感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

誕生日のプレゼント

2021年03月27日 | 喜び

 そういうものを欲しがる年齢でもないのですが、

コロナ禍で「自分へのご褒美」(映画鑑賞等)も自粛してるせいか、

誰かにお祝いしてほしいな、プレゼントが欲しいなあと、今年はしみじみ思いました(笑)。

で、イエス様に時々祈りました。「もうすぐ誕生日です。良かったらプレゼントを下さい」と。

 誕生日の前日、母が「桜が満開のスポットを見つけたから、是非見せたい。この日はあんたは仕事休みでしょ?お弁当持参で、家族で花見をしよう」という話になりました。

 当日、重箱に、や煮物等を詰めて、じゃ出かけようかという時に・・「やっぱ、めんどくさいから行かない」と父がドタキャン。「最低!信じられない」とブチ切れる母。

 「じゃ、教会の牧師夫妻を誘っていい?お花もお外もお好きだし」と提案。牧師夫妻もちょうど予定がない日で快諾。

親子&牧師夫妻のペアになり、マスクに社会的距離1・5mを保ちつつ、満開の桜の下でお花見を満喫

 21年間教会に在籍してますが、牧師夫妻と母のご対面はこれで3度目位です。

 昨年11月に母の末期癌が判明して以来、教会では、癌が癒されるようにと日々祈られていてます。

おかげ様で、ショックを受けていた母も気力体力がずいぶん持ち直し、今回、牧師夫妻と一緒にお花見までできました。

その姿を見ていると、母がイエス様を信じて、今度は一緒に礼拝出席できますようにと、希望がわき、嬉しくなりました、ハレルヤ

 家に帰ると、義姉から「誕生日おめでとう」と、お手製の焼き菓子が届いてました。←初めてもらいました(笑)

誕生日イブ(=当日は仕事でした)は、喜びにあふれたものとなりました

イエス様、感謝します

hiromi


「生きる喜び」@神の栄光

2021年03月20日 | 感謝

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人への手紙 8:28)。 

 アメリカ人牧師、マーリン・キャロザースさんの証し(=神の体験談)で、お気に入りの話を紹介します。(いま本が手元になく、うろ覚えです。後日、内容に少し訂正入るかも)。

 従軍牧師をしていたマーリンさん(以下:師)は、ベトナム戦争で重傷を負ったアメリカ人の若い兵士と出会いました。両目があったところにぽっかりと穴があき、足はひざから吹き飛ばされ・・、悲惨な彼を診た医師たちは「絶望の中にいる彼は、まもなく死ぬだろう」と言い、「それが一番良いのではないか」と思うマーリン師。

 しかし、イエス様は違いました。「自らのありのままの状況を神に感謝するように、彼に告げなさい」と、師に語ってこられたそうです。「それはできませんこんなあわれな彼にそんな事を言え、感謝しろなどと・・全く理解も同意もできません」と拒否する師。しかし、一貫して神は「彼に告げなさい」。

 彼に伝えると「神なんて絶対に信じない」。しかし、師の勧めに徐々に応答した彼は、一緒に感謝の祈りを始めました。彼は、“Oh、GOD...”(ああ、神よ・・)と、繰り返していたそうです。

 ある日、彼はイエス様を信じました。そして変わり始めました。それを見て、懐疑的だった彼の医師たちは完全にその態度を変え、師にこう話したそうです。A医師は「両手両足揃っていても、自分の人生はむなしかった。でも彼には、私にはない生きる喜びがある」。B看護師は「この人の事が気になって仕方ない(=彼を変えたものは一体何だ?)」と。

 まるで地獄にいるような彼を変えたのはイエス様でした。神は彼を救い出し、喜びと平安で満たし、それを見た彼の周りの人々にも影響を及ぼし始めたのです。

 もちろん、何でもかんでも「感謝しなさい」と押し付けてはいけません(=相手の状況を無視してのごり押しは。「傷つけたり、怒らせたり等するので」と、師も著作で言及しています)。

 ここでは、まず「彼に告げなさい」という神の導きがあり(=本当に神の導きか否かの吟味は必須です)、そこに従った事によって神はみわざをなされました。まさに逆転劇です。

今回はクリスチャン向けの話でした 神に感謝します

hiromi


「神さまの貨物」(ジャン=クロード・グランベール著)

