伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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地方議員の存在意義 ボランティア市民で代用できるのか?

2013-10-04 21:18:40 | 大きな時代の変革期
(議員はムダか?)

議員はムダだ、人数を減らせ、報酬を減らせ、という声を聞きます。
また、市民がボランティアで取り組めば十分ではないか、という声もあります。
「果たしてそうだろうか?」
というのが市議会議員をしている私の感想です。

議員に限らず、市長や、市役所の職員は税金で雇っているわけですから、
納税者である市民の立場からすれば、安ければ安いほど良い、
という考え方もあります。

お飾りだけで、何の仕事の成果も期待されていないならば、
給料は安いほど良いし、いない方がいいくらいです。
でもなぜ雇っているのかといえば、
やってもらうべき「仕事」があるからです。

市長選挙などでは、
「自分の退職金はゼロにします」とか、
「給料を半額にします」という公約を聞くことがあります。
その候補者に何の能力も価値も無いならば、
自分を値引きすることくらいしか、
PRできるものが無いのかもしれません。

私が選ぶ立場だったら、
給料の半分の価値しかない候補者よりも、
例え1億円の給料を払っても、
市へ100億円のプラスをもたらす人材なら、
喜んで市長として雇いたいと思います。

要は、コストパフォーマンスが問題なのです。
議員の人数や報酬額を考える際は、
求められている仕事の成果は何か、
それに対してしっかり成果を出しているかが重要なのです。



(市民で代行できるか?)

議員の代わりに
「市民がボランティアで取り組めば十分ではないか」
という意見について考えてみます。

議員に対して、普通の市民が片手間で務まる程度の仕事
しか求められていないならば、市民のボランティアで足りるでしょう。
議員の仕事は自治体の行政と密接な関係がありますので、
自治体に求められる仕事と、議員の仕事について考えてみます。

かつて、ほとんどの市町村は、
まるで国や県の下部機関のように指示待ちの姿勢で、
自分で課題を見つけたり、政策を考えたりはしませんでした。

しかし今では、地方分権が進み、国・県・市町村は
上下関係ではなく対等の関係と法律で位置づけられています。
今後道州制になれば、基礎的自治体に大幅に権限が移譲されますので、
市町村は政策能力、つまり「自治能力」の向上が必要です。

地方分権した上での「自治」ですから、
地域社会の経営について国や県、道州政府などは指示しません。
その地域の自治体が、自分達で課題を見つけ、対応を考え、
対策を実行していかなければなりません。



(時間軸による分析)

これは私のオリジナルの分析です。
自治体の仕事を時間軸で考えると、
「現在」の仕事、「近い将来」の仕事、「遠い将来」の仕事に分けられます。
ほとんどの行政職員が今取り組んでいるのは「現在」の仕事です。

そして時々は「総合計画」のような、
10年先までを見通した計画を作ります。
これが「近い将来」の仕事です。

「現在」の仕事と「近い将来」の仕事は、
一般の市民にも理解しやすい仕事だと思います。
このことについて議論するだけならば、
専門職の議員を置く代わりにボランティア市民でも務まると思います。

では、「遠い将来」の仕事はだれが取り組んでいるでしょうか?
例えば日本の人口は、国の予測では100年後には
今の人口の3分の1に激減します。



常識的に考えれば、行政の予算も
100年後には3分の1にする必要があります。
そうしなければ、一人当たりの税金が何倍にもなります。

今やっている仕事の3分の2を廃止するのはかなりの苦難の連続です。
平均すると行政の予算は毎年約0.7%下げ続けなければなりません
これが分かっているなら、
前年よりも予算を増やす要求や発想は出てきません。
予算を0.7%減らすことが出来ない首長は
その翌年2倍の1.4%減らすことは出来ないでしょう。

100年かけて行政予算を減らし続ける前提で審査すれば、
民間のお金で運営されているイベントに、
新たに行政が補助金を出すのは3分の2廃止の方向に逆行します。

高崎市のお店の内装補助事業なども、
今までは家主や店子の自助努力で取り組んでいたのに、
新規に公金をつぎ込むのは逆方向です。

中には止めたくても社会的に必要な仕事は廃止できません。
行政ができないならば、NPOや企業の社会貢献活動などに
うまく引き継いでいくしか方法はないのではないかと考えています。

このような長期的な視野の前提に立てば、
社会的に必要な活動を受け継ぐしっかりしたNPOを
行政が生み、育てていくことが基本的な政策の方向になります。



(議員の存在意義)

普通の市民は、生活や仕事に毎日追われています。
100年先を考えるための環境や経済、人口、歴史、教育、文化など
多岐にわたる専門的な勉強をする余裕はありません。

そこで市民の代わりに、議員が専門職のプロとして
そのような勉強をして100年先の社会をしっかりと見据えた上で、
「現在」や「近い将来」の地域のあり方について、
提案したり議論することこそ、議員の存在理由ではないかと考えています。

今の自治体、そして地方議員に欠けているのは、
この遠い将来についての学びと議論ではないでしょうか。







(中長期の課題)

日本では戦後の高度成長期を通じて、
たくさんのインフラを作ってきました。
道路、橋、トンネル、建物、上下水道、新幹線など。

しかし笹子トンネルの天井板の崩落事故のように
たとえ鉄やコンクリートで作ったものでも、
40から50年経過すれば、老朽化し、建て替えなければなりません。

これまでの公共事業では、
ひたすら新しいものだけ作っていればOKでした。
しかしこれからは、過去に作ったものを建て替えなければなりません。
しかし、それを支える人口は以前よりもどんどん少なくなっていきます。
当然、いまある全てのインフラを維持することは不可能です。



(地球環境)

気球環境にも限界があります。
資源もそうですが、環境汚染もすでに地球規模です。
人間は有限な地球の中にある生態系の一部ですから、
人類が生存し続けるには、環境保護が大きな課題です。



(経済体制)

資本主義経済も限界はあります。
より多くの利潤を得ることが資本主義の本質ですが、
売る相手の人類は有限です。
今の日本のように、欲しいものが一通り行き渡ってしまえば、
これ以上物を売るのは難しくなります。

中国に抜かれましたが、日本のGDPは世界で2位でした。
でも国民の多くは、自分が幸せとは感じていません。
所得の多さや、損得優先ではない別の価値観を持たなければ
日本人は幸せになれないのではないでしょうか。


(放射能問題)

原子力発電も問題があります。
何も事故が起きなくても、放射性廃棄物が生じます。
フィンランドでは地下500mの岩盤をくりぬいて、
放射性廃棄物を10万年保管する処分場を作りました。
アメリカでは100万年危険と考えられています。

10万年先まで有害なのです。
人類の10万年後はどうなっているでしょうか。
これまでの人類の文明の歴史はたかだか4~5千年です。
10万年後にはどうなっているのか想像も付きません。

今回の福島第一原発の事故では、
東京電力という一企業では賠償金を払えず国が支援しています。
この状況を見ても、火力発電よりも原子力発電のほうが
コストが安いと言えるのでしょうか。
もし事故が起きなくても、10万年後まで安全に核のゴミを保管する費用は
火力発電よりも安いとは絶対思えません。

このように長期的視点で考えると、
安倍政権のインフレ目標政策は、
発展途上国段階の時代錯誤の政策です。
日本が目指すべきは、今以上の経済成長ではなく、
「持続可能な社会」というのが政策の第一順位であると考えます。



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