伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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幸せの社会へ

2013-12-10 19:10:01 | 大きな時代の変革期
(はじめに)

ガンジーの本を読みながら、
望ましい社会について考えています。

現在の資本主義はさまざまな問題を抱えています。
例えば日本は、経済力で言えば、
世界で2位、3位といった地位にいるのに、
多くの国民はあまり幸せと感じていません。

それでもなお、政府は経済成長を
重要な政策目標に掲げます。
GDPが2%成長すると、幸せになれるのでしょうか?

幸せの国と呼ばれるブータンでは、
経済力を示すGDPではなく、
GNH(総国民幸福量)を国の運営指標にしています。

地球の資源は有限であり、
環境汚染や環境破壊が地球規模になってきた現在、
これ以上、環境が悪化すれば、
人類の生存までも危うくなります。

1970年代にローマクラブは「成長の限界」により、
人口の増加や環境汚染が続けば、人類は限界を迎えると指摘しました。
今ではさらに限界が近づいています。

経済成長第一主義ではなく、
人類の持続可能性を第一に考えるように
転換すべき時代に達したと考えます。

はじめにお断りしておきますが、
私は共産主義が良いとは思いません。
特定の宗教を勧めるものでもありません。
科学的、論理的に考えて、
資本主義に代わる社会・価値観に転換していく必要がある、
と考えています。



(貧困の原因は、資本主義による洗脳)

インドでは2千年以上に渡って大勢の人が、
綿の布を手織りして働いていました。
しかし、イギリスで産業革命が起き、
機械で大量生産されるようになると
インドの村は失業者であふれました。

そしてインド国民は、
自国の手織りの布よりも安い
イギリスのマンチェスターで大量生産された
布を喜んで買うようになったのです。

イギリスに占領され、
植民地化されたインドの貧困と奴隷状態の原因は、
イギリスの生んだ近代機械文明を
よいものだとして受け入れたインド人自身にある、
とガンジーは考えました。

現在世界で広がっている
西洋資本主義的な考え方、価値観、世界観に染まることは、
その資本主義経済に組み込まれることではないでしょうか。
多くの場合は搾取される側として。

ガンジーによれば、
本来「文明」とは、人に道徳の遵守を教える一連の行動。
自分の心と情欲を抑えられるようになるということ。
自制していく中で、自分自身を知っていく。
グジャラート語では、文明とは「よい行い」を意味します。



(自由で生きるか、欲望の虜になるか)

金もうけを第一にすれば能率が求められるのは避けられないが、
高潔に生きる術を身に付けて初めて我々は、
人生のあらゆる魅力を享受することができるようになる。
ガンジーはこのように考えました。

*ミヒャエル・エンデの童話「モモ」では、
 満足していない人は、どれほど多くの物を所有していても、
 自分自身の欲望の虜になっています。
 自由でいるか、奴隷に成り下がるかを決めるのは自分自身。



(資本主義による人間疎外)

資本主義の価値観は、「資本」が第一。
「資本家(少数)」のもつ「利潤」の増加を追求する社会。
そのため資本主義では効率の向上を目指す。
1 資源効率(より少ない資源でより多くの儲けを)、
2 時間効率 (早く)

資本主義では、「人間」でなく「資本」を優先する。
人間を儲けるための手段と見るので人間性の疎外が起こる。
しかし、人間は機械ではない。生き物である。
生き物としての自然なリズム、スピードがあり感情を持つ。
それを無視した効率性やスピードの追求は
生き物としてのヒトに調和しません。

資本主義の立場を離れて考えてみると、
生産性の向上は一概に良いこととは言えません。
過ぎたるは及ばざるが如し。
機械化が進み生産性が上がるほど雇用が失われます。

ガンジーの言葉です。
・無職の人を放置したまま機械を導入する余地はない。
・すべての人に仕事がなければならない。空気や水のように。



(資本主義に代わる「人間主義」)

ブータンにはGDPの代わりに
GNH(国民総幸福)の考え方があります。
多くの人の幸せを目指すならば、
「すべての人」が「有意義な時間(人生)」を
過ごせることが第一ではないでしょうか。

資本主義の根源的な間違いは、
「人間」よりも、「資本」の増加を、
第一に据えてしまったことです。

ならば、人間性を回復するためには、
「人間」を価値の中心にすえた
「人間主義」の社会が実現すれば、
多くの人の幸せに結びつくのではないか。
そう考え、私多田は「人間主義」という言葉を作りました。
人間性重視という意味ではルネッサンスかもしれません。

資本主義と人間主義では、
対象となる人の「範囲」と、最重要の「もの」が異なります。
資本主義は、「資本家」の立場に立ち、
「いかに多くお金を儲けるか」という
「カネ」の多さを良しとする価値観。

対して「人間主義」では、資本家という一部の人間ではなく、
「人間全体」の立場に立ち、すべての人が
「充実した時間」を過ごせているかを評価する価値観。
20世紀は「心の時代」になるとの予言もありました。

人間は利用され・消耗される「資源」でなく
「主体(主役)」であるべきである。
人間が主体ということは、
生きている時間の過ごし方の質が問題。

人間から仕事や労働を取り上げてよいのか?
人間にとって「仕事」とは何か?
自分や人のために役立っているという実感か?

ガンジーの言葉を噛みしめたい。
・無職の人を放置したまま機械を導入する余地はない。
・すべての人に仕事がなければならない。空気や水のように。

社会にとってもっとも大切なことは、
すべての人が充実した人生を送れること
ではないでしょうか。
社会の幸せの根本は、
すべての人の幸せを確保することでしょう。

「すべての人が仕事を持って稼げて、
 その収入で生活に必要なものが入手できることが、
 仕事の効率化や一部のヒトの金儲けよりも優先されるべき」
と広く共通認識される社会が
「人間主義」の社会ではないでしょうか。

各人が
「いかに充実した時間を過ごせるか」という問題は、
「人間主義」社会の核心であると同時に、
各人の内面の問題に深く関わってきます。

仕事を「我慢すべき苦役」ととらえるならば、
「ワーク・ライフバランス」という考え方になるだろうし、
「仕事も自分の人生の主要な部分である」
という考えに立てば、自己のキャリア・デザインを
強く意識した生き方になるでしょう。

「資本主義」から「人間主義」への移行は、
社会の大きな変革であると同時に、
一人ひとりの心の持ち方の革命でもあります。

ガンジーは、
「チャルカ」を使ったインドの復活に取り組みました。
そのお話は次の機会に。



(参考図書)
「ガンジー自立の思想」M.K.ガンジー 1999.6地湧社

(参考ブログ)
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