解放」を叫びながらたとえばロシア軍や中国の人民解放軍がアメリカに侵攻して正規軍がなぜか敗れてしまったら、アメリカの愛国者たちは全員手に武器を持って抵抗するでしょう。アメリカからはそれは「愛国者」「民兵」と呼ばれ、侵攻者からはテロリストと呼ばれるでしょうが。
 ところで「暴君からの解放」をスローガンに侵攻した軍隊に抵抗しているアフガニスタン人やイラク人は、なんと呼ばれているのでしたっけ?

【ただいま読書中】『レッド・プラトーン ──14時間の死闘』クリントン・ロメシャ 著、 伏見威蕃 訳、 早川書房、2017年、2500円(税別)

 イラクに二度、アフガニスタンに一度出征した著者の作品です。
 2009年10月3日早朝、アフガニスタン北東部の戦闘前哨キーティング。険しい山々に囲まれた谷間に位置し、戦術的には使い物にならないものです。陸上補給はほぼ不可能、全周囲から俯瞰射撃を加えられる、最悪の立地なのです。そこに配置されているのは米陸軍機械化騎兵部隊の黒騎士中隊50名(とアフガニスタン国軍兵士40名)、米軍のレッド小隊の兵士たちは「It doesn't get better(いまよりマシにならないぜ)」を合い言葉に耐えていました。
 緊張感に満ちているが、いつものように平穏に見えた朝でしたが、夜の間に米軍陣地の周囲を包囲した300名のタリバン兵は一斉攻撃の合図を待っていました。数日後には米軍は撤退する予定だったのですが、それを誰も知りませんでした。
 ここで著者は「レッド小隊のメンバーたち」について語り始めます。自分たちは「ヒーロー」ではなくて「弱点だらけの“普通の人間”」だったが、唯一民間人と違うのは、戦友に対する熱烈で純粋な愛情と強い信頼を抱いていたことだ、と述べ、まずその説明を始めるのです。
 著者は自分のことを、高校では抽象的な事や数字を扱うのが苦手だった、とまるで劣等生だったかのように言っていますが、本書の展開やきびきびした文章からは別の印象を得ることができます。
 臭くて不潔で危険で、もうどうしようもない陣地ですが、それでもレッド小隊の面々はけっこう生き生きとしています。退屈しのぎに、ロシアの女子プロテニス選手に一種のファンレター(のようなメール)を送ったり(で、その“返礼”がなんというか色気たっぷりのものなのにあきれますが)、寒くなったぞということでアマゾンにフーディーを注文したり、「水板責め」(板に身体を縛りつけたまま顔を水につける水責め。ブッシュ政権が合法的な尋問手段とした)が本当に拷問かそうでないかをお互いに身をもって確認してみたり(結論は「拷問である」だそうです)……さらに「タリバンが自分たちを襲撃するとしたら、どのようにか」のシミュレーション。このシミュレーションがのちに残酷なくらいの正確さで実現されることになります。
 午前5時58分、RPG、AK-47、B-10無反動砲、ロシア製82ミリ迫撃砲、狙撃銃、ダーシカ(デグチャレフ重機関銃)などが一斉に火を噴きます。撃たれた方は混乱します。周囲の斜面一面に発射炎が見え、どこに反撃したらよいのかわかりません。それでも布置されたガン・トラックは自分の受け持ち区域を「当たってくれ」と祈りながら掃射し続けます。どの兵士もわかっていました。これはこれまでのような一撃離脱のゲリラ戦闘ではなくて、キーティングを地上から抹殺するための全力での攻撃だ、と。
 著者はその時レッド小隊の小隊軍曹が休暇中だったためその任務を代行していました。そのため、ベッドから跳ね起きると戦闘場所ではなくて指揮所に向かいます。指揮官のバンダーマン中尉が、部隊内および外部と交信しながら瞬時に判断を下すのを、戦場について詳しく把握しながら著者が支援するのです。しかし、すぐに発電機が破壊されて電話は不通に(陣地の弱点をタリバンは把握していました)。そして、全方位からの見下ろし射撃によって、陣地の米兵は一人ずつ死傷していきます。そして、パニックを起こしたアフガニスタン国軍兵士たちは、二方向に逃げ出します。一つは一番安全と思われる救護所へ、もう一つは武器を捨て鉄条網をくぐって外へ。当然そのルートは逆方向にも使用可能です。
 戦場全体をほとんど分刻みで描写しようとする著者の記述は、濃密でしかもスピーディー。いくつもの移動カメラを戦場に仕掛けて複数画面に同時に映し出しているかのような効果が出ています。ただしこれは、テレビドラマや映画ではなくて、現実にあったことの再現なのです。
 著者はまだ一発も撃っていません。部下の配置と現状を把握し、人とものをどう動かせば一番有効かをリスクと天秤にかけて判断して瞬時に命令するのが“小隊軍曹の仕事”なのです。しかし、状況が切迫したら、小隊軍曹も武器を手に取る必要があります。いつどのようなときにどのようにするべきか、教科書には書いてありません。だから著者も自分で判断して自分で行動を始めました。
 著者は何度も時間を巻き戻し、それぞれの兵士の行動について語ります。死者についても、生き残った者の証言から最後に目撃されてから死の瞬間までを再現しようとします。それは、死者への追悼なのです。
 そしてついにタリバンが鉄条網の内側に侵入してきます。これは、重火器ではなくて携行武器による一対一の殺し合い(白兵戦)が始まったことを意味すると同時に、頼みの綱の航空支援(おそらくあと10分くらいで第一陣がやって来るはず)が味方を爆撃することを恐れて攻撃をためらうことも意味します。
 生き残った兵士たちは、互いに援護しながら後退して一箇所にまとまろうとします。全滅を覚悟して最後の抵抗をするために。米陸軍では“そこ”を「アラモ陣地」と呼びます。ただ、著者も指揮官も、黙って殺される気はありませんでした。逆襲を計画します。ちょうどアパッチヘリが到着、陣地に侵入しようとしていたタリバンの第二波を全滅させます。この機に乗じて陣地内の敵を一掃して守りを改めて固めたら、生き残るチャンスが出てくるかもしれません。
 本書が「ある」ことはつまり著者が生き残ったことを意味します。ただ、読んでいる間はそのことが私の頭からはすっぽり抜け落ちていました。それほど“リアル”な迫力に満ちた本です。「撃たれる恐怖」は撃たれたことのある人にしかわからないものでしょうが、それでもそれをここまで“リアル”に読者に伝える能力には感嘆します。著者は、感情の異常な高ぶりと同時に冷静さが同居している人なのでしょう。
 やがて戦いのフェイズは「自分が殺されないように」から「負傷兵を助けよう」に切り替わっていきます。無線を失い陣地のどこかで孤立して横たわっている傷ついた仲間を発見し安全なところに運ぶために、どうしたらよいか。著者たちは頭を絞ります。米兵の死体がタリバンの手に落ちたら、残酷な“ショー”がインターネットで流されることがわかっているので、回り中に銃弾が飛び交う状態でも兵士たちは死体回収のために突撃を繰り返します。
 戦争映画とか戦争アニメは山ほどありますが、ここまで「兵士の心理」に迫った作品はないでしょう。というか、これからの戦争作品は、本書を踏まえないと「嘘」になってしまうのではないかな。

 



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