万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

核規制と銃規制から見る対北政策の優先順位

2018-02-21 16:07:53 | 国際政治
アメリカでは、無差別殺人を目的とした銃乱射事件が起きる度に、銃規制の問題が浮上しては現実主義者の反論を受けて下火となります。幾度となくこの状況が繰り返されてきたのですが、国際社会における核規制もまた、同様の問題を含んでいます。そしてこの共通性は、対北政策の優先順位を考える上でも重要な判断材料ともなるように思えます。

 銃の保有や売買を完全に禁止しようとする規制派の人々は、“銃を保有する人々がこの世からいなくなれば、こうした凄惨な事件は起きなくなる”と単純に考える理想主義的な思想の持ち主です。いわば、性善説を信奉する人々なのですが、これらの第1の類型の人々には、“世の中には犯罪者となり得る悪人も存在する”という事実に関する認識の欠落があります。善人と悪人の混在は既に脳科学から証明されていますので、悪人の存在は、規制派の人々の理想を打ち砕いてしまうのです。国際社会においては、核兵器禁止条約を推進している人々こそ、まさにこの理想主義的規制論者の立場にあります。

 しかしながら、現実を直視すれば悪人が存在していますので、仮に、規制派の人々の主張に従って銃の保持や売買を禁止するならば、銃を隠し持っている悪人による銃使用に即応し得る警察機能を備える必要があります。国家レベルでは、銃禁止法が制定され、かつ、警察が厳格な取り締まりを実施している諸国が同形態に分類されます。そして、国際社会に当て嵌めれば、核保有国に核不拡散の責任と義務を負わせ、いわば、“世界の警察官”の役割を期待するNPT体制の支持者がこの第2の類型となります。

 そして、第3の類型となるのは、善人も悪人も併存する現実を受け入れ、かつ、警察機能の不完全性をも考慮した上で、悪人による銃使用に対する正当防衛のために、防御を目的とした善人の銃保有をも認めるとする立場です。正当防衛の必要性は、アメリカにおいて銃規制反対派の強力な論拠となっていますが、これは、警察機能の不備とセットとなる主張です(瞬時における殺傷能力を有する銃の使用者に対し、警察が駆けつけて即応することは現実的に不可能)。この類型は、国際社会にあっては、全ての諸国に核保有を許し、全世界的な核の多角均衡の実現による平和を唱える人々に該当します。

 以上に三つの類型に分けて見たのですが、善人の安全確保を判断基準としてこれらを比較しますと、その安全の高さは、第2類型>第3類型>第1類型の順となるのではないでしょうか。第1類型が安全性において最低な理由は、仮に悪人が銃を使用した場合、善人には防御手段が一切存在しないところにあります。そして、第2類型が第3類型に優る理由は、銃の保有・使用の自由に付随する偶発的な事件が起きる可能性が低く、かつ、善人が正当防衛手段を有しながらも、確実に悪人の暴挙から逃れられるわけではないからです。

 そして、今般の北朝鮮に対する政策の優先順位の視点から見ますと、この分類は示唆に富んでいます。上記の優先順位は、まさに、北朝鮮問題に対しても言い得るからです。つまり、仮に、国際社会が、アメリカを中心に北朝鮮に対して警察機能、即ち、軍事制裁を科すことができるならば(第2の類型)、それが最も望ましい解決策であると言うことです(第1の方法は、善良な国家にとって危険すぎる…)。そして、全ての諸国に核武装を認める政策(第3の類型)は、軍事制裁による解決が困難であると判断された後に選択されることとなりましょう(因みに、困難となる場合とは、悪しき国家の軍事力が上回る場合や”世界の警察官”が堕落した場合など…)。アメリカの銃規制論争は、まさに、問題意識において現下の国際社会ともシンクロナイズしており、人類に対して、安全の実現に関する方法選択の問題を問いかけているように思えるのです。

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憲法改正は項目ごとに国民に問うべきでは?-一括選択は“抱き合わせ販売”に

2018-02-20 15:36:17 | 日本政治
自民党では、本格的に改憲草案の作成作業が始まっており、論点となってきた教育の無償化については、第26条の3項に政府の努力義務として加える方針のようです。そう遠くない日に憲法改正を問う国民投票が実施されるのでしょうが、実施に先立って、重要な議論が抜けているように思えます。

 それは、国民投票の実施に際しての国民の投票形式です。今般の改正項目としては、(1)第9条、(2)緊急事態条項、(3)参院選の合区解消、(4)教育無償化の4つに絞られています。しかしながら、この4項目、国民は、個別に選択することができるのでしょうか。

国民の中には、4項目全てには賛成できないけれども幾つかは承認したい、あるいは、何れかの一つだけは絶対に賛成しかねる、といった人々も存在しているはずです。仮に、一括選択方式が採用され、個別の項目について国民が一つ一つ丁寧に判断できないとなりますと、改正憲法が国民の選択を正確に反映したとは言い難い状況に至ることも予測されます。例えば、これらの4項目の中には、大多数の国民が反対するような改正項目が含まれているにも拘わらず、他の項目に対する賛意が牽引する形で改正が成立するかもしれません。また逆に、国際情勢等に鑑みて必要とされる改正が、他の項目に対する反対多数の影響で見送られてしまう可能性も否定はできないのです。ア・ラ・カルトで国民が個別に選択することができない一括選択方式では、いわば、“抱き合わせ販売”になりかねず、最悪の場合には、憲法改悪という予期せぬ結果を招くかもしれないのです。

