世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

蝶の道

2011-11-06 09:11:15 | 月の世の物語

針葉樹の暗い森の中、まっすぐな一本の道を、わたしは歩いていました。目を上げると、空は、深緑の木々の梢に縁どられ、ぎざぎざに破られた青い紙のように、頭上に細長く流れていました。その空の中で、白い絹の糸のような雲はもつれあい、それに絡みつかれたように、細い昼の月が見えました。月はほほ笑みの形をして、まるで誰かが空で笑っているようにも見えました。

わたしの歩く細く長い道は、果てしなく前に続き、鈍いだいだい色をしています。それは木の葉ではなく、だいだい色の翅をした蝶の死骸が、木の葉のように、無数に散り敷いているのでした。
一歩歩くと、しゃり、と音がして、蝶の翅はいとも簡単に粉々になりました。わたしはできるだけ、蝶の少ないところを選びながら歩きました。

わたしの左手には小さなフクロウの形をした銀の腕時計がありました。時計と言いますが文字盤も針もなく、ただカチカチという音がするたびに、タンザナイトの青い目が左右にせわしく動くのです。その体内には瑠璃や水晶のような、闇と光の歯車の仕掛けがあって、それは時の中で割れることも腐食することもなく、正確に永遠を数えます。そしてときどき思い出したように、フクロウは、ほう、といって何かを知らせるのです。でもそれが何を知らせているのかは、わたしには全くわかりません。

わたしはもう、本当に長い間、森を歩き続けています。疲れることはありません。でも 、裸足の足にふれる蝶の翅の感触が、歩くにつれて重くなり、そのうち足に血のにじむように痛くなり、とても歩けなくなるのです。だいたい、なぜわたしはこんなところを歩いているのでしょう。

今までのようなことはしてはいけないと、ふとだれかがわたしにささやきます。わたしは背筋にぞくりと寒さを感じます。ささやいたのはだれでしょう。フクロウの時計でしょうか。それとも月か、森の木霊でしょうか。

わたしは、足元の蝶の一つを拾い、それをしばしじっと見つめました。蝶の翅はだいだい色というより、虹のような光沢をまとった薄い朱色でした。わたしは思わず、ほお、と声をあげました。どんな者が細工をしたのやら、その翅は貝を薄く削りだして作ったものだったのです。それは紙よりも薄い翅で、表にはまるで七宝のような、美しい文様が描かれてあるのです。しかもその文様は、どの蝶も、どの蝶も、一つとして同じものはないのでした。

こんな見事なものは見たことがないと、わたしがため息をつくと、また声が聞こえます。それは何やら、ころころと水のような音を立てて、まるでわたし自身の中からわきあがってくるようなのです。声は、このまま蝶の道を歩いて、どこにいくのかと尋ねてきます。わたしは蝶の死骸をそっと道に戻し、考えます。そもそもなんでわたしはここにいて、森を歩いているのでしょう。いったいどこに行くつもりなのでしょう。なぜこんな美しい貝の翅をした蝶を、踏み砕いているのでしょう。

永遠を数えるフクロウの声が響きます。月は相変わらず雲の中でほほ笑んでいます。そうだ。わたしは、神さまに約束したのでした。でも何を約束したのかは、どうしても思い出せません。とにかく今、わたしは一歩も動けずにいます。これ以上蝶を踏んで歩くことが、できずにいます。どうやったら、蝶を踏まずに歩いていけるのか、わたしは考えに考え、とうとう蝶の道を歩くのをやめ、道の右側の暗い森の中に足を踏みいれました。それは道なき道でした。いったいどこに向かうのかも、もともとわたしにはわかりませんでしたから、蝶の道も森の道も、たいして変わりはないことでした。

森に入り、振り向くとすでにそこにあの蝶の道はなく、暗い森ばかりが広がっています。
上を見るとこずえの隙間から、月は半月となって大きく笑っているのが見えました。そうか、こっちでよかったのだと、わたしは胸をなでおろしました。
わたしはどこにいくのでしょうと、わたしはどこかにいるだれかに尋ねました。すると森が深く深呼吸をするように、青い香りがする風がとおりました。
 
知らずにいるほうがいいことは、知らずにいたほうがいいのだと、わたしは思いました。
そして冷たい森の土の感触を足の裏に感じながら、歩きはじめました。あのたくさんの蝶を、わたしはどれだけ壊してしまったのか、今更ながら、悲しく思いました。ずいぶんとずいぶんと、長い間あの道を歩いていましたから。

涙が流れ指を組みすべてに許しを願いながら、わたしは森の中を歩きはじめました。いつしかあたりは夜に染まり、木々もその中で闇に溶けてしまったかのようになりました。ふと、木々の梢の合間をすいて、ひとすじの月の光が、ひたと地面に落ちました。するとそれは一瞬栗鼠のように森を走りだし、まるでこちらへ来いというように、少し離れたところの木の枝にくるくるとまり、ふわりと消えたのです。

かちりと、フクロウの歯車が切り替わる音が聞こえました。

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