(「懐かしい未来 ラダックから学ぶ」)
これはヘレナ・ノーバーグさんが書いた本のタイトルです。
ヘレナさんはスウェーデン育ちですが、1975年に
インド最北部のラダック地方に住み、住民と交流しながら
その豊かな文化と幸せな人達に心を打たれました。
当時ラダックは、まだ西洋文明に侵食されず、
満ち足りた自給自足の伝統的な生活や文化が残っていました。
住んでいる人たちは、心から幸せでした。
「ここにはなんでもある」と、かつて青年が話していましたが、
今では「ここには何も無い」と言うようになってしまいました。
西洋文化や資本主義経済は、ラダックの人々に
何をもたらしたのでしょうか。
(限りない成長?)
資本主義の本質は「資本を増やす」こと、つまり「儲ける」こと。
宿命として、限りない経済成長を求めます。
しかし、地球は有限です。
資源も有限なら、取引する相手も有限です。
この有限の世界の中で無限を求める資本主義は
いつかは限界が来ます。
人間が生きていく上で、水や空気などの環境は必要です。
その環境を維持するには、生態系が大事です。
環境と生態系と共存を目指さなければ
最終的には人類は生きていけません。
日本の人口は長期的に減り始めました。
これからの日本には
損得や、効率優先でない、
新しい価値観が必要と考えています。
「懐かしい未来」から
そのヒントを探りました。
(西洋文明は人類に普遍か?)
西洋のアカデミズムは、西洋あるいは産業社会の経験を
人類全てに普遍化しようとする傾向が強い。
これはヘレナさんの指摘です。
どの社会も自分たちを宇宙の中心において考え、
他の文化については色眼鏡で見る傾向があるが、
西洋文明の場合は、その影響があまりに広範囲かつ強いので
誰もが自分たちと同じか、同じになりたいと望んでいると
見なしてしまっています。
学問や科学技術、産業革命などは、
西洋がはじめに経験しましたが、
世界各地には様々な文明や文化があります。
すべてが同じ道筋をたどるべきだと考えるのはおごりでしょう。
(みんなにとって善)
ヘレナさんが訪れた当時のラダックでは、
農業が中心の自給自足的な暮らしでした。
種まきや、収穫はお互いに手伝います。
ラダックでは、個人の善が共同体全体の善と
矛盾しない社会を受け継いできました。
人々は、家族、隣人だけでなく、見知らぬ人も助けます。
それに引き換え資本主義では、損か、得かの世界です。
人手が足りない場合はお金で雇います。
いかに安く雇うかであり、いかに高い賃金をもらうか
というせめぎあい。
この状態は、ゲーム理論のゼロサムゲーム。
自分の得は、相手にとって損。
これでは、助け合いも笑顔もムリです。
(あらゆる年齢に囲まれて)
ラダックの子どもたちは、
同年代の集団に閉じこもることはありません。
小さな赤ん坊から、曽祖父母まで
あらゆる年代に囲まれて育ちます。
助けたり、助けられたりという交換の大きな連鎖の中で
役割を担いつつ大きくなります。
日本では、学校でも、遊ぶ時でも
同級生同士が主だと思います。
核家族も増え、
祖父母との交流も少なくなりました。
社会や家庭の中で居場所が無くなったり、
人間関係が弱く感じてしまうのは、
こんな環境の違いが影響しているのかもしれません。
(チ チョエン?)
あるときヘレンさんは60歳の絵師ンガワンさんと一緒に
カシミール地方へ行きました。
田舎のラダック風の帽子や長靴を身につけていたので、
ンガワンさんは、道行く人々から、からかわれました。
ヘレンさんが、「なんでおこらないの?」とたずねると、
「チ チェエン(それが なんになる)?)」
とンガワンさんは答えました。
このように落ち着き払った様子は、
ラダックでは珍しくありません。
ラダックの人には抑えきれない生きる喜びがあります。
喜びの感覚は彼らの内部に深く根付いているので
周りの状況によって揺らぐことはないのです。
まったくもってうらやましいです。
現在の日本では、「KY(ケイワイ)」なる言葉まであり、
まわりの「K空気が、Y読めない」と非難されるほどです。
周りの人にどう思われるか、いかにそれにあわせようかと
心を砕いているばかりでは、「生きる喜び」や
「揺らぐことの無い自信」など、夢のようです。
(西洋化)
昔ながらの自然に寄り添った生活は、
欠点や限界があるにしても、
環境の面からも社会的にも、
近代の西洋文明よりも持続可能なのは明らかです。
伝統的な社会は、人と自然との数千年にわたる
試行錯誤と交流の中から生まれました。
ヘレンさんによれば、
ラダックに取り入れられた西洋式の教育は、
架空の資源不足を生み、競争を生み、共同体の崩壊へと
つながっているようです。
ラダックに人たちが何世紀の間大切にしてきた
社会的、環境的なバランスが破壊されています。
自給自足で幸せに生活できていたラダックには、
今では、他の地域から食料や燃料がトラックで
大量に運び込まれてきます。
ラダックは、グローバル資本主義経済に
組み込まれてしまいました。
ラダックには「なんでもある」と胸を張っていた自信が
ここには「何も無い」という卑屈へと変わってしまったのです。
生活物資を買うお金をかせぐために、
男達は都会へ出稼ぎに出ます。
伝統的な家庭や生活が壊れてしまいました。
GDPは上昇したのかもしれませんが、
ラダックの人たちは昔よりも幸せになれたのか?
(今の経済体制は続かない)
地元の農産物より、遠くから持ってきたものの方が安いという
今の資本主義経済は、膨大な化石燃料を
輸送のために消費することで成り立っています。
化石燃料は有限な資源であり、
再生産はできません。
今のやり方は、そう長くは続けられないのです。
一方、伝統的な生活は、世界の各地で
数千年の間継続されてきた、
自然と調和した暮らしであり、
決して夢物語ではありません。
(最も重要な教訓)
ヘレナさんがラダックで学んだ、
最も重要な教訓は幸福についてです。
ラダックの人々の喜びや笑いは、
純粋に、何者にも妨げられない
生命それ自体への感謝なのでした。
共同体や大地との親密な関係が
人間の生活をとても豊かにすると
ヘレナさんは知りました。
(ポスト資本主義)
世界各地の物資が効率よく運ばれてくることは、
逆に、世界中から地域文化の多様性を
奪っていることにもなっているのです。
生態系がその強さを維持するために
多様性を必要としているように、
人間の文化も、多様性とその存在を受け入れることが
平和で調和に満ちた関係性の基盤になる、と
ヘレナさんは考えます。
世界各地に様々な気候や風土があり、
さまざまな文化や生活があります。
それを無視して、現在一番隆盛な西洋文明や
資本主義経済を、全ての場所に押し付けるのは、
まるでかつての植民地支配のようです。
私は資本主義は限界が来ると考えますが、
旧ソ連や中国の様子を見ますと、
それ以上に共産主義は、うまくいかないと思います。
損得や勝ち負け、永遠の成長を追う
資本主義に代わる、次の価値観、
次の社会のあり方を模索しています。
(参考)
・グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?2012-07-27
・エコロジカル・フットプリント2012-06-12
・成長神話からの脱却 2012-05-25