 憲法改正は、日本史上において初めての出来事であり、不安を抱く国民も少なくはありません。政府であれ、政党であれ、まずは、どのような形式で国民投票を実施するのか、国民に詳しく説明する必要があるのではないでしょうか。そして、憲法改正案の提案方式について議論するに際しては、一括方式に内在する上記の“牽引効果”及び“ブロック効果”の両面を十分に考慮し、是非とも、個別選択方式を検討していただきたいと思うのです。

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“早すぎたグローバリズム”の問題

2018-02-19 16:05:55 | 国際経済
本日の日経新聞朝刊の一面には、“企業のドル債務 膨張”とする見出しで、世界の企業がドル建てでの債務を拡大させているとする記事が掲載されておりました。同記事は、ドル高が進めば新興国に打撃を与えかねないとして警戒を促しています。

 ドル高が債務国に対してダメージを与える主たる理由は、自国通貨で換算すれば債務の返済額が拡大するところにあります。特に、“自転車操業的”で借り換えを行う場合、借入時よりも借り換え用のドル調達に際して相場が上がっていると、それだけで支払額が上昇するため、財政リスクが深刻化するそうです。また、ドル高に加えてFRBが利上げをすれば、金利の全般的な上昇や国内からの資金流出も予測され、ドル債務を抱える諸国は、ドルの動向に神経を尖らせざるを得なくなるのです。

こうした問題は、実のところ、“早すぎたグローバリズム”の問題をも浮き上がらせています。何故ならば、レッセフェール的なグローバリズムを信奉する人々は、関税障壁に留まらず、国境における全ての越境阻害の要因を取り除けば、予定調和的に相互利益が実現すると主張していますが、現実には、国際通貨体制一つを見ても、“グローバル市場”を支えるほどの対応力を備えていません。単一の“グローバル通貨”が存在するわけではなく、事実上の国際基軸通貨である米ドルも、上述したように、常に為替市場における相場の変動やFRBによる金融政策の影響を受けているからです。言い換えますと、グローバリズムが進展し、全ての諸国の経済が海外取引への依存度を高めれば高めるほど、貿易決済であれ、投資であれ、通貨の不安定・変動性に晒されるのです。

仮想通貨が抱える問題を過小評価したIMFの対応を見ましても、現在、国際社会が真剣に国際通貨体制の不備について問題意識を共有しているとは思えません。グローバル化の掛け声ばかりが先行し、その結果として発生する様々な問題については、まさしく、“レッセフェール(成るに任せよ)”であったとしか言いようがないのです。国家間、あるいは、企業間にあって歴然とした経済格差が存在する現状を鑑みれば、適度なグローバリズムと健全な国内経済が調和的に併存し得る経済体制を目指し、これを基礎とした上で安定した国際通貨体制の構築を試みるべきではないかと思うのです。

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軍事力さえ不行使なら植民地化は許されるのか?-中国の覇権主義

2018-02-18 15:43:38 | 国際政治
近年に至り、中国による対外経済協力とは、実質的には植民地化政策ではないのか、とする疑いが急速に広がるようになりました。その理由は、中国の支援を受け入れた諸国が、“借金の形”に中国の要求を呑まざるを得ない状況に追い込まれる事例が頻発しているからです。

 特に各国メディアが大きく報じ、注目を浴びたのは、昨年、スリランカが中国に対して南部ハンバントタ湾の運営権を貸出した一件です。インド洋に面したハンバントタ港は、海洋交通の要衝に位置しており、中国にとりましても、同港は“真珠の首飾り戦略”と称される海洋戦略を遂行する上での重要拠点となります。このため、2008年から開始された同港の整備事業は、その大半が中国からの借款によって賄われたのです。

こうして、スリランカ政府は、同プロジェクトを含むインフラ整備のために中国から80億ドルにも上る巨額の融資を高利(最高6.3%)で受けることとなったのですが、その返済が容易なはずはありません。返済に窮した同政府は、11億ドル余りで同港の運営権を中国に貸借する契約を結び(中国国有企業がスリランカ国営企業から同社の保有株の70%を取得…)、借金の返済に充てることで合意したのです。かくして、ハンバントタ港の港湾当局には中国の国旗がはためくこととなったのですが、この事件は、重大な問題を国際社会に問いかけております。それは、軍事力さえ行使しなければ、植民地化は許されるのか、という問題です。中国の行政権が及ぶ地域となったハンバントタ湾の事例は、まさしく、植民地時代における租借地と変わりはありません。

国際法では、定義等に関しては曖昧さが残されているものの、侵略等の行為は明確に国際犯罪とされております。その一方で、経済的手段を用いた他国に対する権利侵害については、国際社会の関心は必ずしも高くはありません。国際法としては、1907年に署名された「契約上ノ債務回収ノ為二スル兵力使用ノ制限二関スル条約」がありますが、この条約は、債務の返済を強制するために軍事力を使用してはならないと定めるのみであり、手段の禁止を定めているに過ぎません。しかしながら、第二次世界大戦後に至りますと、戦前の植民地支配に対する反省から、1974年12月には、国連総会において「国の経済的権利義務憲章」が採択され、その第16条において植民地主義は排除されています。今日においてなおも、植民地主義の終焉は、国際社会の基本的なコンセンサスであり、かつ、国家の行動規範であるはずなのです。

