遠藤こどもクリニックは小平市の小児科アレルギー科のクリニックです。こども達の近くにいる診療を心がけています。

腰痛とメタボからの脱却とアンチエイジングを決意した65歳体育会系小児科医の日記

思いの丈

2018年02月16日 | 日記
もう1人歩きは出来ていた。
1歳3ヵ月で3日間の熱を出した。
それから歩かなくなった。
近所のお医者さんに連れていったら、
これはポリオ(急性灰白髄炎)だ
と言われ、紹介状を貰い入院した。
一生懸命に歩こうとするけれど、
また歩けるようになったのは
3歳を過ぎてからだった。

保育園の時に、みんなで円を
形作る様に座り順番にスキップで
回ることがあった。
スキップが出来ない子は走って回る。
みんなと同じ様にスキップで回り
たかった。
きっと出来ないのは僕だけでは
なかっただろうけれど、どうして
自分だけが人と違いて出来ないのが
とても悔しかった。

その頃から、年に2回くらい、
定期的に病院に通った記憶がある。
治る事はないけれど、不自由が減る
様に様々なアドバイスをくれた
先生に憧れた。

小児科医になりたくて大学に入った。
運動部の先輩の強く勧誘してもらい
大学の産婦人科に残った。
決して嫌では無かったけれど、
他に心配事もあって胃潰瘍になり
入院したベットの上で
〝やっぱり小児科になりたい〝
と思い東京に帰り小児科医になった。
産科での経験を活かしたいと
新生児班に所属した。
帰ってきて2年目に結婚した。
産科の先生は大挙して来てくれた。
幸せ者だと思った。

一浪してやっと入った秋田大学
には初回の共通一次試験での入学者
だったこともあり、年齢も違うし、
全国から本当に様々な同級生がいた。
学生時代も、大学勤務医時代も、
開業してからも、ずっと感じている
けれど、最初の思いの丈は大切だと
思うけれどそれは大きな事でない。

僕らが高校3年生の時はまだ国立が
一期二期と二つ受けられた最後の年。
幼馴染は現役で1番偏差値が高い
大学の工学系に合格したけれど
進学せずに二期の国立大学医学部
に進んだ。
しばらくして理由を聞いたら、
〝競争し続けたくなかったんだ〝
と答えた。人と接するのは得意では
ないからと放射線科に進んだが、
ベストティーチャーに研修医から
選ばれる優れた医師だ。
それになにより人して優しい。

もう開業して20年になる。
様々な思いの丈でその道に進んだと
しても、結局大切なのは患者さんや
そのご家族にどう接して、
出来るだけ高いレベルの医療を
提供するかだ。

こんなことを思い出したのは、
ある先生から、ポリオに罹患した
体験に基づいての小児科医として日々、
また感染症や予防接種に
対する考えなどの話をする提案を
頂いたからだ。

なんとか無事に診療をするのが
やっと、熱い気持ちはもちろん、
優しさすら薄らいでいる毎日を
反省した。

悔しさとバネを与えてくれたgiftは
成長したらたいしたことではない
ことに気づいた。
眼に見えるだけ優しくして貰えた。

年齢を重ねて最近はまた少しハンデ
になってきた。
なりたい職業に就けたのは本当に
幸せだ。
この幸せを忘れずに、なんとか進歩
に遅れないで平均点を保って役に
立てる時間を重ねたいと思う。











コメント
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