MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

冬の日向の蜻蛉(秋津)

2017年12月24日 | 写真俳句


ほぼ半年振りの(前回は6月6日)「写真俳句」の投稿です。

今年は友人の勧めもあって多くの俳句と短歌を創作してきたが、
やはり、この世界にも流行のようなものがあり(特に俳句界において)、
俳句はこれまでに2句、短歌は4首が雑誌や歌会、文学賞などに入選したが、
俳句は以前から言われていた「類句」の問題からか、
「見たまんま俳句」ではほぼ入選することがなくなった。

私が句歌や律詩、自由詩、エッセイなどの創作を始めたのは高校時代で、
当時の進学雑誌への投稿では、句歌においていくつか特選もいただいていた。
投稿理由は特選の景品の「万年筆欲しさ」だったが・・・・
2回目の特選のときは、過去歴の為か送られてくることがなかった。

当時大切とされていたのは、俳句でいえば「侘び」「寂び」「余韻」「余情」
そして「言葉のリズム感」などだったように記憶している。
が・・・
今は「季語」が重要視され、季語から類推できる有り様などは排除することが求められ、
「寂しさ」「悲しさ」「美しい」などの個人的感情も好ましくないようだ。

閑話休題
このブログ内では「俳句写真」の掲載が500句を超えていた。
机に向かってPCを開き、句になるような写真を探し、
その場で作った即興的なものが多く、1ヶ月ほど前に全作品を見直したところ、
「季重ね」などや「三段切れ」「明らかな散文調」などが見つかり、
修正すべく200句以上を「非表示」処理している。

それらの句については修正しようとしているが、
新規投稿や、過去の句歌、学生時代に上梓した小説など、
未発表作品についての手入れもしなければならず・・・・

写真の句は二十四節気の「大雪」のころの作品で、
人にとっても寒い一日だったある日に見た、
その時期にはほとんど見ることのない「秋茜(秋津)」を見ての句である。
「や・・かな」「淋し」など問題もあるが・・・・。

「周りに仲間のいない蜻蛉の『淋しさ』」は、私も時折感じることがある。
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