万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ハンディキャップ国家論―明治外交の真逆

2012年06月24日 15時41分05秒 | 日本政治
首相、沖縄知事と正式会談せず オスプレイ反発を考慮?(朝日新聞) - goo ニュース
 時は幕末、安政年間に西欧列強と相次いで結ばれた和親条約は、明治維新後の日本国政府に、外交上の重大な課題を残すことになりました。それは、治外法権の撤廃と関税自主権の回復です。

 この二つは、日本国が、近代国際社会において、独立した主権国家として認められるためにも、何としても実現すべき課題でした。条約改正への涙ぐましい明治政府の努力はよく知られておりますが、治外法権の撤廃に成功したのが明治27(1894)年、関税自主権の回復は明治末(1911)年ですので、半世紀以上の月日をかけて、ようやく念願を叶えたことになります。植民地主義が跋扈する中で、日本国が、独立主権国家としての地位を確立し得たことは、明治外交の賜物なのです。一方、今日の日本外交はどうでしょうか。長年、外務省にあった小和田恒氏に至っては、ハンディキャップ国家論を展開し、日本国は、敗戦というハンディを負っているとし、一般的な主権国家であることを暗に否定しております。明治外交が、主権の確立に尽力したとしますと、平成のハンディキャップ国家論は、主権国家の地位からの転落を容認しているかのようです。しかも、植民地主義が去った現代という時代において。これでは、明治外交の真逆なのではないでしょうか。

 普通の国家であれば、たとえ戦争に敗れても、敗戦によって負ったハンディキャップを克服し、完全なる主権回復を目指して、艱難辛苦に耐えて努力するものです(実際には、サンフランシスコ講和条約によって、国際法上は、主権を回復していますが…)。安易なハンディキャップ国家論が、”何もしない外交”にお墨付きを与えているとしますと、それは、国家と国民に対して、そして、先人に対しても、罪深いことなのではないかと思うのです。

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