感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

ブチ切れも益に

2020年06月16日 | 心のいやし

「イスラエルについては、こう言っています。『不従順で反抗する民に対して、わたし(=神)は、一日中、手を差し伸べた』」(ローマ 10:21)

旧約聖書によると、イスラエル人(=ユダヤ人)は、神がご自分の民として選ばれた民族です。

新約聖書(旧約聖書で預言されていたメシア/救い主イエス・キリストの事が書いてある)では、イエス様を信じた人々(クリスチャン)は、(霊的な意味で)イスラエル人です。キリストを信じたものは、人種も国籍も問わず、神の民とされました。

 不従順で反抗する民とは、「神に従わない民」という意味です。

 つい先日の出来事です。恥ずかしい事に私は、自宅と職場で、(今時の言葉で言えば)ブチキレてしまい、怒鳴る・怒りで涙目等散々でした。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」(1テサロニケ5:16-18)なんて無理、聞きたくもない!と、怒りや否定的な感情に満たされました。

 しかし、それと同時に、「神は私の事を心配し、慰めと平安を与えようとしておられる」という思いが、うっすらとですが心にわいてきます。聖霊の働きでした。

「こんな時こそ感謝しなきゃ、喜ばなきゃ、信仰を使わないと」等、頑張る必要はありませんでした。神はいつも愛とあわれみをもって、手を差し伸べておられる。と感じました。

「差し伸べられた手を、握るには・・こうするのかな?」と、うっすらと湧いてくる思いに意識を向けると、

「どんな時でも神は、私と共にいて下さる」。

「今の自分が最高に嫌で嫌で仕方ない。でも神は、そんな私を丸ごと愛しておられる」。

「『愛は神から出ているのです。』(Ⅰヨハネ4:7)。」等々、

神の愛や聖書の御言葉が、ネガティブな心に水のように注がれ、神の愛が、心の奥底に深く広がるのを感じました。

怒りや否定的な思いが徐々に消え、神への感謝に代わっていきました。

今は「ブチ切れた出来事を、神はどのように祝福に変えられるのか?」という信仰が与えられつつあります。

不快な出来事も、益になりました。

神をほめたたえます。栄光在主。

hiromi


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