こうした国際社会の反植民地主義に照らしますと、たとえ武力の行使がなくとも、経済力に物を言わせ、他国から権益を奪取しながら一帯一路構想を前面に掲げ、中華経済圏の建設を目指す中国は、植民地主義の亡霊に他なりませんし、国際法上の違法行為の疑いもあります。そして、非軍事的な手段による他国支配の問題は、“高利貸し”に留まらず、他国に対する移民の大量送り出しやメディア支配といった手段にも及びます。中国の植民地主義への回帰が鮮明となる中、国際社会は、非軍事的な手段による他国支配に対して、真剣に対策を講じるべき時期に至っているように思えるのです。

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NHKの欺瞞―オリンピック放送偏向問題

2018-02-17 15:48:47 | 日本政治
カーリング日本女子が快進撃。厄介なアイスに負けずメダルに突き進む
今月9日に平昌オリンピック・パラリンピックが開幕し、日本選手の活躍を期待して各種競技のテレビ中継にくぎ付けになっている方も多いかと思います。こうした中、ネット上では、NHKの放送が韓国贔屓に偏向しているとする批判が起きているようです。

 特に問題とされたのは、カーリング女子の日韓対戦におけるNHKの報道姿勢です。同試合では、アナウンサーや解説者が韓国を応援しているかの如き報道ぶりであったそうなのですが、日本チームが韓国チームを逆転して勝利を確実にすると、まるで、スタジオは“お通夜”状態になったというのです。

 NHK側の立場としては、報道の中立性を守るために、特定の国に肩入れはしない、即ち、日本チームを特別に応援することは控えている、と言うことのようなのですが、この言い分、公共放送の中立性を誤解しているか、あるいは、韓国贔屓を誤魔化すための欺瞞的口実としか思えません。何故ならば、公共放送の中立性とはあくまでも国内向けであり、国内の様々な利益団体や宗教・思想団体等からの中立性を意味しているからです。例えば、国の政府もまた、あらゆる国民に対して厳しく中立性を求められる公的機関ですが、対外的側面において、日本国の国益から離れよ、あるいは、日本国の国民を支援するな、と主張する人はいません。公共放送であるNHKも同様であり、日本国民から公権力によって受信料を徴収している限り、NHKには、日本国民のために活動する義務があるのです。

 この点を考慮しますと、NHKにおいて外国人雇用が常態化し、報道の中立性の名の下で、むしろ、韓国のみならず、中国や北朝鮮の意向を反映した報道がなされている現状は、早急に改善を要する政治課題です。共産革命に際しては、真っ先に報道機関を掌握するのが“革命マニュアル”に記された手順なそうですが、現在、まさにこのプロセスが進行しているように見えるからです。NHKの画面を見ますと、赤色と黄色の組み合わせの中国カラーで文字が配色されている場合が多く、また、創価学会の三色旗を思わせる色使いも珍しくありません。また、アナウンサーの多くも、平均的な日本人の顔立ちとは言い難く、公共放送においては日本国が消滅の危機にあるのです(この現象は、イギリスのBBCにも見られる…)。こうした外国勢力による公共放送の乗っ取りも水面下において密かに進行しているとしますと、日本国、並びに、日本国民の将来は危ういと言うことにもなります。

 ネットの発展により、今日では、マスメディアが隠蔽してきた様々な情報が国民に伝わる時代を迎えています。多くの国民がNHKに疑問を感じている以上、日本国政府もまた、国民の要望に応えるべく、NHK改革に早急に着手すべきなのではないでしょうか。

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アメリカ銃規制問題-学校は無防備だから狙われる?

2018-02-16 16:04:49 | アメリカ
高校乱射事件で追悼集会=米フロリダ
アメリカでは、銃乱射事件が相次いでおり、昨日も、フロリダ州パークランド高校で17名の生徒が亡くなるという痛ましい事件が発生しました。銃乱射事件が発生する度に、銃規制問題が浮上しますが、遅々として進まないのが現状なようです。

 規制推進派からしますと、銃規制に消極的なトランプ政権にはもどかしさを感じていることでしょうが、銃乱射事件の現場が学校であるケースが多発している現実に注目しますと、銃の所有や携帯そのものを禁止する形態での銃規制が適切であるのか、疑問がないわけではありません。何故ならば、学校が“銃が規制された特別の場所”であるからこそ、無辜の人々の命を奪おうと目論む犯人から特に狙われている可能性があるからです。

 昨年11月にテキサス州の教会で発生した銃乱射事件では、銃を手に駆け付けた住民が応戦したため、犯人は殺害されています。この事件でも、犠牲者の数は26名にも上りましたが、仮に勇気ある住民の反撃がなければ、より多くの人々が命を落としたものと推測されています。教会もまた、学校等同様に凶悪犯の侵入を想定していない無防備な場所ですので、銃乱射犯にとりましては、計画遂行にうってつけの場所であったのでしょう。同事件によって、少なくとも銃を保持する一般市民による応戦の効果が立証され、銃規制反対派の勢いが増したとされています。

これらの事件から分かることは、学校であれ、教会であれ、アメリカでは、無防備な場所ほど無差別銃乱射の現場となり易いということです。そして、一般市民に応戦するチャンスがあれば、被害の拡大を止めることができたという事実は、単純な銃の保持禁止という方法では、この問題の解決が難しいことを物語っています。全米が、学校や教会と同様に、“無防備な場所”に転じかねないからです(銃刀法が制定されている日本国でも、取締りは完璧ではなく、特に暴力団等が銃を隠し持っているケースが多い…)。

