実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

裁判上の自白と不利益陳述(3)

2016-09-28 09:57:19 | 民事訴訟法
 先週のブログで、やや不正確な表現があった。
 典型的な事例として、土地の所有権に基づく明け渡し請求の事案で、原告が使用貸借の成立(及びその契約終了)を先行主張し、これを被告が認める場合をあげたが、被告が認める内容は、もちろん、使用貸借の成立の部分だけであり、その契約の終了は争っていることが前提である。契約終了まで認めたのでは、争ったことにならない。
 この、被告による使用貸借の成立の主張が自白に当たるか否かである。

 教室事例的ではあるが、例えば次のような事案を考えてみる。
 Aの所有名義となっている土地上にBが建物を建てて土地を占有している。そして、BはAに対して定期的に金銭の支払いをしているような様子が過去にはあったのだが、途中でその様子も覗えなくなっている。これに対し、AはBからの金銭の支払いの事実を全面否定しており、過去の定期的な金銭の支払いの事実そのものに争いがある。
 このような事案で、AがBを相手に、使用貸借が目的達成を理由に終了したとして、所有権に基づく土地明渡請求訴訟を提起してきたとしよう。これに対し、Bは、定期的な金銭の支払いはしてきたつもりで、証拠もあるが、途中からは支払ったことを示す証拠がない。そこで、賃貸借契約を主張したのでは不払いによる解除を主張され、これが認められてしまうことを恐れ、訴訟においては、賃貸借契約の主張をせず、使用貸借の成立のみを主張し、まだその目的を達成していないとして争った。

 このような事案でBが使用貸借の成立を主張するのは、自白が成立する不利益陳述だろうか。もしそうだとすると、あとから使用貸借の主張を撤回して賃貸借契約の成立を主張することはできないということになりそうである。このことは、あとから賃料全額の支払いを示す証拠が出てきた場合などにシビアな問題となってくる。
 しかし、状況からすると、当初は賃貸借だと賃料不払いを理由とする債務不履行解除が認められやすいと思ったからこそ、それよりも有利だと思われる使用貸借の主張をしたのではないだろうか。

裁判上の自白と不利益陳述(2)

2016-09-21 11:14:58 | 民事訴訟法
 判例と有力説とでは、どういうところで違いが生じてくるかについて、典型的な事例として、よく、土地の所有権に基づく明け渡し請求の事案で、原告が使用貸借の成立(及びその契約終了)を先行主張し、これを被告が認める場合が上げられている。

 立証責任の分配でいうと、原告に立証責任がある事実は、原告の土地所有と被告の土地占有であり、使用貸借の成立は被告側に立証責任が認められる。そして、使用貸借の成立が認められると、さらにその契約終了に関する原因事実について原告が立証責任を負うという構造になる。
 したがって、自白の成立を立証責任の分配にしたがって考える判例の立場では、使用貸借の成立に関しては、原告側の(先行)自白の問題と捉え、被告側の自白の問題ではないと考えることになる。実務を行っている立場からすると、この考えがわかりやすい。

 しかし、有力な学説からすると、使用貸借であることを被告側が認めた以上、被告の敗訴可能性が生じる(使用貸借の終了が認められやすい)ことから、被告の土地占有権限が使用貸借であることについて被告側に自白が成立し、これを撤回して賃貸借の成立を主張することが原則許されないというのである。

 有力説のいうことも全く分からないわけではないのだが、しかし、よく考えてみると、何をもって敗訴可能性と考えるのかは、事案に応じて難しいのではないかと思うのである。

裁判上の自白と不利益陳述(1)

2016-09-14 10:10:16 | 民事訴訟法
 民事訴訟上、自白が成立すると裁判所はその自白に拘束され、自白と異なる事実認定ができないとされる。また、自白した当事者も、原則として自白を撤回することができないとされる。自白の裁判所拘束力と当事者拘束力である。

 ここで、そもそも自白とは何かという定義との関係で、自白が成立する範囲について争いがあるといわれる。
 つまり、定義的には、自白とは相手方が主張する自己に不利益な事実を認める陳述だとされる。そこで不利益陳述とは何かが問題となるのであるが、判例は、相手方当事者に立証責任がある事実についてこれを認める旨の陳述だと捉えている。したがって、自白が成立するか否かは、立証責任の分配に従って判断されることになる。これに対して、学説上は、敗訴可能性があれば自白を成立させて不可撤回効を認めるべきという学説が多いようである。

債券管理会社の訴訟追行権(6)

2016-09-07 10:18:16 | 最新判例
 以上のように考えた場合、今回の判例は、サムライ債における債券管理会社の任意的訴訟担当としての当事者適格を認めた判例という位置づけにはなるだろうが、その内実は、会社法上の社債管理者の訴訟追行権の規定を類推適用しただけという言い方はできないだろうか。
 したがって、例えば、発行された債券が社債の規定に比するだけの実のない債券であったり、管理委託契約もやはり社債管理者の規定に比して実のない内容だった場合は、会社法上の社債管理者の訴訟追行権の規定を類推できず、結局そのような債券管理者では例え訴訟追行についての授権条項があったとしても、任意的訴訟担当も認められないということになっても、決しておかしくないと思っている。
 そして、そもそもそのような実のない債券であれば、日本国内で起債されるべきではないというところまで導きたい気がするのだが、もちろん、今回の判例はそこまでのことは述べていない。

 いずれにしても、今回の最高裁判例は、「債券」に関する一般的な法律がないことから、「債券管理会社」の権限について問題が生じたのであるから、立法論も含めて多角的に検討する必要がある判例だと思うのだが、どうだろうか。