遠藤こどもクリニックは小平市の小児科アレルギー科のクリニックです。こども達の近くにいる診療を心がけています。

腰痛とメタボからの脱却とアンチエイジングを決意した65歳体育会系小児科医の日記

お祭り

2015年09月29日 | 日記


小学校の低学年までは近所の
夏祭りがとても楽しみだった。
夜宮から土曜日、日曜日の夕方まで
嬉しくてずっとウロウロした。

それが確か小学校の4年生の時に
急につまらなく感じた。
めくるめく興奮は無くなった。
急に冷静に周りが見えてきた
のだろう。少年への道の始まり。

中学生になると、焼きそばや
金魚すくいにはまったく興味は
ないけれどお祭りは違った形で
夜な夜な集まるための格好の
言い訳に変わった。

先日、母の顔を見に行ったら、
施設の中でお祭りをしていた。
夏まつりに行っていた神社のすぐ
近所なので、その神社の踊りが
披露されていた。
見たことがあるのかも知れないが
新鮮だった。狐が踊っていた。

シルバーウィークの日曜日は
バイクで通った環七には
お神輿が出ていたし、
家の近くの商店街にもお神輿
が出ていた。
つい先日の日曜は鈍りきった
身体のリハビリで近所の神社へ
夜の散歩に行ったら尺八の演奏会を
していた。



ずっと生き急いでいたと思う。
信号が変わりそうになったら必ず
ダッシュする。と言うより手前から
信号のタイミングを合わせて
無駄な時間を過ごさないよう
いつも心がけていた。

最近はダッシュしたら心肺系への
負担が心配。
足はもつれて、つまずく可能性は
少なくない。
さらに先々の信号は老眼鏡だと
見えにくい。

焦らないでゆっくり待つ事が
出来るし普通になった。
例えばフルマラソンに出るとか
出来そうもないことも増えたけれど
足りないところが補えてもいる。

いつも神頼みする神社はその日は
きれいライトアップされていた。
私はライトアップはもういいけれど
円熟期にもう呼んでも良いだろう
この時期更にとは言わないがほんの
少しに光を持ち続けたいと思う。






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ショートツーリング

2015年09月21日 | 日記


自由の翼(3年前に買ったバイク)は
250ccなので車検がない。
そんなに距離は乗っていないし
屋内で保管し雨の日は乗らないし
時々申し訳なく思って磨いている。
だからコンディションはかなり良い方だ。

高校生の頃を思い返すと怖くなる。
ガソリンは遠藤精肉店の行きつけ
のガソリンスタンドでツケでいれていた。
燃費なんて気にしたことはなかった。

オイル交換は大切だ。
金属と金属は擦れ合う。
人と人も擦れ合う。
そんなことさえ知らない高校生は
多分まったくメンテナンスを
していなかったと思う。
それでもエンジンは動き続けていた。
セーフだったし、もう時効だ。

しかし3年経つとそろそろ心配だ。
整備しなければならないと思って
早1年、もう大人の判断が出来るので
何の不具合はないけれど点検にだした。

コースは2つ。
①分解してきちんと確認する。
②掃除と目視で問題ありそうなら
 分解調整。

走行距離は4000km弱だから
②で全然大丈夫そうだけれど
もしかしたら長い自分探しの旅に
出る時を考慮し①にした。

預けて出来るまで6~7時間、
一度電車で自宅に帰るからウェアが
むずかしい。
靴は登山靴みたいなライディング
ブーツに、中ぐらいの厚さパッド付きの
ジャンパー。暑いけど安全だ。
行く途中で
ヘルメットと一緒にジャンパーも
預けて良かったことを思い出した。

預けて帰る時に整備の担当の方に
「きちんとウェアを着ているん
ですね」と言われて嬉しかった。
少ないワードローブで悩んだ甲斐が
あった。

転ばないように走る、
けど転んだ時を考えての厚着する。
あと何年乗るかはわからないけれど
何時何処へでも行ける準備は必要だ。

ラグビーの試合をまずはBSで見た。
余りにも感動してもう地上波一度みたら
もう取りに行く時間だった。
夜は応急診療所の当番だから
ショートツーリングの2時間を確保する為に
ちょうど来たタクシーに手を挙げたのは
許されることだと思う。