広大な国土を有するアメリカでは、銃乱射事件が発生しても、警察官が即座に駆け付けて対処することはできません。こうした国情を考慮しますと、銃規制に慎重な反対派の見解も理解に難くなく、むしろ、無防備な場所を如何に凶悪犯から守るのか、という方向性での対策を練る必要あるかもしれないと思うのです。

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“スリーパーセル論争”の深層

2018-02-15 15:16:34 | 日本政治
先日、テレビの『ワイドショー』において、国際政治学者の三浦瑠璃氏が朝鮮半島情勢と関連して“スリーパーセル”と称される北朝鮮の工作員の存在に言及したことから、賛否両論の議論が起きているようです。同氏が‘特に大阪が危ない’と指摘したことから、在日朝鮮人差別を助長するとする批判がある一方で、安保関連の議論には工作員対策は不可欠とする擁護論も少なくありません。

 三浦氏に対してはリベラル派からは極右化の指摘もありますが、同氏の発言の趣旨は、“スリーパーセル”の存在そのものではなかったのではないかと推測します。おそらく、‘アメリカが対北軍事オペレーションを実行した結果、仮に金正恩委員長がこの世から消え去っても、日本国内に潜伏してきた工作部隊が日本人を大量に虐殺する可能性が現実にあるので、こうした事態を避けるためには、アメリカは、軍事行動をとるべきではない’という反戦論にあったのではないでしょうか。米軍の対北軍事制裁に反対する立場においては、むしろリベラル派と歩調を揃えており(同氏は、番組内で、“アメリカには戦争をしてほしくない”と明確に述べている…)、その情報の真偽に拘わらず、“スリーパーセル論”の登場は、北朝鮮にとりましても、日米に対北軍事制裁を思い止まらせる牽制として必ずしも不都合ではなかったはずです(もっとも、同氏は、北の核保有に対抗する政策として日本国の核武装を唱えている…)。

 これまでも、朝鮮総連等の活動から、在日朝鮮人の中に工作員が潜んでいる可能性は、各方面から指摘されておりました。また、中国では、『国防動員法』が制定され、有事に際して在日中国人は中国政府の命令に従う義務が課されていますが、中国以上に厳しい独裁体制下にある北朝鮮が、在日朝鮮人を本国の指揮命令系統から外すとは考えられません。いわば、有事に際しての決起は当然にあり得るシナリオにも拘わらず、何故、リベラル派の人々は、今般の同氏の発言に限ってかくも激しく反発したのでしょうか。しかも、その多くは、公安の報告書や公安関係者の証言等を取り上げて、“スリーパーセル”の存在の否定に躍起になっています(公安が極秘情報を公開するはずもなく、また、北朝鮮系団体の活動の全容を把握していれば、北朝鮮経由の麻薬密売等は根絶できているはず…)。リベラル派にとりましては、公安は“宿敵”であったにも拘わらず…。この不自然な態度については、幾つかの理由が想定されるのですが、批判者が北朝鮮出身者、あるいは、親北反日の思想の持ち主である可能性に加えて、もう一つ、推測され得る理由は、同氏の発言により、“スリーパーセル”の存在の実態が明らかになる恐れを抱いたからなのかもしれません。

 批判者の何人かは、同氏が情報源として挙げた英タブロイド紙の『デイリー・ミラー』紙について、“フェイク”の常習紙として信用性を疑っております。上述した公安頼りの姿勢と並んで、リベラル派は、“スリーパーセル”の存在自体の信憑性を失わせることで切り崩そうとしているのです。しかしながら、タブロイド紙であれ、発信元がイギリスであることを考慮しますと、単なるフェイクとして切り捨てるのは慎重であるべきかもしれません。イギリスほど、その歴史において様々な陰謀が渦巻き、水面下における秘密裏の組織的活動のノウハウを知る国もないからです(セル(細胞)という表現にも秘密結社の一員というニュアンスがある…)。三浦氏の発言では、北朝鮮が潜伏させている“スリーパーセル”は、首領亡き後に活動を開始するとされていますが、仮に実在するならば、その組織は、北朝鮮からはなく、別系統によって出された指令によって動き出すのかもしれません。何故ならば、独裁体制にあってはトップの消滅は致命的ですし、しかも、海を隔てた日本国内において、本国から遮断された“スーパーセル”達のみで決起することは自殺行為に等しいからです。

 このように考えますと、日本国が警戒すべきは、朝鮮総連といった北朝鮮系の組織に限らず、宗教法人やNPO、さらには、近年急増した在日中国人等をも含めた国際ネットワーク組織なのでないでしょうか。仮面の裏には、別の顔が隠れているかもしれないのですから。

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小和田氏ICJ退任のプラス効果-司法解決への道

2018-02-14 15:17:41 | 日本政治
ICJの小和田裁判官、6月に退任=皇太子妃の父、来年の即位考慮
 報道に拠りますと、今月6日、東宮の岳父に当たる小和田恆氏が、ICJ(国際司法裁判所)の判事を辞任したそうです。15年にもわたり同職を務めたわけですが、同氏の辞任には、日本国にとりましてプラスの効果もあるように思えます。

 皇室の姻族が司法の分野であれ公職を務めたことは(司法も統治機能の一つである…)、天皇家と政治との距離の観点から問題が皆無なわけではありませんでした。そもそも、同職は、日本国政府の承認の下で一種の“名誉職”として小和田氏のために準備されたとも指摘されており、天皇家の私的利用に繋がりかねない危険性を孕んでいたからです。つまり、皇族と姻族となった民間人が政府から特別の便宜を受ける前例を開いたとも言えるのです(こうした問題は正田家にはなかった…)。

