「秋篠宮」称号継続へ=皇后さまは「上皇后」―政府調整・天皇退位
天皇譲位(退位)問題につきましては、政府は、特措法による対応を検討しているようです。しかしながら、皇室典範を熟読しますと、そもそも天皇の譲位(退位)は、明白なる違法行為としか言いようがないのです。
即位について記す皇室典範の第四条には、「天皇が崩じたときには、皇嗣が、直ちに即位する」とあります。即ち、現行の皇室典範は、明白に生前における譲位(退位)を認めておらず、たとえ特措法を制定したとしても、この規定を越えることはできないはずです(通常は法制局が法律の整合性や違法性をチェックする…)。仮に、立法措置によって譲位(退位)を強行しますと、天皇自らが法秩序を逸脱することとなり、国民に対しても示しがつきません。日本国憲法下にある今日、天皇による違法行為となっては、日本国の法の支配を根底から揺るがしかねない事態となりましょう。
また、皇室典範の第八条の規定にも問題があります。同条では、皇嗣とは、”皇位継承第一位”にある男系男子を指し、新天皇から見て子が皇嗣である場合には「皇太子」、子がなく孫が皇嗣である場合には、その孫が「皇太孫」と称するものと解されているようです。秋篠宮に対して検討されている「皇太弟」の称号は、この解釈からすれば、法律上、今上天皇の退位をもって秋篠宮の地位が「皇子」から「皇兄弟」に変更されることによる提案なのでしょう。しかし、「皇太弟」という称号は皇室典範にはなく、むしろ、混乱を招く恐れがあります。確かに、法律通りといたしますと、秋篠宮の皇位継承は、典範第二条の六番目の「皇兄弟及びその子孫」となりますが、この場合には、秋篠宮が皇嗣でありながら、皇室典範上の「皇太子」は不在となります。
一方、歴史的に見ますと、「皇太子」という称は、特別の地位を意味する場合があります。例えば『日本書紀』では、聖徳太子が、時の天皇である推古天皇の皇子ではないにもかかわらず、「万機摂政皇太子」と記されており、「皇太子」という地位は必ずしも天皇の子を意味するとは限りません。歴史的な解釈からしますと、秋篠宮が「皇太子」に就くこともあり得ますが、この場合には、この地位に政治色が帯びるという別の問題もあります。
何れにいたしましても、現行の皇室典範上に従いますと、「皇太子」の地位は曖昧となります。海外向けには、秋篠宮は皇位継承順位が第一であることから”皇太子the Crown Prince”の称号に変えるようですが、こうした称号をめぐる議論の背景には、女帝路線への布石として”皇太子”を空席にしておきたい東宮家の意向も透けて見えます。
世論調査では、国民の多数が天皇譲位(退位)に理解を示す数字が示されておりますが、それは、政府が、皇室典範第四条の内容や第八条の問題を国民に知らせていないからではないでしょうか。如何なる事情があろうとも、法治国家としての原則はあくまでも貫くべきであり、天皇譲位(退位)の実現には皇室典範を改正せざるを得ません。皇室をめぐり様々な問題が噴出している今日、この問題は一旦白紙に戻し、廃止をも含め、あらゆる可能性を排除せず、時間をかけて将来の日本国の姿を国民と共に議論してゆくべきなのではないでしょうか。
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天皇譲位(退位)問題につきましては、政府は、特措法による対応を検討しているようです。しかしながら、皇室典範を熟読しますと、そもそも天皇の譲位(退位)は、明白なる違法行為としか言いようがないのです。
即位について記す皇室典範の第四条には、「天皇が崩じたときには、皇嗣が、直ちに即位する」とあります。即ち、現行の皇室典範は、明白に生前における譲位(退位)を認めておらず、たとえ特措法を制定したとしても、この規定を越えることはできないはずです(通常は法制局が法律の整合性や違法性をチェックする…)。仮に、立法措置によって譲位(退位)を強行しますと、天皇自らが法秩序を逸脱することとなり、国民に対しても示しがつきません。日本国憲法下にある今日、天皇による違法行為となっては、日本国の法の支配を根底から揺るがしかねない事態となりましょう。
