大津川の両岸には美田が続き、
まもなく収穫時期を迎えようとしている。
稲穂は黄金に色づいて重々しく頭を垂れている。
秋の彼岸頃にはすべての収穫を終え、
柔らかく甘い新米のご飯が食卓に上がることだろう。
今は灌漑用水施設や機械化が進み田圃は乾田となり、
田植えも収穫もあっという間に済んでしまうが、
私が子供だった頃は殆どが湿田であり、
田植えも稲刈りも「結い」的な手法でおこなわれ、
近隣の農作業を手伝ったり、手伝っていただいたりで大変な労力が必要だった。
当時はいわゆる「米一升汗一升」の時代で、
米一升を作るのに「一升の汗をかく」といわれており、
それゆえ、ご飯一粒でも茶碗に残っていると親に叱られたものである。
で・・・
子供の頃の習慣はいまだに残っていて、出されたご飯は綺麗に食べることにしている。
そんな稲穂をパートカラーのイエローで撮ってみた。
日本最古の書「古事記」では日本を「葦原の瑞穂の国」としていることから考えれば、
日本人は古事記が編纂される前から米を食べていたわけで、
米の本当に美味しい食べ方を知っている民族なのかもしれない。
(瑞穂=みずみずしい稲穂・米)
中国の富裕層が日本の米を食べている話は周知の事実だが、
それは中国の農薬塗れの米を食べたくないのではなく、
日本の米が世界一美味しいからなのだと思う。
美田の隣の空き地では「いのころ(ネコジャラシ)」も実りの秋を迎えていたが、
やたらに除草剤を撒き散らさないのも日本の米の美味しさにつながっているのかもしれない。