2021年03月13日 | 心のいやし

 白馬スネルゴイキャンプで紹介された本です。さっそく熊本市立図書館で借りてきました。

内容は、童話です。簡単なあらすじを紹介します。

1942年、世界大戦の最中、貨物列車で絶滅収容所に送られる大勢のユダヤ人達。

その線路近くには、貧しい木こりの老夫婦が住んでいました。

夫から「あれは貨物列車だ」と聞いて、「あの列車はたくさんの食べ物や素敵な商品を運んでいるのだろう。いつか私も、あの列車に乗って、そして美味しい物をお腹いっぱい食べたり、色んな商品を手に取ってみたい」と、楽しい想像を巡らせる、木こりのおかみさん。

 いつしかその列車が通るたびに手を振り、呼びかけるようになりました。「ある日、もしかしたら明日、いえ、いつでもいい。あの列車の誰かが、空腹の私をあわれに思って、その素敵な荷物の中から通りすがりに施しをしてくれるかもしれない」という希望を持って。

 ある日、ゆっくり走っていた列車から「受け取ってくれ!」という強い意図を持った手の合図と共に、きれいなショールに包まれたユダヤ人の赤ん坊が、雪の上に落とされます。

 本文を紹介します⇒「おかみさんは、くずおれてひざまずき、胸の上で両手を組みあわせて、天になんと感謝したらいいのかわからずにいた。ついに、ついに、あれだけむなしく祈り続けた果てに!小窓からの手は、今や彼女に向けられて、有無を言わさぬ強い調子で、包みを取るよう命令している。この包みはおかみさんのものなのだ。おかみさんだけの、おかみさん宛ての」

「貧しい木こりのおかみさんは、(中略)雪に足を取られながらも、その小さな包みを拾い上げようと駆けよった。そして夢中で、胸をドキドキ言わせながら、贈りものの中身を早く知りたくて大急ぎで包装紙を開ける人のように、包みの結び目をほどいた。すると、どうだろう。中からは、あんなにも乞い願っていたものが、おかみさんの夢だったものが、現れたのだ」(本文 P.33-34)

長年「子どもが欲しい」と祈っていたおかみさんの祈りの答えでもありました。

ここでちょっぴりネタバレです。(反転して読んでください)

「実際の人生でも物語のなかでも、本当にあって欲しいもの、それは愛だ。愛、子どもたちに注がれる愛。自分の子にも、他人の子にも。たとえどんなことがあっても、どんなことが無くても、その愛があればこそ、人間は生きてゆける。」(本文 P.149)

「物語の中で『人でなし(=ユダヤ人)に心はない!やつらは野良犬、追い払え!』という偏見と差別に満ちたスローガンに対して貧しい木こりのおかみさんは『人でなしも、人よ。人でなしにも、(中略)心がある。おまえさんやわたしと同じように』と言い切ります。世界のあちこちで、不寛容の傾向がじわじわと広がっているような今、おかみさんのこの言葉、この愛が、多くの人に届きますよう、願わずにいられない」(翻訳者あとがきより)

 普段、コロッと忘れていた他者への思いやりのこころ(かな?)を思い出し、また価値観が、世間のソレにかなり染まってるな~と気づいたりと、この本で心のデトックス(=毒抜き)された気が・・、えぇと、何かうまく表現できない、ゴメンナサイ。 でもおススメです、良い意味で心が温かくなりモヤモヤします。なおこの童話は、2022年にはアニメ映画で公開予定だそうです。

神に感謝します。

hiromi

【追記】聖書の御ことば:「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます」(1コリント13:4-7)

「こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(同13:13節)


白馬キャンプにオンラインで参加しました

2021年03月06日 | 白馬キャンプ

 白馬スネルゴイキャンプ初日は、

ちょうど家のリフォームの真っ最中で、ネット遮断状態でしたが、

それも益になり、

教会で、牧師夫人と一緒に、午前10時からのセミナー(5Gの学び)に参加できました。

 その後は11時半に帰宅し、昼食を取って午後14時から仕事。

(夜の聖会は仕事で欠席でしたが、後日に見逃し配信があるので無問題

 以前は1日がかりで長野県の白馬村に移動し、2泊3日キャンプ後、丸1日かけて帰熊・・だったのが、

午前はキャンプにオンライン参加⇒午後はふつうに仕事。という、

まるでテレポーテーションというか、ドラえもんのどこでもドアみたいというか、

とにかく隔世の感があります。

 心身不良は続いていて、オンラインでも集中力が続かず、あちこちに意識は飛び、だるいし眠いという状況ですが、ただ参加してるだけでも、(神の恵みによって)何らかのポイントは取ったという・・そんな気がします。

神に感謝します

hiromi