大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

日調連研究所の研究報告会(3.16-17)に参加して

2017-03-25 08:27:45 | 日記
先週、日調連の研究所の報告会に行ってきました。

私自身「報告」を行い、これで今期の「研究員」としての務めを終わるとともに、十数年間日調連で委員・役員を務めてきたことに一区切りをつけたことになります。

私の「報告」の内容については日を改めて書くようにしたいと思いますが、それをも含めて皆さんの「研究報告」を聞いて思ったことについて書くようにします。

日調連研究所の研究部門の中に、「諸外国の地籍制度」「国際的な地籍管理」に関する部門があります。
これについて、よく「業務と直接関係ないもので必要ないのじゃないか」というようなことを言う人がいますが、そういうものではないでしょう。日本の現在の制度の中で当たり前に思えていることを、他の制度と比べてみることによって気づかされることもあるわけですから、少なくとも「制度」の問題として考える姿勢があるのであれば、このような比較研究というのは必要不可欠なものだと言うべきでしょう。もちろん、その上で、実際に行われているものがその名に値するものなのか、ということは問われなければならないわけですが・・。

この部門の報告のなかで、二つの全く違う(正反対の)方向での意識を見ることができて、興味深く感じました。

一つは、「土地家屋調査士制度というのは素晴らしいもので、国際的な貢献(法支援)の一環として諸外国への「輸出」を追求していこう」というものです。
そしてもうひとつは、「日本の制度はガラパゴス化していて全くダメなので、先進的な土地行政、地理空間情報のシステムを導入していかなければならない」というものです。

前者については、まったくの「蛮勇」とも言うべきものでしょう。確かに自分たち(の関わっているもの)が「素晴らしい」と思いたい、というのは人間の本源的な欲求の一つなので、それを無視して行くことはできないのでしょうが、それにしても日本の現在の制度を見てみると、けっして出来がいいものとは言えないところがたくさん見えてくるのであり、それらのことに目をつぶってしまうべきではないように思えます。
そもそも、土地家屋調査士制度や「不動産の表示に関する登記制度」というのは、日本の歴史的に特殊な発展形態の中で形成され展開してきたものです。それを、全く異なる環境にあるところへ持ち出そうというのは、まったく無茶なことだと言うべきです。

そして反対に「日本の制度は全くダメ」というのも、この日本の特殊なものを見ずに言うことのように思えます。
これに関して、たとえば、報告の中では次のようなことが紹介されていました。「国際的な比較」の研究資料の中に「土地の測量・登録の完了の割合」に関するものがあり、それでは、日本の都市部の完了率が10数パーセントだとされ、調査対象30数か国の中でカンボジアと並んで最下位とされているものがある、ということです。これは、「土地を測量して登録する」ということをどのようなものとしてとらえられるのか、ということによって結果が大きく変わってしまうものです。「土地を測量して登録することができていない」状態というのは、法的・制度的に土地を利用する権原があきらかでなく不法占拠が頻発してしまうような状態をさす、と考えると、日本の現状がそのようなものとしてあるわけでないことは明らかであるわけですが、この調査においては、単純に「地籍調査の完了割合」で考え、そのような結果をだしてしまったのだろう、というわけです。
たしかに日本の「地籍制度」には大きな欠陥がる、と言うべきでしょうが、日本の近代化の中で「必要最低限」のものが作られ、それを補修しながら「成長」の基礎として機能してきた、ということがあるわけで、それを無視して今後のことを考えるわけにはいきません。
その上で、もちろん日本の現制度の根本的な欠陥を直視してそれを変えるための努力が必要ではあるわけですが、現に存在して機能している現制度を根本的に否定して新しい制度を「輸入」できる、というものではない、ということは押さえておくべきことなのでしょう。別の研究報告の中では、「最後発の国が最先端技術を導入」して全国的な「国土地積再調査」をおこなって非常にすぐれた成果を生んだ、ということが紹介されていましたが、それと同じことを日本で行なうには日本の制度は成熟しすぎており、無理がある、と言うべきでしょう。

諸外国の先進的なものから学びながら、それを日本の特有な制度の中でどのように展開していくのか、さらにその中で自分たちがどのような役割を果たしていくことができるのか、ということを今後考えていくべきなのだと思いました。