世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

星屑ポケット・2

2013-11-19 04:36:31 | 月夜の考古学・本館

☆ マント

 空に、一本のリボンが、ひかれた。すると痩せた長い顔の巨大な男が、東の空にのっそりと立ち上がり、ぼくに笑いかけた。西の空では太陽が今しも沈もうとしていたが、東ではかすかな星の息遣いがヴェールのように漂っていた。
 男は着ていたマントを翻すと、小さな一輪車を取り出して、ひょいとリボンの上に飛び乗った。軽々と一輪車を乗りこなし、細いリボンの上を苦もなく往復する男に、ぼくは拍手を送ったが、それは彼の芸のすばらしさよりも、むしろ彼の着ているマントの方に向けられていた。
 それは刻々と貌を変えていく、さまざまな空の色をつぎはぎした布で作られていた。溶け残った星を抱いた夜明けのラピスラズリや、静かに晴れた秋空のトルコブルー、夕暮れの地平を重たく抱くカーネリアン、白い薄雲を冬日が透かす淡緑のベリル、粉のような無数の星を生む漆黒の夜などが、まるで精巧な螺鈿細工のように、男のマントの裏側に細々と縫い込まれているのだ。
 男が一輪車を乗りつつリボンの上を移動するたび、マントの裏の美しい文様がまるで別世界のようにひらりと目前で翻る。そのたびにぼくは、心臓の内部に直接色を刷りこまれるように、打たれてしまう。もっとはっきり見たいと思うのに、男は片時もじっとしていてくれない。ぼくは夢中で歓声と拍手を送り続け、男にアンコールを請い続ける。
 やがて、ぼくの背後で、ゆっくりと残光の気配が消えていった。とたん、まるで幕が落ちたように男の姿はかき消え、マントの光も、砂のように散り散りになって夜闇に溶けていった。
 喪失感がぼくの魂を冷たく凍らせる前に、ぼくは素早く目を閉じた。光の気配は、急速に消え去り、そしてぼくは待った。このぼくの中の果てない闇の深みから、散り散りになったあのマントの光が、再びありありとよみがえってくるのを。

☆ クランペルパピータ

 青く燐光を放つアイオライトの敷石の上を、クランペルパピータは歩いていた。彼女の着ている白い羊毛のコートは、敷石の光を受けて、まるで海底を歩いているような森閑とした静けさに、冷たく濡れているように見えた。
 ふと見ると、道の隅に乳色をした鮭のつがいがうずくまり、ぴたりと体を寄せあっている。産卵に及ぼうとしているのだ。しかし雌の苦しみようは尋常ではなかった。
 クランペルパピータは、雌鮭の尾の付け根に、何やら刺のようなものがささっているのに気づいた。どうやら難産の原因はあれらしい。彼女は、靴音をたてないよう静かにつがいの後ろに忍び寄った。近くで見てみると、刺の正体は一本の小さな錆びクギであった。クランペルパピータは手を伸ばし、そのクギをそっと抜いてやった。
 とたんに、まるで風船が破裂したかのように、乳色の光がクランペルパピータを包んだ。アイオライトの光は、夜闇のように陰って背景にどんよりと沈み、かわりに無数の真珠のような卵の群れが、それこそ星のようにきらめきながらクランペルパピータの周囲を漂っているのだった。
 卵たちは、クランペルパピータにはよくわからぬ祝福の音韻を、マリンスノーのようにふりまきながら、アイオライトの大地をゆったりと離れ、次々と空に上ってゆく。それはまるで天上の音楽をかなでながら上ってゆく、天使の群れのようにも見える。
 やがて子供たちはみな空に消え、乳色の光が失せて、通りには元の風景が静かに戻ってきた。クランペルパピータが足先に目をやると、二匹の親魚は、春先の氷のように半ば透きとおって、アイオライトの燐光の中に、今しも溶けてなくなろうとしていた。

☆ クランペルパピータ 2

 クランペルパピータは鏡の前に立ち、静かにコートを脱いだ。鏡の中にゆるやかな象牙の起伏が映る。乳房には木の実のような薄紅のサンゴが埋め込まれ、暗がりに伏せこまれた弱々しい草の一群れが、白い裸体の下部を飾っていた。
 彼女は寝台の上に横たわると、両手を体の横におき、うっすらと両足を開いた。そして目を閉じ、けして満たされることはない夢の門を開けた。
 星空が夜具のように彼女におおいかぶさる。いやそれはかすかな花の香りであったかもしれない。彼女は夢の中で名を呼びたいと思った。そのひとの名を。
 ノックの音がして、目が覚めた。彼女がベッドから身を起こし、コートを羽織りつつドアをあけると、そこには幽霊のような青い顔をした男が一人、花を片手に立っている。しおれかけた野菊は握り締めた男の手の中で、瀕死の悲鳴をあげていた。男はクランペルパピータを見上げ、虚ろな眼差しで一時を請う。
「どうぞ」
 クランペルパピータは男を招き入れた。しかし男の足が一歩、部屋の中に入ると、そこからツタのような草が伸び始めて、それは床をはい、壁を上り、部屋中を埋め尽くした。
「お名前は?」
 クランペルパピータはたずねるが、男は語ろうとしない。ツタにからまれ阻まれる足を、なんとか動かして寝台に近寄ろうとするが、それ以上は一歩も動くことができない。男のうめき声だけが虚ろに響く。
 クランペルパピータは目を男から外し、窓の月を見上げる。名を、言ってくれさえすれば。だが男の名を知っている女など、この世にはいないのかもしれない。彼女はため息を月に浴びせると、片方の乳房に手をやり、コンパクトのようにそれを開いた。そして、今夜もまた生まれることのなかった時の卵を、心臓の上にそっと葬った。


  (2001年、ちこり23号所収)


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