クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

待ち時間は“真名板高山古墳”で……

2024年05月20日 | 考古の部屋
休職していた頃、保育園の子どもを預かる時間が短縮された。
制度上仕方のないことで、むしろ預かってもらえるだけありがたかった。

迎えの時間のおよそ40分前、真名板高山古墳(埼玉県行田市)へ立ち寄ったことがある。
用事があるわけでもなく、古墳が見たかったわけでもない。
ただ、何とはなしに足を運んだ。

古墳は何も変わらないように見えた。
麓に建つ板碑や薬師堂も、最後に見たときと同じのまま。
変わったのは自分の方で、心身が故障していたせいもあり、
古墳に登る気力も起きなかった。

古墳には何本もの樹木が立っている。
西日で長い影が落ちていた。
その影に車を止め、少しの間本を読んだ。

静かだった。
境内には誰もおらず、樹木の中から鳥が鳴いていた。
一日が終わろうとする静かな時間。
いつ職場復帰できるのかわからず、夕方はいつも不安に襲われた。
が、古墳に身を置いている間は、不思議と気持ちが落ち着いた。

真名板高山古墳は、約3m地中に埋没しているという。
自分も不安や心配事も埋没してくれればいいのにと思った。

一年の間、真名板高山古墳へ行くことが何度かある。
いずれも気まぐれに足を運ぶことが多い。
ゆえに、そのときの心情もそれぞれで、
古墳は何も変わらないように見えても、その表情は微妙に異なっているかもしれない。

古墳は静かだ。
シンシンと降り注ぐ時の砂に埋まっていくのを感じる。
埋もれていく静けさと寂しさが、時に心地いいのかもしれない。
ずっと昔からの時の流れと、時代ごとに現れては消えていく人生、そしてその延長線上にある遠い未来。
時間が地層のように感じられた。
積み重なっていく時間の中で、自分の存在のちっぽけさを感じた。

職場復帰したのは春だった。
小さなことで悩み、些細なことにこだわりすぎていたのかもしれない。
以来、娘の迎え前に古墳へ足を運ぶことはなくなった。
ただ一度だけ、小学校の授業参観前に真名板高山古墳へ行ったことがある。
窓を開け、本を読んだ。
その日は風が強く、樹木から落ちてくる実がいくつも車に入り込んだ。

古墳からの贈り物のような気がした。
車外へ出すことなく、そのまま受け入れた。
そして、出発時間が近付くと、静かに古墳をあとにした。
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