また、皇室典範の第八条の規定にも問題があります。同条では、皇嗣とは、”皇位継承第一位”にある男系男子を指し、新天皇から見て子が皇嗣である場合には「皇太子」、子がなく孫が皇嗣である場合には、その孫が「皇太孫」と称するものと解されているようです。秋篠宮に対して検討されている「皇太弟」の称号は、この解釈からすれば、法律上、今上天皇の退位をもって秋篠宮の地位が「皇子」から「皇兄弟」に変更されることによる提案なのでしょう。しかし、「皇太弟」という称号は皇室典範にはなく、むしろ、混乱を招く恐れがあります。確かに、法律通りといたしますと、秋篠宮の皇位継承は、典範第二条の六番目の「皇兄弟及びその子孫」となりますが、この場合には、秋篠宮が皇嗣でありながら、皇室典範上の「皇太子」は不在となります。
一方、歴史的に見ますと、「皇太子」という称は、特別の地位を意味する場合があります。例えば『日本書紀』では、聖徳太子が、時の天皇である推古天皇の皇子ではないにもかかわらず、「万機摂政皇太子」と記されており、「皇太子」という地位は必ずしも天皇の子を意味するとは限りません。歴史的な解釈からしますと、秋篠宮が「皇太子」に就くこともあり得ますが、この場合には、この地位に政治色が帯びるという別の問題もあります。
何れにいたしましても、現行の皇室典範上に従いますと、「皇太子」の地位は曖昧となります。海外向けには、秋篠宮は皇位継承順位が第一であることから”皇太子the Crown Prince”の称号に変えるようですが、こうした称号をめぐる議論の背景には、女帝路線への布石として”皇太子”を空席にしておきたい東宮家の意向も透けて見えます。
世論調査では、国民の多数が天皇譲位(退位)に理解を示す数字が示されておりますが、それは、政府が、皇室典範第四条の内容や第八条の問題を国民に知らせていないからではないでしょうか。如何なる事情があろうとも、法治国家としての原則はあくまでも貫くべきであり、天皇譲位(退位)の実現には皇室典範を改正せざるを得ません。皇室をめぐり様々な問題が噴出している今日、この問題は一旦白紙に戻し、廃止をも含め、あらゆる可能性を排除せず、時間をかけて将来の日本国の姿を国民と共に議論してゆくべきなのではないでしょうか。
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ことここに至っては、私は「秋篠宮に動く気がない。身内の不正を告発する気がない」ことが一番の問題だと考えています。そうである以上、総理は内廷皇族の不正を公にすることはできません。なぜなら、秋篠宮が犯罪隠蔽罪に問われてしまうからです。
しかし安倍さんが未来永劫総理でい続けるわけではありません。次期総理最有力候補の石破さんは長子主義に賛成かもしれません。どうするのでしょうか?
長子主義への変更は、以下のシナリオによって困難に直面することが予想されます。
1.皇室典範の改正ともなると、議論は長引き、短期間では国民世論を纏めることはできないので、譲位(退位)問題も決着せず、結果として、譲位(退位)は当面の間見送られる。また、長子主義に対しして、長幼差別問題も提起され、議論が紛糾するかもしれない。
2.皇室典範改正の議論が、長子主義への変更に留まらず、存廃問題や国事行為等を含む憲法問題へと発展する。この場合にも、憲法改正を要するので、議論が長引き、譲位(退位)は、計画通りにはいかない。しかも、存廃問題ともなれば、皇室の側も、”改革要求”に慎重にならざるを得ない。
3.ネット情報の拡散により、政府が否定しても、皇室の犯罪や不祥事が国民が知るところとなる。この場合には、民心が離反し、政府が懸命に擁護しても、存廃問題に発展してしまい、譲位(退位)論どころではなくなる(やはり、憲法改正の方向へ…)。しかも、昨今、皇室の策略が顕在化しており、マイナス情報を裏付けてしまっている。
