「裏山にこんな原っぱがあるなんて、ぼく、知らなかったなあ」
トオルの目の前には、一面、黄色いたんぽぽが、咲いていました。若草色の草原に、金のメダルを、星の数ほども、ばらまいたような、とてもすてきなたんぽぽ野原でした。
空は水色に輝いて、春の光は蜜のように、そこらじゅうにしたたりおちていました。そよ風には、花の香りが豊かにみちて、息をすうと、体じゅうが花になってしまいそうになるくらいです。
「ママにあげる花束が、いっぱいできるぞ」
トオルは、ランドセルをほうり出すと、野原にしゃがみこんで、たんぽぽをつみはじめました。
「大きな花束を作るんだ。山みたいに、大きなやつを作ろう。そしたら、きっとママは大よろこびする」
トオルは、いっしょうけんめい、花をつみました。時間もわすれてしまうほど、夢中でつみつづけました。
「ねえ、なんでそんなにお花をつんでるの?」
ふと、小さな鈴のような声が、トオルの耳にころがりました。トオルが目をあげると、そこには、トオルより少し小さくくらいの女の子が、ひとり立っていて、めずらしそうにトオルを見ていました。マシュマロみたいなぽっちゃりほっぺの、色の白い子で、やわらかいかみを、赤いぽっちりで結んでいます。たんぽぽもようの、きれいなワンピースを着ていました。
「ママに、花束をあげるんだ。ママは、たんぽぽが大好きだから。ぼくが花束をあげたら、ママもきっと元気になるよ」
トオルは、わらってこたえました。女の子は、きょとんと首をかしげて、トオルをみつめています。
「ふうん……。あんたのママ、元気じゃないの?」
「うん。ちょっとね」
そういうと、トオルは、きゅうに下をむきました。なみだが出そうになったのです。みしらぬ女の子に、泣き顔なんて見られたくなかったので、トオルは、顔についたどろをとるようなふりをして、なみだをぬぐいました。
「じゃ、わたしもてつだってあげる」
そういうと、女の子も、野原にしゃがみこみました。
「い、いいよ、ぼくのママなんだもの。それより、きみはだれ? きみのママはどこ?」
トオルはあわてて立ち上がって、まわりを見まわしました。この子のママかパパが、どこかで見ていないかと思ったのです。すると、たんぽぽ野原のずっとむこうの、こんもりしげった森のふちっこあたりで、おとなの人がひとり立っていて、こちらにむかって手をふっているのが見えました。
「ほら、ママがよんでるよ」
トオルがゆびをさしていうと、女の子はそっちを見もせずに首をふりました。
「ちがうの。あの人はママじゃないの。ママみたいな人よ」
「ママみたいな人?」
「うん。ママと同じくらい大好きだけど、ママじゃないの」
「ふうん……」
トオルは首をかしげました。女の子の言ってることが、よくわからなかったのです。トオルはまたしゃがみこむと、やわらかなたんぽぽの茎をおりながら、言いました。
「ぼく、トオルっていうんだ。木の葉小学校の一年だよ。きみは?」
「わたし、サーヤ」
サーヤという女の子は、それだけいうと、だまってトオルのつんだ花に手をのばしました。
サーヤは、トオルのたんぽぽを十本もとると、それをきれいにあんで、花の首かざりをこしらえました。
「うわあ、じょうずだね」
トオルが感心していうと、サーヤはとくいになって、うでわや、メダルや、ブローチなんかを、いくつも作りました。
「すごいなあ。きみ、小さいのに、いろんな作り方、たくさん知ってるんだね。……そうだ、ねえ、ふたりで協力しようよ」
「きょうりょく?」
「うん。ぼくが、たんぽぽをつむから、きみはそれで、首かざりとかブローチを作るんだ。たくさんたくさん作って、それをママにプレゼントするんだ。そしたら、きっとママはおおよろこびして、わらってくれる」
「あんたのママ、わらわないの?」
サーヤや、トオルの顔をしげしげと見て、言いました。トオルは、なんだか少し、はらが立ってきました。サーヤが、トオルの聞かれたくないことばかりを、ずけずけと聞くからです。トオルは、もっていたたんぽぽをぎゅっとにぎりしめると、ふんと横を向いて、言いすてました。
「そうだよ。わらわないよ。それが何かわるいの?」
「どうして、わらわないの?」
「……」
何も知らないサーヤは、次々と問いつめてきます。トオルは、胸の痛いところを、乱暴にどんどんたたかれたような気持ちになって、くっとのどがつまりました。息が苦しくなって、うつむくと、鼻の頭が、つんとあつくなって、なみだがぽとぽと、たんぽぽの上におちていきます。
「……きょねんの夏さ、ママが、わらわなくなったのは……」
トオルは、苦しげに、かすれた声でこたえました。
「どうして?」
サーヤは、たんぽぽをあみながら、平気でたずねます。トオルのなみだになんて、まるで気づいてないみたいです。トオルは、サーヤはまだ小さいから、なにもわからないんだなあ、と思いました。すると、なんだか、とてもさみしくなって、じぶんが、とても弱くなったような気がして、だれでもいいから、話をきいてもらいたくなりました。トオルは、野原にしゃがんだまま、ぽつぽつと話し始めました。
