【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

草むしり

2017-09-14 06:34:17 | Weblog

 草自身にとっては殺戮行為。
 そこに棲息する虫たちにとっては環境破壊。

【ただいま読書中】『ヤバい社会学 ──一日だけのギャング・リーダー』スディール・ヴェンカテッシュ 著、 望月衛 訳、 東洋経済新報社、2009年、2200円(税別)

 大学院生の著者は「貧しい黒人であることをどう思いますか?」という質問用紙を握って、のこのこスラムに出かけます。大学からは「危ないから立ち入り禁止」と言われていた地域へ。ストリートギャングたちは、“異物”としての著者を警戒し脅迫しあきれ果て、そして最後に受け入れてしまいます。団のボスはJT。大学出でシカゴの会社に就職したけれど、自分より仕事ができない白人の方が昇進するのに嫌気がさして“表”からギャング団の世界に舞い戻った経歴を持っています。彼が何を思って著者が“一緒につるむ”ことを許したのか、その真意はわかりませんが、著者はその幸運を最大限に活かすことにします。大学院では、コンピューターに貼りついて「データ分析」する人ばかりで、ギャング団どころか、ゲットーで生きている人たちに話しかけることさえ学者や大学院生はしていなかったことに著者は不満がたまっていたのです。
 ギャング団は、資本主義社会の会社と組織は似ていました。著者が出会ったのは(おそらくシカゴで最大勢力の)「ブラック・キングス」団ですが、シカゴ内にその「支店」は200くらいあり、JTはその一つのリーダーでした。下部のリーダーが夢見るのはふつうの会社の人間と同じく、“出世”と大儲けと長生きです。ただし「無法者資本主義」で扱われるのは麻薬と暴力なのですが。著者は少しずつその世界の“見方”を学んでいきます。
 著者が調査をしていた1990年、かつては喧嘩や万引きをするだけだったハイティーンの人間は、こぞって麻薬の売人になっていました。それに対して“進歩派”の人間は「学校に戻して初歩の仕事ができるようにする」政策を打ち出し、“保守派”は「厳罰」で対処しようとしました。でもどちらも事態をよくするのには役に立ちませんでした。さらに、地域コミュニティーとギャング団の関係も一筋縄では理解できません。「税金」を取り立てるギャングは嫌われていますが、トラブルの時には保護してくれる頼もしい存在でもあります。だからでしょう、ギャング団同士の抗争が起きたとき、コミュニティーの人間がその手打ちを手伝ったりもするのです(法律や道徳ではなくて現実が優先されるその姿に、著者はショックを受けます)。
 「大学のセンセイ」が自分たちに興味を持ってくれたこと、にJTは喜んでいる様子です。しかし自分たちの活動の実態は“検閲”をして、見せたいものしか見せません。3年がかりで著者はある程度の信頼を得たのでしょう、「自分の仕事がいかに大変か、一日だけ代わってやって見ろ」とのオファーが。えっとこれは、参与観察ではなくて、参加ですね。それも犯罪行為への。
 4年目、ここで著者は初めて弁護士に相談します。自分がしていることはヤバいのか?と。弁護士は「ヤバい」と断言します。犯罪計画を知ったら警察に通報する義務がある。学者には守秘義務はないから、警察や裁判所に求められたら証言をしなければならない。証言しなければ法廷侮辱罪で刑務所行き。JTもスラムの住人も同じことを別の言葉で言います。しゃべって皆を裏切ってぼこぼこにされるか、しゃべらず刑務所に行くか、どちらかを選べ、と。ギャング団に愛着を持つようになっていた著者だけが法律的にまったく無知でした。
 著者はスラムでの「シノギ(生業)」について具体的に調査を始めます。売春、故買、車の修理、間貸しなどで具体的にどれくらいの収入があるのか、そこからどのくらいの“税金”をギャング団に納めているのか…… その生々しさと迫力は「現場で調査」した者にしか書けないものです。たとえば売春婦といっても、顔見知りだけを相手にする者とそうではない者がいますし、ポン引きが付いている売春婦(「下請け」)と自分一人でやっている「独立系」とでは、収入や安全度に明確な差があります(「下請け」の方が(ポン引きに33%取られても)手取りが「独立系(平均で週に100ドルの稼ぎ)」よりやや多く、殺されたり殴られる確率が「独立系」より有利になっていました)。
 本書を読み始めたときには、スラムに入って人類学者の手法で研究をするのか、と思っていましたが、むしろ生態学者の手法の方がふさわしい研究のようです。インド系の移民の子である著者のような中産階級の人間からはまったく「異質の環境」の“生態系”なのです。
 著者がよく出入りする高層アパートは「女性の世界」でもありました。90%の家長は高齢の黒人女性で、その多くは、60年代には公民権運動で戦い、70年代には選挙で黒人候補者を応援した過去を持っていました。コミュニティーと未来のために戦っていたのです。しかし80〜90年代、ギャング・麻薬・貧困によって「強い女性部族」は大打撃を受けて弱体化してしまいました。福祉政策も後退を続けます。それでも生き抜くために、人々は情報とサービスと物を交換し合うネットワークを作っていました。これは“表”からは一切見えません。
 スラムに「ギャング」は二種類いました。一つは“裏”のギャングたち。もう一つは“表”の悪徳警官たち。悪徳警官も著者を警戒します。自分たちがやっていることを本に書かれるのではないか、と。
 JTは幹部に“出世”します。年収は恐らく20万ドル超。著者もそれに連れられて、ギャング団の最高幹部たちと知り合いになります。さらにJTのところの帳簿係が、何を思ったか「団の帳簿(社会学者が大喜びの“生のデータ”)」を渡してくれます。著者はこの財務データ(収入(ヤクの売上、ケツ持ち代(住民やホームレスなどから徴収する「税金」)など)と費用(コカインや武器の仕入れ、警官への賄賂、メンバーの給料など)をもとに数年後に“悪名高い”論文を何本か書くことになります。
 団地があまりに荒廃しているので、取り壊しの動きが始まります。また、FBIがブラック・キングスに目をつけていました。そして著者は、ハーヴァードでの有給の研究職を手に入れ、その次はコロンビア大学での教職。シカゴ(のギャングたち)から著者は、物理的にも心理的にも遠ざかっていきます。それでも著者の心の中にはJTの「声」が響き続けるのです。
 いや、ギャングの実態についても大変面白いのですが、本書で語られる「ボーイ・ミーツ・ガール」ではなくて「学者・ミーツ・ギャング」の物語がまたとっても面白い。ついでに、著者の「論文」もちょっと読みたくなってきました。英語はちと(相当)つらいのですが、日本語になっているのかな?




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