世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2011-12-09 07:42:51 | 月の世の物語

窓辺で、ぬるいお茶をすすりながら、博士はぼんやり、半月を眺めていました。少年が、研究室に入って来て、博士の様子を心配げに見ながら、言いました。
「先生、そろそろ時間ですけど、怪に食べ物やっていいですか?」
「ん?…ああ」
博士は振りむきもせずに言いました。少年は仕方なく、部屋の隅の箱の中を探り、例の光る棒を取り出して、研究室の水槽にいるムカデたちに食事をやりました。
「ほーら、ムカデ一号、二号、三号、御飯だよ~」少年が光る棒を細かく千切ってやると、ムカデたちは大喜びで食いつきました。少年はため息とともに言いました。
「どこ行っちゃったのかなあ?カメリア」すると博士は、空っぽになったカップをもう一度すすりながら、「ああ…」とぼんやり答えました。

カメリアが研究所から姿を消してから、七日が経とうとしていました。最初彼らは研究所とその周辺を探し回り、近所にある研究所にも尋ねてみました。しかし彼女はどこにも見つかりませんでした。博士は、彼女がいなくなって以来、研究もあまり手につかず、怪に食事をやるのもさぼりがちで、ぼんやり考えてばかりいました。

一年か…と博士は思いました。カメリアが、おずおずとこの窓から入って来て、博士と出会ってから、そんな月日が経っていました。一年一緒にいた蜘蛛が、一匹いなくなっただけで、なんでこんなに胸が寂しいのか、博士は、少し考えようとしました。しかし思考は鉛のように重く動こうとせず、出るのは小さいため息ばかりでした。

少年はそんな博士が心配で、ムカデの水槽のそばで博士を見ながらじっと立っていました。と、どこからか、かすれた男の声が聞こえました。
「カ、カメ…リァ…」見ると、水槽の中で、背中に3と数字を書かれたムカデが、全身を踏ん張って、懸命にしゃべろうとしていました。少年は驚いて叫びました。「先生!三号がしゃべってます!」博士はそれにははっとして、カップを窓辺に置くとすぐ水槽のそばにやってきました。ムカデは、苦しそうに身もだえしながら、なんとか、声を出そうとしていました。「カメリア、カメリアって言いましたよ!」少年が大声で言いました。「何だ、何を言いたいんだ、三号?」博士が言うと三号は水槽をはいあがるように半身で立ち上がり、言いました。「カメ…リア……せ…せ…せい…いき…行……た……」それだけ言うと、三号は力を使い果たしたように、水槽の底に倒れました。

「ちょっと待て?今何て言った?」「聖域って聞こえましたよ」「聖域って、あの聖域か?!」「ここにはほかに聖域なんてありません!」「カメリアが聖域に行ったって言ったのか?」博士は思わず水槽をゆすりました。すると三号は苦しみながらも小さな声で、「は…い…」とだけ答えました。博士は青ざめました。
「冗談じゃない、あそこの結界は生半可なもんじゃないんだ!!」そう言うと博士は思わず走り出し、窓を開けたかと思うとそのまま空に飛んでいってしまいました。「せんせーい!」少年が窓に飛びついて博士を呼びました。潮風が少年の頬を冷たく打ちました。博士の姿はすぐに、半月のむこうの闇に消えて、見えなくなりました。


青い風の吹く聖域では、いつものように、小さな童女が静かに笛を吹いていました。彼女は笛の音で風を導き、それをもっと高みへと昇らせようとしました。しかしその時、彼女はふと笛を吹くのをやめ、立ちあがって振り向くと同時に、長身の聖者の姿に戻りました。見ると、結界の向こうに、黒くうごめく蜘蛛の気配がありました。カメリアでした。