東宮家の長野へのスキー旅行には、批判の声も湧いているそうですが、政府も、国民からの支持を失った皇室に対しては、難しい判断を迫られることになるのではないでしょうか。この状況は、誰が総理大臣となっても変わりはなく、こうした場合には、国民の判断に任せるのも一案であると思うのです。
総理は男系男子による皇位継承で皇室の存続を望んでいます。内廷皇族の不正を指摘するネット保守も同じです。反日左翼の謀略を破壊するには皇室を廃止するしかないという厳しすぎる現実に、彼らは耐えられないでしょう。
反日左翼の謀略通りとなり、日本国が、海外勢力に皇室を乗っ取られた上に、天皇が政治的な活動まで開始するとなりますと(天皇は日本国支配の道具…)、廃止という”厳しすぎる現実”に耐え、他の方法で日本国を守る方が、余程、建設的なのではないかと思います。また、若い世代を考慮しますと、尊敬の対象とはなり得ない皇室への無条件な尊敬の強要は、日本人の心を蝕み、それもまた、内面の苦しみとなりましょう。立憲君主制の廃止により(祭祀のみ残す方向もある・・・)、”別物”となった皇室から圧迫を受けることなく、国民が伸び伸び生きられるような、より良き日本国へと歩むならば、反日左翼の思惑も外れると思うのです。
ところで、ここは私の愛読ブログで、もっと順位が上がって皆が読んでくれるといいですね。期待してます。
かくの如き状況に至ってしまった以上、現行の形で皇室を残すことは、将来にわたり、日本国民の不幸の元となりそうです。姻族を介した朝鮮半島との関連が指摘されている東宮の即位後は、不敬罪の復活なども検討され、gojicatさまがご指摘くださいましたように、様々な”皇室規制”なるもの設けられ、国民に対する取り締まりを始めることでしょう。こうした点を踏まえ、私は、やはり、立憲君主制の形態を残す今日のあり方は見直し、国家、並びに、国民統合の象徴を三種の神器にしてはどうかと考えております(皇室は、宮中祭祀を司る役割として残る道もある・・・)。
国を売り飛ばす極左皇室も問題ですが、立憲君主制に未練があるため皇室の不正の隠蔽に加担する官邸も問題です。
あと、私は先生の主張する三種の神器を国民統合の象徴にするというアイデアには懐疑的です。
①三種の神器の勾玉以外は伊勢神宮と熱田神宮の所有物であること。
②宗教色が強すぎること。
③国旗と何が違うのか。
立憲君主制の形骸を残しているからこそ、皇室の政治利用を目的とした勢力が入り込むのであり、また、祭祀から離れたからこそ、腐敗や堕落に塗れるのではないかと思います。ここは、立憲君主制への未練を捨て、より洗練された民主主義国家(=歴史や伝統を継承しつつ、統治機構を発展させ、国民自身がが豊かで幸せな国を築いてゆく国へ…)としての国造りに踏み出す時なのではないでしょうか。
なお、三種の神器説は、これらの三つの神器が、古代における日本国統合(奴国、狗奴国、投馬)を象徴するものではないかと考え、提起させていただきました。もちろん、一案に過ぎず、是が非でもという訳ではなく、多くの方々がアイディアを出し合うことこそ重要ではないかと考えております。先ずは、竹槍さまの不審点につきまして、以下ににお答えいたします。
①伊勢神宮と熱田神宮については、三種の神器を祀る法人とし、宮中の八尺瓊勾玉は、皇族、皇統に連なる方、あるいは、然るべき神官を選任して宮中祭祀として継承する。
②日本国は、建国以来、神道を以って国家祭祀を継承してきており、個人的な信仰とは区別される。
③三種の神器が古代の国家統合の歴史を反映しているとすれば、明治期に制定された日の丸よりも、国家・国民の統合の象徴としては相応しい。もちろん、国旗や国歌とは併存させる。
皇室をめぐる犯罪や不祥事については、ネット情報ながらもかなりの確率で事実のようであり、この現状からしますと、現皇室がこのままの”天譲無窮”に帰るとしましても、祭祀者にとりまして必要不可欠の要件であります神聖性が著しく損なわれております。この点を考慮しますと、どのような形で帰るのか(誰が祀るのか…)、ということも、問題となりましょう。