 しかも、ICJの判事職は、如何なる国の国益からも離れ、中立・公平な立場を保つ義務が課されていますので、日本の国と国民の安寧を天神地祇に祈ることを専らの使命とする皇室にはそぐわない側面があります。同氏は、国家守護の文脈において理解される天皇家に連なりながら、その職務上、日本国の国益を守ってはならない、とする矛盾した立場に置かれてきたのです。

 以上の諸点からしますと、小和田氏のICJ辞任はこうした問題を解消する機会ともなり得るのですが、もう一つ、プラスの効果があるとしますと、それは、竹島問題等、司法解決が望ましい日韓間の争いに対する作用です。何故ならば、司法の独立に関する観念が希薄な韓国では、同氏がICJの判事職にあることを以って、司法解決を回避する口実の一つとする論調が強かったからです。政治と司法が癒着し、政治裁判が日常茶飯事であるが故に、韓国は、ICJにおける同氏の存在を判決を歪める、即ち、日本国に有利な判決が下される要因と見なしたのでしょう(一方、日本国側でも、同氏が“日本国ハンディキャップ論”の主唱者とされていたため、日本に不利な判決が懸念されていた…)。

 竹島問題については、IOCへの単独提訴の選択肢を温存させながらも、日本国政府は韓国を攻めあぐねており、目下、膠着状態が続いています。また、これ以外の問題でも、司法解決が望ましいケースが多々あります。小和田氏のICJ辞任により、韓国側の拒絶理由が一つ減ったわけですから、日韓間の紛争が司法解決される日が僅かなりとも近づいたことになるのではないでしょうか。

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ドイツの影が見えるIOC会長の訪朝

2018-02-13 16:26:25 | 国際政治
“オリンピック外交”という用語まで登場し、すっかり政治化してしまった平昌オリンピック。トーマス・バッハIOC会長の訪朝までが取り沙汰されており、オリンピックの政治色は濃くなるばかりです。

 ‘スポーツの舞台に政治を持ち込まない’がオリンピックのモットーであったにも拘わらず、IOC会長自らが朝鮮半島問題に首を突っ込もうとするのですから、これは尋常ではありません。それでは、朝鮮半島とは無関係なはずのバッハ会長が訪朝する背景には、一体、何があるのでしょうか。

 バッハ会長の訪朝の理由は、北朝鮮側の招待に応えたとするものであり、平昌オリンピックを舞台とした南北融和を梃子に国際的制裁網を何としても緩めたい北朝鮮側の思惑が透けて見えます。その一方で、安易に北朝鮮側の要請に応じたバッハ会長側にも、何らかの意図が隠されているように思えるのです。

 第一に考えられる点は、バッハ会長の個人的な野心です。南北融和に積極的に関わり、何らかの成果をあげることができれば、出身国であるドイツ国内において、政治家として一定の評価を得られることができるかもしれないからです(結果的に、北朝鮮の核開発を止めることができなければ、逆に、評価が落ちる可能性も…)。すなわち、政治・外交に関与することで、バッハ会長は、将来における政治家等(ドイツ大統領?)への転身の道を開こうとしているのかもしれません。

 第二に推測されるのは、バッハ会長が、ドイツ政府の意向を受けて行動している可能性です。メルケル独首相は、以前より北朝鮮問題ついては対話による解決を訴えてきました。開会式前夜のレセプションでは、北朝鮮との接触を警戒したペンス米副大統領は5分で会場を後にしましたが、文在寅大統領が着席する主賓席テーブルの席順を見ますと、バッハ会長夫妻に加えて、ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー大統領夫妻も同じテーブルに席が用意されています。このことは、各国首脳の欠席が相次ぐ中、ドイツが大統領の出席を以ってホスト国である韓国に最大限の配慮を示したことを物語っています。そして、韓国もまた、元より対話路線を支持してきたドイツ政府を取り込むことで、国際的孤立を回避しようとしたかもしれないのです。

 第三の憶測としては、話し合い解決に持ち込みたい国際組織の意向です。上述したレセプションの主賓席には、アントニオ・グテーレス国連事務総長も着席しており、バッハ会長は、国連側の働きかけを受けた可能性も否定はできません。

 以上に3つの可能性を述べてきましたが、何れにしましても、今般のバッハ会長の動きには、北朝鮮問題をめぐる国際社会、特に、メルケル首相率いるドイツの現政権の動向が影響しているように思えます。そしてそれは、朝鮮半島南北の思惑とも一致しているため、国際社会で構築してきた対北制裁網を危うくしかねない重大なリスクを含んでいるのではないでしょうか。

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北朝鮮平昌オリンピック宣伝利用の逆効果-不気味な200人お面事件

2018-02-12 15:11:38 | 国際政治
北の女性応援団200人が男性のお面…物議醸す
 核・ミサイル開発をめぐり制裁が強化される中、平昌オリンピックは、北朝鮮に取りましては絶好のチャンスであったはずです。南北両国の融和を演出すれば、北朝鮮による厳しい国際世論も緩む可能性がったからです。しかしながら、この目論見、北朝鮮のセンスがあまりにも一般の人々の感覚とかけ離れていたため、どうやら失敗に終わったようです。

