「イスラエルについては、こう言っています。『不従順で反抗する民に対して、わたし(=神)は、一日中、手を差し伸べた』」(ローマ 10:21)
旧約聖書によると、イスラエル人(=ユダヤ人)は、神がご自分の民として選ばれた民族です。
新約聖書(旧約聖書で預言されていたメシア/救い主イエス・キリストの事が書いてある)では、イエス様を信じた人々(クリスチャン)は、(霊的な意味で)イスラエル人です。キリストを信じたものは、人種も国籍も問わず、神の民とされました。
不従順で反抗する民とは、「神に従わない民」という意味です。
つい先日の出来事です。恥ずかしい事に私は、自宅と職場で、(今時の言葉で言えば)ブチキレてしまい、怒鳴る・怒りで涙目等散々でした。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」(1テサロニケ5:16-18)なんて無理、聞きたくもない!と、怒りや否定的な感情に満たされました。
しかし、それと同時に、「神は私の事を心配し、慰めと平安を与えようとしておられる」という思いが、うっすらとですが心にわいてきます。聖霊の働きでした。
「こんな時こそ感謝しなきゃ、喜ばなきゃ、信仰を使わないと」等、頑張る必要はありませんでした。神はいつも愛とあわれみをもって、手を差し伸べておられる。と感じました。
「差し伸べられた手を、握るには・・こうするのかな?」と、うっすらと湧いてくる思いに意識を向けると、
「どんな時でも神は、私と共にいて下さる」。
「今の自分が最高に嫌で嫌で仕方ない。でも神は、そんな私を丸ごと愛しておられる」。
「『愛は神から出ているのです。』(Ⅰヨハネ4:7)。」等々、
神の愛や聖書の御言葉が、ネガティブな心に水のように注がれ、神の愛が、心の奥底に深く広がるのを感じました。
怒りや否定的な思いが徐々に消え、神への感謝に代わっていきました。
今は「ブチ切れた出来事を、神はどのように祝福に変えられるのか?」という信仰が与えられつつあります。
不快な出来事も、益になりました。
神をほめたたえます。栄光在主。
hiromi