聖者は杖をとり、蜘蛛を追い払おうとしましたが、ふと何かに気付いてそれをやめました。と、カメリアは、聖者のお姿のあまりの美しさに茫然として、「か、神さま、神さま……!」と言いながら、引き込まれるように走り始めました。途端に彼女は結界に触れ、ばちっと音がしたかと思うと青い炎がゆらめき、その中に一瞬、金髪の少女の姿が見えました。しかしそれは風にくるりと回ってすぐに消え、代わりに、真っ赤な色をした丸いものが宙に浮かびました。聖者は事態に瞬時に気付き、ハッ!と声を破って杖を振り、結界越しに魔法をかけて、その赤いものを小さな結界の玉に包みました。赤いものは、シャボン玉のような結界球の中に、ふわふわ浮かんでいました。そして聖者は今度は大きく息を吸い、その結界球を自分の手元に呼びました。彼は黙ったままそれを手にして凝視しました。赤いものの正体は、まだ数カ月に満たぬ胎児でした。聖者は風のような早口で長い呪文を吐きはじめ、見る間に結界球の中に胎盤とへその緒を作り、羊水で満たして胎内の環境を作りました。

博士が、大慌てで聖域のそばまで飛んできたのは、その時でした。彼は、「カ、カメリア!」と叫びつつ、結界のすぐ外に飛び降り、ふらついて森の下草の中に尻もちをつきました。彼は顔をあげ、結界の向こうの聖者の姿を見ました。聖者は、まるでそこに白い炎が燃え上っているかのように、恐ろしい顔でまっすぐに立ち、光る目で博士をにらんでいました。彼は聖なる仕事を邪魔されたことを、怒っていました。

聖者は、腰を抜かしてものも言えぬ博士に向かって、若い姿には似合わぬ年を経た厳しい男の声で言いました。「半月島の者、魔法は使えぬな」言うが早いか、彼はすばやく宙に光る印を描き、再び、ハッ!と声を上げてその印を結界越しに博士の額にたたきこみました。博士はその衝撃で後ろにもんどりうって倒れましたが、すぐに何かの力に引っ張られ、立たされました。青草の上にふらつきながら、彼は自分の手が勝手に動くのを感じました。手は彼の目の前で、椀の形に合わさり、その器の中に、見る間に乳色に光る液体がたまり始めました。博士が驚いて言いました。「げ、月光が、汲める…」。

「その魔法は一年使える」聖者は博士に冷たく言いました。そして結界球を前に突き出し、息を吹いてそれを博士の手元に投げました。博士は結界球を受け取ると、中の胎児を茫然と見ました。胎児は羊水の中でくるくる回り、小さな声で「神さま……神さま……」と繰り返していました。その声に博士ははっとしました。「カメリア、カメリアなのか?」事態をまだ飲み込めない博士に、聖者はさらに冷厳な声で言いました。

「その者、怪であったがその罪を深く悔い、人間に戻ろうとしていた。だが、霊体の形成が未熟なまま聖なるものに近づいたため、そうなった。今日より十月十日の間、月光水を日に三度、胎盤に注げ。さすれば月満ちた時、それは見事な赤児となって蘇ろう。その後のことは別の者に聞くがよい。わかったか!!」博士は、「わ、わかりました…」と言うしかありませんでした。聖者は「では去れ!」と叫び、杖を一振りしました。すると博士とカメリアの姿は、もうそこにありませんでした。


「うわああああ!」と博士が叫んだ時、博士はもうすでに研究室の中にいました。彼はカメリアの入った結界球を抱いて、背中から床に倒れました。何が何だか、さっぱりとわかりませんでした。ふと気がつくと、少年が、研究室の窓を開けて、茫然と外を見ていました。

「お、おい…、どうした?」博士が、よろよろと立ち上がりながら、少年に声をかけると、少年は「先生?」と言って振り向きました。そして彼は茫然としたままゆっくりと、空を指さしました。「見てください、月が……」博士はカメリアを抱いたままふらふらと窓辺まで歩いてきました。そして少年が見たものと同じものを見て、目を見開きました。少年が震える声で言いました。「月が、望(まる)い……」

半月島を照らす月は、真っ白な真円を描いて、静かに空にかかっていました。




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