ふるさとの山歩き、樹木、カメラ、家庭菜園の日記

山歩き・歴史の散歩・樹木観察・デジタル一眼レフ・家庭菜園などの活動記録です。

宗箇山・高峠山縦走!

2020年02月27日 | 山歩き

 2020年2月26日(水)、広島市西区の宗箇山(356m)から高峠山(237.4m)を縦走した。名所三滝寺から、反時計回りのBコースで登った。2017年に登った時は、土砂災害の復旧工事で通行止めになっていて時計回りのAコースで登った。今は砂防ダムも完成し、見晴らしの良いコースで登ることが出来た。子岩の上に立って、広島市街地・広島湾を眺めた。
  
頂上から、宮島、広島市内や広島湾、安芸の小富士の似島を見渡した。

先月登った大茶臼山を木々の間からかすかに眺め、高峠山(237.4m)まで縦走した。一段と広島市街地に近づいた。

小茶臼山(こちゃうすやま、201.7m)まで縦走しようとしたが、縦走する人が少ないのか、道がはっきりしない上、倒木が多く、断念した。またの機会に再チャレンジしたいと思った。

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黒滝山・白滝山縦走!

2020年02月22日 | 山歩き

    2020年2月19日(水)、竹原市の黒滝山から三原市の白滝山を縦走した。
黒滝山(270m)は、忠海港の海に面した岩峰の山。自宅を出て4時間後、登山口に着いた。

途中、乃木将軍が明治39年にひと休みした「乃木将軍腰掛けの岩」に座って、内海を見渡した。

鳥居をくぐると幸福が訪れると言われる「幸福の鳥居」に、肩を斜めにしてくぐろうとチャレンジしたが、無理だった。

黒滝山山頂からの瀬戸の島々の眺めは、素晴らしかった。

白滝山(350m)は、龍泉寺の磨崖仏で有名な山。
 黒滝山からの縦走路から、山頂の八畳岩(右の岩)が見えた。

八畳岩の側面には、磨崖仏の「釈迦三尊像」と「十六善神像」が彫られている。江戸時代初期に豊作と平安を祈願し彫られたそうだ。

その周辺には面白い表情をした石仏がある。

巨大な八畳岩に11名が悠々座って、黒滝山(真正面の山)を見ながら、弁当を食べた。

八畳岩からの360度の眺めは抜群でもっと眺めていたかったが、風が強く、そこそこに引き上げた。

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日浦山登山!

2020年02月13日 | 山歩き

 2020年2月12日(水)、海田町の日浦山(345.9m)に登った。当初、安芸アルプスの城山(じょうやま)・金ケ燈篭山(かながどうろうざん)を縦走する予定だったが、降水確率午前30%・午後90%のため、午前中に下山できる山として、前日変更になった。日浦山には、これまで、海田市駅から見える朱色の大師寺からのBルート、岩滝山からの縦走ルートで登ったことがあるが、この日は薬師寺からのAルートだった。
薬師寺の黄金色のひまわり観音さまを仰ぎ見ながら、9時に登山を開始した。

時々雨がぱらつくので、いつもならゆっくり眺める景色も、早めに切り上げ、頂上を目指した。

山頂から、海田湾、金輪島、マツダの煙、似島、元宇品とプリンスホテル、広島市街地が一望できた。広島駅北の二葉山の仏舎利塔もかすかに見えた。

この日登る予定だった安芸アルプスを眺め、滞在20分で下山を始めた。
 
本降りになる前の11時過ぎに大師寺に着いた。

この日の山歩きを終えると、翌週水曜日の天気が気になる。19日の降水確率は、今日(13日)時点では0%であるが、明日は・・・。

 

 

 

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大茶臼山・丸山縦走!

2020年02月01日 | 山歩き

 2020年1月29日(水)、広島南アルプスの大茶臼山(413.2m)から丸山(457.6m)まで縦走した。大茶臼山は、山頂に無線中継所の白い建物がある、市内からもよく目立つ西広島駅の裏にそびえる山である。己斐峠の国泰寺近くの登山口には、最近できたバイパス道路によって急な階段が取り付けられ、これを登ると一気に高度を稼いだ。

1週間前の天気予報では降水確率80%だったが、朝から快晴で、前日までの雨で空気が澄み、遠く広島湾の島々を一望することが出来た。

山頂手前の岩の上から、宮島、広島湾、広島市街地を一望できた。

丸山の少し下の岩の上から、違う角度から、広島湾、広島市街地を眺めた。

下山は、先週と同じ春日野団地の西側に下山した。下山路に石積み堰堤や石組護岸があったが、いつの時代に造られたものだろうか?帰って調べたら、1925年(大正15年)・1928年(昭和3年)の山本大水害の後に、1932年(昭和7年)から約10年かけて造られたものだと分かった。

石積み堰堤は幅約20m・高さ3mで、護岸は災害に強い川底まで石で敷きつめられた全国的にも珍しい「三面石畳」というそうだ。
工事はほとんど人力だろうが、約90年前にこのような防災工事が丸山の中腹までされていたのに驚いた。

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