ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

東浩紀編集 チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図βvol4-1

2013-07-29 01:07:03 | エッセイ
 執筆は、東浩紀、井出明、開沼博、津田大介、速水健朗ほか。
 東浩紀は、冒頭「旅のはじめに」で、「そしてなによりも驚くのは、原発とその周辺地域が、外国人を含めた観光客を積極的に受け入れ始めていることです。…キエフに行き、指定のツアー会社に申し込みさえすれば、だれでも簡単に、打ち棄てられた街を訪れ、事故を起こした四号炉のすぐ近くで記念写真を撮ることができるのです。」(5ページ)と書く。
 「取材を終え、わたしたちの心にもっとも強く残っているのは、話を伺ったウクライナ人たちが、政府側市民側、原発推進あるいは原発反対、それぞれ異なった立場を取りながらも、みな口を揃えてチェルノブイリに関心をもってくれるのであればそれはいいことだと答えていたことです。」(6ページ)
 チェルノブイリは、言うまでもなく、1986年に世界を震撼させる原発事故が起こった土地。旧ソ連、ウクライナ共和国。
 この本は、福島で、先例として学び生かすべきものとして、チェルノブイリを取り上げているのだが、それは、福島に限定されるものでなく、それ以外の被災地においても、もちろん気仙沼を含んで、学ぶべきものとなっている。
 「ダークツーリズム」とは「直訳すると『暗い観光』となるこの言葉は、広島やアウシュビッツのような、歴史上の悲劇の地へ赴く新しい旅のスタイルを意味します。観光学の先端で注目されつつある概念であ」るとのこと。(9ページ)
 観光学者である井出明追手門大学準教授によれば、「戦争や災害といった人類の負の足跡をたどりつつ、死者に追悼を捧げるとともに、地域の悲しみを共有しようとする観光の新しい考え方である。…近年、ニューヨークのグラウンド・ゼロなどにも研究の幅が広がりつつある。日本では沖縄の戦跡や広島の原爆ドームへの修学旅行など、学習観光の一環として馴染みの深い旅行形態であろう。」(53ページ)
 学習観光といえば、気仙沼においても、海の体験学習など中心に修学旅行の誘致にも長く取り組んできているところで、地元の観光業界を含めて馴染みやすいものである。これからの地域の産業の復興というなかで、ダークツーリズムについては学ぶべきところが多い、といえるのではないか。
 悲しい災害の記憶をとどめる場所、遠くからひとが訪れて歴史を読み取り知りうる場所、それが、手際良く分かりやすくまとめられてある場所、気仙沼においても、そういう場所が残されて整備されてあることは必要なことであろう。
 たとえば、リアス・アーク美術館はそういう場所たろうとして、自覚的に動き、独自の展示を作り上げた。ダークツーリズムという言葉を知っているのか否かは定かでないが。
 リアス・アーク美術館が、三陸の沿岸のなかで果たすべき役割を自覚し、結果としてダークツーリズムの中心となっていく。
 ダーク、「暗い」ということばに抵抗のあるところはある。肉親を失ったひとびとの思いを忖度する必要もある。必ずしも、気仙沼がその言葉自体を取り上げなければならないということではないが、あの大津波の記憶をしっかりと残していくことが重要であることは間違いがない。
 また、観光地岩井崎のあの「龍の松」。巨大な波の力で多くの枝を折られ流されてしまって、幹と一部の太い枝のみ残されたた無残な残骸とも言える、しかし「自然」によって美しい龍の形に造形された松。 それが、ダークツーリズムの対象とされるだろうことも間違いがない。園地の再整備が進められる中では、その近くに、これが何であるか、分かりやすく解説する文章が置かれる必要もある。
 さらに、鹿折唐桑駅前に残された巨大なサンマ漁船の残骸。ダークツーリズムという考え方のなかで、あの漁船はどういう評価を与えられるものだろうか?
 気鋭の社会学者開沼博、ジャーナリスト津田大介の文章も読むべきものだが、ここでの紹介は割愛する。
 さて、現在編集が進められている「思想地図βvol4-2」、続編は「福島」編のようである。われわれ気仙沼の人間が学ぶべきところは、また多いはずと期待している。

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