古本屋さんにもあんまり無いような本のはなしを書いても しょうがないような気もするのだけど、、 でもほんとに良かったので やっぱり書いておこうと思います。。
『世界短編名作選 東欧編』 (監修 蔵原惟人/新日本出版社 1979年)
シリーズ全12巻の詳細は こちらにリンクしておきます(>>国立国会図書館OPAC)
収載されている作家の中で名前がわかるのは カレル・チャペクだけ。。 当初は、 シェンキェヴィチという人の作品を検索して この本に行き当たったのですが、、 それについてはまた別の機会に…
***
今日書きたいのは、 ルーマニアの現代作家 ドゥミトル・ラドゥ・ポペスクという人の 『砂漠の下の海』という短編です。
まずは 冒頭の一文をあげて、 以下「 」内はところどころの抜粋です。(住谷春也訳)
「真昼の日ざしの中を走りながら、もし成功しなければ死ぬだろう、ということを彼ははっきりと知っていた。」
「彼は腕時計を見た、かっきり二時だ。」
「右手に使っていない畑が見えた。 ・・・ トウモロコシ畑の始まるあたりに、仮装人形がひとつ見えた。 子供たちがふざけて作ったかかしだ。」
「彼はゆったりした半袖の白シャツの胸をベルトの所まで開けていた。 半ズボンの上に出したシャツの裾がはためく。 ペダルを踏む足ははだしだ。 靴はかばんに入れてある。」
、、この《彼》は 自転車で川にさしかかる。 鉄道用と、 自動車や荷車用の、 並んだ広い橋がかかっている。 橋には歩哨がいる。 《彼》は、 シャツをズボンに押し込み、 靴をはき、 髪を指でなでつけて、 「口笛を吹きながら町にはいった。」
、、町の中心部で、 《彼》は、 自転車をおいて、建物の二階へ上る。 中庭で子供たちが歌いながら遊んでいる。
「水を一杯おくれ」 ・・・ 彼女はジョッキになみなみともってくる。
「なにをしてたの?」 「歴史の勉強」
「あなたはなにをしてるの」 「サイクリングをやってきた…」
、、《彼女》は、 戸棚からラジオを出してきてスイッチを入れる、、が 鳴らない。 「なぜ聞こえないのかしら」 ・・・ 「さあ、こわれたのかな」
「遠くで二発、銃声がした。 子供たちは歌と拍手を続けている。」
「彼女は台所へ行き、彼はその足音を耳で追った。 スリッパがぺたぺた鳴っている。 ぺた、ぺた。 もう二度と聞けないかもしれない。 でもまだ二時間ある。 まだ二時間は一緒にいられる。 五時には逮捕されているかもしれない。 失敗すれば。 あるいは成功して、逃げる途中で射殺されているか。…」
、、《歩哨》 《銃声》 《成功》 《失敗》 《射殺》 、、それらが何のことなのか、 ここではまだわからない。 《歴史の勉強》をしていた彼女と、 《サイクリング》をしてきた彼が、 彼女の家でラジオで音楽を聴こうとしているだけ・・・
「彼はラジオの鳴らないわけがわかった。 しゃがんで、一本のコードの先をつまんだ。 ラジオから東洋ふうのメロディーが流れ出した。」
「なんだったの」 ・・・ 「なんでもないんだ」
「じゃここへきてよ、いいもの見せてあげるから…」
「行けないんだ」
「なぜ?」
「ぼくはアースだから」
「地球(アース)ってどうして」
、、アースの線を握ってやっと聞こえるラジオ。 彼女は白い子ネコを彼にみせる。 「もっとこっちへ来て…」 「だめだよ。 ほくはアースなんだ」と彼はほほえむ。
前半の会話の部分を中心に抜き出しましたが、 こういう《彼》と《彼女》の会話がとても初々しくて、 瑞々しくて、、 でも 二時間後に彼がなにをしようとしているのか、、 ざわざわした思いを抱えて先を読んでいくことになります。
***
大戦下のルーマニアが どのような状況だったのか、 歴史をちっとも知らないので 小説のひとことひとことから判断するしかないのですが、 町にはドイツ兵が駐留していて、 まだ学生らしい《彼》は何かをしようとしている、、 でも 家の中庭では子供たちが遊んでいて、 何も知らない彼女とこんな風に子ネコをなでながら 初々しいおしゃべりをしている、、
それがなんだかとても不思議で、 とっても普通なのにせつなくて、、
ここから先、 物語の8割くらいまでは 《彼女》の家ですごす時間や、 彼女と出会ったときの思い出が綴られます。 そして、 最後の5ページくらいで、 《彼》は彼女の家を後にします。 冒頭で彼が自転車を走らせて見た 「川」 「橋」 「歩哨」 「畑」 「かかし」 …そういったものが全部、 伏線になって最後につながります。
戦時下の文学としては、 前に 『ハインリヒ・ベル短篇集』で少年兵の物語のことを書きましたが(>>)、 今回の 『世界短編名作選 東欧編』にもいくつか 戦時下の物語が載っています。
ポーランドのジェロムスキという人の 『われらを啄ばむ鴉たち』なども、 上の 『砂漠の下の海』のみずみずしさとは対極にあるような、 厳しい作品でしたが見事でした。 両者のタイトルが、よく作品の全体像をもの語っています。
もちろん 戦争と関係のない短編も、、 それぞれ時代と その時々の《人間》のすがた・暮らしがみえてくる、、 短編って 力を持っているなぁ、、と なんだかあらためて短編の良さを見直させられた本でした。。。
『砂漠の下の海』、、 だれか映像化してくれたら、、と思うくらい。 短編だから 映画としてはドラマが少なすぎるかな。。 でも 夏のきらきらした日差しの中を自転車を漕いでくる少年のすがたが 目に見えるような作品です。
