クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生城な1日

2024年04月16日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
休日。
午前は論文の手直し。
午後一で書籍化予定の原稿の読み直し。
夕方、背広を着て講演台の前に立った。

論文も書籍も講演の演題も、みんな羽生城でつながっていた。
今日は、そんな羽生城な1日。
冨田勝治先生の墓前に手を合わせた。
ワクワクして先生の論文を読んだ20代とは違って、いま読み返すと巨石のように感じる。
先生の域には達していない。

退職校長会に呼ばれたのは何年ぶりだっただろう。
浅学者ながら、戦国期の羽生城をめぐる攻防をテーマに講演をさせていただいた。
羽生城史は変わっていないはずなのに、歴史を捉える自分自身が変化しているのを感じる。

史料の捉え方や解釈の仕方があの頃とは違う。
それは新史料の発見によるものもあれば、研究の進展もあり、
あるいはこれまでの仕事上の経験がそうさせることもある。
一方で、見当違いな解釈をしていないか、
目を通さなければいけない史料をすっぽり見落としているのではないかなどと、常に不安がつきまとう。

この手の不安は昔からあった。
が、20代の比ではないのは何故なのだろう。

ところで、2024年は羽生城の自落から450年を迎える。
450年分の想いを込めて話をした。
それと、冨田先生と出会ってから20年目にあたるから、
20年分の想いも60分に入れ込んだ。

20年という歳月に対し、
“も”なのか、 “しか”と言うほどなのかはわからない。
振り返れば「も」だが、先生を含めた数多研究者たちの論文の前では「しか」と感じる。
今春異動された先生が、「1日は長いが、1年間はあっという間だった」と述べられていた。
きっとそうなのだろう。
疲れて原稿や本に向かうのが億劫に感じる夜が続いても、
歳月は瞬く間に過ぎてしまうに違いない。

講演が終わったあと、利根川へ向かった。
利根川は春の光を浴びて穏やかに流れていた。
川の視点で城を見ることが多くなった。
いや、城の視点で川を見ているのかもしれない。
羽生城な1日に、利根川の流れが心地よい。
自転車で土手を駆け下りたあの頃の自分の背中が、かすんで見える気がした。

※講演前の総会で、河田羽生市長と秋本教育長が言い添えて下さったという。
 改めて御礼申し上げます。
 なお、エールを送って下さった2人の上司にも感謝申し上げます。
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