 “美女軍団”としてメディア等でも紹介されている北朝鮮から派遣された200人の女性応援団は、その全員が顔の表情から仕草まで全て完璧にシンクロするように徹底的に訓練されているのでしょう。その一糸乱れぬパフォーマンスが全体主義国家の美的センスを表しているのですが、自由主義国からしますと個性の抹殺としか見えず、必ずしも見ていて心地のよいものではありません。北朝鮮の主観的(主体的?)からすれば、‘全員で一つのテーマを表現するマスゲームなどの“総体芸術”は、全世界を感嘆させる“最高芸術”であり、北朝鮮は、オリンピックこそこれを披露する最高の舞台’と考えたのでしょう。

 そして、この特異なセンスに輪をかけて人々を唖然とさせ、北朝鮮の体質を浮き彫りにしたのは、10日に行われたアイスホッケー女子韓国・北朝鮮合同チーム初戦での出来事です。これらの女性応援団200人が、全員、若い男性のお面をつけて北朝鮮の歌を歌い始めたというのですから(全員同一の仮面でよしとする発想は怖ろしい…)。この応援方法、どこかオウム真理教を髣髴させるのですが、お面の顔のモデルは誰なのかも分からず、言い知れない不気味さを醸し出しています。

 韓国国内では、故金日成主席の若い頃の顔をモデルとしているのではないか、とする憶測も広がりましたが、韓国統一省はこの見解には否定的なようです。仮に、金日成説を確信を以って否定するならば、韓国政府は、お面のモデルが誰であるのかを既に知っていたことになり、これもまた不可解です。男子選手の応援を前提とした女性応援団は李朝時代の妓生と変わらないとの批判を受けないよう、敢えて、女子チーム向けに全員が男性応援団に変身したとも考えられますが、謎が謎を呼んでいるのです。

 こうした不可解で異様な北朝鮮の応援手法は、各国のメディアが取り上げたこともあり、北朝鮮という国の異質性を全世界に強く印象付けています。北朝鮮は、オリンピックを宣伝の場に利用したことにより、逆に、自ら墓穴を掘ってしまったのではないかと思うのです。

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平昌オリンピック―北朝鮮の高慢と韓国の卑屈

2018-02-11 14:10:49 | 国際政治
北の訪朝要請に文氏「環境整えて実現させよう」
平昌オリンピックは、恰も朝鮮半島の南北両国に“オリンピック・ジャック”されてしまったかのようです。日本国のメディアの多くも、南北両国による融和演出を嬉々として報じていますが、その過剰に演技がかった不自然さや異様な全体主義色に、一般の視聴者の多くは鼻白んでいるかもしれません。

 特にメディアが注目するのは、北朝鮮が派遣してきた高官代表団ですが、これらの北朝鮮側の人々には極めて高慢な振る舞いが目立っています。金正恩委員長の妹に当たる金与正氏に至っては、相手が文韓国大統領であっても決して頭を下げず、大統領が同氏に謁見しているかのようなポーズの写真も公開されています。“平壌オリンピック”と称される理由も、北朝鮮一行が韓国国内にありながら我が物顔で仕切り、平昌オリンピックを主導しているところにあるのでしょう。これも、自己中心思想としての“主体思想”の具現化なのかもしれません。

 北朝鮮が、韓国に対してかくも高慢な態度で接したことは、過去にはなかったのではないでしょうか。かつての太陽政策等の南北融和政策では、韓国側が北朝鮮を経済的に支援する立場にありました。ところが、今般に限っては、経済力にあっては優位にありながら、韓国側は、北朝鮮の態度に呼応するかのように卑屈な姿勢に転じているのです。今では、その“上下関係”が逆転しているように見えますが、一体、何がこのような変化をもたらしているのでしょうか。

 朝鮮半島における伝統的な社会秩序観とは、物理的力の優劣を基準とした位階秩序であるとされています。つまり、文明度や価値観等に拘わりなく、軍事力において優る側が上位に立ち、劣る側が下位に位置するという極めてプリミティブな構造です。仮に、南北両国とも、この力関係に基づく位階秩序の原則に従っているとしますと、北朝鮮は、軍事力において韓国に優位しているとする絶対的な自信があるはずです。そしてその自信の源こそが、核保有なのではないかと推測するのです。韓国もまた、これを既成事実として積極的に認め、“核保有国”となった北朝鮮にひれ伏そうとしているように見えるのです。

 こうした韓国の態度は、国際社会において深刻なモラル・ハザードを引き起こしかねません。北朝鮮は、国際社会を騙し、不当且つ違法な行為によって核兵器を開発したのにも拘らず、それを咎めることなく認め、核の威力の前に屈するのでは、北朝鮮を制御するどころか、国際社会において第二、第三の北朝鮮が出現しないとも限らないからです。核保有効果を実感した北朝鮮も、これまで以上に、核やICBM等の開発・保有に邁進することでしょう。アメリカをも、韓国の如くに跪かせるために…。

 平昌オリンピックで見せた北朝鮮の高慢さと韓国の卑屈さは、この意味において、国際社会に対して危険を知らせるシグナルでもあるのではないでしょうか。

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平和への脅威を平和の名の下で引き込んだ平昌オリンピック

2018-02-10 15:46:06 | 国際政治
北高官団、文大統領と会談…正恩氏の親書伝達か
 昨日開幕した平昌オリンピック・パラリンピックは、朝鮮半島情勢を背景に各国の駆け引きが繰り広げられる政治アリーナの様相を呈しているかのようです。メディアは、特に開会式に出席した各国要人の動きを追っており、その模様は、まさしく今日の国際情勢を映し出しております。

