万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

政治の世界の‘おじさん’は怪しい?

2019年09月03日 13時08分30秒 | 日本政治
‘おじさん’とは、主として中高齢の男性方に対する親しみを込めた呼び方であり、しばしば氏名や職業を付けて‘○○おじさん’といった言い方もします。どこか憎めない響きがあり、誰もが日常的に使っている言葉でもあります。しかしながら、政治の世界で‘おじさん’が使われますと、どこか怪しさが漂うのです。

 今年の5月1日、新天皇の即位を以って年号が令和に改められました。突然の生前退位(譲位)の公表以来、令和の時代に向けてのお膳立てをし、裏方を仕切ってきたのは菅官房長官であったとされています。同長官が新元号を国民に向けて発表する姿が放映されたため、特に若い世代から‘令和おじさん’という愛称で呼ばれるようになったそうです。もっとも、メディアがこのように報じたに過ぎず、本当のところは不明です。何れにしても、気さくさや一般国民との距離の近さをアピールしたいためか、女性向け週刊誌などにも普段着姿で登場しているらしく、‘令和おじさん’キャンペーンが展開されているのです。

 それでは、‘令和おじさん’は誰からも愛される気が置けない好人物なのでしょうか。そもそも、天皇の生前退位は国民が望んだわけではなく、寝耳に水の出来事でした。言い換えますと、奇襲的な手法で生前退位を既定路線化し、国民からの疑問や反対を巧みに封じつつ新天皇の即位にまで持ち込んだ手腕が‘評価’されたのであり、むしろ、ポーカーフェイスの策士といった方が適切かもしれません。その後は、平成への改元に際しての小渕首相の前例に倣ってか、自らの首相就任への道筋を付けるべく渡米も果たしております。次期首相の候補にもその名が上がり、週刊誌等でも菅政権の誕生が取り沙汰されるようにもなりました。そして、今般の首相官邸における小泉進次郎氏の婚約発表も菅官房長官の提案とされ、横浜市における突然のIR誘致公表の裏にも同官房長官の強い意向があったそうなのです。

 ‘令和おじさん’の実像は、どうやら国民に振り撒かれているイメージとは違うようなのですが、菅官房長官は、自らの政治信条に従って行動したというよりも、何らかのシナリオに従って淡々と自らに命じられた役割をこなした観があります。つまり、上述した‘評価’とは、参政権を有する一般の日本国民からの実績評価ではなく、シナリオを描いた外部組織からの勤務評価である可能性も否定はできません。そして、日本国の政治を舞台とした推測され得るシナリオとは、中継ぎとして菅官房長官を一時的に首相に据えた後、安倍政権に替る長期政権として小泉進次郎首相を誕生させるというものです。メディアでも菅官房長官と小泉議員とのリンケージを指摘しており、同様のシナリオを描く予測も少なくなく、より確かな情報を得ているのかもしれません。その際、主たる戦法となるのは、小泉純一郎政権と同様にマスメディアの利用と‘サプライズ作戦’です。上述したように、この作戦は‘令和おじさん’も多用してきました。

しばしば、犯罪者の割り出しに際しては、警察はその手口を見れば分かると言いますが(犯罪者は得てして同じ手口を繰り返す…)、奇襲的手法による既成事実化という‘手口’からしますと、日本国の政治は、以前から何らかの外部組織によって操られているようにも思えます。小泉純一郎元首相も、国民のために‘既得権益をぶち壊す’と称しながら、その実、海外金融の利益のために郵政民営化を行ったとされていますし、進次郎議員が推進した農業改革や国会改革等も誰の利益のためか疑わしい限りです(平壌宣言も実行させたい?)。次期首相に相応しい政治家を問うた世論調査では進次郎氏への支持率は比較的高いのですが、メディアが煽ってはいても、一般国民の多くが同氏に期待を寄せているとは到底思えません。

中国でも、独裁者として君臨している習近平国家主席は、国家的なイメージ戦略として‘習おじさん’と呼ばれている、否、呼ぶように仕向けられているそうです(もちろん、この場合は中国語ですが…)。政治の世界における‘おじさん’の登場は、自由や民主主義の危機かもしれず、国民にとりましては要注意な現象なのではないかと思うのです。

よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする