【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

詐欺師と戦うには

2012-05-05 18:43:50 | Weblog

 プロとアマチュアが同じ土俵で戦えば、ふつうはプロが勝ちます。
 詐欺師は人を欺すプロです。欺される方は「欺されるプロ」ではありません。アマチュアです。だとしたら、「欺されないように気をつけよう」という呼びかけではなくて、「アマがプロに勝つための手段」をアマチュアに教える必要がありそうです。あるいは「プロが活動しづらい」“土俵”づくり。

【ただいま読書中】『プロパガンダ』エドワード・バーネイズ 著、 中田安彦 訳、 成甲書房、2010年、1600円(税別)

 プロパガンダは嫌われています。それはそうでしょう。「お前は無知なマス(大衆)だ。操作してやる」と言われて喜ぶ人は(あまり)いません。ただ、自分が「何を」嫌っているのかは、ちゃんと知っておいた方が良いでしょう。ということでこの「古典(1928年出版)」を読むことにしました。
 本書は2007年の『プロパガンダ教本』の新版です。旧版で割愛された原著の第9章が収録されているそうです。えっと、本書の9章は「社会福祉事業におけるプロパガンダ」ですが……なんだかそそられる章のタイトルです。なおカバーの折り返しに、ノーム・チョムスキーのこんな言葉も書いてあります。「本書はまさに、巨大企業が支配する社会での、合意捏造の実用マニュアルである」。これまたそそられることばです。
 「プロパガンダ」は本来宗教の世界の言葉でした。カトリック教伝道のための枢機卿らで構成された委員会。これは名詞ですが、動詞になると「広く思想や理論を広めること」。ところが第一次世界大戦で双方は戦時宣伝(ウォー・プロパガンダ)を繰り広げました。敵に対する怒りをかき立てるため、誇張や虚偽が大量に含まれたことが後日明らかになり、「プロパガンダ」には悪いイメージがつきまとうようになりました。PRの専門家であった著者はそういった汚れたイメージではなくて、20世紀に登場した「大衆(マス)」を知性的に正しい方向に導くための手段としてプロパガンダ(パブリック・リレーションズ(=PR))を使用しようと考えていました。しかし著者が本書で披露した様々なテクニックは、ナチスによって見事に活用されてしまいました。ゲッペルスは本書を下敷きに宣伝技法を考案したそうです。それによって「プロパガンダ」には致命的にダーティーなイメージが付与されてしまいます。
 そのため「プロパガンダ」は「忌み言葉」となり、「民主主義社会を発展させるための説得技法」は「パブリック・リレーションズ」と呼ばれるようになりました。やってることは結局似ていますが。
 さて、その技術はいくつかに類型化されます。「中傷(他者を攻撃、矮小化する)」「絢爛たる一般性(魅力的だが曖昧な言葉づかいで内容がない演説を好ましく見せかける)」「転移(すでに高い信用性がある人物や集団に宣伝物を結合させる)」「推薦広告(信頼できる他者(たとえば“専門家”)に証言してもらって自己の信用性を高める)」「一般人(指導者を一般庶民のように見せかける)」「バンドワゴン(「バスに乗り遅れるな」)」「カード・スタッキング(都合の悪いものは隠し、都合の良い事柄だけを強調)」「人格攻撃」「不安」「ユーモア」「デマ」「シンボル」「反復(ゲッペルスが言ったという「嘘も100回繰り返せば真実となる」です)」……
 著者は、社会はいくつもの重なり合うグループによって構成されていることに注目します。そして、あるグループに影響を与えるためには、そのグループのリーダーをまずターゲットにすると良い、と。これで社会的な雰囲気を上手に醸成して、これまでセールスマンが「この商品を買ってください」と言っていたのを消費者の方が「この商品を売ってください」と言わせるようにすれば、大成功。20世紀前半は「大企業が登場し発展した時代」でした。大企業は強い存在ですが、同時に「大衆からの攻撃(風評)」には弱い存在でもありました。だからこそ、企業の発展(売り上げ増)だけではなくて、安定(悪い評判が立たないこと)にもPRが必要だったのです。
 著者は倫理性を重視しています。嘘・ごまかし・まやかしは許されない、と。しかし、著者の示す優れた技術は、悪党から見たらとっても利用しやすいものなんですよね。しかし「悪党は使えないが善人には使用可能な社会システム」というのは、たぶん存在しません。だとしたらプロパガンダの対象である「大衆」がリテラシーを身につけるしかないのですが……著者はそのことに関して恐いことを言っています。「世の中が洗練され大衆に知恵がつくことで弱まっていくようなプロパガンダは本物ではない」と。手の内を知られても有効なものが本物だそうです。
 現在の大衆社会では、政治や経済にプロパガンダはつきものです。それなしでは社会は動きません。それにしても、80年以上前の本なのに、政治の世界のプロパガンダの章で、現在のアメリカ大統領選挙でのプロパガンダのありようがほとんどきっちり“予言”されているのには驚きます。“メディア”が新聞と映画で、ラジオが“ニュー・メディア”の時代ですが、ラジオの方に広告費が流れていくだろう、という記述は、現在の「マスコミ」と「インターネット」の関係をそのまま書いたようです。著者は社会というものを「構造」として理解していたようで、だからこそ本書はちっとも“古く”はありません。プロパガンダそのものだけではなくて、社会についても知りたい人には必読の書、としておきます。




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