「ぼく、ずっとひとりっこで、きょうだいがほしかったんだ。だから、ママのおなかに赤ちゃんができたときは、すごくうれしかった。パパもママも、うれしそうだった。名前だってきめてたんだよ。すごく、楽しみにしてたんだ。でも……」
トオルは、うつむいたまま、足もとのたんぽぽを、何本もぶちぶちとちぎりました。なみだがほろほろ流れ落ちて、おぼれてしまいそうになるくらい、悲しい気持ちがあふれ出てきて、ことばが何度もつまりました。
「赤ちゃんは、生まれてから、三日しか生きられなかったんだって。心臓に、生まれつきの、病気があったんだって。病院から帰ってきたとき、ママはなんだか、紙みたいにうすっぺらになってるかんじがした。青白い顔で、ぼくを見て言うんだ。『ごめんね。トオル、きょうだい、ほしかったのにね……』って。それから、ママはわらわなくなった。ううん。ときどきは、わらってくれるよ。ぼくの入学式の時だって、わらって、おめでとうって、言ってくれたよ……。でも……、へんだね。おとなって、ほんとうの気持ちは、わらってないのに、わらってることあるだろ? なんか、そんなかんじなんだ。そんなときは、ママがわらってくれても、ぼくはうれしくないんだ。さみしくて、こころぼそくて、なんか、つらい気持ちになるんだ……」
トオルがそこまで話した時、サーヤは四つめの首かざりをあみおえて、ほっとひといきついていました。
「ほら、首かざり、いっぱいできたよ。ママにあげるの、これくらいでいい? もっといる?」
「うん……、あっ、ほんとにいっぱい作ったんだね。すごいや」
トオルはなみだをふきながら、言いました。
「つらい気持ちって、どんなもの?」
五つめを作りはじめたとき、サーヤがまたききました。トオルは、サーヤがあんまり次々とへんなことをきくので、こまってしまいました。
「どんなものって……」
「あまいの? それとも、しょっぱいの?」
「たべものじゃないよ。それに、ものじゃないんだよ。きもちって……目には見えないんだ」
せつめいしながら、トオルは、ずいぶんとじぶんがおとなびているような気がしてきて、ちょっとじまんになりました。大きくなってくると、むずかしいことが、いろいろわかってくるのです。
「ふうん。サーヤには見えるよ」
「見える? そんなはずないよ」
「見えるよ。だって、サーヤ、きもち、たべたことあるもん」
「だから、たべものじゃないんだってば」
トオルはせつめいしようとしましたが、うまくできませんでした。しまいに、なんだかどうでもよくなってきて、また野原に頭をつっこんで、花をつみはじめました。サーヤは、トオルがつんだ花を、もくもくとあんでいきます。
「ほらみて、たんぽぽのスカーフ、きれいでしょ」
しばらくするとサーヤは、タンポポを四角の形にあんで、トオルの前にひろげました。それはまるで、たんぽぽ野原のはしっこを、そのまま四角にきりとったみたいに、とてもじょうずにできていました。小さなサーヤにこんなことができるなんて、トオルはちょっとびっくりしました。
「うわあ、すごいね、どうやったの?」
「ちょっとむずかしいの。でも教えてもらったとおりにやれば、ちゃんとできるのよ」
「ママに教えてもらったの?」
「ううん、ママみたいな人」
「すごいなあ、こんなの、ママにあげたら、きっと、よろこぶだろうなあ……」
「あげるよ」
「ほんと?」
サーヤは、たんぽぽのスカーフを、トオルにさしだしました。トオルは、スカーフをうけとると、そっとそれに顔をうずめてみました。甘いふしぎな香りに、ふわりとつつまれて、トオルはちょっと気持ちがせつなくなりました。
「なんだか、ママのにおいに似てる……」
ふと、トオルは目をあけました。サーヤは、トオルに背をむけて、とおくのだれかにむかって、手をふっています。
「よんでるから、もう帰るね」
そう言ってサーヤがふりむいたとき、トオルは、とつぜん、いなずまにうたれたように、気づきました。サーヤのマシュマロみたいな、まるいほっぺ、おひなさまみたいな、細い瞳……、だれかに、似ています。いちばんなつかしい、いちばんたいせつな……、そう、ママに、そっくりです。トオルは、びっくりして、立ち上がりました。
「そうだ、サヤカちゃんだ! ママは、おなかの中のいもうとに、そう名前をつけてたんだよ! まって、サーヤって、きみ、ぼくのいもうとだろ!」
トオルはさけびました。サーヤは、こたえず、どんどん野原のむこうに走っていきます。
「おおおい!」
トオルがおいかけようとすると、とつぜん、たんぽぽのスカーフがふわりと舞い上がり、トオルの前にたちふさがりました。
「それいじょう、きちゃだめ」
サーヤの声が、きこえたような気がします。とたんに、スカーフは大きくひろがって、つむじ風のように、トオルにまきつきました。はらいのけようとしても、むだでした。たんぽぽスカーフはまるでゴムみたいにかたくなっていて、もがけばもがくほど、きつくまきついてきます。トオルは、息ができなくなり、目の前がまっくらになりました。たんぽぽはあざみのようにちくちくして、手足がひりひりいたみました。せなかや、あたまも、きりきり、いたみました。もう声も、出ませんでした。
(やめてよ! ひどいよ! だれかたすけて! いたいよお!)
