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綺麗なお花や美味しいたべものなどあれこれあれこれ載せて行きたいと思います。

28才の空白

2009-02-28 20:21:56 | Weblog
履歴書を書く回数が増えて、封印していた6ヵ月が蘇ってくる。

20代前半、「28才」という年齢に憧れていた。
キャピキャピした若さから卒業して、大人の印象。でもまだおばさんでもなく、一番カッコイイ年齢だと思っていた。
だから28才の自分は、その人生の中で一番輝いていると信じていた。

地図製作の仕事で身体を壊し、広告デザインの個人事務所で働いていた。
でも仕事に限界を感じていた27才。
知り合いの測量会社の社長に地図製作の個人事務所を紹介された。
「ああ、また地図の世界に戻れるのだ」と二つ返事で受け入れた事務所。

社長が一人で切り盛りしていた。
自宅に建て増しして作った事務所である。
働き始めて初めて知った。完璧セクハラおやじである。
当時まだ35才くらいだったが、来るお客さんと話すのは下ネタばかり。
いつも命令される男子トイレの掃除。
掃除は今までの会社でもやっていたけれど、こんなセクハラおやじの使うトイレを掃除するなんて、なんだか屈辱の気持ちだった。

毎日の言動が全て不愉快だった。
でも我慢した。

ある日、仕事のしすぎで腰痛になり、歩くことさえ苦痛になった。
昼休み、辛くて横になっていた。
それを見ていた社長が、午後から請負先に図面を届けろという。
帯広は地方都市だが、西の端から東の端の会社に図面を届けるのは、車でも1時間以上時間がかかる。社長は午後、腰痛で歩けない私に、二度も届けさせた。
血も涙もない奴だと悟った。

社長の父親は、私の車の雪を下ろしたりして親切にしてくれた。
でもそれは下心があったからだ。
社長は独身だった。何ヶ月か経った頃、私に結婚を迫ってきた。

このころ、もう一人アルバイトの男性と、3人で仕事をしていたのだが、社長は午後5時を過ぎると自宅に戻り、夕食を食べ、お風呂に入り、TVを見て、午後9時頃事務所に戻ってきて仕事を再開する。
でも雇われている私たちはその間ずーっと仕事をさせられ、社長が戻ってきてからも延々夜中まで仕事をするのだ。
私は女性だったから少し早めに帰宅できたが、もう一人の男性は、夜中の2時3時まで仕事をした。
その理不尽さに耐えられなくなり、彼はバイト代も貰わずに失踪した。
朝8時半から夜中の3時まで、毎日続くはずがない。
なのに、社長は彼を「ダメな男呼ばわり」していた。

あの頃、私の救いは劇団だった。
好きな芝居のことだけ考えていたかった。追い詰められた日は稽古にも行けなかった。
平日の夜実家に帰りTVを見て、帯広までまた戻る日だった。
実家に帰ると気が緩むのか、何を見ても泣いていた。

今でいう鬱状態になっていたのかな?
精神がボロボロだった。
劇団の代表が察してよく食事に呼んでくれた。
その頃の心のよりどころだった。

そして半年が経って、体調不良を理由にその事務所を辞めた。
先の見通しなど何もない。とにかく逃げ出したかった。
辞める日。後ろ髪など引かれるはずも無く、とにかく解放されたことが嬉しかった。

一番なりたかった28歳なのに、一番情けない28歳だった。
封印していたから思い出しもしなかったけれど、記憶が蘇ってくるとおんなじ私がいて泣きたくなる。

長い人生のたった半年なのに、封印したいということは、心の中にわだかまりが残っているということだ。
懐かしいと大人の目線で振り返ることもできない日々だった。

その後わたしは札幌に来た。
新しい人と出会い、新しい空気を吸い、前向きに生きる喜びを感じた。
もうあの頃の鬱鬱した自分に戻りたくない。
自ら道を切り開いて行きたい。

私にとって20代は悩んで悩んで修行していたなーと思う。
28歳のだめな私が、今の自分に教えてくれることは計り知れない。

今でも履歴書には半年の空白がある。
でももっと年をとり、28歳のわたしを「頑張っていたね」と思いやる私がいるのかもしれない。
コメント (2)
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