友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

憲法の前文に感動した中学時代

2024年05月03日 18時19分59秒 | Weblog

 爽やかに晴れ渡り、涼しげな風が吹き抜ける。昨日、私がアミ戸を嵌めようと苦戦していると、通りかかった現場主任(?)が「お手伝いしましょうか」と、声をかけてくれた。自分ではどうしようも無いので、「お願いしてもいいですか」と答えた。

 ガラス戸は重くて動かないし、アミ戸もなかなかレールに乗らない。ダメだと諦めかけていた時だったので、本当に助かった。おかげで今朝はガラス戸を開け、爽やかな風を部屋に入れた。カミさんは「今日も一日頑張る」と、気合が入っている。

 今日は憲法記念日。私が憲法の前文といくつかの条文を読んだのは、中学生の時だ。前文にはこれからの理想の国家像が記され、第9条で「戦争の放棄」を謳っていた。大人たちは新しい国つくりに燃えているのだと思った。

 高校へ入学して、大人になる私たちに向けて、教師も交えて論議する場と学校を想像していた。ところが、生徒に相談も無く校則があり、発言する自由も無く、授業は大学入試に向けた話ばかりだった。異議を申し立てると、校長室に呼び出されて説教された。

 憲法が施行され77年目の今日、岸田首相が改憲派の集会にメッセージを送っていた。「憲法改正は国会が発議するものだが、最終的には、主権者たる国民の皆様が国民投票で決めるものであり、主役は国民の皆様だ」と、国民を持ち上げていた。

 そして、「憲法改正がますます先送りのできない重要な課題となる中で、国民に選択肢を示すことは『政治の責任』だ。いたずらに議論を引き延ばし、選択肢の提示すら行わないことは『責任の放棄』と言われてもやむを得ない」と述べる。

 私腹を肥やした自民党議員の政治責任を棚上げにして、「よく言うわ」と思ってしまう。強面の改憲論者よりも、ニコニコ顔で言われると納得してしまうようで怖い。どんな国にしていくのか、野党が提案しないことにも力の無さを感じる。

 ゴールデンウィークの明日、長女家族と一緒に、長女の小学校からの友だちが出演する歌劇を観に大阪へ行くので、ブログは休みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする