救われていなくても、家族にクリスチャンがいれば、恵を受けるのでしょうか?
熊本地震の前震が起きた時、市内のアパートに住んでる私の長男は、外に出てきたアパートの住人と初めて話をしたのですが、隣の人と親しくなりました。
長男はもともと人が苦手で、最近では人と話すのが怖くて出来なくなっていて、熊本には1人も友人がいない状態でした。
その隣人は、波乱万丈の人生でありながら、色んな才能に恵まれた人で、事業主のような経験もある人です。その話をしているうちに親しくなり、仕事も勧めてくれました。長男はテレビを買っていなかったのですが、隣人が知り合いに頼んでテレビを持ってきてくれたりしました。
勧められた仕事はしないことになりましたが、別の新しい仕事が導かれ、今してる仕事と並行してすることになり、収入が増えそうな見通しです。
地震が起きて長男は、かえって良い方向にすすんでいるようなのです。以前より明るくなってきたように思います。
神様は、地震によって、裁きを示されたり恵を与えたりされるのかもしれません。
この世の価値の有無とは違う、神様の考えで価値を与えられるのかもしれません。良くないことのようでも、しばらくして事態が好転するということもまた、あるかもしれません。
地震は、神様がとても近くに感じられ、生きておられるんだなという喜びすら湧いてきました。
恵の意味が、少しずつわかってきた気がします。 YA
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