『世界短編名作選 東欧編』 (監修 蔵原惟人/新日本出版社 1979年)
シリーズ全12巻の詳細は こちらにリンクしておきます(>>国立国会図書館OPAC)
収載されている作家の中で名前がわかるのは カレル・チャペクだけ。。 当初は、 シェンキェヴィチという人の作品を検索して この本に行き当たったのですが、、 それについてはまた別の機会に…
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今日書きたいのは、 ルーマニアの現代作家 ドゥミトル・ラドゥ・ポペスクという人の 『砂漠の下の海』という短編です。
まずは 冒頭の一文をあげて、 以下「 」内はところどころの抜粋です。(住谷春也訳)
「真昼の日ざしの中を走りながら、もし成功しなければ死ぬだろう、ということを彼ははっきりと知っていた。」
「彼は腕時計を見た、かっきり二時だ。」
「右手に使っていない畑が見えた。 ・・・ トウモロコシ畑の始まるあたりに、仮装人形がひとつ見えた。 子供たちがふざけて作ったかかしだ。」
「彼はゆったりした半袖の白シャツの胸をベルトの所まで開けていた。 半ズボンの上に出したシャツの裾がはためく。 ペダルを踏む足ははだしだ。 靴はかばんに入れてある。」
、、この《彼》は 自転車で川にさしかかる。 鉄道用と、 自動車や荷車用の、 並んだ広い橋がかかっている。 橋には歩哨がいる。 《彼》は、 シャツをズボンに押し込み、 靴をはき、 髪を指でなでつけて、 「口笛を吹きながら町にはいった。」
、、町の中心部で、 《彼》は、 自転車をおいて、建物の二階へ上る。 中庭で子供たちが歌いながら遊んでいる。
「水を一杯おくれ」 ・・・ 彼女はジョッキになみなみともってくる。
「なにをしてたの?」 「歴史の勉強」
「あなたはなにをしてるの」 「サイクリングをやってきた…」
、、《彼女》は、 戸棚からラジオを出してきてスイッチを入れる、、が 鳴らない。 「なぜ聞こえないのかしら」 ・・・ 「さあ、こわれたのかな」
「遠くで二発、銃声がした。 子供たちは歌と拍手を続けている。」
「彼女は台所へ行き、彼はその足音を耳で追った。 スリッパがぺたぺた鳴っている。 ぺた、ぺた。 もう二度と聞けないかもしれない。 でもまだ二時間ある。 まだ二時間は一緒にいられる。 五時には逮捕されているかもしれない。 失敗すれば。 あるいは成功して、逃げる途中で射殺されているか。…」
、、《歩哨》 《銃声》 《成功》 《失敗》 《射殺》 、、それらが何のことなのか、 ここではまだわからない。 《歴史の勉強》をしていた彼女と、 《サイクリング》をしてきた彼が、 彼女の家でラジオで音楽を聴こうとしているだけ・・・
「彼はラジオの鳴らないわけがわかった。 しゃがんで、一本のコードの先をつまんだ。 ラジオから東洋ふうのメロディーが流れ出した。」
「なんだったの」 ・・・ 「なんでもないんだ」
「じゃここへきてよ、いいもの見せてあげるから…」
「行けないんだ」
「なぜ?」
「ぼくはアースだから」
「地球(アース)ってどうして」
、、アースの線を握ってやっと聞こえるラジオ。 彼女は白い子ネコを彼にみせる。 「もっとこっちへ来て…」 「だめだよ。 ほくはアースなんだ」と彼はほほえむ。
前半の会話の部分を中心に抜き出しましたが、 こういう《彼》と《彼女》の会話がとても初々しくて、 瑞々しくて、、 でも 二時間後に彼がなにをしようとしているのか、、 ざわざわした思いを抱えて先を読んでいくことになります。
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大戦下のルーマニアが どのような状況だったのか、 歴史をちっとも知らないので 小説のひとことひとことから判断するしかないのですが、 町にはドイツ兵が駐留していて、 まだ学生らしい《彼》は何かをしようとしている、、 でも 家の中庭では子供たちが遊んでいて、 何も知らない彼女とこんな風に子ネコをなでながら 初々しいおしゃべりをしている、、
それがなんだかとても不思議で、 とっても普通なのにせつなくて、、
ここから先、 物語の8割くらいまでは 《彼女》の家ですごす時間や、 彼女と出会ったときの思い出が綴られます。 そして、 最後の5ページくらいで、 《彼》は彼女の家を後にします。 冒頭で彼が自転車を走らせて見た 「川」 「橋」 「歩哨」 「畑」 「かかし」 …そういったものが全部、 伏線になって最後につながります。
戦時下の文学としては、 前に 『ハインリヒ・ベル短篇集』で少年兵の物語のことを書きましたが(>>)、 今回の 『世界短編名作選 東欧編』にもいくつか 戦時下の物語が載っています。
ポーランドのジェロムスキという人の 『われらを啄ばむ鴉たち』なども、 上の 『砂漠の下の海』のみずみずしさとは対極にあるような、 厳しい作品でしたが見事でした。 両者のタイトルが、よく作品の全体像をもの語っています。
もちろん 戦争と関係のない短編も、、 それぞれ時代と その時々の《人間》のすがた・暮らしがみえてくる、、 短編って 力を持っているなぁ、、と なんだかあらためて短編の良さを見直させられた本でした。。。
『砂漠の下の海』、、 だれか映像化してくれたら、、と思うくらい。 短編だから 映画としてはドラマが少なすぎるかな。。 でも 夏のきらきらした日差しの中を自転車を漕いでくる少年のすがたが 目に見えるような作品です。