 オリンピックには、‘政治色を一切持ち込まない’とするのが伝統的モットーとされてきましたが、平昌オリンピックほど政治色の強い大会は過去には見当たりません。何故、こうした本末転倒の事態が発生したのか、その理由を探ってみますと、オリンピック精神として掲げられてきた“政治色の排除”が、逆に政治色を持ち込む口実として利用されたからのように思えます。

 目下、核・ミサイル開発問題をめぐり北朝鮮は国際レベルでの制裁を科されており、いわば、平和に対する脅威として認識されています。本来であれば、国際社会が一致団結して対北制裁網を強化すべき状況にあり、韓国を含め如何なる国も、国連憲章において制裁に協力する義務を負っているはずなのです。ところが、北朝鮮と民族、あるいは、イデオロギーを同じくする韓国の文在寅大統領は、この問題を、朝鮮戦争の延長においてのみ捉え、“排除すべき政治色”を“南北間の対立”に矮小化してしまいました。文大統領は、オリンピックを平和の祭典とするには、南北の融和こそが重要であると訴えることで、“平和への脅威”を“平和の実現”に巧妙にすり替えてしまったのです。言い換えますと、排除すべき平和に対する脅威を、平和の名の下で引き込んでしまったのです。

 IOCのバッハ会長も、開会式において二羽の鳥が融合してゆく演出を取り上げ(仮に、この演出が当初から計画されていたならば、北朝鮮の参加は織り込み済みであったのでは…)、南北の融和をオリンピック精神の発現として称賛しておりましたが、果たして、“平壌オリンピック”と揶揄されているように、北朝鮮主導ともされる南北融和の政治的舞台となった平昌オリンピックは、真に平和を実現しているのでしょうか。少なくとも現実の国際情勢に対しては、日米と朝鮮半島両国との間の距離をさらに広げ、朝鮮半島情勢をさらに不安定化したのではないかと思うのです。

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日本国の憲法改正と国連の敵国条項

2018-02-09 15:02:42 | 日本政治
憲法改正の議論に際して、最近、ネット上で奇妙な視点からの反対論が散見されるようになりました。それは、日本国が憲法第9条を改正すれば、国連憲章に定める敵国条項が適用され、中国による軍事行動を招くという説です。しかしながら、この説は、国際法上に根拠はなく、改憲を牽制したい中国の見解を代弁しているに過ぎないように思えます。

 その理由は、第一に、国連憲章上の敵国条項とは、その主たる目的は、連合国諸国が枢軸国諸国に対して第二次世界大戦の結果として行った措置を正当化するところにあります(国連憲章第107条)。恐らく、厳格に同憲章の諸規定を第二次世界大戦中の両陣営双方の行為に当て嵌めれば、連合国側にも違反行為があるため、同憲章の過去への遡及効果を否定したかったのでしょう。

 第二に、特に上記の懸念において問題となる憲章第53条についても、今日にあっては、日本国による侵略はあり得ない点を挙げることができます。第53条の条文は以下の通りです。

「…第107条によって規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極おいて規定されるものは、関係政府の要請に基づいてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負う時まで例外とする。(“地域的取極”では、国連安保理の承認なく、軍事行動を取ることができると言う意味…)」

この条文でまず注目されるのは、“侵略政策の再現”という文言です。日本国は、既に西側連合国諸国との間でサンフランシスコ講和条約を、中国との間でも日中平和友好条約を締結しており、第二次世界大戦で問題視された領域については、既に法的に確定されております。仮に、将来、日本国が軍事力で中国の主権を奪い、領域を併合するといった事態に至らない限り、“侵略の再現”とはならないはずです(戦前・戦中でさえ、日本国は、中国の領土を自国に併合してはいない…)。尖閣諸島問題は、第二次世界大戦とは無関係に生じており、平和的に解決する責任は、国連安保理の常任理事国でもある中国にこそ求められています(平和的解決の責務は全ての加盟国が負う…)。

 第三に指摘すべき点は、上記の第53条は、“地域的取極”を定めた第8章に置かれている点です。“地域的取極”とは、国連の目的と原則との一致を条件に、地域的紛争を、安保理に付託する前に自主的に解決することを目的として結成される地域的な安全保障の枠組です。しかしながら、第53条において強制行動(軍事行動)をとるには安保理の許可を必要とするため、現実には、NATOを始め、地域的な軍事同盟は、第51条で明記されている集団的自衛権を基礎として設立されています。つまり、“敵国条項”の対象となる“地域的取極”なるものは、今日、存在していないのです。
 
 また、1995年12月15日の第26回国連総会で採択された国連総会決議50/51では、敵国条項の空文化と将来の憲章改正に際しての削除が決定されています。以上の諸点を考慮しますと、国連憲章の敵国条項を理由とした改憲反対論は、実体のない“枯れ尾花”の如き空虚な議論と言わざるを得ないのです。敵国条項を徒に怖れるよりも、憲法改正により、条文内容を整理して明確化する方が、日本国の防衛と安全保障はより確かなものとなるのではないでしょうか。

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保護機能こそ国家の存在意義では?-憲法第9条2項問題

2018-02-08 15:52:38 | 日本政治
【憲法改正】自民党幹部vs石破茂氏 「2項」削除是非めぐり鋭く対立 9条で初の本格議論 条文案募集も難航必至
 憲法改正問題が政治日程に上るに至った今日、焦点となるのは、やはり憲法第9条の行方のようです。自民党の憲法改正推進本部での議論では、戦力や交戦権に関わる2項の扱いをめぐり、維持論と削除論との間で対立が続いているようです。

