世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

幸いのうさぎドラゴン・2

2015-05-26 06:35:47 | 月夜の考古学・本館

「おかあさん、ほかに方法がないわけではありませんわ。そうだ、おとうさんにきいてみましょうよ。おとうさんなら、もの思いのこと、何でも知ってるわ」
「そうだ、そうだ、そうしましょう」
 子供たちはうれしそうにいっせいに言いましたが、アングルボダは、苦虫をかみつぶしたような顔をしました。千年も前に夫婦わかれをした夫のことを、今の彼女はミミズの次に軽蔑していたからです。
「あのかいしょうなしに、このわたしが頭を下げろというのかい?」
「でも、アイノマのことがかかっているのよ。月の涙でも治せない病の治し方なんて、私たちはだれも知らないけれど、あの人なら知っているかも知れないのよ」
「そうとも、第一アイノマのもの思い癖は父親の影響なんだから」
「おかあさん、どうかお気持ちを押さえて、おとうさんを呼んでください。このままでは妹が……」
 子供たちが次々に願うし、他に方法も思いつかないので、アングルボダはしぶしぶ大陸で一番高い山に片足をかけ、そして片腹痛くて千年間口にすることさえなかった元の夫の呼び名を、大地に向かって叫び降ろしました。
「知の竜にして地の竜、永遠の闇の探究者、偉大なるズロキニウスよ!」
 すると、眠っていた大地が、つかの間さざ波のようにけいれんしたかと思うと、沈黙がふわりと大陸をおおいました。アングルボダの背中を、むずがゆい悪寒が走りました。しばらくして、湖のほとりの崖の一部がよろよろと崩れて、小さな穴が空き、その中から一匹の土竜(もぐら)が、ひょいと顔を出しました。
「おまえがわしを呼んだのかね? 珍しいこともあるもんだ」
 土竜は、ふつうの土竜とはちがい、イノシシほどの大きさはありましたが、しかしアングルボダたちに比べれば、まるで吹き飛ばされそうに小さいものでした。父ズロキニウスは千年前、地に潜って知の闇を探求するために、家族とともにいることと竜の姿を捨て、土竜になったのです。アングルボダは、元夫のそんなみじめな姿を見るにつけ、はらわたが煮えくりかえる思いに捕らわれるのですが、その場は気持ちをしずめ、息子の一人に命じて、彼に用向きを伝えました。
「もの思い病? 賢い子にはよくあることじゃ。何、心配はない。だが月の涙は使えんな。あれは心の病にはきかぬでな。頭の足らぬ女のやりそうなことではあるがな」
 ズロキニウスは、光に弱い目をしばたたきながら、くすくすと笑いました。怒りのあまり、アングルボダが尾で山をたたいたので、大陸が驚いたようにズンと鳴りました。息子たちがあわてて母をとめ、娘たちが間をとりもって、たずねました。
「おとうさん、どうか妹の病気を治す方法を教えてください。このままでは死んでしまうかも……」
「ああ、死んでしまうかもしれぬ。若いものは、もの思いの恐ろしさを知らんでな。この世とはなんだ? 自分とはだれだ? そんならちもないことを考えて、考え過ぎて、知の闇に溺れてしまうのさ。知の闇は広く深く果てしなく、無量のなぞに満ちている。泳ぎ切れるものではない。わしのようにそれを承知で、不完全な地図とおのれの発する小さな光をたよりに、探求するものはいい。だが知恵もおのれの光も未熟なものが、興味本位でやると、恐ろしい報復が待っている。知の闇の深い波にもまれ、ついには航路も自分も見失い、命さえ吸い取られて、帰って来れなくなるのだ」
「た、助かる方法はないのですか?」
「ないわけではない」
「その方法を教えてください」
「教えてやらんでもない。だがな。知の闇はおそろしい。わしにもわからんことは山ほどある。生けるものがすべての知を探ろうとすることは、一匹の蟻が砂漠の砂をすべて食おうとすることに等しい。そんなことをやろうとしたとて、無力感に空っぽになるのが落ちなのだ。しかしわしはそれをやろうとする。なぜだかわかるかね?」
「ごたくをお言いでないよ、このろくでなし!」
 業を煮やしたアングルボダの、炎のような一喝が鳴りました。彼女はじりじりと小山を一つ握りつぶしながら、毒を吐くように言い捨てました。
「あんたのご高論を聞いてる暇はないんだよ。早く必要なことをお言い! でないとミミズともども食ってしまうよ、この役立たず!」
 地の竜ズロキニウスは、間違えて毒ニンジンの根をかじってしまったかのような渋い顔をしました。しかし元の妻を怒らせては後がめんどうなので、言いたいことは千言ありましたがそれを無理に飲み下し、ふてぶてと言いました。
「おのれこそがこの世で一番弱く、一番ばかだと思っている、ばかな生き物の、はらわたを食べさせるとよい」
「なんだって?」
「おのれこそがこの世で一番弱く、一番ばかだと思っている、ばかな生き物の、はらわただ。生き物をそのまままる飲みさせてもよい。……なぜだなどと聞くなよ。知の世界は果てしなくなぞだらけだ。太陽がそこにあるように事実はそこにある。そして知者はどれだけ理屈をくみたてようと、事実の前にはひざまずかざるを得ない」
 アングルボダはもう聞いてはいませんでした。彼女は用が済むと元の夫にくるりと背を向け、大陸中に響き渡る声で言ったのです。
「この世で一番弱いもの! 一番ばかだと思っている、ばかな生き物! 私の前に姿を現せ!」
 ズロキニウスは小さく舌を鳴らすと、巨大な妻のしっぽに向かって、ささやくように、言い捨てました。
「見つかるまいよ。頭の足りんやつにはな。それにしても、かわいそうな我が娘よ……」
 ズロキニウスはぶつぶつとつぶやきながら、再び地の中に姿を消しました。

 最初アングルボダは、アイノマの病はすぐにも治ると思っていました。自らに比べれば、弱くてばかな生き物など、そこらじゅうにいるからです。ところが、アングルボダはすぐに大きな壁にぶつかりました。確かに弱い生き物、ばかな生き物はたくさんいました。千日腹一杯食うても、まだあまるほどいました。しかし、自分をばかだと思っているばかな生き物は、一匹としていなかったのです。たとえ、どんな小さな知恵や力しかなくても、みなそれはそれなりに、自分はりっぱなやつだと思っていたのです。

(つづく)




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