「トオル! トオル! しっかり!」
突然、耳元でママの声がしたので、トオルはそちらをむきました。はずみで、目がぽろりと開いて、なみだと光が、いっぺんにあふれかえりました。ママの青白い顔が、うるんだ白い光の中で、じっとこっちを見ています。
「あっ、ママ」
「トオル! ああよかった、目をさましたのね」
「どうしたんだ。しんぱいしたんだぞ。ひとりで裏山に入っていくなんて」
後ろにいたパパが、あわててトオルの顔をのぞきこみました。みんな半泣きの目になって、トオルをみつめています。からだをうごかそうとすると、むねのあたりがずきずきいたんで、トオルはうなりました。するとママが、やさしく頭をなでてくれました。
「だいじょうぶ、すぐ直るからね。トオル、ほんとにがんばったね。お医者さまも、もうだいじょうぶって言ってくれたのよ……」
トオルはいつしか、見知らぬ白い部屋のベッドの上に、寝かされていました。なにがどうなっているのか、よくわかりません。でも、トオルは、早くママに伝えなければと思って、からだじゅうがいたかったけれど、いそいで言いました。
「ママ、ぼく、サヤカちゃんにあったよ。よかったね、ママ、サヤカちゃん、生きてたよ」
「何を言ってるんだい? おまえはひとりで裏山にいって、沢に落ちてけがをしたんだよ。三日も目をさまさなかったんだよ」
パパがなみだをのみこみながら、言いました。
「うん。ぼく、裏山にたんぽぽ探しにいったんだよ。ママにたんぽぽあげようと思って。ママ、このごろ泣いてばかりだから。それでね、裏山に、すごく広いたんぽぽ野原があってね。そこに、サヤカちゃんがいたんだよ。サヤカちゃん、今、ママみたいな人といっしょにいるんだって。それでね、びっくりだよ。もう赤ちゃんじゃなくて、とても大きくなってたよ。ぼくよりは小さかったけどね。ナマイキなんだ。たんぽぽもようの服きて、かわいかったよ。あ、ぼく、いっぱいたんぽぽつんだのに、どこにいったんだろう? おいてきちゃったのかなあ?」
トオルは、かすれた声で、つかえながら、一気に、そこまで言いました。すると、トオルを見つめているママの目が、大きく見ひらいて、見る見るうちになみだがあふれてきました。
「……ああ、そうよ。ママ、サヤカちゃんに、たんぽぽもようのドレス買って、お棺に入れてあげたの……。生きてたら、もっともっと、かわいがってあげたかったのに、何もできなくて、それが、くやしくて、どうしようもなく、くやしくて……。だからママ、泣いてばかり……。でも、なぜトオルが知ってるの? ママ、トオルにドレスのことは何も教えてないのに」
「ママ、よかったね。もう泣かなくていいよ。サヤカちゃん、死んでないよ。ちゃんと生きてるよ。よかったね、ママ……」
いっしょうけんめいに、そこまで言えたとき、トオルは、ほっとして、きゅうに、力が、ぬけました。
「そう、そう、よかったね。生きてて、ほんとに、よかった……」
ママは、言いながら、ねているトオルの頭を、そっとだきしめて、ほおずりをしました。
「だいじな、だいじな、ママの子……、生きてて、よかった……よかった……」
夢の中と同じにおいが、トオルをつつみました。ママのほっぺが、ふるえています。
「トオル、ごめんね。ママ、もう泣かない。もうぜったい、泣かないからね」
ママのささやきを、ききながら、トオルはだんだんと、また眠くなってきました。トオルは、うとうとしながら、へんだなあ、と思いました。泣かないって、言ってるのに、ママの涙は、ぽとぽとぽとぽと、どうしても、とまりません。それなのにトオルは、ぜんぜんさみしくも、つらくもありませんでした。
(どうしてかな? おとなって、ほんとうは泣いてるんじゃないのに、泣いてることも、あるのかなあ……)
まだ、からだじゅうが、いたかったけれど、ほわほわとあたたかな気持ちにつつまれて、トオルは、安心して、すやすやと、眠りました。
(おわり)
(1999年、ちこり15号所収)