問題なく整備は終わっていた。
説明の終わりに指摘があった。
「タイヤの山は問題ないのですが
そろそろゴムの硬化してくる時期
です。交換する方が安全です」

気づいていた。気にはなっていた。
怖いから余り傾けないのでタイヤの
端っこは新品みたいにトゲトゲが
まだ残っているのはライダーとして
実はとても恥ずかしいことである。
それは甘んじて受け止める。
丸いタイヤの底だけ減るのも
今の自分だから仕方ない。

それはそうとして
気になっていたことをズバリ指摘
してくれた。
ついでにバッテリーが弱っているのも
教えてくれた。
正直にバッテリーはすでにふたつ目で、
充電器を持っていることを告白した。
これぞプロだと思った。
見積もりを聞いて帰路につく。

久しぶりのショートツーリング。
環七から東京ゲートブリッジ、
豊洲から歌舞伎座を通り銀座。
皇居を周り246で渋谷方面に向かう。
手前で右折し表参道から井の頭通り。

思い切り格好の良いようで実は
唯一当てずっぽうで行ける道。
なんとなく反時計回りが好きだ。
ナビはないしスマホを固定する
方法を画策しはみたが両面テープが
家にないのでまだ完成出来ていない。
ナビで鈍化してしまった野生の勘を
フルに活用して走る。
標識も参考にはする。

ETCカードを入れておいたが
久しぶりの首都高は実は
思いの外路面が荒れているのが
怖くて乗らず地道にすっと下道で
ギリギリの時間に帰宅した。
野生に少しだけ戻れた気がした。

自由の翼と呼ぶにはまだほど遠いが
通勤快速として復活する。
まあ、寒くなるまでの間だけど。


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英語力

2015年09月19日 | 日記
実は英語だけは英才教育を
受けていた。
小学校の5年生から近くの高校の
英語の先生だったおじいちゃんに
個人教授で習った。

飼っている種豚の小屋の掃除も
仕事だったけど、週一回の英語は
訳も分からず始まっていたから
きつい仕事がまた増えたと思った。

個人教授は休みにくい。
予習なんてしたくないけど
1回でも読んでいけば違う。
解ってはいても出来ないのが
常だった。

でも中学生になった時に2年生の
教科書をほぼ終えていたのは
とても為になった。 
そして得意になった。
たまには休んだけれど、
結局高校生になるまで通った。
教えられながらも教え甲斐のある
最後の生徒になろうと思った。

受験では本当に助けられ、
学位を取るために読む英語の
文献も今思えばさほどは負担では
なかったのは貯金があったのだろう。

それから20余年、南の島の
ホテルでDVDを借りれない長男を
怒れない自分がいた。
それから長男と一緒に英会話通い、
昼休みにはケーブルテレビで洋楽を
聴く努力家がいた。
そのリハビリ効果は今は問うまい。

それからさらに10余年、その力に
期待はもちろんしているはずもない。
新しいiPad Air2でYouTube見始め、
最近は素人オーディション番組を
よくみている。

The Voice

大人からこどもまで素敵な歌がある。
気に入った曲をググってみた。
こどもがセブンティーンと
歌っている大人の恋の歌だと
ばかり思っていた。

以下のPVをみてもそう思った。  
貼り付けが出来ないので
YouTubeで検索して欲しい。

Thinking Out Loud   Ed Sheeran

思うことを声に出して言う
大切だと思う。

オフィシャルPVの女性のセクシーさは
もちろんだけど、その運動能力の高さに
驚いた。そこが気になる。
踊っている男性はもしかしてと思って
舞台裏PVもみてみた。
歌っている人自ら出演している。
以前のPVよりしまっている体型を
みて今の自分を恥ずかしく思う。

まあ、それはそれとして何度も
聴いていい曲だと思ったので
さらに日本語訳も調べてみた。

セブンティーンだとばかり思った
歌詞はセブンティーだった。
53歳の誤差は限りなく大きい。
悲しい程の勘違い。
自分の英語力が悲しい。

最初のところだけ自分でも
訳してみた。いい曲です。


When your legs don't work like
they used to before
And I can't sweep you off of
your feet
Will your mouth still remember
the taste of my love
Will your eyes still smile from
your cheeks

君の足が弱くなり前みたいに
動かなくなって
僕も君をもう抱え上げられなく
なってしまったとしても
君は僕の熱い想いを忘れないで
いてほしい
そして心からの笑顔を見せて欲しい

Darlin' I will
Be lovin' you
Till we're seventy
Baby my heart
Could still fall as hard
As twenty three