 “2項を維持すべし”とする維持派の人々は、削除派に対して、2項が削られては公明党や国民の理解を得られないと説明しています。公明党に対する支持率は3%程度ですので、改正の発議においては配慮を要するのでしょうが(野党側の改憲勢力を考慮すればその支持獲得は絶対的ではない…)、少なくとも国民投票では、それ程の影響力はないはずです。となりますと、改憲の行方を握るのは一般国民の賛意と言うことになりますが、国民の大半は、維持派の人々が主張するように、2項の維持を心底から望んでいるのでしょうか。

 国家の基本的な機能は“保護”であり、外に対しては外敵から、内にあっては犯罪者等から一般の国民の基本権や自由を護る任務の遂行こそ、その存在意義と言っても過言ではありません。国家が軍隊や警察といった強制力を有するのも、国家が国民のための保護機能を果たす使命を負っているからです。こうした保護機能は、個人レベルでは不可能であるからこそ、個人を越える能力を付与された国家が組織的に担う必要があるのです。

 この観点からしますと、一般の国民が、国家の保護機能の強化を望むのは自然、かつ、合理的な心の動きのはずです。ところが、殊、憲法第9条の改正となりますと、マスメディアをはじめ、各政党や政治家の大多数は、一般の国民は日本国政府の保護機能に対して制約を課したいに違いない、と信じ込んでいるのです。個人レベルでも、獰猛な野獣達が牙を研いでいる状況下にあって、自らの手足を縛り、身を護る準備さえしてはならない、と考える人はいないはずです。国家レベルにあっても、危険に対する人間の判断は同様であり、中国の軍事的台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発等を前にして、防衛や安全保障の権限に課せられた憲法上の制約を取り除くことに、一般の国民が強く反発するとは思えないのです。自らの身を護ることに他ならないのですから。

 しかも、2項を残したのでは、3項の追加によって自衛隊の合憲性が明確化されたとしても、その他の問題に関しては、日本国憲法制定以来、これまで日本国の政界を悩ませてきた憲法上の“神学論争”が完全には解消されません。憲法改正の意義の一つは、終わりなき“神学論争”からの脱皮にあったのですが、集団的自衛権行使の問題や国際法との整合性をも含め、曖昧な部分が多々残されてしまいます。

  こうした点を考慮しますと、第9条の改正については、1項や2項の条文の存廃、あるいは、3項の追加に拘るよりも、全面的に書き換える方が、不安定さを増す現在の時代状況には適しているように思えます。日本国の防衛、並びに、国際法秩序の維持に資する憲法改正であってこそ、国民の理解を得られるのではないでしょうか。

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政治の前提としての“善”と“悪”の混在

2018-02-07 14:57:40 | 国際政治
 今年の『ナショナル ジオグラフィック』2月号のテーマは、“善と悪”でした。脳科学から人類に善人と悪人が混在する理由を解明しようとする試みですが、この研究、政治を考える上でも示唆に富んでおります。

 記事を要約すれば、善人と悪人、即ち、自己犠牲を厭わない利他的な人と犯罪者やサイコパス等の利己的な人とでは、脳内における共感の回路に違いがあり、特に扁桃体が重要な部位となります。前者の扁桃体が平均して8%程大きい一方で、後者は扁桃体や眼窩全頭皮質の部位が小さいのみならず、機能障害もあるそうです。現在、こうした知見は優しい心を育てるトレーニングの開発等にも活用されており、犯罪者を減らし、善き安全な社会の実現に向けた取り組みに貢献しているとのことです。

今日の脳科学は、人間社会には善人と悪人の両者が混在していることを立証しているのですが、近代以降の政治思想を見ますと、人間観において極端な立場からの主張が大半を占めてきたように思われます。近代以降の人権思想は、全ての人間を、‘理性を備えた善人’と見なす性善説に基づいており、それ故に、“悪人”に対する対応が十分とは言えませんでした。“犯罪者の人権を守れ”の大合唱によって、一般の人々が暴力の餌食になり、被害者が泣き寝入りとなるケースも少なくなかったのです。また、暴力革命を肯定する共産主義などは、その主導者自身がサイコパスであった可能性も否定はできません。一般の人々の立場や運命に対する思いやりも共感も一切なく、革命に伴う虐殺に対して良心の痛みを感じていないのですから。

そして、統治の仕組みがこうした偏った人間観に基づいて設計されていたり、政策が策定されていたりする場合には、それは、得てして深刻な問題をもたらします。日本国の憲法第9条はその最たる事例であり、近隣諸国や国際社会には悪人ならぬ“悪しき国家”など存在していないものと前提として起草されています。この結果、当然の正当防衛の行為さえ、違憲と見なされかねないのです。また、隣国の中国は、その利己的なサイコパス的行動を、‘共産主義理論は絶対’する主張を以って肯定しようとさえしています。

政治の世界に正邪の区別を持ち込もうとすると、リベラル派を始めとした“進歩的知識人“なる人々は、価値相対論を持ち出し、勧善懲悪を古びた黴臭い、あるいは、幼稚な思想と決めつけて嘲笑してきました。しかしながら、現代の脳科学が、悪人の存在を科学的、かつ、実証的に裏付けている以上、良き統治を実現するためには、地方、国家、そして、国際社会といったあらゆるレベルで、加害防止・制御装置や善人保護措置を備えた制度設計を試みる必要があるのではないでしょうか。そして、善人と悪人が存在する以上、政治家を選ぶに際しても、善人が選ばれるシステムを構築すべきであり、それは、民主主義のより優れた方向への発展をおいて他にはないのではないかと思うのです。

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