まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ブタがいた教室

2009-09-19 22:38:33 | 教育のエチカ
福島駅の近くにはレンタルビデオ屋がなくなってしまったために、
最近ではネット宅配レンタルを利用しています。
毎月一定額を払い込むことになっており、その額を払っている限り延滞料は不要です。
とはいえ、延滞している限り次のDVDは借りられないわけですし、
けっこう高い月額を払っているのですから、
借りたらすぐに見て返すのがいいに決まっています。
しかし、この制度の恐ろしいところは、なんとなく延滞料タダに引きずられて、
せっかく送られてきたDVDをついついほったらかしにしてしまうということが
多々生じてしまうというところです。

ましてや見たくて借りたというよりも、
見なきゃいけないから借りたような気の重い作品なんかは、
どうしても先延ばしになりがちです。
『ブタがいた教室』 がまさにそういう作品でした。
夢にまで見ちゃうくらい気にかかっていながらも、
あの夢と同じような展開が必至な悲しいストーリーであることはわかっていますから、
ハリウッド系アクション・コメディ好きの私としては、
どうしても後回しにしたくなってしまいます。
けっきょく延々2週間くらいほったらかしていたでしょうか。
さすがにもうこれ以上キープし続けておくわけにはいきません。
これを借りたくてずっと待っている妻夫木ファンもいらっしゃることでしょう。
というわけで、とうとう見てしまいました。

実際に見てみると、そこまで思い詰めるほど重たい作品ではありませんでした。
むろん扱っているテーマがテーマですから、すごく考えさせられますし、
泣き虫の私はダーダー泣いてしまいます。
でも映画自体はとてもさわやかで、軽い感じに (というと言い過ぎ?) 仕上がっていました。
実話に基づいているとはいえ、映画化するにあたってそうとう工夫したことがうかがえます。
脚本とキャスティングの勝利でしょう。
また子どもたちが激論を交わすシーンの台本はセリフが白紙で、
子役たちに本気で議論させたそうで、
そうした演出も成功の要因だったといえるでしょう。

今回もこの映画ならびに実践のテーマそのものに関しては何も言いませんが、
映画を見て心に残ったポイントを3点上げておきます。
まず第1に、子どもたちが真剣に 「責任」 について議論していたということ。
生き物を飼うことの責任、生き物を食べることの責任、すなわち生命に対する責任。
そんな大テーマをめぐって小学校6年生が限界ギリギリまで激論を交わしていました。
責任という言葉でついつい比較してしまうのはあの政党ですが、
あの党に属して政権を担っていた閣僚の方々は、
この子どもたちほど真剣に命について議論してくれていたのでしょうか。
日本国民が戦地で誘拐されてしまったときに、
(たとえその人が同政党と政治的信念を異にしているとしても)
あるいは年金記録問題が発覚したときに
日本国民の生命に対する責任についてどこまで本気で考えてくれたのでしょうか。
子どもたちの姿を見ていて、なぜかそんなどうでもいいことを考えてしまっていました。

第2に、教師の同僚性について。
『フリーダム・ライターズ』 のときにはエレンは孤軍奮闘だったと書きましたが、
妻夫木演ずる星先生は本当に同僚たちに守られていました。
特に映画の中では、原田美枝子演ずる校長先生が秀逸でした。
新採用教員が (たぶん) 最後までの見通しもなく思いつきで始めた実践の
意義と困難を本人以上に見抜いたうえで、全力でサポートしてくれる。
こんな校長先生がいてくれたら、
そりゃあ先生たちは安心していろんなチャレンジができるよなあ。
こんな上司の下で働きたい、最高のモデルだと言えるでしょう。
現実には、ここまで肝の据わった校長先生はどれくらいいらっしゃるのでしょうか?
また、大杉漣演ずる教頭先生も一見意地悪で小心っぽく見えますが、
常にとてもいいアドバイスを与え続けていました。
こういう学校で働けるというのはそうめったにあることではないかもしれませんが、
しかし、これからの学校は (学校に限らず職場はどこでも) こうあってほしいものです。

第3に、教育と子どもたちの成長との関係について。
映画のわりと最初のほうで、校長先生がこんなことを言います。
「子どもたちはしたたかです。」
最後のほうでは星先生がこんな感じのことを言います。
「君たちは先生が思っていた以上に学んでくれた。」
上述したように、最後までのはっきりした見通しもなく始めた実践だったんだと思いますが、
生徒たちは、教員の側の準備不足なんてものともせず、
この実践から多くのことを学び取り、大きく成長していったように見受けられました。
教育ってたぶんそういうもんなんだろうなあと思います。
教員の側の思いつき (教材といってもいい) がうまくヒットしさえすれば、
生徒たちはこちらの思惑を超えて学び、成長していってくれるのでしょう。
学習指導要領やヘルバルト主義 (発達段階にあった教育) なんて軽々と踏み越えて、
けっこう高度なことまで学び取ってしまえる力強さを
子どもたちは持っているのだなあと思いました。
逆に言うと、こちらがどれだけ精魂傾けて準備した授業でも、
教材が彼らにとって魅力的でなければ、
空回りに終わってしまうという恐ろしさもあるということでしょう。
教育って本当に難しいなあと、でもだからこそ面白いよなあと思いました。


P.S.
今日の話はどのカテゴリーに分類しようかと悩みました。
本来ならアルパカ同様 「生老病死の倫理学」 に入れるべきでしょうが、
あまりその手の話は中心的ではありませんでした。
そこで 「お仕事のオキテ」 に入れるか 「教育のエチカ」 に入れるか悩んだあげく、
「教育のエチカ」 ということにしました。
まあ分類 (=カテゴリー) そのものがどうでもいいということの証ですね。
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2 コメント

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Unknown (かおりん)
2009-09-22 09:07:23
>逆に言うと、こちらがどれだけ精魂傾けて準備した授業でも、
教材が彼らにとって魅力的でなければ、
空回りに終わってしまうという恐ろしさもあるということでしょう。


本当に恐ろしき・・・。
私の安積疎水の授業が、はんぱなく面白くないようで、悪戦苦闘・・・。
返信する
地域の教材化 (まさおさま)
2009-09-24 10:26:07
安積疎水の授業を作ったんですか。
がんばってるね。素晴らしい。
面白いか面白くないかはなかなかパッと見では判断つかないので難しいよね。
いろいろな形で反応を確かめながら、少しずつ軌道修正していくしかないね。
というか初めてのチャレンジのときは軌道修正も難しいかも。
そのままとにかく突っ走るしかないんじゃない?
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