確かにセブンティーと書いてある
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初体験

2015年09月15日 | 日記
 


中学2年生で虫垂炎の手術を受けた。
退院した翌日のお昼前に同級生が
お見舞いに来てくれた。
しかもバスケット部の4人。
間もなく顧問の先生から電話が
かかってきた。
部員の交友関係や行動を把握
していた。

僕は顧問の先生の転勤で卓球部が
休部になりふらふらしていた頃。
それ以来バスケット部の顧問の
先生は僕に熱心に入部を勧めて
くれた。

顧問の先生は体育の先生で大学で
体育大バスケット部出身だった。
練習の後に毎日4~5kmを走るのが
日課。
都大会上位の運動部にどうして
入れようか。
たび重なる勧誘はやがて普通の
挨拶に受け止められるようになった。
社交辞令だったのだろうが一瞬
悩んだ自分も今はかわいく思える。

それからバスケットは遠い存在
だったが先日初めてプロの試合を
みた。
秋田のチームが大田区総合体育館で
試合だから見に行かねばならないと
言い出した家内はバスケット部
だった。

もしかしたら最初で最後かも
知れないから良い席を取ったと
聞いていたが最前列だった。
テレビカメラも設置されていた。
スマホで写真を撮るのが憚れる
事態だったのはもちろんだし、
君が代を起立して聞いたし
歌おうかと周りを見回した。

なんとなくルールは解るけれど
試合時間とか選手交代システムが
よく解らなかった。
前半と後半でリーグが違うので
使用するボールも変えていたらしい。
ずっと走っているゲームなのは解る。
選手紹介のパンフレットを見ると
普通の背の高さに感じる選手が
190cmくらいで外国人選手は普通に
ダンクシュートをしていた。

大きいなと感じた選手は軒並み
200cmオーバー。
すごく小柄な選手ですら自分よりも
大きい。世界が違った。



すごく楽しいスポーツ観戦だった。
最前列だったから試合後に選手と
ハイタッチし監督と握手した。
これこそ最初で最後の体験だろう。

帰宅後、番組表をさがして録画した。
後ろ姿が何度も写っていた。
しばらくは残しておこうと思う。

それよりもこれ程だと思ったのは
190~200cmの人ばかり見たら
160~170cmの人の集まりが
大人と小学生に見えたこと。

患者さんに発疹や蕁麻疹が出たら
証拠写真を撮ってきて欲しい、
出来たらサイズを測る定規付きで
といつも言う。
そう言いながら自分は証拠写真を
撮ってはいなかった。
申し訳ない。

もうひとつ言い訳は秋田ノーザン
ハピネッツの方々でなくトヨタの
方々だったこと。
もちろん試合中は集中してみていた
ことをと誓う。
もちろん写真ばかりを撮っていた
訳ではない。
もう少しアスリートでありたい。







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ホームページ

2015年09月11日 | 日記


かれこれ3ヶ月、当初8月初めの
予定だったクリニックの新しい
ホームページが今日からようやく
御披露目出来た。

これはこちらの注文が細かくて
しかも朝令暮改みたいな事もあった
ためで、依頼に対しての返事や変更
はとても早かった。

最大の原因は写真だと思う。
なかなか満足出来る写真が
撮れなかった。

クリニックは外観も内装もリフォーム
したけれど、数年経ってそろそろ
気になるところも出てきた。
あんまり嘘はいけないけど出来れば
綺麗に撮ってあげたい自分の仕事場。

さらに問題なのはリフォームしていない
私の写真は言うまでもなく満足のいく
ものがまったく撮れなかったことだ。

疲れたおじさん(おじいちゃん?)に
見えるのは絶対にカメラか技術が問題
なのだろうと当初から疑った。
それに加えHPの会社の人にカメラを
向けられると表情が一変してかたく
なってしまう自分はやはり人見知りだ
と再認識した。


モデル並に数を多く撮れば洗練されて
いくはずだ。
自撮りだってこれからは躊躇わない。
そのためには棒をさえ買う覚悟だ。

今回はまあこの辺で取り敢えずとした。
それはともかく新しいホームページ
になって嬉しい。
かわいい感じのホームページなので
行ってみたら疲れたおじさんが
ボーッとしてたら申し訳ないから
きちんと明るく仕事をしようと思う。

http://endo-kodomo-clinic.com
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3年前

