世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

フロル、神の娘

2007-07-01 06:44:45 | 画集・ウェヌスたちよ
フロルは、萩尾望都の傑作「11人いる!」に出てくる人物です。重ね重ね、似てない分はどうかご容赦ください。ひやひやしながらやってますのよ♪ 萩尾ファンに石を投げられないかと思って。

フロルは女性でも男性でもない両性体。成長してどちらかに分化するまで、どちらでもないものでいるという設定なのです。これは正直に言って、女の子にとって、夢の夢のようなお話。女の子は、おんなのこをやめたいって、よく思う。でも、男の子にもなりたくない。苦しいから。フロルは、そんな女の子の、苦しい気持ちの発露であったと思います。

「11人いる!」は確か、萩尾望都が、初めて大きな賞を受賞した作品だったと記憶しています。それもそのはず、荒さが目立ちますが、エネルギッシュで、楽しい作品。男の子も女の子も楽しめる。萩尾のお茶目な魂が、自由に遊んでいる。わたしは、こんなのが好き!ていう、作者の幸せが感じられる作品なのです。

でも、この作品は、後に、不必要な改悪がところどころに施され、汚されたような雰囲気になり、少し残念だと感じる作品になってしまいました。そして、続編「東の地平・西の
永遠」は、正直に言って、読者にとって苦しい作品になりました。大好きな登場人物たちが、変わってしまっていた。

なぜそうなったのか。推測はできます。たぶんね。萩尾は、受賞を喜んでほしかった人、認めてほしかったひとに、認めてもらえなかったんです。「こんな漫画、苦しいね」くらいのことを言われて、そっぽを向かれてしまった。だから彼女は、認めてもらうために、無理に自分をまげて、続編を描いたのです。だから続編は、がちがちに硬くなっている。最初の頃の、はじけるような楽しさが、苦しいくらい、殺されている。続編は正直に言って、彼女の作品ではありません。あれは、彼女に、だれかが無理に描かせた作品。

彼女の人生は、その「認めてもらいたい人」との戦いだったんでしょう。親に殺される子供、愛されない子供、という、繰り返し出てくるパターン。それは「メッシュ」で、親を殺したい子供という形に変わって出てくる。でも彼女には、どうしても殺せない。彼女は壊れていくしかない。

「銀の三角」に出てくる吟遊詩人エロキュスは、すべての悲しい記憶を自分の心に封じ込めて、永遠にさすらう亡霊となってしまう。あふれる絶望感。苦しい、と、彼女の魂は叫んでいる。彼女はどこにいくのか。どこにいけばいいのか。

彼女の魂が、かろうじて生きていた最後の作品「マージナル」で、キラは、地球の再生の夢に溶けて死んでゆく。そして、キラがいなくなったあと、その虚無を会話の中でいたずらにもてあそぶ二人の青年の下に、新しいキラがやってくる。そこで物語は終わる。

再生への、かすかな希望を残して。

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