夜、遠くに見える鴻巣のマンションの明かりを見ると、
なぜか妙に切なくなる。
見知らぬ町ではないのに、とても遠いところへ来てしまったような、
そんな寂しさに似ている。
新興住宅が建ち並び、発展著しい鴻巣だが、
中世の館がポツンと残っている。
まるで、そこだけ時間が遅く流れているように、
堀や土塁が現存しているのだ。
“源経基”の館跡と伝えられる。
経基は貞純親王の子で、源姓を賜り、清和源氏の祖と言われる人物だ。
武蔵介として、“興世王”と共に入部したというが、
この館跡が本当に経基のものなのかははっきりしない。
ちなみに、入部に際して“武蔵武芝”との諍いがあった。
この諍いには、かの“平将門”も絡んでくる。
これをきっかけに将門の乱が起こるわけではなかったが、
別の理由で挙兵に及び、「新皇」を称したとき、
経基は副将として参加している。
ただ、実際に将門の乱を鎮圧したのは、
“藤原秀郷”と“平貞盛”の軍勢だったことは周知の通りである。
鴻巣に残る館跡は、この源経基のものだろうか。
館は方形で、「城山」とも呼ばれている。
ちなみに、伝源経基の館跡のある鴻巣市大間の「マ」は、
狭間の低湿地を指しているという。
自然要害に囲まれた館だったのだろう。
かつては寂しいところだったに違いない。
だからだろうか。
妙に切なく見えるのは……。
遠くに灯る鴻巣の明かりは、
もののふたちの夢の気配がする。
埼玉県鴻巣市
なぜか妙に切なくなる。
見知らぬ町ではないのに、とても遠いところへ来てしまったような、
そんな寂しさに似ている。
新興住宅が建ち並び、発展著しい鴻巣だが、
中世の館がポツンと残っている。
まるで、そこだけ時間が遅く流れているように、
堀や土塁が現存しているのだ。
“源経基”の館跡と伝えられる。
経基は貞純親王の子で、源姓を賜り、清和源氏の祖と言われる人物だ。
武蔵介として、“興世王”と共に入部したというが、
この館跡が本当に経基のものなのかははっきりしない。
ちなみに、入部に際して“武蔵武芝”との諍いがあった。
この諍いには、かの“平将門”も絡んでくる。
これをきっかけに将門の乱が起こるわけではなかったが、
別の理由で挙兵に及び、「新皇」を称したとき、
経基は副将として参加している。
ただ、実際に将門の乱を鎮圧したのは、
“藤原秀郷”と“平貞盛”の軍勢だったことは周知の通りである。
鴻巣に残る館跡は、この源経基のものだろうか。
館は方形で、「城山」とも呼ばれている。
ちなみに、伝源経基の館跡のある鴻巣市大間の「マ」は、
狭間の低湿地を指しているという。
自然要害に囲まれた館だったのだろう。
かつては寂しいところだったに違いない。
だからだろうか。
妙に切なく見えるのは……。
遠くに灯る鴻巣の明かりは、
もののふたちの夢の気配がする。
埼玉県鴻巣市