2015年09月07日 | 日記


Facebookは友達の書いたものを
読んで、いいね!をつけて自分の
生存確認をしてもらうためだけに
利用している。以前はたまに記事を
書いたこともあったけど最近は
もうほぼ書かないで連絡ツールに
なっている。そんな使い方だけれど
3年前は何をしていたかを知らせて
くれる。便利な世の中だ。

そう言えばリターンライダーに
なって早3年が経ったらしい。
このblogにもツーリング記事を
書いていた。(2013年8月など)

最初の一年間で2500km近く走った。
つぎの一年間は1000kmくらい。
ここの一年間では350kmくらい。
だいたい年毎にその走行距離は1/3に
なっているからここからの一年間は
100kmとなる予想。
自由の翼は、近所の散歩のツールと
なってしまった感は否めないが
まだ物干しにはなっていない。

華麗なライティングを思い出したら
免許はあるから大排気量のバイクに
ステップアップしようと色々試乗した。
今も雑誌はチェックしている。
主にウェアだったりもするけど。


「ほとんど乗らないんだから、
 もう売ってしまえば?」
という家内の言葉は聞こえないふり
をして、還暦前にはもっと大きくて
冒険旅行にも行ける可能性がある
アドベンチャーのと言うカテゴリー
の全体が赤いバイクでも買おうと
思っている。まだ諦めてはいけない。

嬉しくて勢い半年で改造し過ぎて
売ってもその分は加味されないのが
悔しいのもあるが、ここで売って
しまったらたぶん再リターンは
なさそうに思うので、まだ翼を持つ
人であり続けていたいと言うこと
なのだろう。

ふと思いたって、北へと向かう。
遠い大地を目指しながら自分と
向かい合う旅に出られる可能性は
残しておきたい。
まだ日帰りツーリングしかしたこと
ないけど。

暑かったし最近雨も多い。
エンジンはかかる。
ガソリンもいれた。
タイヤの空気圧もチェックした。
乗ってないからタイヤの溝は十分、
計年劣化で硬くなってるのは
さて置いておく。
バッテリーだってOKだ。

言い訳出来ない天気が待ち遠しい。

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過去から未来へ

2015年09月01日 | 読書感想文




どうしても地理と歴史が不得手だ。
入試には社会科2科目が必要で
政治経済と日本史を選択した。
なぜか成績が良かった倫理社会に
すべきだったが、たまにとんでも
ない問題が出るから日本史を選んで
しまった。
何も勉強してないかったのに
根拠のない自信を感じてしまった。

根拠のない事はやはり上手くは
いかない。本番でとんでもない
点数を取ってしまった。
一発勝負なのに日本史が足を
引っ張った。
足切りが怖くて地方に行かざるを
得なかった。って言うか最初から
入れるなら何処でも行くつもり
だった。

受かったから結果オーライだけど
歴史はトラウマになった。
大河ドラマをずっと避けてきた。
知ってはいるけれど曖昧なので
今ひとつ集中出来なかった。

夏休みも終わって、自分に新しい
面を出していこうと思う。
不得手に挑戦する。
平均台とかバレエとは無理だから
選ばない。
ヨガもピラティスも億劫だ。
料理とか英会話とかも考えたが、
まずは趣味の範囲を広げてこれまで
避けてきた歴史の本を読むこと
にした。

司馬遼太郎を読もうかとも思ったが、
それぞれけっこう長い。
三国志は漫画で読んで面白かった
ので日本史も漫画からにした。
石器時代から入りたい几帳面さは
この際無視して戦国時代からにした。
全巻読破してクリニックに並べたい。

それと同時に、バイク雑誌で
特集していた作家を読みたくなって
ブックオフ2軒行ってみたけど
ほとんど置いてなかった。
見つかったものは読んでいる。
ついでにほとんど読んだけど
何時もの様に内容を覚えていない
ので、よしもとばななの本も
読み返ししてみた。
おぼろげに筋は終えたけれど新鮮。
そろそろ本も読み直してもいいかな
と思う。

長男が産まれ仕事もとても
忙しかった頃だけれど、なぜか
出版されすぐに読んだ記憶がある。
四半世紀経って読見返して良かった。

朝はまだ蝉がないている。
夜はもう鈴虫がないている。
運動の秋でもある。
それには体力がない。
あの頃の体力は望むべくもない。
いまはその1/2くらいなのでせめて
2/3くらいに戻したい。

後ろを見つつ前を見据えて思う。
新学期に改めて誓う。
今日から本気だす。
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